写真:前剣全容と頂上
立山・剱岳「天の記」(14) 「前剣(軍隊剣)」
一服剣の頂上で息を整えた後は、直ちに不休直進、前進である。
今まではどちらかと言えば剣御前、一服剣をつなぐ稜線の東側である風下にあって、風力は余り感じられなかったが、一服剣を過ぎると稜線歩きになる。 従って、西の谷あいからモロに吹付ける風圧は相当なものであり、しかも、体が浮かされるように、谷から吹き上がってくるのである。 風の音も、岩角や草花に当たって微妙な音の違いを発し、風波の強弱を現しているようでもある。 風波が強そうな時は、身を屈めて風に逆らわないように、安定を保ちながらソロリと前進する。 又、風には地形によって強弱があり、吹き溜まり・・?のような常時、吹付けているところもあるようで、そんなところは出来るだけ早めに行動をするか、風除けになっているようなところを選びながら進むように気を配るのである。
進路によって、どうしようもなく風に曝されるところもあるが、この尾根はどちらかといえば稜線より微かながら東よりの風下の路程が多いようで助かる。
下りきったところが「武蔵のコル」という。
鮮明ではないが、この右直下には武蔵谷が口を開いていることだろう・
剱岳周辺には平蔵とか、源次郎、長次郎といった人名が多く使われている。 剱岳黎明期において名だたる名ガイドの名前であり、武蔵というのも同様に人の名前と想像するが、何処の、誰で、どのような人であったかは定かでない。
この稜線の谷に当たる地は、堰の放流口といったところで風の集積場でもあり、強烈な風が絶え間なく吹き付けている。 風の当たる面積を最小限に縮めて、しかも安定姿勢で、いち早くこの場を退散する。
歩きにくいガラ場(山用語で、山の斜面が崩れて、岩石がごろごろしている場所)を少々行ったところから、直に登り返す。 いきなり一枚岩のような大岩にぶつかった、垂直に切り立った岩壁で逃げ道は無い様である。 見ると一本のクサリが張ってあり、踏み跡のスタンスもしっかり付いていたので難なく通過する。
われ等は遮えぎられっぱなしの、所謂、霧中を(五里霧中ではない)を夢中(無我夢中ではない)になって歩を運んでいるのだが、それでも時折、瞬間的であるが目の前のガスがスーッと消える時がある。 そんな時、どうゆうわけか山高いが故に水平、若しくは足下を見てしまう。 そしてこの地、或いはこの先の足下は間違いなく吸い込まれそうな千尋の谷底が口を開いているのである。 霧中は、それらの恐怖心を幾らかでも和らげて呉れているのか・・?、そして、目の先には要塞のような相変わらずの垂直の灰色の岩稜が立ちはだかっている・・!。
雨も次第に激しくなっている、そして風のほうも相変わらず吹きまくっている。
行き交う人も無く、われ等は風と霧の世界で沈黙の中、遅々として前進する。
どうやら前剣のピークへ達したようである、時に8時少々回っていた。 不順な天候と緊張の連続で、時間の経過など気にしなくなっていたようだが、意外と早めに行動しているらしい。
この前剣のことを戦前の頃までは「軍隊剣」と称していたらしい。
戦前、中部方面隊え陸軍歩兵部隊の精鋭が濃霧の中、登山訓練と称して剣岳を目指した際、前方が霧で全く見えなかった為、このピークを剣山頂と勘違いして登頂成功を祝い、万歳をして下山したためその名が付いたとされている。
立山・剣の登山地図にも前剣のところに括弧付けで軍隊剣としている。
次回は、平蔵の頭へ・・、
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