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織内将男の山旅の記録

若かりし頃よりの山旅の記録です・・!!

丹沢:「丹沢山」(後編)

2008年07月25日 | 表丹沢:丹沢山

現在の丹沢山頂「みやま荘」

「山」に関する過去の雑記、メモを整理しながらブログに投稿しております。
お茶など出ませんが、同じ趣味、興味のある方は立寄って御覧ください。
現在と比較しながら眺めるのも一興でしょう・・。



丹沢山塊:「丹沢山」(後編)


山行日――――昭和44年11月2日~3日
同行者―――単独
ルート――――ヤビツ峠⇒表尾根⇒塔ノ岳⇒丹沢山⇒塔ノ岳⇒大倉尾根⇒大倉
天候―――――曇のち雨


「丹沢山頂で難渋・・、」
11月2日(日曜日)、午後3時も回った頃であった・・、それでも予定より1時間も遅れたではあるまいか・・?。
山頂は、樹林に囲まれていて、塔ノ岳に比べて決して見晴らしが良いとおは云い難いが、しかし、これはこれで結構だとも思った。
山小屋「みやま山荘」も遠慮しがちに立っていた・・、今夜はこちらでお世話になります・・、と無言の挨拶をして・・。

ザックを横において山頂付近を暫くブラブラとする。
風に吹かれながら木の葉がハラハラと身に降りかかり、小鳥のさえずりも心なきか寂しそうである。
思えば大山などの一人行を除けば、単独行は初めてであった。 こうして一人でボンヤリ歩いていると、世間の憂さを忘れて実にサッパリ観はあるが、どこか裏さみしい気が無いでもない・・。
気がつくと鹿の親子であろう・・、のんびり草を食んでいた・・。
時間の経過とともに登山者の数もだいぶ増えてきたようであり、そろそろ宿泊の受付をしておこう・・。

玄関には既に大勢の人が受付待ちで並んでいた、そして話を聞くと既に部屋は満員状態であると言う・・。
2日、3日は連休とあって小屋はもう超満員で畳1畳で2人位の混みようであると・・。仕方なしに今夜は野宿と決め込んだ・・。
山小屋すぐ横の、木の幹に適当なスペースを見つけて・・、食事はボンカレー、生キュウリにマヨネーズ、鰯の缶詰と、それにウイスキーを流し込みながらの簡素なものであった。

11月の山頂ともなれば相当冷え込むのは必須であろう、其れも覚悟の上でのことであるが・・。
寝支度は、とにかく着れる物を全部着込んで、その上に雨具まで着け、足下は空っぽにしたキスリングをつっ込んだだけであった。
周囲を見渡すと数人が簡易テント(今でいうツェルト)で、潜っている人もいるようだ・・、この地はキャンプ地やテント場ではなので、正規にテントを張ることはできない・・。

夜も更けてきて黒ずんだ上空を見上げると、若干の星々が見受けられる・・、W字形のカシオペア座も有った。 
ただ、ムラ雲が時おり、その僅かばかりの光の跡を消し去り、移動してゆくのが判るのである。 落ち着かない雲の動きが、少々なりともきになるのであるが・・・。
頬をかすめる空気も、どことなく湿った感じがするのである・・。

夜半、0時(12時)も過ぎた頃であろうか・・、
面(つら)に冷たいものを感じた・・!!。
何たることというか・・、やはりというか・・!!、冷ややかな風とともに、ついに雨がやって来たのである。
しかも、それはボタボタ落ちるかなり大粒の雨であった。
野宿であるから、多少の寒さや風には何とか我慢が出来るが、雨には手の施しようがない、雨具を着けてても雨の中でジッとしているわけにはいかないのである。

慌てて、山小屋の親父さんを叩き起こした。 
迷惑そうな寝ぼけ顔で「ご覧のとおりだよ・・、よかったら横の薪小屋使ってもいいよ、お代はいらないよ・・」・・と
仰るとおり玄関の土間まで人で埋まっていた。

薪小屋といっても、母屋にへばり付いている二尺足らずの屋根だけの小屋であった。
だが、雨だけは凌げ、濡れずにすんだのは幸いであった・・。
それにしても、一人身の侘しさをしみじみ味わう夜になったもんである・・。

(翌日、主脈縦走の予定で有ったが大雨のため中止撤退、そのまま塔が岳から大倉尾根を下った。)
  


「山の詩」

山は百面百態あり、山は生き物だ・・。
そんな山、大自然の包容に身を託す。
そして自然の有り難さを、しみじみ味わい感嘆する。
そんな山に、惚れたのかもしれない。
 
時に、山は極端な排他的性格をあらわにし、
われ等、人々を拒もうとする、・・が
その時、われ等はあらゆる知と観察と勇気、決断を以って、
自然の猛々しさに対処し、困難を克服する。
 
底知れない自然を相手に、
その時、自分を観つめ、還元し、
自然の中で、自分を高揚させる・・。
本当の山相手の所業は、こんなもんかもしれない。


≪終り≫


引き続き、「丹沢山塊」を紹介します。


丹沢:「丹沢山」(前編)

2008年07月25日 | 表丹沢:丹沢山
「山」に関する過去の雑記、メモを整理しながらブログに投稿しております。
お茶など出ませんが、同じ趣味、興味のある方は立寄って御覧ください。
現在と比較しながら眺めるのも一興でしょう・・。



丹沢山塊:「丹沢山」(前編)


山行日――――昭和44年11月2日~3日
ルート――――ヤビツ峠⇒表尾根⇒塔ノ岳⇒丹沢山⇒塔ノ岳⇒大倉尾根⇒大倉
同行者―――単独
天候―――――曇のち雨



小生が始めて「丹沢山塊」へ足を踏み入れたのは昭和40年初頭の頃で、未だ20代の頃であった。
始めの頃は、東丹沢の低山を徘徊していたが、次第に「大山」や表尾根の「塔が岳」等にも入るようになった。
しかし、広大な丹沢山域の内、中央帯の核心部、や西丹沢には未だ到ってはいなかった。そして、初めて核心部の丹沢山や蛭ケ岳を目指そうと思ったのは昭和44年(1969年)の11月になってからのことあった。


今回の山行予定は、表尾根から塔が岳、丹沢山、蛭が岳、焼山から裏丹沢の青野原へ到るルートで、所謂、「丹沢主脈ルート」と言われるコースである。
丹沢の登山としては初めて小屋泊まりをする事になるのであるが、この山塊も山小屋は比較的充実していて、特に表尾根コースは各ピークに小屋が存在し、皮肉っぽく「小屋ヶ尾根」などと呼ばれるほどである。

今回は小屋泊まりでも自炊が目的であるため、しかも単独行ということもあって日帰り登山とは異なり装備も当然膨らんでしまった。それに、もう一つの目的は、近々の来シーズン、北アルプス・穂高の「涸沢」辺りでキャンプ登山をするためのトレーニングも兼ねていたである。

装備用のザックといえば、今は西洋型というか・・、縦長の軽量合成繊繊のものが主流のようであるが、当時は綿作りの黄色いゴワゴワした、両サイドに大きなポケットを備えた幅広の物であった。
因みに、これは「キスリング」といってキャンバス製の大型ザックで、発案者であるスイスの登山用具製造業者「キスリング」氏の名前に由来しているという。
厚い木綿のキャンバス地はそれ自体に防水性があるが、さらに防水性を高めるために熱したワックスを溶かして塗布することも時には行われたという。 
駅の改札を通るときに横幅が広すぎて引っかかるので、体を横にしながら改札を通り抜けていたことから、かつてはキスリングを背負って山に出かけるわれ等若者たちは「カニ族」とも呼ばれた。
今ではめったに使っている人を見ることがない。

1980年前後頃アメリカでは、「トレッキング」(trekking)という山歩きが流行していた。トレッキングとは・・、登頂を目指すことを主な目的としている登山に対し、特に山頂にはこだわらず山の中を歩くことを目的としている言葉である。
トレッキングの装備はバックパッキングといって、ナイロン製の縦型バックで、その形状がいかにも斬新だったといわれる。
この姿が、固くて重いコットンキャンバス製のキスリングスタイルのリュックサックが一般的だった当時の日本人登山家を大いに驚かせたといい、その後、この様なナイロン製のバックパックが導入され、次第に普及していって現在に到ったと言われる・・。


その大型のキスリング・スタイルで表尾根を行く・・。
ヤビツ峠から二の塔、三の塔までは順調な登りであったが、烏尾山から行者ヶ岳を経て新大日岳に至るまではアップダウンも激しくなり、山の様子も一変する。
ヒヤリとする岩場もあり、鎖場も現れ、重量のキスリングの影響もあって相当の疲労を感じている。そして木ノ又大日からの最後の詰めは標高差約100mの登りで塔ノ岳山頂(標高1,490m)へ達する。

本日、11月2日は日曜、次の3日は祝日でもあり、山は紅葉の時期の真っ盛りであり、山々の広葉樹は真っ赤とまではいかないが、黄色や褐色に染まっている。
こんな時期でもあろう・・、登山路は大勢の登山客で大賑わいである・・。
塔ノ岳山頂は、数回来てお馴染みであるが、余りの人の多さにビックリである。
平坦な山頂からは広大な展望が楽しめるはずだが、上空は遥か霞がかかっているようで余り眺望は望めなかった、それに、人の多さも手伝って早々に山頂を後にした・・。

尊仏山荘の脇から「丹沢山」への道は始まが、ゆっくり歩いても塔ノ岳から丹沢山へは片道1時間強であろうか・・?。
塔ノ岳山頂からは下り一方の道が暫く続くが、降りきったころにあるのが「日高」(ひったか)というところで、やや湿地帯とも云うべき所に木道なども敷かれてあった。

ここからは竜が馬場までフラット&アップダウンの道が続く。
この付近は山奥のため既に紅葉も終わったのであろうか・・、風によって木々がサラサラと葉を落としているのが何とも風情を感じるのである。
ほぼ中間地てあろうか、竜が馬場のベンチでしばし休憩とする。周辺はブナの巨木やシロヤシオツツジの樹林が取り囲み、気持ちの良いところである。
笹尾根ともいうべき、笹の茂った登山道を上り下りを繰り返すうちに、どうやら「丹沢山」の山頂に到着したようである。

後編に続きます・・、「丹沢山頂で難渋・・、」