名九鬼から国道に戻り沢の反対斜面に位置する矢越集落へ
潮沢の民話によると
坂上田村麻呂が矢本という所で放った矢が越していった所だそうだ
地形的にここは潮沢の最深部でここから西条への山越えが始まる
矢を谷と考えれば谷を越える所
矢本は谷の入り口
矢下は谷の下方ということになるのだろうか?
でもやっぱし坂上田村麻呂の弓矢に由来する地名としておきましょう(^^)
数件の家はほとんどが無人だと思ったが
家の隣の明るい南斜面には獣除けの網で囲まれた畑が作られ
消火用ホースの収納箱もきれいに塗り直されていたのは
まだここに人の暮らしがあることを物語っていた
帰路久々に潮沢信号所跡へ寄ってみた
昭和47年に潮沢地区の住民30人が善光寺、戸隠のお参りに行くにあたって
信号所長に懇願してこの信号所から特別に乗降させてもらったそうだ
歴史に残るたった1日の駅ということだ
まだまだのんびりした時代だったんだなぁ
潮沢の民話によると
坂上田村麻呂が矢本という所で放った矢が越していった所だそうだ
地形的にここは潮沢の最深部でここから西条への山越えが始まる
矢を谷と考えれば谷を越える所
矢本は谷の入り口
矢下は谷の下方ということになるのだろうか?
でもやっぱし坂上田村麻呂の弓矢に由来する地名としておきましょう(^^)
数件の家はほとんどが無人だと思ったが
家の隣の明るい南斜面には獣除けの網で囲まれた畑が作られ
消火用ホースの収納箱もきれいに塗り直されていたのは
まだここに人の暮らしがあることを物語っていた
帰路久々に潮沢信号所跡へ寄ってみた
昭和47年に潮沢地区の住民30人が善光寺、戸隠のお参りに行くにあたって
信号所長に懇願してこの信号所から特別に乗降させてもらったそうだ
歴史に残るたった1日の駅ということだ
まだまだのんびりした時代だったんだなぁ
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