織内将男の山旅の記録

若かりし頃よりの山旅の記録です・・!!

穂高岳登山(15) 「迷路の前穂高岳」

2010年08月31日 | 上高地から岳沢、穂高岳
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 穂高岳登山(15) 「迷路の前穂高岳」 
(画像は和田様ほかの御提供による、現地イメージ写真です)





悪天候には迷いやすい、紀美子平より前穂の登りルート(左の○印):dh33-2



紀美子平付近からの前穂と明神:dh33



吊尾根から前穂:dh35



さて、小生は前穂のピークに立とうか、それとも吊尾根から奥穂を目指そうか、思案しながら自分の体調に聞いてみた。 

体調、コンデションはまずまずようであり、時間的にも充分余裕が有りそうなので前穂へのアタック・決行をすることにした。 
それに以前、槍から奥穂への縦走、更に、吊尾根から岳沢へ下った折は、「前穂」は遠慮した経緯もあったので・・!。

ただ、現実は前穂の頂は無論、ガスに閉ざされて全く見えていない。 叉、地図を見てもここより(紀美子平)の所要時間が一体どのくらいかかるか記されてもいない。  

隣の人に尋ねてみた・・、

前穂はいかれましたか・・?」

「はい、ここへ荷物を置いて身軽にして往復1時間といったところでしょう」


丁重な返事にお礼陳べて、更に意を決した。 
それに、もしかしたら前穂の頂上へは二度と踏む機会が無いかもしれないのだ。



穂高連峰の一角を占める前穂高岳(3090m)へアタックを開始した。

ゴツゴツした岩だらけの登行は相変わらずで、真っ黒い岩塊が圧倒するようだ。
踏み跡や○、⇒を頼りに進むのであるが、時折、そこから外れてしまうときもある。 

そして悪いところ出てしまったようだ。 
完全に行き止まりで、ここから先は断崖になっている。 

困った・・!!。


上の方で人の声がしたので・・、

「すいません、チョッと悪場に来ちゃったみたいで、この先ルートは有りますか・・?」

「そうですね、戻ったほうがよろしいでしょう」

仕方なく、今来た道筋を確かめながら戻ることにした。 
惜しい気もするが安全のためであり納得する。

慎重に数10m戻ると、確かに踏み跡らしいのが現われて薄いペンキ印も見つかった。 
確かめると、身体一つ分の岩の狭い割れ目がルートようで、足場も何とか確保できそうであった。 


ホールドとスタンスを慎重にとりながら、ホンの7~8mの登攀で、しかも身軽な出で立ちであるが妙に疲れ、苦痛な程だ。 

更に、上部は壁のような岩が立ちはだかって、かなり難儀しそうである。 

小さな割れ目に指を突っ込み、叉、岩の凹みや裂け目を探して何とかスタンスを確保する。
危険極まりない、おまけに見通しがうえに小雨と急風が身体を打つ。



それにしても前穂のルートは此れほど難所なのであろうか・・?、
それに人気のある前穂にしては人の姿が見当たらない・・?。

妙な疑問を抱きながら、ヒョッとしたらこのルートも間違って・・?。 

無理するんじゃなかった”自問しながら、引き返すにも最早不可能の状態に陥っている。 

とにかく上へ向うしかなかった。 



前穂の頂上は直ぐそこに有ることは確かなのである。

更に、手元と足場を充分に確かめながら前進する。

最後の指力、腕力を使ってどうやら急峻な岩場を抜けたようである。 


続く・・、

尚、今後の写真掲載の大部は和田様、ほかの御提供によるものです。
和田氏ホームページへ  
http://www.tok2.com/home/pokopoko110/newpage172.html




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穂高岳登山(14) 「重太郎新道; 紀美子平」

2010年08月30日 | 上高地から岳沢、穂高岳
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穂高岳登山(14) 「重太郎新道; 紀美子平」
(画像の大部分は和田氏提供による、現地イメージ写真です)




紀美子平の道標:dh32



紀美子平の様子と道標2:dh32-2


この僅かな平坦地は「紀美子平」といって奥穂と前穂の分岐点であり、この先、吊尾根を経て奥穂高へ、そして、ほぼ正面の前穂高の基部に当たるところでもある。 

ゴツゴツした如何にも男性的な岩の殿堂に、可愛らしくも「紀美子平」と女性の名前が付いているところが微笑ましい・・!。


紀美子平のその名は、重太郎新道を開いた故・今田重太郎氏が、一緒にその手伝いをしていた娘の紀美子さんが若くして亡くなられたのをきっかけに、その名づけられたそうである。 
重太郎新道は、5才の紀美子を遊ばせながら道づくりをしたといわれている。



余計ながら、今田紀美子氏は今田重太郎氏の姪で、後に養女になっている。 
重太郎氏亡き後、暫らく穂高岳山荘を管理していたが、重太郎氏の甥で紀美子氏の実兄・英雄氏が妹の紀美子を助けながら、更に小屋の跡継ぎにと嘱望 され、後に今田家の養子となっている。 
現在(昭和50年代)も2代目オーナーとして活躍中である。
尚、紀美子氏は昭和45年、23歳という若さで病死している。 



因みに、この穂高周辺に紀美子平と対極にあるのが、同じく男性の人名を使用した名称で「長谷川ピーク」というのがある。
槍⇒穂の稜線上にある大キレットに位置する鋭く尖ったの岩稜ピークにことで、長谷川恒夫氏の名を付けたものである。

彼は日本を代表する世界的なアルピニストで、奇しくも小生の住んでる(神奈川県厚木市)隣町の愛甲郡愛川町半原の出身である。
世界各地の登攀を達成し、特にヨーロッパの三大北壁、エベレストに情熱を傾けた。最後にパキスタン・ウルタルⅡ峰を登山中、雪崩により遭難死している。


決して平とは言えない、猫の額ほどの「紀美子平」であるが、其々の人々が其々の想いで休息をとっていた。 
だが、霧雨の中、時折吹き付ける風雨の悪天候、人々は今ひとつ表情が冴えない。 
これも仕方がないことでもあろう。




紀美子平からの前穂高へのルート:dh34




本来なら周囲の大展望が得られる所であり、特に、前穂及び明神の峻険な峰が至近に眺められるところであるが、本日ばかりは実に生憎である。

ところで、重太郎新道から紀美子平までの標高変化は岳沢ヒュッテ:2170m、カモシカ立場:2450m、岳沢パノラマ:2600m、雷鳥広場:2750m、紀美子平:2910mであり、前穂高標高:3090m、奥穂高標高:3190mなどである。


そんな中、大柄な外人が上がってきた。 続いて通訳の人でもあろうか可憐な女性が同伴してきた。 
気が付くと二人とも3000m級の登山の服装ではなく、上高地をぶらつく普段着の格好であった。
男はジーパンスタイルでズック靴、大きな背に小さなザックがチョコンと付けている。 女性はさすがにスラックススタイルであるが、驚いたことに手篭をもっていてショルダーバックのように肩に掛けていた。 
更に、この雨の中雨具の所持もなく、濡れるにまかせている。 
やや無謀とも思える登山者・・?である。

ところが、両人は疲れている気配が全くないのである。 
そして、休む気配もなく地図を出し、前穂と奥穂とを見比べて、結局、奥穂へ向うらしい。

付近の登山者に二言、三言、声を掛け、確認してそそくさと歩き出した。
外人の大柄な身体だけでも目に付くのに、装備のスタイルといい、その所作といい我等は呆気にとられた感じである。

次回へ・・、


尚、今後の写真掲載の大部は、「和田様」の御提供によるものです。
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穂高岳登山(13) 「重太郎新道;クサリ場」

2010年08月29日 | 上高地から岳沢、穂高岳
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 穂高岳登山(13) 「重太郎新道;クサリ場」  
(画像の大部分は和田氏提供による、現地イメージ写真です)


確かに、この頃から下山の人達が目立つようになった。 
やはり、このルート・重太郎新道は下山向きのルートが一般的らしい。

上部へ到達するに従って、勾配、斜面も相当にきつくなっているようで、アルバイトが一段と強いられる。 
時間的にも、そろそろ稜線に出てもよさそうであるが・・?、


下山中の登山者におもわず声を掛ける・・、

「あのー、吊尾根稜線はまだかかるようですか・・?」、

「ああ、もうすぐですよ。 ただこの先、急なクサリ場が有りますので・・!」と色よい返事が返してきた。




梯子の登り(紀美子平近し):dh29



その言葉を信じて、やや力を得て前進する。 

暫らくすると、小さな岩尾根のピークに達した。 
この後、彼が言っていたクサリではなく、先ず、ハシゴが現れた。 
それも、当然の上りと思いきや、チョッとした下りにハシゴが架かっていたのだ。


この場所を難なくクリアすると次に、凹みの場から、やはりと言うかクサリ場が現れた。 
見上げるような、殆ど垂直と言っていいほどの岩礫帯で、しかも三連続けて延びているようだ。 




紀美子平下部の最初の三連鎖:dh30



紀美子平下部の最後の三連鎖(上方から望む垂直の壁):dh31



滑りやすい岩場のスタンスを確保して、クサリをしっかり握りしめ、注意しながら攀じる。 
疲れた身体に鞭をうちながら、バランスよく登ってゆく。

辺りを覗うと、岩場には他にも薄っすらと踏み跡が付いていて、必ずしもクサリを掴まなくても四つん這いの三点確保で上れないことはないようだ。 

この鎖はどちらかといえば降り用と思えなくもない。 
岩場の下りは、登りよりも危険であることは山家の常識でもある。

尤も、普通のクサリ場を攀じる、叉は、降りる時は腕力に頼って体重を掛けるのでは無く、あくまでも主体は脚部のスタンス(足場のスペース)であり、腕は補助的なものとして扱ったほうが良いのであるが・・!。


下山中の数人の登山者が上で待機していたようで、小生の苦闘する姿を見てか・・、

「お疲れさんです」と声を掛けてくれた。 

「いや、どうも」と小生も会釈しながら礼を返す。

他人同士でありながら、ほんチョイの気遣いが心と身体を和ませてくれる。 
これも山歩きの良さの一つであろう。


三連鎖を上り終えて、ほんのチョイといったところで、小さな平坦地に着いた。
そこには今にも朽ちそうな道標があって、三方向を記している。(今は立派な指導票が立っている)

続く・・、

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穂高岳登山(12) 「過酷;重太郎新道」

2010年08月28日 | 上高地から岳沢、穂高岳
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 穂高岳登山(12) 「過酷;重太郎新道」 
(画像の大部分は和田氏提供による、現地イメージ写真です)


気が付くと既に森林限界に達しているようである。 

高度が増すに従ってダケカンバなどの低木も疎らになってきて、白山シャクナゲや這い松に変わりつつある。 
そして、花は終わったものの緑の高山植物の草付岩稜帯になっている。

しかし、シャクナゲや高山植物に見とれる暇もなく、これより先も黙々と、ただひたすらに登るだけである。 




dh27 這い松や高山植物帯とハシゴ場



前穂の頂上や直ぐ隣に控える「明神岳」も、今確かめた限りでは、まだかなり高方にあったように思う。 
しかし考えようによっては、すぐそこにあった様な気もする。



dh28  先鋭・明神岳の雄姿



先刻のガスの束の間の晴れ間じゃないけど・・、

大展望を欲しいままにして登るのと、現況のように目先しか見えない闇の中に歩をとるのと、どちらが得策か・・?。
変な自問自答をしながら、天然自然のことは意に沿わないことを承知しながらも、やはり悪天候が恨めしい・・!!。

気持ちが次第に沈気に成ってゆくのも、やはり疲れが蓄積しているのであろう、気持ちに合わせるように、叉々小雨が降りてきた。




dh26 岩場の登り(紀美子平近し)


重太郎殿、もうそろそろ勘弁して下さいよー・・、」と、泣き言の一つも云いたくなる。


岩場に付けられた○、⇒のマークを頼りに行くのであるが、所々、風雨に洗われて薄く、見難くなっているところもある。 
ただ、踏み跡ははっきりしているようだ。

ところがよく見ると道は一方とは限らず、特にガレバの踏跡には二方、三方と付いている場合もある。 
下山中のパーティが上方から声がして、間もなくすれ違うのかなと思ったが、かなり離れた場所を降りてゆく。 
とこんな具合であるが、そんな時は自信をもって、はっきりした安全そうな道を選ぶのが肝心である。

次回へ続きます・・、



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穂高岳登山(11) 「重太郎新道; 水分補給」

2010年08月27日 | 上高地から岳沢、穂高岳
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 穂高岳登山(11) 「重太郎新道; 水分補給」 
(画像の大部分は和田氏提供による、現地イメージ写真です)



やや、疲れも出ているのだろう、進行が少々鈍くなっているようでもある。 
それでも着実に両脚は前に移動している。 

勿論、併せて高度もそれなりに稼いでいるようだが、ガスの動きが一層盛んになってきているようで、周囲を見比べることも出来ず定かでない。 

右手から吹き上げてくる白い雲海は、幸いにして雨粒は含んでいない。




重太郎新道の「パノラマ展望地」:dh23


パノラマよりの上高地、焼岳の展望:dh24


パノラマより吊尾根、奥穂の展望:dh25



岩場の突起があり、やや平坦な休憩に適当なところへ出た。
岩の先端に「岳沢パノラマ」と記してあった。
本来なら、岳沢から上高地方面が見下ろすことが出来、周辺は眼前に穂高山系の雄大な展望が利くところであろう。 
そして、何より休憩に適地なところでもあろう・・!。 
だが、本日だけはそうはいかなかった。

幸い今は雨は小休止しているようである、小生もここらで小休止といこう。

残りのオニギリをペロッと平らげた。 
食欲はあるようだ・・!。


思えば上高地から登行が始まって、余り水を口にしていない。 
そのことは良いことなのか、はたまた悪いことなのか・・?。

水分補給については疲労の予防、回復につながり、且つ安全に山登りが楽しむための重要な要素の一つである。
登山において、一般的には高度の影響もあり、喉の乾きの感覚が鈍くなるともいわれ、 そのため水分を摂ることを特に意識する必要があるともいわれる。 
ただ、汗をかくのと水分補給が激しくなると体の代謝も盛んになり、それによって余分なエネルギーを消費するようになり、逆に疲労が蓄積されることも考えられる。 
要は疲れないように、余分な汗をかかないように心がけ、それには余分な水分をとらないように心がけることも肝心であろう。

小生の場合、現在の状態を保っておれば良しと思われる。


谷から吹き上げてくる風が心地よい。
すると突然、全く突然真っ黒い霧が切れてグリーンの山肌が見えだした。
その向こうは奥穂高へ連なる吊尾根の圧倒するような、どす黒い岩肌が見えていた。

近くの登山者も思わず・・、
「 おお・・!、霧が晴れたぞー 」と悲鳴に近い声がする。

眼前には前穂のピークであろうか・・、威風堂々の峻立する岩峰が迫ってきている。 
すぐ右隣の岩塊は明神であろう・・?。
人々数人が、突然開けた視界を喜んで手を振っていた。 
小生も慌ててカメラのシャッターを押す。

そうこうしているうちに、あの忌まわしい黒雲は再び視界を閉ざした。 
あの鮮やかなグリーンも闇の中に姿を隠してしまった。 

一瞬の出来事だった。

続く・・、


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