
現在の丹沢山頂「みやま荘」
「山」に関する過去の雑記、メモを整理しながらブログに投稿しております。
お茶など出ませんが、同じ趣味、興味のある方は立寄って御覧ください。
現在と比較しながら眺めるのも一興でしょう・・。
丹沢山塊:「丹沢山」(後編)
山行日――――昭和44年11月2日~3日
同行者―――単独
ルート――――ヤビツ峠⇒表尾根⇒塔ノ岳⇒丹沢山⇒塔ノ岳⇒大倉尾根⇒大倉
天候―――――曇のち雨
「丹沢山頂で難渋・・、」
11月2日(日曜日)、午後3時も回った頃であった・・、それでも予定より1時間も遅れたではあるまいか・・?。
山頂は、樹林に囲まれていて、塔ノ岳に比べて決して見晴らしが良いとおは云い難いが、しかし、これはこれで結構だとも思った。
山小屋「みやま山荘」も遠慮しがちに立っていた・・、今夜はこちらでお世話になります・・、と無言の挨拶をして・・。
ザックを横において山頂付近を暫くブラブラとする。
風に吹かれながら木の葉がハラハラと身に降りかかり、小鳥のさえずりも心なきか寂しそうである。
思えば大山などの一人行を除けば、単独行は初めてであった。 こうして一人でボンヤリ歩いていると、世間の憂さを忘れて実にサッパリ観はあるが、どこか裏さみしい気が無いでもない・・。
気がつくと鹿の親子であろう・・、のんびり草を食んでいた・・。
時間の経過とともに登山者の数もだいぶ増えてきたようであり、そろそろ宿泊の受付をしておこう・・。
玄関には既に大勢の人が受付待ちで並んでいた、そして話を聞くと既に部屋は満員状態であると言う・・。
2日、3日は連休とあって小屋はもう超満員で畳1畳で2人位の混みようであると・・。仕方なしに今夜は野宿と決め込んだ・・。
山小屋すぐ横の、木の幹に適当なスペースを見つけて・・、食事はボンカレー、生キュウリにマヨネーズ、鰯の缶詰と、それにウイスキーを流し込みながらの簡素なものであった。
11月の山頂ともなれば相当冷え込むのは必須であろう、其れも覚悟の上でのことであるが・・。
寝支度は、とにかく着れる物を全部着込んで、その上に雨具まで着け、足下は空っぽにしたキスリングをつっ込んだだけであった。
周囲を見渡すと数人が簡易テント(今でいうツェルト)で、潜っている人もいるようだ・・、この地はキャンプ地やテント場ではなので、正規にテントを張ることはできない・・。
夜も更けてきて黒ずんだ上空を見上げると、若干の星々が見受けられる・・、W字形のカシオペア座も有った。
ただ、ムラ雲が時おり、その僅かばかりの光の跡を消し去り、移動してゆくのが判るのである。 落ち着かない雲の動きが、少々なりともきになるのであるが・・・。
頬をかすめる空気も、どことなく湿った感じがするのである・・。
夜半、0時(12時)も過ぎた頃であろうか・・、
面(つら)に冷たいものを感じた・・!!。
何たることというか・・、やはりというか・・!!、冷ややかな風とともに、ついに雨がやって来たのである。
しかも、それはボタボタ落ちるかなり大粒の雨であった。
野宿であるから、多少の寒さや風には何とか我慢が出来るが、雨には手の施しようがない、雨具を着けてても雨の中でジッとしているわけにはいかないのである。
慌てて、山小屋の親父さんを叩き起こした。
迷惑そうな寝ぼけ顔で「ご覧のとおりだよ・・、よかったら横の薪小屋使ってもいいよ、お代はいらないよ・・」・・と
仰るとおり玄関の土間まで人で埋まっていた。
薪小屋といっても、母屋にへばり付いている二尺足らずの屋根だけの小屋であった。
だが、雨だけは凌げ、濡れずにすんだのは幸いであった・・。
それにしても、一人身の侘しさをしみじみ味わう夜になったもんである・・。
(翌日、主脈縦走の予定で有ったが大雨のため中止撤退、そのまま塔が岳から大倉尾根を下った。)
「山の詩」
山は百面百態あり、山は生き物だ・・。
そんな山、大自然の包容に身を託す。
そして自然の有り難さを、しみじみ味わい感嘆する。
そんな山に、惚れたのかもしれない。
時に、山は極端な排他的性格をあらわにし、
われ等、人々を拒もうとする、・・が
その時、われ等はあらゆる知と観察と勇気、決断を以って、
自然の猛々しさに対処し、困難を克服する。
底知れない自然を相手に、
その時、自分を観つめ、還元し、
自然の中で、自分を高揚させる・・。
本当の山相手の所業は、こんなもんかもしれない。
≪終り≫
引き続き、「丹沢山塊」を紹介します。