織内将男の山旅の記録

若かりし頃よりの山旅の記録です・・!!

霊峰・日光の山々(47)男体山 「登山開始」

2013年01月26日 | 男体山
.




霊峰・日光の山々(47)男体山 「登山開始」







1合目階段と1合目石標



登山開始

境内駐車場に車を置いて、鳥居を潜り、階段を上り詰めると登拝門が通用門の如く遮っている。 
本山を目の当たりにして、すでに緊張感が高まる。

神山に向けて仕掛ける前に、先ずは受付を済ませる必要がある。
ここで簡単な登山届と入山料500円を支払い、御守りを戴くことになる。



登拝門を潜ると、いきなり急な階段が待ち受ける。

この辺り、関東西部の丹沢・大山の下社の登拝口、登拝門に似ている。 
若しかしたら大山(相模・丹沢大山)のほうが階段はきついかな・・?。


男体山も大山も信仰の山というだけあって、こういった階段そのものが修行の入口の第一歩とって感じがしないでもない。

この日は他にも何組か団体がいたが、登山やトレッキングに不慣れな方は、最初のバテがやってくるところでもある。



階段を登りきると、まずは一合目到着。
一合目から三合目まではモミやミズナラを中心とした深い森の中の急坂を長々と登って行く。 

林床にはきれいな笹が繁る見事な森である。


1合目遥拝所には、次のような説明が記されていた。

「ここは霊峰男体山の一合目である。古来5月5日の開山祭、10月25日の閉山祭には宮司以下神職、氏子、崇敬者がここに至り玉ぐしを捧げて奉拝する習わしである。山頂奥宮(2484)に登拝できない向きは、中宮で祈願を籠めたあと、ここで遥拝することになっております。」
とある。 

崇敬者とは、氏子以外にも信仰的契機により、その神社を継続的に崇敬する人をいう。



2合目からは目に染みる緑の中、初めは林の中のなだらかな登山道を登る。

根っこや腐葉土などで滑りやすい土が多くなり、登りはよいが下山時は滑って転んだりしないように、気を使う必要があろう。


樹林帯の中を30分ほど歩いて、三合目に到着する。
3合目の林道に出る手前に登拝者の避難用のプレハブの小屋があり、休憩ポイントであろう。

その後、林道に合流し、ここからは4合目の石鳥居まではアスファルトで舗装された道路を行くようになる。



次回、男体山 「四合目鳥居


霊峰・日光の山々(46)男体山 「登拝祭・2」

2013年01月25日 | 男体山
.




霊峰・日光の山々(46)男体山 「登拝祭・2」



登拝は、祭りの終わる8月7日までつづくが、4日には湖畔で「扇の的弓道大会」がおこなわれ、屋島の合戦で活躍した那須与一にちなんで、湖上に扇をかざした船を浮かべ、それをめがけて射る弓の大会である。

那須与一は地元・下野国(栃木県)那須の人で、源平合戦で源義経の軍に参じるとき、二荒山神社に戦勝を祈願したと伝えられている。



那須与一は弓矢の名手として知られ、源平の戦いにおいて源氏・義経軍に参戦している。

讃岐屋島へ逃れた平家を追って、義経は海路阿波に上陸、陸路屋島に迫り、背後から平家を急襲した。 
驚いた平家軍は、船に乗って海へ逃げたが、源氏軍が案外少数と知って応戦し激しい攻防が繰り返された。 
日が暮れて両軍が兵を引きかけている時、沖の平家軍から年若い美女を乗せた小舟が一艘漕ぎ寄せてきた。 

美女は、紅地に金の日輪が描かれた扇を竿の先にはさんで船べりに立て、陸の源氏に向かって手招きをしている。 
これを見た、義経は、弓の名手・那須与一宗高に扇を射抜くよう命令した。 

与一は、馬を海に乗り入れたが、扇の的までは、まだ40間(けん)余り(約70メートル)もあり、しかも北風が激しく吹いて扇の的は小舟と共に揺れている。 

「南無八幡」と心に念じた与一が渾身の力で鏑矢を放つと、矢はうなりを立てて飛び放たれ見事に扇の要近くに命中。 
扇は空へ舞い上がり、ひらひらと海へ落ちた。 この様子を固唾を飲んで見守っていた源平両軍は、どっと歓声を上げて与一を褒め讃えたのであった。





男体山登山案内・注意

1・山頂まで普通は3~4時間、山道6kmです。
2・水場がありませんので水は必ずご持参ください。
3・雨具、防寒具をご用意ください。
4・3~4合目は広い工事用道路になり4合目の石鳥居をくぐり登山路に入ります。
5・7~8合目、頂上付近はガレ場になりますので、スリップや落石等に充分ご注意ください。
6・5、7、8合目、頂上には避難小屋があります。(七合目の避難小屋は破損激しい)
7・焚き火、植物の採取は禁止致です。
8・自然の中ではゴミ、空き缶等は必ず持ち帰ってください。


次回、男体山 「登山開始


霊峰・日光の山々(45)男体山 「登拝祭」

2013年01月24日 | 男体山
.




霊峰・日光の山々(45)男体山 「登拝祭」





登拝祭(とうはいさい;男体山登山)の受付




1200年以上の歴史を持つ、奥日光の霊場と言われる二荒山神社中宮祠では、各種祭事が行われるが、最大の祭りといわれる「登拝祭」が執り行われる。

登拝祭の各種行事は、7月31日の午後から執り行われ、御内陣参拝、奉納花火、みやま踊り、などの奉納行事のほか、行列やお稚児、子供神輿が町を練り歩く。



又、白装束の行人行列は温泉街を通り、一行は夕方、1合目まで登山する。

夜、中宮祠の社頭で、氏子の奉納するお囃子で「深山踊り」の輪が広がる頃、中禅寺湖上では灯籠流しがあり、花火も打ち上げられる。

そして、8月1日の真夜中の午前0時、太鼓の鳴り物入りで、本殿のご神体に参拝した人たちが、法螺貝とともに一斉に登拝門から山頂の奥宮に向かって登るのである。

尚、その前に神社奉仕者である若者三人が、正装の白装束で身を清め、山頂奥宮に詣でて祭りの為の受入準備を行う。



登山中の心得として、「六根清浄・お山は晴天・・!」と、時折唱えるのが慣わしである。

六根清浄とは、人間に具わった六根を清らかにすること。
六根とは、人間の認識の根幹で、五感とそれに加え六巻ともいえる意識である。

眼根(視覚)、耳根(聴覚)、鼻根(嗅覚)、舌根(味覚)、身根(触覚)、意根(意識、心)

我欲などの執着にまみれず魂を清らかな状態にするための不浄なものを見ない、聞かない、嗅がない、味わわない、触れない、感じないことが六根清浄である。




中8合目の滝尾神社にお参りし、奥宮に着くころには、そろそろ東の空も明るみはじめ、ご来光を待つだけである。
そのあとは、太郎山神社付近の信仰遺跡発掘跡を見学したり、雄大な自然をながめたりするのもいい。



次回、男体山 「登拝祭・2










霊峰・日光の山々(44)男体山 「登拝門」

2013年01月23日 | 男体山
,




 霊峰・日光の山々(44)男体山 「登拝門」 






二荒山中宮祠登拝門と1合目階段



登拝門
男体山の登山口にあたる登拝門では、毎年5月5日開山祭を執行、10月25日閉山祭まで御山が開かれ、奥宮へ登拝することができる。

元々は素木造の門でしたが、山頂鎮座1,200年祭記念事業として昭和50年に朱塗銅板葺に改築された。



登山口
登山口となっているのは、中宮祠(日光二荒山神社)(栃木県日光市中宮祠2484)などから、登山することができる。

日光二荒山神社中宮祠の登拝門で、鳥居とその奥にある朱塗りの登拝門を潜った先には、山頂へと向かう階段が続いている。



中宮祠までは、東武日光駅から東武バスが出ていて、駅からバスの所要時間は50分前後、無論、中宮祠の場所は、日光二荒山神社本社とは異なる場所にある。

中宮祠と男体山頂上の間には、1合目に遙拝所、4合目に石鳥居、8合目に滝尾神社、山頂に日光二荒山神社奥宮と太郎山神社、および二荒山大神像がある。

3合目と4合目の間は30分ほど車道を歩く。

登りが凡そ4時間、下りが3時間程度。




次回、 「男体山・登拝祭





【小生の主な旅のリンク集】


《日本周遊紀行・投稿ブログ》
GoogleBlog(グーグル・ブログ)   FC2ブログ   C・掲示板   FC2 H・P   gooブログ   yahooブログ

《旅の紀行・記録集》
「旅行履歴」
日本周遊紀行「東日本編」   日本周遊紀行「西日本編」   日本周遊紀行 (こちらは別URLです)  日本温泉紀行 

【日本の世界遺産紀行】   北海道・知床   白神山地    紀伊山地の霊場と参詣道   安芸の宮島・厳島神社   石見銀山遺跡とその文化的景観   奥州・平泉   大日光紀行と世界遺産の2社1寺群   

東北紀行2010(内陸部)    ハワイ旅行2007   沖縄旅行2008   東北紀行2010   北海道道北旅行   北海道旅行2005   南紀旅行2002   日光讃歌



【山行記】

《山の紀行・記録集》
「山行履歴」   「立山・剣岳(1971年)」   白馬連峰登頂記(2004・8月)   八ヶ岳(1966年)   南ア・北岳(1969年)   南ア・仙丈ヶ岳(1976年)   南アルプス・鳳凰三山   北ア・槍-穂高(1968年)   谷川岳(1967年)   尾瀬紀行(1973年)   日光の山々   大菩薩峠紀行(1970年)   丹沢山(1969年)   西丹沢・大室山(1969年)   八ヶ岳越年登山(1969年)   奥秩父・金峰山(1972年)   西丹沢・檜洞丸(1970年)   丹沢、山迷記(1970年)   上高地・明神(2008年)

《山のエッセイ》
「山旅の記」   「山の歌」   「上高地雑感」   「上越国境・谷川岳」   「丹沢山塊」   「大菩薩峠」   「日光の自然」












霊峰・日光の山々(43)男体山 「さざれ石・2」

2013年01月22日 | 男体山
.




霊峰・日光の山々(43)男体山 「さざれ石・2」




日光中宮祠の「さざれ石」(細石)



この、「さざれ石」は、他の主要な神社にも鎮座されている所があり、特に京都の護王神社(京都市上京区:京・平安遷都に功績のあった和気清麻呂を祀っている)のものは和歌に詠まれた「君が代」の原点になったものといわれる。 



「さざれ石」は、その他の主要な神社である出雲大社(島根県)、鶴岡八幡宮(鎌倉)、霧島神宮(九州)、又、「君が代」を尊愛する関係先では千鳥が淵戦没者霊園(東京都)、さざれ石公園(岐阜県)というのも在るらしい。




国歌・「君が代」について、

『 わがきみは 千代にましませ さざれ石の 
           巌となりて 苔のむすまで
 』  (古今和歌集 よみ人しらず)

(あなたは、千年も万年もおすこやかに長生をお保ちください。細かい石が大きな岩となり、苔が生える先ざきまでも) 新潮日本古典集より



この歌句が、「君が代」の大元になったとされている。

明治憲法では、「万世一系の天皇はこれを統治す」として、「君が代」は天皇自身を指していたが、これは歌の解釈が当時の「富国強兵」に、解釈利用されたものとも言われている。

戦後の「君が代」は、国民にある種の思惑(戦時を起想するもの・・?)で翻弄された節もあるが、現在は天皇を超えて、国民を讃美、讃歌する歌として親しまれていることには間違いないとしている。


次回、男体山 「登拝門





【小生の主な旅のリンク集】


《日本周遊紀行・投稿ブログ》
GoogleBlog(グーグル・ブログ)   FC2ブログ   C・掲示板   FC2 H・P   gooブログ   yahooブログ

《旅の紀行・記録集》
「旅行履歴」
日本周遊紀行「東日本編」   日本周遊紀行「西日本編」   日本周遊紀行 (こちらは別URLです)  日本温泉紀行 

【日本の世界遺産紀行】   北海道・知床   白神山地    紀伊山地の霊場と参詣道   安芸の宮島・厳島神社   石見銀山遺跡とその文化的景観   奥州・平泉   大日光紀行と世界遺産の2社1寺群   

東北紀行2010(内陸部)    ハワイ旅行2007   沖縄旅行2008   東北紀行2010   北海道道北旅行   北海道旅行2005   南紀旅行2002   日光讃歌



【山行記】

《山の紀行・記録集》
「山行履歴」   「立山・剣岳(1971年)」   白馬連峰登頂記(2004・8月)   八ヶ岳(1966年)   南ア・北岳(1969年)   南ア・仙丈ヶ岳(1976年)   南アルプス・鳳凰三山   北ア・槍-穂高(1968年)   谷川岳(1967年)   尾瀬紀行(1973年)   日光の山々   大菩薩峠紀行(1970年)   丹沢山(1969年)   西丹沢・大室山(1969年)   八ヶ岳越年登山(1969年)   奥秩父・金峰山(1972年)   西丹沢・檜洞丸(1970年)   丹沢、山迷記(1970年)   上高地・明神(2008年)

《山のエッセイ》
「山旅の記」   「山の歌」   「上高地雑感」   「上越国境・谷川岳」   「丹沢山塊」   「大菩薩峠」   「日光の自然」