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織内将男の山旅の記録

若かりし頃よりの山旅の記録です・・!!

霊峰・日光の山々(29)女峰山 「雲竜渓谷」

2012年12月26日 | 日光・女峰山
.




 霊峰・日光の山々(29)女峰山 「雲竜渓谷」 





雲竜渓谷の雲竜瀑




雲竜渓谷の最奥部の広大で険しい断崖絶壁は、まるで巨大な氷河が削り取ったような様相であるが、実は、火口の跡らしい。

渓谷は、女峰山と赤薙山(あかなぎさん)の爆裂火口の中に発する稲荷川上流にあり、日光連山中で最も代表的な渓谷であろう。 


女峰山直下を激しく下方侵食しているため、豪壮無比な急崖をつくっていて、そこには、友知らず滝・黒岩滝・七滝・胎内滝等があり沢登りのメッカであったが、沢が若く崩壊作用が激しく危険な所でもあった。


近年砂防工事が進んで極端な谷の変化はなく相当浅くなったが、アカナ沢・七滝沢はなお危険で入谷禁止地帯となっている。

尚、厳冬期には谷壁一面に巨大なつららが成長し、さながら氷の回廊のようになる。

特に、この渓谷の上流にある滝・雲竜瀑は、氷結すると100メートルに及ぶ、さながら氷の殿堂、氷壁となり、氷瀑に挑む登山者や見物人の姿で賑わう。
 



冬季に雲竜渓谷に入るには、勿論、ザイル・アイゼン・ピッケルは必携である。

因みに、この渓谷が沢歩きの対象となったのは明治後期ぐらいといわれ、メシ沢、友知らず沢、黒岩滝等の名はこの谷の開拓の黎明期に付けられたもので、早川谷は昭和8年11月早川博氏が単独入谷して遭難死亡して付けられた名前だという。 


又、雲竜瀑は郷土史家でもある星野理一郎氏が命名したといわれる。 

雲竜瀑の初登攀は昭和40年頃日光石楠花会の星野、松井氏だとされる。 
林道は更に奥の黒岩瀑近くまで付いているが 今は崩落のためその面影を残している程度で、この渓谷から前女峰や赤薙山に出るルートはいくつか取れるが登山道ではない。



次回、女峰山 「箱石金剛




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霊峰・日光の山々(28)女峰山 「七滝遥拝石」

2012年12月24日 | 日光・女峰山
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霊峰・日光の山々(28)女峰山 「七滝遥拝石」



黒岩遥拝石




斜度は更に増す。
笹尾根の向こうに突然火山岩が現れる。もうすぐ八風も間近、大きな岩の間を縫う。
どうやら黒岩岳の基部・八風に到ったようだ。 
道端に石祠が祀ってあるが、ヒッソリと寂しげである。

八風、このあたりは山様も一変して天も開け、荒れた岩場になっている。
先は二股になっていて、黒岩への直登と巻道になっているが、直登は遠慮しておこう。

地図を見ると黒岩の標高は1913mであるから、女峰山まであと570mの高さを稼がねばならない。


黒岩西側のガレ場をトラバースしながら、所々足元が不安定な箇所もあるが、特段危険を感じることは無い。 ただ、足元の落石注意である。

そして左手(西)には田母沢源頭部が大きく切れ込んでいて、周辺は青々とした笹原が広がっている。

再び稜線に出ると、俄然、景観が変わったいて、何と言っても正面(右手)の大景観であろう。

実はこの辺り、遥拝石(七滝遥拝石)といって、はるかに遠い所から拝む所でもあるらしい。

確かに、標識の傍には大きな石と言おうか岩がデーンと座ってはいて、雲竜の神秘的な大渓谷や正面の女峰山の本宮を仰ぐには、最適なところである。




こちらは、通称、雲竜渓谷の観瀑台とも言われるらしく、荒々しい峡谷は必見ものである。
脚下から数10m大きく切れ落ちている断崖絶壁は、一瞬、体が固まる。


良く観ると、周囲全体が女峰山を中心に衝立のように立ちはだかっているようだ。 
そこから白い筋状の滝が数本、一気になだれ落ちているのである。 
実に、峻険そのもである。


聞くところによると、この雲竜渓谷の内部見物コースは崩落、落石が頻繁に発生しているため進入は禁止しているらしい。

ただ、底部の方の見通しはあまりなく、黒岩山頂からの展望だと、もっと豪快に眺められた思う。



次回、女峰山 「雲竜渓谷






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霊峰・日光の山々(27)女峰山  「シロヤシオ」

2012年12月22日 | 日光・女峰山
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 霊峰・日光の山々(27)女峰山 「シロヤシオ」 





写真;シロヤシオ




白樺金剛の先で、道は緩やかに右へと曲がる。
この辺りから山様が変化してきて、暫くは、見ごろも終わるころであろうが、松肌のシロヤシオの群生が懐かしい。

最盛期は過ぎているが、つい最近まで花はあったようで、足許には白い花びらが新鮮な状態で残っている。



シロヤシオは、何と言っても小生の実家の近くの丹沢山塊(丹沢三ッ峰に多い)の大群生が有名であろう。 

主に、太平洋側の山地に自生するツツジ科ツツジ属の落葉樹で、時に10メートル前後の大木になり、5~6月に緑の葉と同時に純白の花を咲かせる。 

枝先に5枚の葉が輪生状に付くことから、別名としてゴヨウツツジ(五葉躑躅)とも呼ばれる。 

大幹の木肌樹皮は松肌のように裂けていて、特に老木は樹皮が剥がれるのが特徴である。マツハダというのは、古い樹皮が松の木に似ているからとのことです。




アカヤシオ



因みに、シロヤシオに似た花で「アカヤシオ」もある。 
日光ではお馴染みの花で、「市の花」にも指定されている。

市内からでも手軽に見られ、特に鳴虫山やイロハ坂、奥日光では手軽に観られ、春、満開に咲くこの花を見ることを目的に、登山をする方も多いようです。

葉は菱形に近い卵形の長さが2〜5cm、5枚づつ枝を中心に輪になるように並んでいて、葉が出る前の4~5月に、花冠が5つに裂けた漏斗状のきれいな淡い赤紫色をしたツツジ様の花が咲きます。




次回へ、





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霊峰・日光の山々(26)女峰山 「白樺金剛」

2012年12月21日 | 日光・女峰山
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霊峰・日光の山々(26)女峰山 「白樺金剛」




写;白樺金剛





カラマツ林を過ぎた頃から、俄然、登りも急になってきた。
所々に黒光りする大きく露出した岩が、立ちはだかる様になる。

気がつと先ほどから、小ハエか蚋(ブヨ)が付きまとうようになって、耳たぶが刺され、痒みを感じると同時に、刺された跡が膨らんでくる。 

まことに鬱陶しい。

多くの山を経験しているが2000m近い山中で、このような仕打ちを受けるのははじめてであった。


因みに、ブヨ(ブユとも言うらしい)はハエより若干小さく、体長3~5mm程度の吸血性の虫で、幼虫は小川や渓流で育ち、綺麗な水辺を好むため、蚊と違って都会ではあまり見かけない。 

夏場のキャンプ場や渓流、ゴルフ場で刺された経験のある人は多いといわれる。 
発生するのが6~7月といい、渓流歩きや釣りのシーズンと重なりますので天敵である。 

ブヨに刺されると「ブヨ刺症」と呼ばれ、治療するための立派な科目だそうである。




左の方へ目をやると、巨大お椀を伏せたような男体山が相変わらずで、大真名子、小真名子も命名の如く子供のように付き添っているのは、実に奥ゆかしい。

後方、遥か眼下には日光市街が未だ鮮明であるが、かなり遠ざかっていることも確かである。



笹原そしてカラ松林の中の急登をゆっくりと進む。
背後を振返ると、山中深く入り込んだ様で、これで日光の街並みも見納めであろう。


この辺りは、疲れもピークになるところであろう、ホトバシル汗を拭き払いながら我慢の歩きで、そうやら「白樺金剛」なんて標識を見る。

「白樺なんてのは名ばかりで、カラマツの植林地帯である」、思うに、かってはこの辺りは白樺の純林帯であったのだろう。 

それを完全伐採してしまった為、唐松の御礼植えをおこなったのかも知れない。


次回、女峰山 「シロヤシオ





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霊峰・日光の山々(25)女峰山 「稚児ヶ墓」

2012年12月20日 | 日光・女峰山
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霊峰・日光の山々(25)女峰山 「稚児ヶ墓」




稚児ヶ墓



陽がだいぶ高くなり、輝きだした頃の6時頃「稚児ヶ墓」到着。
一服するには良いところで、ここらで軽い朝食を摂ることにした。

その前に、お地蔵様(稚児)にお参りする。
台座の石碑には何やら刻してあり、鮮明ではないが坊さんの名が刻してあるようだ。



その伝えを「日光輪王寺 25号」(昭和41年、日光山輪王寺)から要約すると、

『 延元元年(1336)8月、女峰山に分け入った実道坊という修験僧の後を追って入山した稚児が、師に逢うことも叶わずこの地で倒れ、亡くなってしまった。これを哀れみ、一山の僧たちが相謀って墓を営み供養したのが稚児ヶ墓である。後にこの知らせを受けた実道坊は、悲嘆のあまり黒髪山中腹の断崖に身を投げてしまったという 』。



黒髪山は男体山の別称であり、稚児とは幼子ではなく、寺院で下働きをする少年をいうらしい。 
その墓石は、右手に錫杖(しゃくじょう;僧侶・修験者の持つ杖)、左手に宝珠を持つ地蔵菩薩である。


造立は嘉永元申年(1848)。台座正面には「兒墓」、裏側には「實蔵坊 観徳坊 永観坊 通勝坊 正住坊 乗音坊 城秀坊」など、江戸時代の正保2年(1645)に確立したとされる近世日光の寺院である衆徒二〇院、一坊八〇坊のなかのいくつかの寺名が刻まれている。




露の草原帯からカラマツの再び植林帯の中へと進むが、眼前に見えている主峰は一向に近づいてこない。

決して急な登りではないがチョット息苦しく、動悸も激しく、顔面から汗が滴り落ちる。 朝食後ということもあろうが、未だリズムに乗れないようだ。

斜度は次第に上がってくるが、それに呼応するかのように明るい笹原が周囲に広がる。振り返れば、彼方の向こうに日光の街が鮮明に望める。 気が付けば、ずいぶんと遠くまでは来たもんだ。 



すると突然、ガサゴソと人の気配がした。
様子を伺うと、何やら覇気が無さそうであり、口を開いたのは「すいませんけど、水を一口戴きたいが・・、」、言われるままに、素直に差し上げて事情を聞くと、「夜っぴいて登っていたが、この先で完全にバテてしまい、それに水を持参するのを忘れてしまい、仕方なく下山するところです」という。 

山歩きには、常識的にも水は必携品であり、貴重品である。 まして女峰山へは主として尾根道のルートであり、水場は無いと心得るべきである。


次回、女峰山 「白樺金剛







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