織内将男の山旅の記録

若かりし頃よりの山旅の記録です・・!!

穂高岳登山(24) 「奥穂高岳頂上」

2010年09月10日 | 上高地から岳沢、穂高岳
.


 穂高岳登山(24) 「奥穂高岳頂上」 
(画像の大部分は和田氏提供による、現地イメージ写真です)




本邦第3位の「奥穂高岳頂上」:dh60



奥穂高頂上より「槍ヶ岳」展望:dh61



涸沢岳より望む、奥穂高岳と奥穂高山荘:dh62



遂に来た・・!!。 遂にやってきたのだ・・!!。

この苦境のなか、艱難辛苦しながら、ヨウヨウにして奥穂高の頂上に立ったのだ。

日本で三番目の高峰、北アルプスの盟主・穂高岳3190mの最高峰に達したのである


頂上には二つのピークがあって、一つは円筒型をした平板に山岳地の方位、方角を示す山岳表示盤が設えてあった。
隣の四角のケルンの上には穂高神社・嶺宮という小さな祠が風雨に晒されながら静かに鎮座している。 
それにしても小粒で地味な祠ではあるが、3000mの頂の祠としてはこんなもんであろう・・?、

穂高山地の守り神である。


穂高神社(ほたかじんじゃ)は安曇野市穂高に本宮里宮)が鎮座し、他に上高地の明神に奥宮、そして穂高岳3190mの地に穂高神社・嶺宮が祀ってある。



奥穂山頂の穂高神社・嶺宮:dh63



上高地・明神池の畔に穂高神社・奥宮:dh64



穂高町(現、安曇野市穂高)に鎮座する穂高神社・里宮拝殿:dh65



穂高の登山基地である「上高地:かみこうち」の名称は本来「神降地」、「神垣内」という漢字表記であったらしく、後に現在の「上高地」と表記するのが一般的となった。

神降地」とは正に神が降臨した地で、穂高神社の祭神、穂高見命(ホタカミノミコト)が当地・穂高岳の山頂に降臨し、この地より更に、明神池の奥宮と穂高町の里宮に遷宮し祀られていることに由来している。



因みに、日本の山岳標高の第1位は勿論富士山であるが、2位が南アルプスの主峰・「北岳」の3192mである。
そして、当地、奥穂高岳山頂が本邦第3位にランク付けされているのは周知である。

ところが・・、
“ 奥穂(3190m)は南ア・北岳の3192mに次いで3番目の高さであるが、奥穂には山頂に3mのケルンがあるので、実際は3193mの高さがあり北岳を抜いて本邦2番目である ”・・と、本気とも冗談とも言える話しを聞いたことがある。

目の前のこの四角いケルンが3m以上あるかどうかは定かでない・・?。 


夕刻迫る山頂には、既にもう一人の登山客しかいなかった。

風雨は止むことなく、間断なく吹き付ける。 

この先、急峻な山頂からの下りを経て奥穂高山荘へ向った。



【付記】

山荘到着後、早速、先刻まで同行していた彼の女性が近寄ってきて、一言、二言礼を陳べに来た。 
小生も特別礼を言われる程の事をしたわけではないので、かえって恐縮したが、

ああ、いやいや、お互い無事で何よりでしたね、 ところで、明日は・・?」

はい、明日朝このまま涸れ沢から上高地へ下る予定です


初めて、被服を外した彼女の素顔を正面から拝見した。
意外と細身の体形に、いまだ初々しい赤ら顔の美少女らしい雰囲気を持った女性であった。

内心は、こんな美少女的女性と一緒に、ルンルン気分で同行できたら結構だな、と思ったが、ここは先輩男性らしく・・、

「小生は明日の体調によってですが涸沢岳、北穂を経て、涸れ沢から上高地へ下る予定です。 この先も危険な所も有るようですので気をつけて下りましょう」

有難うございます。 お気をつけて

彼女は既に受付は済んで、居場所の案内を待っているようである。


翌朝、昨日同様、天候は余りかんばしくなく、体調も今一であった。
従って、当初予定していた峻険・涸沢岳、北穂高岳の登行は次の機会に譲るとして断念し、
このまま奥穂高山荘直下の下山路・「ザイテングラード」から涸沢、上高地を目指した。


因みに、ザイテングラードとは、すり鉢状の涸沢の正面中央部に露出した岩の支稜のことで、この岩尾根が涸沢基部から穂高の稜線までの登山ルートとなっている。
ドイツ語のseitengrat:支稜線・支尾根という意味だそうである。 

一般に、この文中にも出てくるが、カナ文字の山の各部の名称や山岳装備の名前にはドイツ語やフランス語が多く登場し、英語は意外にも希である。

昨年(2009年)公開された山岳映画『劒岳・点の記』に、日本山岳会の初代会長・小島烏水が登場しているが、日本アルプスが本格的に観光登山として認知されたのは明治期からであった。
この時期、ヨーロッパから登山用品を含め、登山という概念が登場しはじめる。

明治の日本では、近代化の促進のため、多くの外国人(主にヨーロッパ)が来日するが、
これらの外国人が、日本アルプスをはじめ数々の山岳地を開拓し、日本登山史の基礎を築いたとされる。
この日本アルプスと呼び名は、英国人技師ウィリアム・ガウランドが槍ヶ岳登頂に関する雑誌の寄稿に"Japan alps"としたのが始まりだそうである。
叉、英国人宣教師(探検家でもある)・ウォルター・ウェンストンはその著作『日本アルプスの登山と探検』において上高地や穂高を紹介していることは周知である。



『終』


尚、写真掲載の大部は「和田様」の御提供によるものであり、ご協力に改めて感謝いたします。
和田氏ホームページへ  
http://www.tok2.com/home/pokopoko110/newpage172.html



【小生の主な旅のリンク集】

《日本周遊紀行・投稿ブログ》
GoogleBlog(グーグル・ブログ)   FC2ブログ   C・掲示板   FC2 H・P   gooブログ   yahooブログ

《旅の紀行・記録集》
「旅行履歴」
日本周遊紀行「東日本編」   日本周遊紀行「西日本編」   日本周遊紀行 (こちらは別URLです)

【日本の世界遺産紀行】
北海道・知床   白神山地    紀伊山地の霊場と参詣道   安芸の宮島・厳島神社   石見銀山遺跡とその文化的景観

ハワイ旅行2007   九州旅行2008   沖縄旅行2008   北海道道北旅行   北海道旅行2005   南紀旅行2002


【山行記】

《山の紀行・記録集》
「山行履歴」   
「立山・剣岳(1971年)」   白馬連峰登頂記(2004・8月)   北ア・槍-穂高(1968年)   上高地・岳沢・穂高(1979年)   上高地・明神(2008年)   南ア・北岳(1969年)   八ヶ岳(1966年)   八ヶ岳越年登山(1969年)   谷川岳(1967年)   丹沢山(1969年)   西丹沢・大室山(1969年)   西丹沢・檜洞丸(1970年)   丹沢、山迷記(1970年)   奥秩父・金峰山(1972)   

《山のエッセイ》
「上高地雑感」   「上越国境・谷川岳」   「丹沢山塊」   「大菩薩峠」



.

穂高岳登山(23) 「南稜の頭」

2010年09月09日 | 上高地から岳沢、穂高岳
.


 穂高岳登山(23) 「南稜の頭」 
(画像の大部分は和田氏提供による、現地イメージ写真です)



霧の中に消え行く彼女を見送りながら、大きく深呼吸する。 

ザックのポケットより酸っぱいレモンを取り出して吸い込み、 併せてチョコを少々齧(しゃぶ)る。  
その後、深呼吸を数度繰り返すうちに、少々生気が戻ったみたいである。 
あの酸っぱいレモンが今では甘くも感じるので、疲れの度合いが判るというものだ。


今まで、人一人の同行者があって、所謂、人の気配が常に有って心身を紛らわしてくれたが、今は一人ぼっちである。

大自然の真っ只中、それも優雅な大自然とは全く異なる荒々しき猛威を振るう山域であり、高山の危なっかしい岩だらけの山中である。

しかし、物思いに耽っている場合ではない。 
日が落ちて闇が襲ってくる時間帯が近づいているのである。 

気を取り直して、立ち上がり、前身・・!!。


巨大な山稜を一歩一歩、歯を食いしばりながら歩を進める。 

1、2、3・・10歩、歩んで一息、 1、2、3・・10歩、歩んで一息、の繰り返しで前進する。

おまけに、叉々、クサリ場がお出ましである。

ここは一番、腕力を頼って攀じ登る。




吊尾根最後のクサリ場:dh58



続いて、ほぼ一枚岩のクサリ場:dh57



南稜の頭:dh59


更に、一枚岩のクサリ場をやり過ごし、ヨウヨウにして巨大な山稜頂部に出た。 

指導標に「南稜の頭」とあり、左右に奥穂、前穂方面が記してあった。 

何のことはない、奥穂の前衛の山稜であった。 


方面を覗うと霧に巻かれながらも、眼前に真っ黒い巨大な物が見えている。 
今度こそ間違いなく奥穂高の山稜であろう。 

圧倒するようだ・・!!。


重いザックを背負って吊り尾根を奥穂へ向うとき、その道のりは非常に遠かった。
岳沢から見上げた複雑な陵線から予想されたことだが、何度もピークを越えても、まだその先にピークが現われ、山頂にはなかなか到達できないのである。

何度も何度もアップダウンを繰り返し、これでもかと言わんばかりの苦渋を味わいながら、ようやくにして奥穂頂上に到着するのも、やっとのことで時間の問題となった。

そして、何か、何故か、力が蘇ってくるようだ・・!。


南稜の頭をやや下り加減で、そして奥穂の最後の・・、多分、最後と思われる登りにかかる。 

一気に行こうと思ったが、気が早ってもやはり身体は言うことを聞いてくれない。

歯軋り(はぎしり)をしながら歩んでも一向に届かないのである。 
山も一緒になって進んでいるようだ。 


暫らく、奥穂のピークのことは忘れて、再び、1、2・・・9、10歩、 1、2・・・9、10歩と、地道に何回もやり返す。 


そうする内、斜度が急に緩やかになり、ガラガラのガレ場が現れた。 
気が付いて表を(顔を)上げると、モウこれ以上の高目は無かったのである。 


続く・・、


尚、写真掲載の大部は「和田様」の御提供によるものであり、ご協力に改めて感謝いたします。
和田氏ホームページへ  
http://www.tok2.com/home/pokopoko110/newpage172.html



【小生の主な旅のリンク集】

《日本周遊紀行・投稿ブログ》
GoogleBlog(グーグル・ブログ)   FC2ブログ   C・掲示板   FC2 H・P   gooブログ   yahooブログ

《旅の紀行・記録集》
「旅行履歴」
日本周遊紀行「東日本編」   日本周遊紀行「西日本編」   日本周遊紀行 (こちらは別URLです)

【日本の世界遺産紀行】
北海道・知床   白神山地    紀伊山地の霊場と参詣道   安芸の宮島・厳島神社   石見銀山遺跡とその文化的景観

ハワイ旅行2007   九州旅行2008   沖縄旅行2008   北海道道北旅行   北海道旅行2005   南紀旅行2002


【山行記】

《山の紀行・記録集》
「山行履歴」   
「立山・剣岳(1971年)」   白馬連峰登頂記(2004・8月)   北ア・槍-穂高(1968年)   上高地・岳沢・穂高(1979年)   上高地・明神(2008年)   南ア・北岳(1969年)   八ヶ岳(1966年)   八ヶ岳越年登山(1969年)   谷川岳(1967年)   丹沢山(1969年)   西丹沢・大室山(1969年)   西丹沢・檜洞丸(1970年)   丹沢、山迷記(1970年)   奥秩父・金峰山(1972)   

《山のエッセイ》
「上高地雑感」   「上越国境・谷川岳」   「丹沢山塊」   「大菩薩峠」



.

穂高岳登山(22) 「吊尾根; 疲労困憊」

2010年09月08日 | 上高地から岳沢、穂高岳
.


 穂高岳登山(22) 「吊尾根; 疲労困憊」 
(画像の大和田氏、他の方の御提供による、現地イメージ写真です)


岩の棚をヘツル(山用語:壁に伝って横に進むこと)ように進むうち、大きなピークが眼前に現れた。 

はじめこのピークが奥穂のピークかなと思ったが、直登する気配はなく、同様に左へヘツルようにトラバースするようである。 

奥穂で無かったのにはガッカリしたが、(時間的にも、やや疑問はあった)このピークを直登でなく、横切ってゆくことに、何故かホッとする。 


後で気づいたが、このピークは「3091mの頂」と国土地理院の地図に記してあった。 
時に及んで、奥穂の山頂とは未だ100mの高度差があったのである。


道程はますます急峻さを増している。 
ただ、見通しが悪い中にも、奥穂の山稜に近づいていることだけは実感できる。




悪路の吊尾根(上方、→と○印へ向って進め、 写真下部の水平と思しき方向は、×印で進行不可):dh54



遠望の吊尾根ルートと奥穂高岳:dh55



吊尾根を行く登山者:dh56



青息吐息の小生である。

気を紛らすためにも、直ぐ後ろから離れず付いてくる彼女に、機会をとらえたて声を掛けてみる。

大丈夫ですか・・?、」

はい、何とか

このピークは、もしかしたら奥穂かなと思ったが、違いましたね

そうですね、実は私も感じてましたのよ


再び歩き出す。 

いよいよ小生も疲れの限界にきているようだ。 
一歩一歩が大変な労苦を全身に感じる。

この辺りで大休止を取りたいところだが、一向に適当な場所は無いのである。 
そして、又しても大きな岩稜が目の前を塞ぐように立ちはだかってきた。 


今度こそ奥穂かな、と思ったがどうもそうではなさそうである。 
そして、前回とは違って道は稜上を向かっているのである。

この山稜の状況を見た途端、全身から力が抜けたように、がっくりと身を落とした。 

そして、少しでも風雨が避けられるところへ 移動した。 


当の女性は・・、

どうして、こんなところで休憩をとるんだろう・・?”
と、やや訝しげに、

そして小生に何かを語ろうか、 自分は如何しようか・・?、
と思案しているようでもある。

女性は立ったまま、そして、小生は崩れるように風雨に打たれて座している。 


実を言うと立場が逆であろう。 

彼女は、疲れきった小生の表情を見て心配そうでもある。

本来なら男性がリーダーシップをとり、女性をエスコートしなければならないのが普通であろう。 

しかし、今はそれどころではなかった、自分の体力を維持するのに精一杯なのである。


いやー、正直チョッと疲れましたわ」、

「・・・・」

折角、ここまで一緒にこられたのにね、 宜しかったらお先にどうぞ、 私はここで一息入れて、それからでますから。 奥穂まではモウ僅かだとは思いますよ」 

彼女は一瞬驚いたように、それでも心配そうに気兼ねしながらも・・、

大丈夫でしょうか・・?」

「・・・」

それではお言葉に甘えてお先に参ります、有難うございました。 お気をつけて・・!」

女性は丁寧にお辞儀をして歩き出した。 


今までの小生のペースと違って、悠々としたピッチで歩を進めている。

そして、霧の中へ消えていった。

次回へ・・、


尚、写真掲載の大部は、「和田様」の御提供によるものです。
和田氏ホームページへ  
http://www.tok2.com/home/pokopoko110/newpage172.html



【小生の主な旅のリンク集】

《日本周遊紀行・投稿ブログ》
GoogleBlog(グーグル・ブログ)   FC2ブログ   C・掲示板   FC2 H・P   gooブログ   yahooブログ

《旅の紀行・記録集》
「旅行履歴」
日本周遊紀行「東日本編」   日本周遊紀行「西日本編」   日本周遊紀行 (こちらは別URLです)

【日本の世界遺産紀行】
北海道・知床   白神山地    紀伊山地の霊場と参詣道   安芸の宮島・厳島神社   石見銀山遺跡とその文化的景観

ハワイ旅行2007   九州旅行2008   沖縄旅行2008   北海道道北旅行   北海道旅行2005   南紀旅行2002


【山行記】

《山の紀行・記録集》
「山行履歴」   
「立山・剣岳(1971年)」   白馬連峰登頂記(2004・8月)   北ア・槍-穂高(1968年)   上高地・岳沢・穂高(1979年)   上高地・明神(2008年)   南ア・北岳(1969年)   八ヶ岳(1966年)   八ヶ岳越年登山(1969年)   谷川岳(1967年)   丹沢山(1969年)   西丹沢・大室山(1969年)   西丹沢・檜洞丸(1970年)   丹沢、山迷記(1970年)   奥秩父・金峰山(1972)   

《山のエッセイ》
「上高地雑感」   「上越国境・谷川岳」   「丹沢山塊」   「大菩薩峠」



.

穂高岳登山(21) 「難路・吊尾根」

2010年09月07日 | 上高地から岳沢、穂高岳
.


 穂高岳登山(21) 「難路・吊尾根」 
(画像は和田氏、他の方の提供による、現地イメージ写真です)


小さなピークを二つ、三つ超え、更に、切り立った岩稜を巻くよう(トラバース)に通過する。 
これまた一苦労である。

更に、前方右方向に大きな岩尾根のピークが、ガスの中にぼんやりと見えてきた。 


すると突然後ろから声がして・・、

あのピークが奥穂かしら・・? 」 願いを込めて、彼女が突然声を掛けてきた。 

「 ウーン、どうでしょう・・?、時間的にはまだのような気がしますけど、 取敢えず行ってみましょう 」 

小生の気弱な返事である。 
疲れているのが、傍目からも判るほどだ。


案の定、あのピークは普通の尾根の頂(いただき)で、これを巻くように登りつめる。 

青息杜息である。


すると突然、霧の中といえ今までとは違った風景が飛び込んできた。 
ガックリと切れ落ちている断崖の下部は涸沢カールのようであり、我等は細い稜線上に立っているのである。 

この谷底からガス風が吹き上がってきて、身体のバランスが崩れそうになる。 
無論、広大な涸沢カールの底部二軒の山小屋は望めるべきもない。




足場不定の岩場の吊尾根:dh50-21



難路・吊尾根(微かに奥穂への登山ルートが覗える):dh51-21



吊尾根から涸沢側を俯瞰する:dh-52-21



吊尾根後半部より槍の展望:dh53-21



この辺りで本来なら小休止を行うタイミングと場所であるが、吹き付ける風雨に成すすべも無く、一瞬の呼吸を整えた後、彼女とは黙したまま再び黙々と歩き出した。


涸れ沢、岳沢の稜線上から、路程は再び岳沢側行くようである。 
右側は岩の壁、そして左は足下から急傾斜の断崖が切れ落ちている。 

おまけに岩の道中、道幅は複雑ですれ違いがやっとの程に極端に狭い。
そして、この天候である。

岩は滑りやすく、ガラ場に脚を取られやすい。 
脚をすくわれると、どこまで落ちて行くか判らんほどで、つまり一巻の終わりである。



ところで、「吊尾根」は距離にして2000m弱、・標高差270mで、数字だけを見ると簡単そうに感じるが・・、

実はそうでは無い。 

見通しが利く場合は岳沢ヒュッテや上高地が眼下に見えて、とにかく高度感が有り、一歩踏み外すと岳沢に吸込まれそうな感じがするのである。 

しかも、この狭い歩程は岩だらけで、足場はガレ場もあり危険に満ちているのである。

このような状況の吊尾根には、しばしば滑落事故も発生しているようだ。


先にも書きましたが、ガイド本などでは吊尾根は初心者でも大丈夫とあるが・・、
“ 冗談は止してくれ ”
といった感じで、難コースには違いなく、くれぐれも注意が必要なのである。

だが、コース全体的には○の印⇒の印が付いているので、天候が良く、印を確認、補足しながら慎重に歩けば問題は無いとも思われる。 


とにかく、普通の状況であれば迷う心配も、危険性も無いと感じられるが、現況にように視界が悪く、荒れている場合は条件は一変するのである。 

時折事故も起きているらしく、岳沢側への滑落には十二分なほどに注意が必要である。


続く・・、


尚、写真掲載の大部は、「和田様」の御提供によるものです。
和田氏ホームページへ  
http://www.tok2.com/home/pokopoko110/newpage172.html



【小生の主な旅のリンク集】

《日本周遊紀行・投稿ブログ》
GoogleBlog(グーグル・ブログ)   FC2ブログ   C・掲示板   FC2 H・P   gooブログ   yahooブログ

《旅の紀行・記録集》
「旅行履歴」
日本周遊紀行「東日本編」   日本周遊紀行「西日本編」   日本周遊紀行 (こちらは別URLです)

【日本の世界遺産紀行】
北海道・知床   白神山地    紀伊山地の霊場と参詣道   安芸の宮島・厳島神社   石見銀山遺跡とその文化的景観

ハワイ旅行2007   九州旅行2008   沖縄旅行2008   北海道道北旅行   北海道旅行2005   南紀旅行2002


【山行記】

《山の紀行・記録集》
「山行履歴」   
「立山・剣岳(1971年)」   白馬連峰登頂記(2004・8月)   北ア・槍-穂高(1968年)   上高地・岳沢・穂高(1979年)   上高地・明神(2008年)   南ア・北岳(1969年)   八ヶ岳(1966年)   八ヶ岳越年登山(1969年)   谷川岳(1967年)   丹沢山(1969年)   西丹沢・大室山(1969年)   西丹沢・檜洞丸(1970年)   丹沢、山迷記(1970年)   奥秩父・金峰山(1972)   

《山のエッセイ》
「上高地雑感」   「上越国境・谷川岳」   「丹沢山塊」   「大菩薩峠」



.

穂高岳登山(20) 「単独女性登山者」

2010年09月05日 | 上高地から岳沢、穂高岳
.


 穂高岳登山(20) 「単独女性登山者」 
(画像は和田氏、他の方の提供による、現地イメージ写真です)



前方より独りの男性がやってきた。 
大きな男である。 

すれ違うときに気が付いたが、先刻、紀美子平らで目にした外人であった。 
連れの女性はどうしたのだろう・・?。

と思う間もなく当の女性がやってきた。 

何かアンバランスを見たようだ。

両人とも簡易雨具を付けてはいるが、風雨に打たれてひるがえり、全く要を成さないようだ。

お二人とも、登行時の元気は消えうせて、今は、すっかり疲れきって全く意気消沈しているようだ。 

この後、下山するにしても岳沢ヒュッテまでは数時間はかかるであろうし、もしかするとあの険悪な重太郎新道がやってくるかも知れない。 

遭難などしなければよいが、と念じつつ我等はこのまま前進する。




吊尾根の道dh44



吊尾根の道2:dh49-20



一見、穏やかそうな吊尾根から前穂を望む:dh48


勾配が次第に増してきている。 

ザックが肩に食い込み、脚部に全体重が圧し掛かる。

脚が思うように前に出ない。 

身体に鉛を付けられた感じだ。 

呼吸も急に荒くなった。


小生の場合、急登で息切れする場合の呼吸の仕方は、一吸二吐の深呼吸を心がけているが、
今はそれもままならぬ。
その息が、乱れているのだ・・!。

勿論、前進ペースもガクッと落ちている。 


今まで蓄積された疲労がここえ来て一気に出ているようだ。 

横殴りの風雨も進路を妨害しているようで、尚一層、疲れを助長させているようだ。

苦渋の汗もジワジワ滲み出てきて、外側と内側からと衣服を濡らしている。 

背中のザックも更に一層重みを成していて、強烈に肩に食込むようだ。 
伴って、両手首に痺れを感じる。 血行も悪くなってきているようだ。


女性は・・?
と気が付くと、小生の直ぐ後ろをピッタリと付いてきている。

直前までは、やや離れた定間隔で従って来ていたようだが、やはり小生のペースがガクッと落ちたせいで、やや戸惑いを感じているのかもしれない。 

彼女の方は未だ余力が残されているようで、確かな足取で進んでいるようである。 
やはり、基礎が充分出来ているようで、気力、体力ともしっかりと身に付けて歩んでいるようである。


心の底では、“女になんか負けるものか“と、変なプライドを抱いているが、如何せんモウ身体が言うことをきかないのである。 

当の女性はクタビレて、喘ぐような小生を横目に、追い抜いて行こうとする気配は微塵もないのである。 

この状態だと一刻も早く、出来れば駆け足で目的地・山小屋へ駆け込みたいところでろう。 
そればかりか、疲れている小生を気遣っているようでもある。


小生に向って・・、
雨具が風で捲れ上がっているので、チョッと直しましょう」といって、親切に後ろへ手を添えて直してくれている。

彼女の白い素手が見えていてチョットした色香を感じるが、今は、それどころではない・・!。

尚・・、

「素手で冷たくありませんか・・?」と問うと、先刻と同じように

「大丈夫です」という毅然とした返事が返ってきた。


次回へ・・、


尚、写真掲載の大部は、「和田様」の御提供によるものです。
和田氏ホームページへ  
http://www.tok2.com/home/pokopoko110/newpage172.html



【小生の主な旅のリンク集】

《日本周遊紀行・投稿ブログ》
GoogleBlog(グーグル・ブログ)   FC2ブログ   C・掲示板   FC2 H・P   gooブログ   yahooブログ

《旅の紀行・記録集》
「旅行履歴」
日本周遊紀行「東日本編」   日本周遊紀行「西日本編」   日本周遊紀行 (こちらは別URLです)

【日本の世界遺産紀行】
北海道・知床   白神山地    紀伊山地の霊場と参詣道   安芸の宮島・厳島神社   石見銀山遺跡とその文化的景観

ハワイ旅行2007   九州旅行2008   沖縄旅行2008   北海道道北旅行   北海道旅行2005   南紀旅行2002


【山行記】

《山の紀行・記録集》
「山行履歴」   
「立山・剣岳(1971年)」   白馬連峰登頂記(2004・8月)   北ア・槍-穂高(1968年)   上高地・岳沢・穂高(1979年)   上高地・明神(2008年)   南ア・北岳(1969年)   八ヶ岳(1966年)   八ヶ岳越年登山(1969年)   谷川岳(1967年)   丹沢山(1969年)   西丹沢・大室山(1969年)   西丹沢・檜洞丸(1970年)   丹沢、山迷記(1970年)   奥秩父・金峰山(1972)   

《山のエッセイ》
「上高地雑感」   「上越国境・谷川岳」   「丹沢山塊」   「大菩薩峠」



.