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日々の気になる出来事を私なりの切り口で動物たちに報道させます。
時事ネタ、エンタメなんでもありの駄ブログです♪

おひさしぶりね

2010年01月27日 | 私心[徒然日記]
「みなさんこんばんは。おひさしぶりです」

「何しに来た?」

「今、管理下ブログの整理中なんす」

「で?」

「エントランスページをトップに持ってこれなくて困ってます」

「編集の日時変更で何とかなるだろ?」

「それが……反映されません」

「はぁ、どうりでずーーーっと三沢がいきなりトップ記事だったわけだ」

「えへっ(はぁと)」

「やめい。虫唾が走る」

「とりあえずgooに問い合わせてます」

「三沢もいいけど、トップはみかんの方がいいだろ」

「とりあえず……最後にいいですか?」

「ん?」

「『あたしンち』放送終了が納得できん!」

「テレ朝に言って来い」

「やいやいやい!テレビ朝日!……お願いだからまた放送して」

「弱ッ」

「……と、どうでも良い掛け合いが、みかんも三沢も押しのけトップ記事」

早すぎる10カウント……三沢光晴、永眠。

2010年01月27日 | otaプロ[プロレスネタ]




NOAH公式

<プロレスラー>三沢光晴さん死亡 試合中倒れる 広島
以下記事引用
13日午後8時半ごろ、広島市中区基町の広島県立総合体育館であったプロレスリング・ノア広島大会で、試合中にノア社長でプロレスラーの三沢光晴さん(46)が倒れ、心肺停止状態で広島大学病院に救急搬送された。県警広島中央署によると、同10時10分に死亡が確認された。同署は主催団体や対戦相手などから事情を聴いている。
引用ここまで


三沢さんの死因に関して百田副社長「家族以外には不明」=ノア
以下記事引用
14日開催のプロレスリング・ノア博多スターレーン大会開始前に、同団体副社長の百田光雄が13日に急死した三沢光晴さんについてコメントした。
 まずシリーズ中での悲劇とあり、今大会を含め中止も検討されたのではという問いには「三沢社長は常に満身創痍でやっていた。選手全員と話して『決行するべきでは』となった。三沢社長も(中止は)望んでいない」と強行開催に至る経緯を語った。そして、死因に関しては「僕たちも医師から『不明』としか伝えられなかった。検査した結果、脳や頚ついにも損傷はないという話しを聞いた。ただ、医師からは『家族以外には死因は説明できない。たとえ会社の方にも説明はできないので、家族の方に説明します』と言われました。したがって会社の人間は、医師の方から一切死因に関しての説明は受けておりません」とコメントした。
引用ここまで


斎藤選手、三沢さんの遺影に涙の土下座
以下記事引用
13日の試合中に頭を強打し、46歳で亡くなった人気プロレスラー三沢光晴さんが所属したプロレス団体「ノア」の興行が14日、福岡市の博多スターレーンで予定通り行われ、ファンが早すぎる死を悼んだ。
引用ここまで



昨日、知人からのメールでこのニュースを聞いた。
ショックでその目を疑った。
だが、それは現実として受け止めなければならなくなった。

プロレスリング・ノア 三沢光晴選手が亡くなった。

まだ46歳。
まだまだこれから円熟味増した試合を魅せてくれるはずだった。
どうしてこうも生きるべき人は去ってしまうのだろう。

辛い。苦しい。

ノアはこの春、日本テレビでの地上波中継が終了した。
経営難のプロレス界において、いくらメジャー団体の一つといわれても
テレビ放送の収入が無くなってしまうのは大打撃であろう。
経営者として、社長として、恐らく終了が決まった昨年から、
三沢は決意していただろう。

「何としてもこの苦境を俺が引っ張って乗り切らねばならない」と。

三沢光晴は今年正月の新日のドーム大会に自ら参戦した。
その後も連日連夜の連戦。
ベルトやタイトルの懸かったハードな試合にも満身創痍の体で立ち向かった。
だが、そのツケの代償はあまりにも大きく、
あまりにも早く訪れてしまった……。

2005.7.18 東京ドーム大会。
5年ぶりの対決となった川田との試合。
仕舞い込んでいたDVDを引っ張り出し見返した。



試合は壮絶なエルボーとキックの乱れ撃ち。
セミファイナルの小橋、健介戦もまた凄かったため、
当時はどうしてもそちらに目が行ってしまったが、
今こうして三沢VS川田を観てみると、
何と言うハイレベルな試合をしていたんだと愕然とする。
申し訳ないが今の新日やノアのトップ選手が
この試合を出来るとは思えない。
やはりプロレスとは強いとか弱いとか肉体の強さだけでは語れない。
男の生き様が、人生がそこにある。

敗れた川田は言った。



「いつまでも俺の1つ先輩の力を持っていて下さい」

この『力』が意味することは勝ち負けの強さだけでないことは、
ファンなら分かるだろう。

もう試合後の三沢の声は聞けない。
あの『ビール飲みたいね』と屈託無く笑う顔を見ることはできない。



でも、俺達の記憶には強く刻まれている。
いつまでもその『力』を持ち続けている、
三沢光晴が。

ご冥福を心よりお祈りします。