織内将男の山旅の記録

若かりし頃よりの山旅の記録です・・!!

大菩薩峠・紀行(10) 「勝縁荘」

2012年01月31日 | 大菩薩峠紀行
.





大菩薩峠・紀行(10) 「勝縁荘」 .




別荘のような勝縁荘




福ちゃん荘からそのまま林道沿いを進むことになる。
高度が増すに従って雪の量も多くなり、特に日陰の部分はクラフト状になっていて歩きにくい。 
おまけに車のタイヤの跡が生々しく付いていて、歩行の妨げとなっている。

ヒトッキリ歩いた後、今度は勝縁荘、更に富士見山荘という山小屋があった。 
更に、この上の峠にある有名な介山荘もあり、いやはや山小屋の多い山地である。



勝縁荘は林にかこまれて未だひっそりとしている。 
見たところ、山小屋とは一風変わった山荘というか別荘のような建物で、玄関間口のついた洒落た本格建築な造りである。

勝縁荘は昭和初期のものといわれ、中山介山もこの山荘で執筆したという。
勝縁荘主人は、現在の介山荘の主人の祖父に当たる方で、(益田勝俊氏)地元出身の樋口一葉の研究家でもあったらしい。


 「日本百名山」を著した深田久弥氏は、大菩薩嶺のところで次のように記している。

『大菩薩峠の名が文学に現れたのは、中里介山より遥か以前に樋口一葉がある。 その「ゆく雲」の中に、「我が養家は大藤村の中萩原とて、見わたす限りは天目山、大菩薩峠の山々峰々垣をつくりて・・」とある。 一葉の両親は峠の下の萩原村の農家出身で若い時東京へ出た。 そして一葉が東京で生まれたが、おそらく両親から土地の風景を聞かされていたのだろう』


さらに深田久弥氏が大菩薩を訪れたとき、この勝縁荘に泊まっていた。 そして、次のように記していた。

『ある秋のさ中に、私は数十年ぶりで大菩薩岳を訪れた。 土曜の晩、山小屋勝縁荘に泊まって、山荘のあるじ益田勝俊さんから、いろいろ面白い話しを聞いて、夜の更けるのも忘れた。 あくる日曜、あさ表へ出ておどろいた。 蜿蜒たるハイカーの行列が登ってくるではないか。 大かたはズック靴に小リュックという軽装で、中にはレーン・コートに短靴・手提げというのも混じっている』


大菩薩周辺において、大正から昭和にかけて日本の古きよき時代の文化人が登場するに及んで、歴史を彷彿させるものがあるが、この先、更に大菩薩に関して歴史的に興味深い事柄が登場してくるので、是非ご期待戴きたい。


次回、 「富士見山荘



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大菩薩峠・紀行(9) 「福ちゃん荘」

2012年01月30日 | 大菩薩峠紀行
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大菩薩峠・紀行(9) 「福ちゃん荘」   .




福ちゃん荘


福ちゃん荘前の分岐標示



上日川峠から、のんびりと15分もあるくと、間もなく「福ちゃん荘」という、これまた大きな山小屋があった。
この福ちゃん荘は昨年(1969年)に大事件を起こした地として、極めて記憶に新しい。


【 赤軍派(1970年安保闘争を目前にした共産主義者同盟の最左翼連合)などの活動が活発な頃、武装訓練と称して大菩薩峠周辺の山中で行うべく、山梨県塩山市(現在の甲州市)の山小屋の『福ちゃん荘』に潜伏していた。
この地に、1969年11月5日早朝、警視庁と山梨県警合同の警察部隊が突入、その場に居た53名のメンバーが凶器準備集合罪で現行犯逮捕され、武器なども押収された事件である。
彼らは「11月闘争」と称して刃物、鉄パイプ爆弾、火炎瓶等の凶器で武装し、8つの部隊が大型ダンプカー等5台の車に分乗して首相官邸及び警視庁を襲撃し、人質をとって獄中の活動家等を奪還するという作戦を企てていた。
彼らの中には幹部らの甘言により何も知らされずに動員された高校生なども多かったという。事後の捜査によって重要メンバーの多くが逮捕され、赤軍派は大打撃を受けた。
しかしこれ以降、弱体化したとはいえ赤軍派は日本共産党(革命左派)の神奈川県委員会(通称、京浜安保共闘)と統合した連合赤軍を形成し、日航機「よど号」のハイジャック事件(1970年3月31日に共産主義者同盟赤軍派が起こした日本航空便ハイジャック事件。日本における最初のハイジャック事件)や山岳ベースを拠点にした「あさま山荘事件」(1972年2月19日に始まる、長野県北佐久郡軽井沢町にある河合楽器の保養所「浅間山荘」において連合赤軍が起こした事件)へと突き進むことになる。
世間に強烈なインパクトを与えた一連の連合赤軍事件は、この場所(福ちゃん荘)がルーツで、一般にこの事件のことを「大菩薩峠事件」とも呼ばれている。  】


福ちゃん荘」は大菩薩峠からはやや離れた麓に位置しているが、いまは何事もなかったかのようにヒッソリと静まり返っていた。

福ちゃん荘の前からは二つの分岐があって、左手は直接大菩薩嶺へ向かい、一方の林道を直進すると「大菩薩峠」へ向かうことになる。
無論、小生はお目当ての「峠」に向かうことになる。」


次回、「大菩薩峠




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大菩薩峠・紀行(8) 「上日川峠」

2012年01月27日 | 大菩薩峠紀行
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大菩薩峠・紀行(8) 「上日川峠」 .



上日川峠;上の道が大菩薩峠へ



上日川峠に建つ、現在の「ロッジ長兵衛」




久しぶりの単独行であるが別に何のことはなく、マイペースで歩けて実に快調である。
直ぐに、みそぎ沢の手前から丸川峠への分岐道現れた。
丸川峠は大菩薩嶺の西側に連なる尾根を越す峠で、奥多摩へ到る丸川道ともいって、本日小生が訪れる予定の峠で山小屋の丸川荘がある。


しばらく林道づたいに進むが、やがて林道と別れて立派な千石橋を渡ると、いよいよ本格的な山道となる。
勾配も急になってきて、山歩きらしい雰囲気になってきた。

ただ、日蔭部分は雪が残っていて、更に、路面はアイスバーンになってきた。
滑りやすいので、急な斜面はピッケルで足場を作り、バランスを取りながらの前進である。


振り仰ぐと南アルプスの稜線が朝日に輝いている。 
甲斐駒ケ岳と鋸岳のギザギザ稜線、白峰三山の秀麗な曲線、特に北岳の正面に当るバットレスの岩壁が縞模様に覗える。


程なくして「上日川峠」についた。 
この地は塩山、裂石からきた道と向こう側の田野、初鹿野へ通じる道の峠になっている。

又、砥山峠から大菩薩峠へ延びる林道も拓かれていて、十字路の峠になっているユニークな峠でもある。 
因みに、日川道の砥山峠の南部先端には下日川峠がある。


そしてこの峠には長兵衛山荘という大きな山小屋があった。 
小屋の前には椅子やテーブルがたくさん置いてあって、既に開店準備といったところである。


その昔、長兵衛という者がいて、この辺りを根城に峠を越える旅人に対して金銭衣類を掠め取った山賊稼業をしていたという噂を聞いた。
一方、ロッジ長兵衛の長兵衛とは、安政の頃、この峠に棲んでいた山に暮らす住所不定の山の民のことだともいわれる。 
この長兵衛さん、何かとよからぬことをしたとかしないとか、ともあれ山族の名前から山小屋の名前が付いたというのは以外であった。 
 

一息入れた後に、次に目的である大菩薩峠へ向かう。 
ここから延びる林道もあるが、平行して山道も付いているので当然ながらこちらを歩むことになる。


次回、「福ちゃん荘



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2012年01月26日 | 大菩薩峠紀行
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大菩薩峠・紀行(7) 「甲斐の覇王・武田家滅亡の地」 .





武田家一族を祀る景徳院の山門(wiki)



武田勝頼と一族の墓稜(wiki)


序ながら、雲峰寺前の林道はこのまま上日川峠を越えて、日川沿いに初鹿野に達している。 
その手前に大和村・田野地区があり、この地に天童山景徳院という古刹がある。

大和村は武田家滅亡の地として知られ、この寺院には武田家最後の当主・武田勝頼とその一族が祀られている。



信玄亡き後、嫡子勝頼は織田信長との「長篠の戦い」で散々に敗退する。
合戦以降、仇敵・信長との関係は小康状態が続いていた。

勝頼は、近い将来攻め込んでくるであろう織田・徳川連合軍への備えのため、躑躅ヶ崎館(つつじがさきやかた)より強固な韮崎の地に新府城(韮崎市)を築城して防備を固めるとともに、武田軍団の再編成を目指した。

そして、遂に天正10年(1583年)3月、織田信長・徳川家康連合軍による甲斐侵攻が始まる。
武田軍は次々と城を落とされ、終に、甲斐国国主武田勝頼は新府城をも捨てて、家臣の郡内領主小山田信茂を頼り落ちのびるが、更に、信茂の謀反に遭い逃げ場所が無いことを悟った勝頼一行は、武田氏ゆかりの地である天目山棲雲寺を目指した。

しかし、その途上の田野でついに追手に捕捉され、嫡男の信勝や正室の北条夫人とともに自害した(天目山の戦い)。
享年37。


これによって、450年の歴史を誇る名門・甲斐武田氏は滅亡
勝頼父子の首級は京都に送られ長谷川宗仁によって一条大路の辻で梟首されたという。


この後、織田信長が本能寺にて横死すると甲斐の国は国主不在の状態となった。
甲斐は最終的に徳川家康が領するが、家康は同年7月に勝頼と家臣ら殉死者の菩提を弔うため、田野郷一円を寺領として寄進し、寺院・景徳院を創建している。

家康はこの他にも武田遺臣を保護しているが、それは国主不在となり緊張状態にあった甲斐国における領民懐柔政策でもあったとも指摘される。


尚、田野・景徳院の上流に天目山棲雲寺がある。
この寺院も武田氏所縁の寺で、室町期(1417年)、上杉禅秀の乱(室町時代、関東地方で起こった戦乱で、前関東管領である上杉氏憲(禅秀)が鎌倉公方の足利持氏に対して起した反乱)に加担したとして、室町幕府の討伐を受けた甲斐守・護武田信満(甲斐武田氏の第13代当主)がこの山中で自害したとされる。

信満の遺骸はこの寺に運ばれて葬られたとされ、棲雲寺には信満の宝篋印塔やともに自害した家臣達の五輪塔が存在している。
武田信玄も軍旗・軍配・陣中鏡を同寺に奉納したと伝えられている。

追い詰められた勝頼一行は、一縷の望みを掛けて武田氏ゆかりの地である、この天目山棲雲寺を目指したのであった。

甲斐大和、国道20号線の入口には、「武田家終焉の地・甲斐大和」と大きな看板が立つ。


元より、塩山地域には古寺が多い。
雲峰寺をはじめ鎌倉時代後期には、鎌倉から夢窓疎石を招いて建立した恵林寺や抜隊得勝(ばっすいとくしょう;南北朝時代の高層)が建立した向獄寺、更に慈雲寺放光寺など古刹、名刹があり、何れも武田家所縁の寺院で多くの著名禅僧が入国し、甲斐国における臨済禅の中心地となったとされる。


次回、「上日川峠



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2012年01月25日 | 大菩薩峠紀行
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「人が旅をするのは到着するためではなく、旅をするためである <ゲーテ> 





  大菩薩峠・紀行(6) 「続・雲峰寺」   .





写真;国の重文:雲峰寺本堂



裂石の古刹・雲峰寺は公道に面していて、参道より200段近い高い石段を上ると本堂、書院、庫裏などが建つ。
室町期(戦国期)に武田信虎によって再建され、武田家戦勝祈願寺として歴代領主の帰依が厚く、本堂、仁王門及び庫裡はすべて重要文化財に指定されている。

山号は「裂石山雲峰寺」で、開創は天平17年(745)というから奈良朝時代でありかなり古い。
日本の歴史上初めて朝廷から僧としては最高位の大僧正の位を授かった「行基」(668~749年)が成したといわれている。


寺の縁起によれば、行基菩薩がこの地を訪れたとき霊雲が烈しい光を帯びて当山の上にまたたき、山や谷を大いに震わせた。そして、山中にある高さ15メートル余りの大石がにわかに真二つとなり、巨大な石の裂け目からは萩の大樹が生え、さらには石の上に燦然と十一面観音が出現したといわれている。それを目の当たりにした行基はその萩の木を崇高な心で切取り、十一面観音像を彫って一庵(雲峰寺)に奉祀しを開基したと伝えられている。
裂石や萩原、そして大菩薩という地名の由来はこの名刹からうまれたともいわれる。


甲斐国の府中からみて鬼門にあたるこの寺は、平安後期、甲斐の国を支配するようになった武田氏によって、武運長久の祈願寺として深く崇敬され、禅宗へと転じることとなる。


室町末期の天文年間に入ると火災によって諸堂すべてを消失しましたが、その再興に向けては武田信虎(武田信玄の父)が印判状(押印、認印;現存している)を与えて励ましたという。

又、永禄元年(1558)には武田信玄が武運長久を祈願する文書を納め、再建を果たしている。 
現在の本堂、庫裏、書院、仁王門はこの時期の建立と考えられ、何れも国宝に指定されている。


武田家の家宝もあった日本最古の「日の丸の旗」が残るといい、後令泉天皇から清和源氏源頼義へ下賜され、その後甲斐武田氏に伝わったものとされている。

また、この寺には天正10年(1582)武田勝頼が天目山で自刃したあと、家臣が再興を期してひそかに当寺に納めた「孫子の旗」(有名な風林火山の旗)六旗をはじめ、信玄の護身旗である「諏訪明神旗」、そして「馬印旗」といった武田軍の軍旗が所蔵されているとのこと。


天正十年(1582)には武田勝頼が一族とともに天目山麓の織田信長との合戦に敗れ自刃し、甲斐の名門・武田家は滅亡する。

その折、家臣たちが再興を期して武田家の重宝をひそかに当山へ納めたといわれている。
後令泉天皇から清和源氏の源頼義(陸奥守・鎮守府将軍;平安後期、前九年の役で奥州の安倍氏と戦う)へ下賜された武田家家督相続の証である日本最古の日の丸の御旗や風林火山の孫子の旗など、武田家代々の戦勝祈願の寺としてさまざまな宝物がこの寺に託されたという。 


次回、「武田家滅亡の地




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