「八ヶ岳:越年登山」(7)
明けて5時15分には起床、祝いの雑煮とお屠蘇で心ばかりの祝杯を挙げる。
6時30分を過ぎた頃、真正面に望まれる横岳、赤岳がモルゲンロート(朝焼け)に輝いてきた。 それが次第に、徐々に広がってきて、向かいの秩父の山稜が輝くばかりに染め上がってきた時、初日の御来光が周囲を射差した。
それは真に1970年の幕開けに相応しい、輝きと希望に満ちたものであり、至福のひと時である。 遠方の富士が一際、威厳をもって聳え立っているのが印象的であった。
さて、感激にばかり浸ってはいられない、先の道程も長く険しい。 この先、「八つ」最大の難所と言われる横岳のナイフリッジ状の長い稜線が控えているし、おまけに横長の大型キスリングを背負って踏破しなければならないのである。
昨日這い上がってきた西の壁である地蔵尾根の分岐である地蔵ノ頭を先ず通過する。
ゆるやかな稜線を下った後、岩場の登りが始まる、良く踏み込まれたトレースがしっかりしているので、特に危険は感じられない。 ハシゴを登り、1つ目の小さなピークを東側から巻くように踏み越える。
向かう遠方の北アルプスである「槍・穂高」の峻峰が手に取るようで、その峰々の最北部に白馬の三連山も鮮明である。 槍・穂高はつい最近の昨年の夏、登破しているので思い出深いところでもある。又、今年はあの白馬三山を人気の「大雪渓」から挑戦しようと、既にインプットしているが・・。
上空はあくまでも澄み渡り、白黒のまだら模様の岩塊とは対象的に、濃紺という黒に近い大空が広がっているのである。それに、全く幸いなのがこの狭い稜線上で風を全く感じないのである。
思い起こすと、小生が未だ山の味を覚えたての頃、「丹沢」や「谷川岳」以外の3千m級の山を始めて挑戦したのがこの「八つ岳」であった。 あの時、赤岳南方の権現小屋で大阪の女性達と意気投合し、苦楽を共にしながらこの赤岳から横岳の稜線尾根を夢中で踏破したのを、つい先刻のように鮮明に覚えている。
「八ヶ岳・1966」 http://www.geocities.jp/orimasa2001/yatu1966-1.htm
それは3年前の夏のことであった。
今は山の様相は全く違った白銀の世界であるが、山の姿そのものは変わることはない。
横岳の岩場は二十三夜峰、日の岳、鉾岳、石尊峰、三叉峰、奥の院(主峰)などと特異な名称が並ぶ。
二十三夜峰と呼ばれる直立した岩峰の辺りからが稜線の核心部でもあり、横岳への岩峰群の道となる。
基本的に危険な岩場には、例に拠って各種の安全装置・・?が設置されているので安心ではあるが、赤岳の下りでも経験積みで恐いのは急斜面の下降であろう、谷底へ持っていかれないように充分な注意が必要である。
高度感にも多少慣れたとはいえ、ピッケル、アイゼンを確実に利かせて注意して歩かなければいけない。
「カニの横這い」という奇妙な名前も現れた。実は、この後の「立山・剣山」をやったときにも急峻な岩場に同様の名称があったのだが・・。
ハシゴ、クサリと岩場のアップダウンが連続する。
日ノ出岳と鉾岳の鞍部あたりはセッピ(せっぴ・雪庇:山の稜線の風下側に庇ヒサシのように突出した雪の吹溜り。崩れ落ちて雪崩の原因となる)が大きく張り出している。雪崩れないか、滑落しないか、雪質を充分に確かめる、 幸いその兆候はないようだ・・。
大権現の石碑のあるピークを過ぎ、ケルンの積まれた三叉峰を巻いていく。 ここは杣添尾根への分岐にもなっていて、その山稜が大きく裾野へ延ばしている。 そのすぐ隣には「県界尾根」が同様に枝脈を延ばしている。
鉱泉小屋からの眺めでもお馴染みであったが・・、横岳の主峰・奥の院からの大同心の巨大な岩峰が、稜線より離れて斜めに突き出したように異彩を放っている。
振り返ると赤岳がピラミダルの如くどっしりと構えて実に素晴らしい!
横岳(奥ノ院)の前後の急登の岩場も、クサリでさほど緊張せずに通過する。
硫黄岳付近より見る「赤岳と阿弥陀岳」
横岳の岩場もここまで来るといよいよ終盤である。 台座ノ頭からは硫黄岳が雄大に見え、その向こうは「北八ヶ岳」のなだらかな山並みが身近に見え出した。
足下には硫黄岳の「大ダルミ」が広がり、振り返ると赤岳、阿弥陀岳、その間に権現岳が顔を覗かせていて、まるで山岳シネラマを見ているようである。
相変わらず上空は一点の雲もなく、白の世界と空の青さのコントラストが実にいい。 谷から引き上げてくる刺すような寒風はあるが、とくに気にするほどではない・・。
さて、いよいよ最後の下りにかかった。
硫黄岳手前の広い登山道にはケルンが一定間隔に作られており、吹雪や見通しの悪いときなどは有り難い目印になる。
それにしても冬山には可憐な高山植物などは見ることがないが、この辺りは本来は華麗なお花畑が一面に広がっている処でもある。
途中に、『取るは一瞬、育つは風雪百年』の指標が半分雪に埋もれて立っていたのを思い出した。
間もなく硫黄岳山荘に到着しする、山荘は半ば雪に埋もれるように在った。殆ど休息を取らず、無我夢中で踏破してきた後の大休止であつた。
本日の行動予定は、この後「硫黄岳」をやって、赤岩の頭からは鉱泉小屋まで下り、そのまま家路に着く予定である。 時間は充分にあった。
長い休息の後、その硫黄岳へ向かった。
気持ちの良い稜線歩きであるが、あまりのダダッ広いため吹雪や霧に巻かれると危険な箇所でもある。今は全くそのような心配はないが・・。
あっと言う間に山頂に着いた。
なだらかな広い山頂には大きなケルンがあり、標識には「硫黄岳標高 2760m」とあった。
峻険な赤岳や破天荒な横岳が男性的とすれば、硫黄岳の山頂の優しさはさしずめ女性的とでも云えようか・・?。
しかし、この女性的な硫黄岳には隠された激しい面が有ったのだ・・!!
硫黄岳より横岳稜線、正面三角岩は「大同心」
硫黄岳より北部、「北八ヶ岳」方面と蓼科山
ご存知・・?、側面に巨大な爆裂火口をもつ広大な硫黄岳は、南八ヶ岳の中でもひときわ個性的な山でもある。
因みに、八ヶ岳連峰は、大昔(おそらく数万年以上前)は一つの巨大な火山であったらしい。
「八ヶ岳」を西側の、又は東側の遠くから眺めると、裾野はきれいな円錐形をしているが、上部は吹き飛んで抉られたように不規則な形をしているのが判る。
すそ野の大きさから推測すると、富士山よりもかなり大きくて高い火山で、それが或る時、強烈な爆発性の噴火によって山全体が吹き飛んで、現在のような多くの山頂を持つ連峰としての形になったといわれる。 現在は、その名の通り「八ヶ岳」という名称になっている。
硫黄岳の山頂側面には、その時の名残である爆裂火口の一部を見ることができるのである。
「山の想いは尽きない・・」であるが時は待ってくれない、この感激を胸に収めて、いそいそと山頂を後にする。
「八ッ」の主峰や峰々に見送られながら一路、赤岩の頭から赤岳鉱泉を目指し、下山の帰路についた。
「終り」