織内将男の山旅の記録

若かりし頃よりの山旅の記録です・・!!

南ア・仙丈ヶ岳紀行(68) 「南アルプスを自然遺産に・・!?」

2011年12月25日 | 南ア・仙丈ヶ岳
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  南ア・仙丈ヶ岳紀行(68) 「南アルプスを自然遺産に・・!?」   .



2006年(平成18年)頃より南アルプスを世界自然遺産に登録するための地元有志の運動が始まったという。
その名を「南アルプス世界自然遺産登録推進協議会」といい、関係10市町村により設立された。

構成市町村:山梨県-韮崎市 南アルプス市 北杜市 早川町 長野県-伊那市 飯田市 富士見町 大鹿村 静岡県-静岡市 川根本町


【主旨内容抜粋】
『 南アルプスは、日本列島のほぼ中央に位置し、南北150km、東西50kmという重厚な峰々が連なる山岳地帯です。
南アルプスは白根山系、甲斐駒山系、鳳凰山系、赤石山系からなり、昭和39年には国立公園に指定されました。区域は、北は長野県の鋸岳(のこぎりだけ 標高2685m)、南は静岡県の光岳(てかりだけ 標高2591m)までの範囲で、主峰である北岳は標高3,193mで富士山に次いで日本第2位、さらに間ノ岳は標高3189mと日本第4位の標高を持つなど3000m級の山々が13座もある「日本の屋根」と言われるほど大きく高い山塊が魅力となっています。
また、南アルプスには、キタダケソウをはじめとする南アルプスのみで見られる数多くの希少な動植物が生息しています。特に氷河期から生き続けてきたライチョウは世界の最南端に生きており、絶滅が危ぶまれています。
さらに、地形地質では、大陸と太平洋側からのプレートの褶曲1によって形成された非火山性の山地であり、地球の地殻構造の歴史を抱きながら現在でも年間数ミリ程度隆起しているという造山活動が見られます。
このように南アルプスの自然環境は世界的に見ても傑出した自然環境を有し、また国立公園内には生活環境を有しない、まさに自然の宝庫とも言うべき環境が残されているのです。
私たち南アルプスを取り巻く全ての人々にとって、貴重な南アルプスの自然を後世にそのまま受け継ぐという大きな使命を担っています。 』       以下 略



ところで、南アルプスの地下に「リニア新幹線」(リニア)と通すというが・・?。
ルートとしては首都圏から山梨リニア実験線を経由し、名古屋に至るまでのルートとして木曽谷ルート、伊那谷ルート、そして「南アルプスルート」の3案が検討されていた。

JR東海は、距離が短く経済合理性が高いとされる「南アルプスを貫く直線ルートでの建設は可能」とする地形・地質調査結果に基づき、南アルプスルートでのリニア中央新幹線の建設方針を2008年に固めたという。
南アルプスルートは、甲府市付近から赤石山脈(赤石岳地下近辺)を経て名古屋市付近へ至る直線ルートである。
これらのトンネル本坑及び斜坑、更に付帯工事を含めると総延長は凡そ20kmのトンネル建設になるという。

これらの大工事は自然環境への負担も大きく、自然保護という自然遺産の基本的概念から見れば大いなる問題があると関係者は問題視(特別反対はしていない・・?)している。

この問題について「ユネスコ」の見方については・・、
「工事を行うのは地下あるいは登録予定エリア外だから影響は少ない」という考え方もあるが、 アジア初のユネスコ事務局長に選出された松浦晃一郎氏の著書には次のように書かれている。

『 最近ユネスコが注目しているのは、「景観」という概念だ。つまり緩衝地帯およびその周辺も含めた景観全体が「顕著な普遍的な価値」の公正をなしている、というものである。従って、伝統的な考えに基づいて、緩衝地帯の中でのみ開発規制を敷けば十分というわけではなくなってきている 』
松浦晃一郎氏(2008)『世界遺産ユネスコ事務局長は訴える』 講談社 

この一文を見る限り、上記の見解、思惑では南アルプスの世界遺産登録は困難とする見方もある。
果たして・・・??。







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南ア・仙丈ヶ岳紀行(67) 「寸考;南アルプスの林道」(2)

2011年12月25日 | 南ア・仙丈ヶ岳
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  南ア・仙丈ヶ岳紀行(67) 「寸考;南アルプスの林道」(2)   .



ヨーロッパに初めて日本の山々を紹介したウォルター・ウェストンが南ア・北岳に登頂したのは1902年の事であった。 
既に、100年以上も経っている。 

勿論、この頃は夜叉神トンネルや、南アスーパー林道なんてものは存在もしなかった頃の事であった。 
一行は芦安村から鳳凰三山を越えて野呂川を徒渉ししながら、当時の芦安村長・名取氏らの協力を得てキャラバン部隊を結成し、登山には10日間もの歳月を要したという。

尤も、ウェストン氏が北アの穂高に入って穂高岳を登頂したのは更に5年前のことで、勿論、この当時は上高地などは拓けておらず、(上高地が今の姿になったのは、大正期に焼岳が噴火を起こし大正池を造った)道程としては松本から島々~徳本峠~明神~穂高であった。 
上高地、穂高へ入るには、徳本峠(とくごうとうげ、2135m)という前衛の急峻な山塊を越えなければならなかったのである。



序ながら・・

旧年の岳人さん、山屋さんなら御承知であろうが、上高地に入るには釜トンネルという名物の山岳トンネルがあった。 
何かと物議をかもした名物・釜トンも、地元の要人が片側だけの車の通行では不便であるとして、2005年新釜トンネルが完成した。

言えることは、このトンネルは上高地だけの行き止まりであった。 
大衆の人々の生活、利便性においては全く無関係であり、ただ、観光目的以外には考えられないのである。
無論、上高地も年間を通じて一般車の乗り入れは禁止である。

そもそも何のための一般車両通行全面乗り入れ禁止なのだろうか・・?。
新トンネルは、事実、観光バス・タクシーの専用道路であり、その背景には観光客の大集団を招き入れ、当地で営業を営む業者の生活の利便を一層豊かにする事だけが本来の目的になってしまったのである。 

つまり、新トンネルは上高地景観保護には無縁で、観光業・観光客保護のためではあるまいかともいわれているのである。
近年は上高地の風物や原風景を保存する事よりも、観光業者に便宜をはかり、誘致した観光客を手厚く保護し、尚一層、増員を計るという、真の目的が見隠れしているのである。


自然を守り、自然と共存するということは、自分に厳しく自然に優しい付き合い方が大切なのだと「竹沢長衛」氏は言っていた。
又、現在の南アルプスや上高地をウェストンが見たとしたら、どう感じるのだろうか。


尚、林道バス運行関係者によると・・、
南アルプスの豊かな自然環境を維持していくためとして、マイカー規制で入山する人から「マイカー規制実施経費」の一部を負担するらしい。(1人 片道 100円)

協力金はマイカー規制が円滑に行われるよう、ゲート管理や乗換駐車場の管理などに充てるらしい。
即ち、バスの通行費用の他に管理料金が必要になる。

利用者協力金は、南アルプスの自然環境の維持を目的としていることから、マイカー規制区間を通行される全ての人に協力を依頼しているという。
無論、歩行者や駅等からバスを利用してきた客も同様らしい。


次回、「南アルプスを自然遺産に・・!?」




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南ア・仙丈ヶ岳紀行(66) 「寸考;南アルプスの林道」

2011年12月25日 | 南ア・仙丈ヶ岳
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  南ア・仙丈ヶ岳紀行(66) 「寸考;南アルプスの林道」   .



序ながら、北沢峠と南アルプス林道いついてチョコット述べてみたい。 
山梨県南アルプス市と長野県伊那市の境界にある南アルプスの峠一つで、南アルプス北部に位置する甲斐駒ヶ岳、仙丈ヶ岳などへの登山拠点としての主要地である。

北沢峠(2032メートル)そのものは、シラビソやコメツガの原生林などに囲まれて、視界、展望は全く利かない。 
左右から甲斐駒ケ岳へ通じる双児山からと仙丈ケ岳へ通じる小仙丈の急峻な尾根がぶつかり合う谷間に当る。

元より、昭和初期以前までは人跡未踏、手つかずの大原生林であった。 
この峠を開いたのが、かの竹沢長衛氏であった。 

しかし、信州・伊那側である戸台からは比較的容易に入ることが出来たが、甲州側からでは余りにも深い山域であった。
夜叉神トンネルが開通し、野呂川林道が開通して広河原が開けても尚、北沢峠は奥山に一角であった。 
野呂川出会いから南アルプス林道の開削工事が始まって、漸く北沢峠は日の目を見るのである。 それは昭和の中期になってからのことであった。


そして、北沢峠が脚光を浴びたのは昭和40年頃からであった。
自然保護団体の反対を押し切って山梨県は広河原から北沢峠まで野呂川に沿って林道を開削し自動車通行可能道路を造り、昭和56年に遂に信州と甲州が車道として繋がったのである。

この区間の林道は甲州側では「南アルプス林道」、信州側では「南アルプススーパー林道」と称している。 
もっともこの区間は当初から自家用車を締め出し、代わりに地元専用のマイクロバスを登山者の足として有料での共用であった。



林道であるから当然ながら治山治水、林業の振興が主目的であるから、それらに関係する伐採、造林や奥山の河川工事などの作業を行うものと思われがちであるが、実はそれらに関する車両の通行を一度も見たものはいないという。 
事実、双方の営林署も営林活動はしてはいないようだ。


又、通商道路、生活道路としては全く用を成していない。 
信州・伊那方面から諏訪、甲府までは幹線道路や高速道路で短時間で往来することが出来るからである。 つまり、建設当時から大義名分で営林事業しかないはずであるが、結果としては主目的は全く達していないようで疑わしい林道開発であった。

標高の高い場所の樹林は、一度伐採すると何百年も経過しないと蘇生しないそうである。
又、伐採された道路部分は保水力が失われて崩壊しがちなことは当然で、次に必要なのが造ったものを保全管理するというアフターケアが必然で、その補修工事にも莫大な費用がかかるであろう。



現在の林道利用は、季節によって両方の入口、始点に厳重な鉄柵のガードと監視員が目を光らせて、自動車はおろか自転車の進入も許さない。 
許可できるのは地元の専用マイクロバスのみで、登山者や観光客を満載して峠まで運んでいる。

つまり、南アルプス林道は地元バスの専用道路で、観光客が歩かずに達してしまう俗人が闊歩する「俗地」となってしまったのである。  

つまり、南アルプスの大原生林の北沢峠は観光地化してしまったのである。

昨今の旅行代理店の国内旅行案内を見ると、何と北沢峠への観光コースが出ていて、
東京などを基点とする日帰り旅行の案内まであったそうだ。

引き続き、「南アルプス林道




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南ア・仙丈ヶ岳紀行(64) 「甲州・南アルプス林道」(3)

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峠を出発して以来、無論、人の気配、出会いは全くない。 
数ある山歩きで、これほど人恋しく感じたこともなかっただろう。  

車道なのに車の気配どころか、路面に轍(わだち)なども全く無い。 
放置され、忘れ去られた状態の名ばかり(・・?)の林道は以降どうなるのか、逆に思案するほどである。 


3000m峰を一登りせいもあってか、体調もいよいよ疲労の極に達しているらしく、ザックは肩食い込み、身体はロヘロに、脚はガクガクと不調を訴えつつあるようだ。 

山岳の道のように急な下り勾配はないものの、緩やかな長い下りの連続は結構、脚部に負担がくるもので、このことは何度も経験済みであったが、それにしても・・?!。



秋の陽は何とかというように、早い・・!、
夕刻限には未だ早いが、両山塊が迫ってきている深い谷間のため、既に太陽は山陰げに落ちてしまっている。 
従って、尚一層うら寂しく感じてしまうのかもしれない。

それでも、遥か下方に開けた場所が薄ぼんやり見え隠れしてきた。  
きっと広河原に違いなかろうが、まだ、かなりの遠方彼方にもみえるが、やっと目標のものが見え出してきて一安心である。


大きて深い枝沢である「三好沢」というのを渡りきって、両側絶壁の林道を暫く進んだところで、名前の通りの「広河原」が遂にはっきりした姿を現した。 
げんきんなもんで途端に力が湧いてくるのを覚える。


すると二人連れに人物がこちらへ向かって、ユックリではあるが登ってくるようである。 
挨拶もそこそこですれ違ったが、熟年の夫婦連れでシーズンの紅葉でも観に来たのだろう。

思えば、峠からしばらくはシラビソ、栂やハリモミなどの針葉樹が主体であったが、下るに従って落葉前の広葉樹が彩を添えるように成ってきていた。 

そんな中ではあったが、小生には紅葉を愛でるほどの余裕はなかったようだ。 
確かに広河原周辺は黄色や赤が入り混じった丁度良い時節を迎えていたのである。



そして、体調ややゲンナリしながらも、どうにか待望の広河原に達した。
その名の通り野呂川の広い河原に開けた登山基地で、主に北岳や白峰三山のベースになっている。 
数年前、この地をベースとして北岳を踏破した記憶がよみがえる。 

それにしても南アルプスの上高地といわれる程の広河原であるが、未だ上高地には及ぶべきもない。


17時の最終便には十分、間にあうので、体のクールダウンのつもりで周辺を散策する。
北岳をやり終えたであろう連中が既に十数人たむろしていて、夫々に談笑している。 

しかし、仙丈ヶ岳を登ってきたのは小生のみではなかろうか・・?!。


次回、「甲州・広河原」 




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南ア・仙丈ヶ岳紀行(63) 「甲州・南アルプス林道」(2)

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  南ア・仙丈ヶ岳紀行(63) 「甲州・南アルプス林道」(2)   .



先にも記したが、本来の南アルプス林道(当初はスーパー林道と言った)は芦安村と上伊那郡長谷村を結ぶ全長58キロメートルの長大なる林道である。

ただ甲州側では、1952年(昭和27年)に着工されて以来、今でも広河原以降は道路として開削はされたが、未だ保全管理、通常の使用はされていないようである。
おそらくは地形が急峻で、もろい地質のため、たびたび落石や土砂崩れが発生して保全が遅れているのかもしれない。


それにしても雄大さは県内トップクラスの林道には違いないが、景色は山、山、山の連続であり何かを見通すといった景色は余りない。 
とにかく山の大きさ、奥行きの深さは半端ではない林道であることは確かだ・・!。



暫くの間、半ば夢中で歩を進めているうちに、二股の出合いに達した。
案内板も標識もないため、どちらが広河原へ向かう道なのか全く不明である。

サアー困った・・!! 。

地図を確かめ地形を探りながら、ある程度の確信をもって左手へ進むことにした。
そこにはコンクリートのしっかりした橋が架けられていて、暫くして、ここが野呂川の出合であることが確認できた。 
即ち、今度は野呂川の左側を進む様になり、行く先は目的の「広河原」であることは確かなようだ。  



山の様相というか、野呂川谷の様子も以前よりも増して、一段と険悪になってきたようだ。
左に迫る山塊は急斜面で圧倒的にせり出し、そして右側の山域も褶曲を繰り替えし、一部は陰惨な大絶壁となって峡谷へ落ち込んでいる。

その野呂川の大峡谷は千尋(せんじん)のごとく切れ落ちていて、恐ろしいほどの、いよいよ深い谷底を覗かせている。

その切り立った尾根と谷の側面に、頼りなげに一線の道筋がただひたすら延びている。
その道は巨大な派生山塊、小さな派生尾根、その度に野呂川に落ちる大小の枝谷のために大曲、小曲がりを繰り返し、同じ風景の繰り返しで陰惨な風景は変哲がない。 


一介の人間など、この大原生の自然に押しつぶさんばかりである・・!! 。 

しかし、これらの人間がこの圧倒的な山容を切り崩して、一筋の道を強引に突けたのであった。 
その道を今、トボトボと自らの巣へ戻ろうと必死の辿って入りのである。
人間とはかってなもんで、今さっき享受を得るためにこの奥深い山中に分け入ったのに、今はただ、それらの南アルプスの圧倒的山域に、耐え難いほどの恐れをなしているのである。


引き続き、「甲州・南アルプス林道




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