織内将男の山旅の記録

若かりし頃よりの山旅の記録です・・!!

立山・剱岳「天の記」(2) 「剣岳、剱岳」

2009年07月02日 | 立山・剣岳
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写真:別山乗越より剣岳(八ッ峰の岩尾根が豪快・・!!)


立山・剱岳「天の記」(2) 「剣岳、剱岳」

先ず、山岳関係の名作家・深田久弥氏の「日本百名山」の「剱岳」 より・・、
『 北アルプスの南の重鎮を穂高とすれば、北の俊英は剱岳であろう。 層々たる岩に鎧われて、その豪宕、峻烈、高邁の風格は、この両巨峰に相通じるものである。 大学山岳部が有能な後継者を育てるための夏期合宿、精鋭を誇るクライマーのクラブが困難なルートを求めて氷雪に挑む道場を、大ていはこの穂高か剱に選ぶのも故あるかなである・・』

剣岳は、正確には「剱岳」と表記している・・、
「剱」の字には多くの異体字があるが、一般には常用漢字表には無く、パソコン、ワー・プロなどの変換文字にも無い。 従って、常用漢字表を用いる場合の字体は「剣岳」と表記されることが多いが、地元の富山県や上市町は「剱岳」が正しい表記であるとしている。国土地理院は上市町からの申請を受け、立山町の同意を得た上で、2004年(平成16年)発行の地形図からは「剱岳」としている。

『 ★★ 濃霧にかき消されていた、その姿は、今その全容を現にした。
豪壮無比、急峻にして高邁、颯爽としたその風格は、胸を締め付けられるような感動を覚える。 黒百合のコルから沢筋の八ッ峰の末端を底辺としたその形容は、真しくアルプスの金字塔の名にぴったりである。 
太刀の鋭さと鋼の強靭さを兼ね備えている、その名のとおりの「剱岳」であった。

室堂から一の越を経て、立山(雄山)の頂上に立つのは、今はもうサンダル履きでも登れるようになっている。 その頂上には立派な社務所や社があり、しかも社の参拝料として一金百円を自動的に納付するようになっている。 このことからも既に三千mの高峰とはいえ、純粋な登山の対象の山ではなく、参拝の場所になっているのかもしれない。
しかし、この雄山の頂上に立って周囲を眺めた時、新めて山頂の展望の酔い、そして、眼前にあの「剱岳」が堂々の迫力のをもって迫ってくるのである・・!!。 ★★ 』
(昭和46年8月 メモ)


人の話を聞き、山に関する本、文献等により剱岳のことは、それなりに知識を得たようであり、そして剱岳への登攀は以前からの夢でもあり、目標であった。
最近(当時)の「山と渓谷」社の日本山岳人気アンケートでも剱岳は五指に入るほどであるが、しかし、同時に「一般登山者が登る山のうちでは危険度の最も高い山」とされているのも確かである。

こんな時期、極めて最近の昭和46年の7月、立山連峰直下へトンネルや各種乗り物が長野県側から富山県側へ突き抜け、交通の便としては中部、関東地区側からは長野県大町を経て立山連峰が貫通し繋がったのである。 所謂、以前からのルートである北陸側の富山からの直通ルートである山岳ルートが、「立山黒部アルペンルート」として連結され、信州と越中が直結されたのである。 
しかし、この立山黒部アルペンルートは、あくまで観光客のものであって、一般の人々や我等山屋にとっては直接関係してくれるものではないようで、例えば関東地区からこの立山・剱岳へ入山するには、時間的にも費用をみても、以前どおり北陸側から入るのが重宝のようであった。

次回、「立山信仰」


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