織内将男の山旅の記録

若かりし頃よりの山旅の記録です・・!!

南ア・鳳凰三山紀行(1) 「序・出発」

2012年04月26日 | 南ア・鳳凰三山紀行
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 南ア・鳳凰三山紀行(1) 「序・出発」  .




鳳凰山塊マップ、コース、タイム(クリック拡大



夜明けの鳳凰三山( http://miharu.pro.tok2.com/index.html より拝借しました)




御座石鉱泉付近の案内板


御座石鉱泉の山荘





中央線の甲府から韮崎を過ぎると、澄み切った快晴の日などは奥まった処にひと際高い峰嶺が目に飛び込んでくる。
その右の端には岩峰が天を指しているので、「ははー、あれが地蔵岳のオベリスクだなと」とすぐ判る。

鳳凰三山は、薬師、観音、地蔵の三岳をさし、南アルプス入門コースとして人気の山塊である。
南アルプスは、どちらかと言うとアプローチの長いベテランコースが多い。
その中では比較的とっつきやすく、同時に景観にも優れているので、南アルプスに興味を持ったら、まずこの山塊から、という意味での入門コースであろう。
しかし、決して初心者向けということではなく、けっこう歩きでのあるコースには違いない。


地蔵ケ岳の岩塔は高さ26メートル、甲府からもよく見え地蔵仏、大とんがり、オベリスク、ウエストンピークなどと呼ばれている。
大きな岩が積み重なった中から巨大な2枚の花こう岩が伸び上がっている。
その名の通り山の頂に立つ天然の仏塔である。
1904(明治37)年7月、イギリスの宣教師ウォルター・ウエストンが初めて頂上に立ったという。 彼の名を戴いて「ウエストンピーク」とも称したのであろう。

因みに、「オベリスク」(obelisk)とは、
古代エジプトのファラオ(古代エジプト王の称号)が記念碑として作った四角錐の柱塔のこと。 太陽神の神殿の前に建て、柱面には王の事跡などを記す銘文や図案の刻まれたものも多い。 古代エジプトの作ったものを、ローマ皇帝などがそのレプリカを作ったともいう。 1メートルに満たない小さなものから30メートルを超える大きなものまで,実際多数のオベリスクが作られたが現在,大型で野外に立っているものとしてはエジプト、イタリアをはじめフランス、イギリスなど全部で30数本しか残っていないという。



初夏の午後、中央線の穴山駅からは残念ながらオベリスクは望めなかったが、頂上付近は白く輝く雄大、勇大な鳳凰の山塊が望めた。
それは如何にも耐え難いほどの誘惑をもって、われ等に手を差伸べているようだ。


事前にハガキで連絡しておいたので、約束通り送迎サービスのマイクロバスが穴山の駅前に待機していてくれたので、数人の湯治客と一緒に身をまかせて、北岳主峰の南アルプスの前衛といわれる山麓へ導いてくれた。


国道20号線と釜無川を横断すると、直ぐに山地へ入る。
青木鉱泉への道を途中から右に入って2kmほどのところに御座石鉱泉があり、ここから更に青木鉱泉への道がつながっている。
ただ、道は荒れており、マイカーで進入の場合で特に地上高の低い車は気をつけねばならないだろう。

当初の目的地である「御座石鉱泉」に着いたのが午後1時も回っていて、ようやくついた御座石の宿は、こんな山の中にと驚く鉄筋の建物であった。
ここが鳳凰三山などへの登山基地となっている。



次回、南ア・鳳凰三山紀行(2) 「白樺林」





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山の讃歌

2012年04月26日 | 南ア・鳳凰三山紀行
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【 山の讃歌 】




上高地;梓川から岳沢、奥穂高岳を望む




山を歩く、登山を楽しむ・・!   、


人生はよく山に譬えられる 
人生、山あり谷あり、

だが、人生は惰性でも生られる
山は惰性では登れない・・!!


今まで晴れていたが、何時の間にか霧が発生して視界が遮られた、 
地獄のように、こっぴどく吹かれた。
後の天国のような青天井、

断崖あり落石あり、この先、前へ進もうか退こうか、
一歩、踏み出そうか、止めようか、
この時の一瞬の落差変貌が人生の命運を決する時もある。

山は、登りも下りも辛くて苦痛の連続である
だが登りの苦痛は、快感にも変わる、マラソンと一緒だ・・!

辛くて下山するのも良し、
頑張って到達した山頂から、雲海を眺めるのも良し、
総ては自分で選択する、それは人生そのもの

結果として、脱落した者には後悔が残り、
達成した者には満足感が残る、 

躊躇して退いてから後悔を積み重ねる人生よりも、
更に一歩踏み出して得られる満足感、達成感
万感を重ねる人生の方がやはり素晴らしい。 

山頂から望む周囲は夢世界で広大無限、 
下界は人々がひしめき合うちっぽけな世界

天上世界は人々の日常的な悩みなどは吹っ飛ぶ、
登山することは、立体的な三次元の体験もさることながら、
現実の世界で、夢を見れる場所でもある。


さあ・・!、今日も夢を見に行こう、


次回から「鳳凰三山紀行」を記載します。 






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山旅の記

2012年04月26日 | 南ア・鳳凰三山紀行
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【山旅の記】





写真:小生の別宅から観た白馬・八方尾根と「白馬三山」(冬はスキーのメッカ)




今から90年も前の英国の登山家・ジョージ・マロリーは、国威発揚かけて三度のエベレストへ挑戦していた。1924年6月、その第三次遠征において、マロリーはパートナーのアーヴィンと組んで頂上を目指したが、北東稜頂上直下で行方不明となった。

マロリーの死因や行動は、不明後75年にわたって謎につつまれていたが、1999年5月に国際探索隊によって、その遺体が発見された。 無線が未だ発達していなかった時期であり、マロリーが世界初の登頂を果たしたか否かは不明だし、未だに論議を呼んでいるという。


遠征の直前に、マロリーが「なぜ、あなたはエベレストを目指すのか」と問われて、「そこに山があるから(Because it is there.)」と名セリフで答えたという逸話はあまりにも有名である。 

だが、マロリーのあの有名なセリフは取材陣の質問攻めに答えるのが面倒くさくなって、その場しのぎに適当に答えたセリフだというが・・?。



マロリーの名セリフは兎も角として・・、
神奈川県に住む(当時は東京大田区)小生にとって、「そこに山があるから」の“そこ”は
神奈川の屋根といわれる「丹沢山塊」であった。 そして、先ず丹沢山系に取り付いたのが20代後半で、今から40数年も前のことである。 

その頃は、一種の登山ブームであり、週末ともなると有名な山岳は登山道は人で溢れ、宿泊の山小屋は岳人でごったがえした。 又、八ヶ岳やアルプスへ向かう新宿発の夜行列車は超満員であり、仕事帰りに遅れて出向いて、デッキで立ちっぱなしで、翌朝、寝ずのままそのまま頂上へ向かった事なぞ4度や5度ではなかった。  


当時は、このような多少無理しても平気な若年層が登山者の主流であったが、現在は、どちらかといえば50代、60代の熟年層のハイカーが大半のようだ。

小生も、今は熟年となった今日(こんにち)ではあるが、頻度は少なくなったが相変わらず、それらを楽しんでいる。

叉、、60歳の定年を迎えて登山を楽しむかたわら、現実的な夢であり、兼ねてより念願だった「日本一周旅行」も果たし、現在、その旅の紀行をつらつらと書き綴っている。 


気が付くと、若年より足の向くまま、気の向くまま、登りに登った各地の山の雑記、雑文なども、机の周辺のソチこちに散らばっていた。



ところで、若輩の頃から、本や勉強、新聞やTV等々から情報を「インプット」することばかり経験してきた。 しかし、自身から「アウトプット」という経験を積む機会はほとんどなかった。
現在ではP・Cとかを使用して過去のメモ、記録を集成し、編集し、保存することも可能になったようである。
又、普通の人もNetwark・Webとかで自己を表現し、世間に発信する事ができるようになったようである。

そんな訳で、いわゆる現代の機器を利用して、小生なりに、手持ちの記録集や雑文集を「備忘録」としてまとめ上げ、そして必要に応じてこれらを公表・「アウトプット」しようとも考えた。 


しかし、何しろ定年後に多少なりともウルウルに覚えた電子機器なので、御見苦しい点や不可思議な面所(めんどころ)は多々あると思われる。 
そこは是非、ご容赦願いたい。 




先ずは、次回の「山旅」を楽しみに・・!! .





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