織内将男の山旅の記録

若かりし頃よりの山旅の記録です・・!!

大菩薩峠・紀行(38) 「奥多摩湖とむかし道」

2012年03月14日 | 大菩薩峠紀行
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 大菩薩峠・紀行(38) 「奥多摩湖とむかし道」  .



小河内ダムと奥多摩湖(奥は水と緑のふれあい館)


奥多摩むかし道MAP(奥多摩町観光)



青梅街道(国道411号線)の舗装道路を歩くのは若干しんどいが、渓谷沿いの道なので意外に楽しい。
余慶橋辺りが中間点であろうか、丹波のバス停まではあと少々である。

まもなくキャンプ場や山の家、民宿などが現われて、間もなく丹波の集落に到着した。
バスの停留所は、停西東京バス氷川駅行(昭和46年から奥多摩駅に改称)となっていた。 
又、道際の近くにに旧青梅街道・大菩薩峠の案内板が立つ。

そう、この集落は大菩薩峠越えの甲州街道裏街道として発展した宿場集落でもあった。
かつての裏甲州街道(青梅街道)であった大菩薩峠への登山口でもある。


ところで、大菩薩峠が多摩川水系と富士川水系との分水嶺となっていて、この分水嶺や山岳尾根の様子,そしてバスの路線などから考えると丹波山村(小菅村も同様)は東京都に属していそうなのであるが,そうではなく実は山梨県となっている。
実は現在も山梨県側の丹波や小菅は、同県内からの路線バスは走っておらず,全て東京都側の奥多摩駅からの便となっている。

氷川(現奥多摩駅)との交通事情がよくなったのは大正時代における改修や昭和になってからの小河内ダム建設(奥多摩湖)に伴う補償としての道路改修により、車の通行ができやすくなったのである。
 


奥多摩湖の堰堤・小河内ダムは東京都奥多摩町(都心から約65km)にあって、標高530mに位置し、多摩川上流域を水源とする集水域は東京都奥多摩町、山梨県丹波山村、小菅村及び甲州市の4市町村にまたがる。
ダム上流域に降る雨や雪(年間約1,600mm)が丹波川、小菅川などに流れ込んで集まり、貯えられた水は、ダム直下の多摩川発電所で発電に使用後、多摩川に放流され、水道原水として取水されている。
集水域面積は約263km2(都内区部面積の約40%)の広がりをもっておりその内の60%以上が東京都の水源林となっている。


建設計画自体は昭和初期に遡る。
だが、ダム建設予定地である旧小河内村の用地買収の難航、着工寸前に起こった水利紛争、戦争激化による建設工事の中断等により、着工から19年の歳月をかけて竣工した。
主要堰堤工事は1938年(昭和13年)に 起工、1957年(昭和32年)に竣工している。

完成当時は、東京の水源は主に多摩川水系に依存していたが、現在は都の水源の約20%となっています。 しかし、小河内ダムは東京都の独自水源として、利根川水系の渇水時や事故時には放流量を増やすなど、住民の安定給水の確保に重要な役割を果たしている。
尚、小河内ダムは、建設から50年以上が経過しているが、耐震性調査を行った結果、想定される最大級の強さの地震に対しても安全であることを確認している。 
 
堰堤の規模は、標高:530m(堤頂の道路部)、型式:非越流型直線重力式コンクリートダム、高さ:149m、長さ:353m、流域面積:263km2、有効水深:101.5m、有効貯水量:185,400千m。



奥多摩湖から下流、氷川(奥多摩駅)から昔の青梅街道(旧青梅街道)が、「奥多摩むかしみち」として保存されていたて、山深い道を通り、奥多摩駅から奥多摩湖まで歩くことができる。
初心者向けのハイキングコースで、舗装路・未舗装路・アップダウンとそれなりに変化のある道で、全工程の距離は約9km、ゆっくりで凡そ4時間の行程である。
奥多摩駅前の観光案内所ではコースマップを無料配布している。

主な見所は奥多摩駅より湖にむかって、羽黒坂、羽黒神社、小河内ダム建設のための鉄道廃線、人馬の休憩所跡、馬頭観音、不動の上の滝、巨岩を御神体とした白髭神社、耳神様
谷底へ落ちて死んだ馬を供養するための馬頭尊、縁結びの地蔵尊、馬の水飲み用の石桶、むし歯直しのお地蔵さん、中山集落、青目不動尊(非公開)、そしてゴールは奥多摩湖畔で
奥多摩水と緑のふれあい館」(入館無料)がある。


  『


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大菩薩峠・紀行(37) 「尾崎行雄」

2012年03月13日 | 大菩薩峠紀行
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大菩薩峠・紀行(37) 「尾崎行雄」 .




東京・永田町の憲政記念館に立つ、晩年の「尾崎行雄」銅像




明治維新後、多摩川上流域の山林は過度の伐採や開墾、焼畑等が行われており、そのため森林の荒廃や水質の汚濁がしばしば発生するようになった。 
更に、東京府は降雨のたびに水源である多摩川や玉川上水の水が濁ることに悩まされてきた。

そこで、その原因を探るた水質専門家による調査を依頼し、結果、東京市の飲料水や東京府の農業用水を安全に確保するために多摩川上流域に広がる森林を「水道水源林」として管理を開始するようになった。


東京府が水源林経営に本格的に着手してから9年後の1910 年(明治43)、『 水源林の経営は、市民に水を供給する責任を負っている東京市が行うべきである 』との尾崎行雄東京市長の判断によって、東京市による水源林の経営が始まったのである。


水道水源林の位置は、山梨県塩山市、丹波山村、小菅村、東京都奥多摩町に分布していて、水道水源林の面積は約22,000ha 、そのうちの64%が山梨県に属している。

多摩川の水源林は保水能力のない針葉樹林は少なく、7 割以上がブナ、栂、ミズナラ、カエデ類を中心とした天然の落葉樹であり、人手があまりかからない良質の林で形成されている。


尾崎行雄(1858-1954)は神奈川県津久井町(現、相模原市)の出身で、95才という長寿を全うした。
代議士生活63年(25回連続当選)という世界一の記録保持者(二番はイギリスのチャーチル)で、「憲政の神様」ともいわれ、一貫してクリーンで明朗な政治家であったという。
この間、東京市長時代は明治36年から9年間に及ぶ。



犬養毅(第29代内閣総理大臣、五一五事件で暗殺)とは大の親友で、民主主義のために闘った二人は尾崎とともに「憲政二柱の神」と仰がれた。
犬養が昭和7年5月15日に陸軍の政治テロにより射殺されたとき、イギリスにいた尾崎は、

『 我が友の 殺されたるを夢として 聞かんと祈り眞かと思ふ 』
と悲墳の歌を作っている。

昭和12年、老齢尾崎が79才のときの議会演説で、『 日本帝国はどこに行くつもりで舵をとっておるのか・・! 』と、決死の覚悟で軍部の横暴や軍事費の増大を批判した。
 
このもの凄い演説は新聞にも大きく取りあげられ、全国から感動の手紙が続々と届いたという。
しかし、尾崎の必死の努力は空しく軍国主義はますます進んで、日中、太平洋戦争に突き進んでゆくことになる。


次回最終、「奥多摩湖とむかし道



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大菩薩峠・紀行(36) 「三条河原」

2012年03月12日 | 大菩薩峠紀行
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大菩薩峠・紀行(36) 「三条河原」 .




当時東京市長の「尾崎行雄」の顕彰碑



間もなく三条新橋を渡って、奥多摩地域の本道(青梅街道)に達した。
この辺り、三条河原とか言うらしい。 
三条河原とは、三重河原が変じて付されたとも言われる。

実際には丹波本流に泉水谷が合流する二重河原なのだが、黒川金山で有名な、黒川谷を併せて三重河原と言う。


近くに「尾崎行雄水源地踏査記念碑」があった。 
木立に囲まれて石積みをした立派な石碑が建立されている。

天皇陛下ならともかく、自治体の首長が視察しただけで碑が建つというのも大げさな気がするが、当時の「尾崎行雄」がよほど偉かったのか、それともこんな山奥までくるのがよっぽど大変だったのか、時代が違うといってしまえばそれだけだが、当時としては、大事な件だったのだろう。

石碑以外に石碑の案内板が掲示してあって、案内板を読むと、以下の説明がなされていた。


『 明治42年(1909年)5月、当時の東京市長尾崎行雄は、多摩川の荒廃した水源地帯を踏査し、これを買収して水源の涵養を自ら行うことを決断、給水百年の計を樹立しました。
この記念碑は、昭和38年(1963年)、この尾崎市長の功績に対し東京都民の感謝の意を永遠に伝えるために、市長が踏査したこの地に設置されたものです
。 』


前述したように、大菩薩嶺から東側の山梨県の丹波山村の山は東京都の所有で、東京都水道局が管理する森林の内半分以上は山梨県側にある。

小菅村や丹波山村は山梨県の村であるにもかかわらず下水道普及率が高く、特に小菅村の水洗化率は100%だと言う。
これは多摩川水系の水源を守るための東京都の施策で、東京都の現在の水資源確保は約100年も前に尾崎行雄が将来を見据えた決断から生まれたものだった。


当時の東京市長・尾崎行雄が水源地踏査をしたのは明治42年で、小河内ダム(奥多摩湖)ができたのは、踏査から48年後の昭和32年の頃であった。 

尾崎行雄の先見の明がばければ、今日がなかったことにもなる。
一人の人間の英断がかくも貴重なものであることを示す顕彰碑だった。


次回、「尾崎行雄




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大菩薩峠・紀行(35) 「小室川谷」

2012年03月08日 | 大菩薩峠紀行
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大菩薩峠・紀行(35) 「小室川谷」 .




晩秋の小室川谷




気が付くと「小室川谷」の出合に達していた。
この谷は沢歩きでも人気があるらしく、数人の若者が遡行準備に忙しそうである。

泉水谷では大黒茂谷も沢登りでは人気があるが、谷の長さ、深さ、バリエーションのどからみるとやはり、ナンバーワンの谷は小室川谷だろう。

泉水本谷にも廊下や魅力的な淵があるし、大黒茂谷も荒れたとはいえ、奥多摩・大菩薩らしいの渓だが、流程、渓相共に小室川谷が素晴らしい。

小室川谷には、有名な石門ノ滝などの奇石や数多くの滝があり、淵も綺麗で側壁も高く変化に富んだ渓相が続くので、沢登りの世界でも魅力的な谷としてその名が知られているという。


『 丹波に泉水有り 泉水に小室川谷有り 』と渓流マンのベテランが、ガイドブックに書いているように、泉水谷は今も奥多摩の名渓である。

小室川谷は大菩薩嶺と大菩薩峠の間の「妙見の頭」付近の稜線に突き上げる多摩川流域では代表的な沢の一つである。
水量も多く、標高差1100m以上の長い道程で、連続する滝やゴルジュ、ちょっと深めの楽しそうな釜、大高巻、渓中泊など沢登りを満喫することができる。

ただ、渓相は厳しく、尾根まで10時間以上は有するハードなコースで、沢登りとしては中、上級者向きといったところであろう。

尚、この小室川谷は形のいいヤマメ釣りの本場で、渓流釣りとしての人気もある。


次回、「三条河原




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大菩薩峠・紀行(34) 「泉水谷林道」

2012年03月08日 | 大菩薩峠紀行
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大菩薩峠・紀行(34) 「泉水谷林道」 .




新緑期の大黒茂谷




峠の丸川荘から朝一番の徒歩で、時間的にも充分の余裕があり、今は、奥多摩の更に奥の大自然を満喫しながら歩んでいる。
冬枯れの時期、どちらかと言えばモノトーンの自然色ながら、そこここには緑の大樹も数多くみられる。
樹はまつ科の(つが)である。
(もみ)と混同されやすいが、樅はどちらかと言うと温帯地域に多く、対して栂は高位度の寒冷地に植生しやすい。 
見分けるには枝先の葉が左右に生えているのが樅で、四方八方に生えているのが栂である。

大菩薩の北側は高度が高いために樅はほとんどなく、栂、コメツガが主林木であることから、黒木(針葉樹および針葉樹林のこと)が茂っていて、そこから流れ出す谷を「大黒茂」と称するのは納得である。 


ルンルン気分で泉水谷の大峡谷の歩道を進む。
沢音や小鳥の囀り(さえずり)を聞きながら自然と一体になり、何とも言えない満足感、充実感で満たされているのが意識できる。
やはり自然は有難く多くの物を教えてくれる。



”回想、山へのキッカケ・・!”

小生の山歩きは実のところ、数年前までは考えてもみなかったことであった。
元より田舎育ちで、自然の真っ只中、自然を相手にしながら成長してきた。
従って、自然と言うものには特に意識することなく、日常の生活の中でも当たり前の存在であった。

成人になって偶々(たまたま)勤めが東京に転勤になり、通常、身に付けたことの無い背広にネクタイで満員の電車に揺られ、着いた所が丸の内のコンクリートジャングル、それでも都会は何かと便利でいいなあとは思いつつ、ついつい、田舎の暮らしが懐かしく思える時もあった。

こんな折、職場の同僚で山歩きの好きな友人に、半ば強引に連れて行かれたのが、丹沢の山(塔の岳)であった。
元より、野山での遊ぶ経験はあったが、一つの山の頂へ向かって登るということは初めてであった。
心配していたとおり最初の20分くらいでばててしまい、疲労と吐き気でギブアップ、
それでも「君のぺースで行くから」という言葉に、悪いと思いながらも、ゆっくりゆっくり歩いて、何とか頂まで達した。
そして、下山後の何とも奇妙な感触を未だに覚えているのである。
田舎のムンムンする草の香りと、山での木の葉の匂いは共通するのかもしれない。
その後は、誘われるままに丹沢の各山、関東周辺の山、谷川岳、八ッ岳、そしてアルプスの各山と休日になると山歩きを楽しんでいたのである。


とまれ、あまり懐かしさには浸ってはいられない。 ここからバスが通う「丹波」まではゆうに2時間はかかるのだ。


次回、「小室川谷出会




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