織内将男の山旅の記録

若かりし頃よりの山旅の記録です・・!!

立山・剱岳「天の記」(3) 「立山と芦峅寺」

2009年07月03日 | 立山・剣岳
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写真:宮風な富山鉄道の岩峅寺駅
資料:芦峅寺寺社群


立山・剱岳「天の記」(3) 「立山と芦峅寺」

例によって、東京・上野から夜行列車に揺られて越中・富山に着いたのは辺りが間もなく白む頃であった。 構内で即、富山電鉄に乗り換え、列車はローカル色豊かに富山平野を突っ切って立山駅へと我らを運んでいる。
富山平野は越中米(主に銘柄はコシヒカリ)の穀倉地帯であり、見渡す限りの深緑の穂先には既にタワワの実りが波打っている。 この富山産コシヒカリは、平成7年(1995)から10年(1998)まで4年連続「特A」(日本穀物検定協会)に輝き、これは全国でも三地域だけだそうで、大手の米卸売り業者も富山米のおいしさは全国に知られるようになり、「最も安心して取り引きできる銘柄」と太鼓判を押すほどである。
因みに、政府が推進している「減反政策」、所謂、農業を継続する地とされた農用地区域内での耕作放棄地の面積比率をみると富山県は0.31%にとどまり、1%を割って全国でも最も“放棄地の少ない県”となっているという。
周囲の民家、農家はユッタリした造りで雪国らしく頑丈でもあり、屋根の勾配も角度が付いているのが目立つ。

富山電鉄は、この富山平野を突っ切るように進むが、この平野の尽きるところ、立山連山の麓に電鉄の岩峅寺駅(いわくらじえき)がある。 駅舎は、神社風の破風屋根をいただく富山県内唯一の現役駅舎で、示すとおり周辺の地域は「立山信仰」の拠点になったところである。 更に、山腹へ立ち入ったところが「芦峅寺」(あしくらじ)で、こちらも立山信仰と立山登山ガイドの拠点の地でもある。


ここで入山する前に、国内でも有名な三大山岳信仰地とされる「立山信仰と開山」について大まかに述べたい。
岩峅寺は山麓で常願寺川右岸扇状地の扇頂部に位置し、中世より荘園村落として発達、稲作を主な生業としてきた。このような場所的・生業的な面からとらえると、岩峅寺の場所は「サト」として位置づけられ、その中核である立山寺(現、雄山神社)集落には大講堂・拝殿・観音堂・地蔵堂・地主刀尾天神本社などを構えていて、いわば「里宮」として位置づけられていた。
一方、岩峅寺より更に山間にある「芦峅寺」は標高約400メートルの高所に位置し、その自然環境から稲作には適さない村であり、従って、山を生活の場とした焼畑・炭焼・木挽など林業、猟や釣り、ガイドをして生活の糧とした人たちである。 このような場所的・生業的な面からとらえると、芦峅寺の場所は「ヤマ」或いは「サトヤマ」として位置づけられ、さらに、その中核である芦峅中宮寺(現、雄山神社)集落には姥堂・閻魔堂・帝釈堂・布橋・立山開山堂・講堂・拝殿・大宮・若宮・立山開山廟所などを構えていて、所謂「山宮」として位置づけられていた。
 
ところで、この「峅」という字は、読みなれた者にしか理解できない、馴染みのない漢字である。 この字を使うのは富山県の地名に限られていて、岩峅寺や芦峅寺など実は極めて特殊な字なのだという。 
岩峅寺、芦峅寺に共通するのは、ともに立山信仰に深い関(かか)わり合いを持つ地であることが重要で、「峅・くら」には、神や精霊の来臨する場所という意味があるという。

次回は、立山信仰と開山


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