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織内将男の山旅の記録

若かりし頃よりの山旅の記録です・・!!

尾瀬紀行(54)尾瀬の自然 「オーバーユース」

2011年08月16日 | 尾瀬
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 尾瀬紀行(54)尾瀬の自然 「オーバーユース」   .





尾瀬マップ(クリック2段階拡大  このマップは”尾瀬を非常に愛する「幕営専科」”より拝借しております。 感謝・・!!)
幕営専科」; http://qga02666.web.infoseek.co.jp/index.html
(但し、このHPは2012年5月で停止するそうです)



登山者、観光客による「オーバーユース」という考え方

オーバーユース“とは、日本語にすると過剰利用、利用し過ぎ、つまり、山や自然公園などで利用者が集中し、さまざまな悪影響が出ている状態ということになる。

悪影響とは、自然生態系に対する影響や利用者自身に対する影響など。
前者は、踏みつけによる植生破壊や土壌の浸食、裸地化、し尿処理や、ゴミ投棄などが問題とされ、後者は、混雑し過ぎて自然にシタルことができない、山を楽しめないといった、利用者の心理的な影響のこと。


特に尾瀬に場合、直近まで交通機関が乗り入れていて、普通の観光客でも容易に入山することが出来る。
従って、訪れる人の多さも含めて、自然に対する無知、更にはマナーや心遣いが欠落している人も多いようだ。

これらを解決する手段として一般的には、
①施設整備、
②マナーの向上、
③利用者数のコントロール、
その他の管理、調整など


尾瀬の場合、ミズバショウが盛りのころや連休前後に利用が一時期に集中すると、ゴミやし尿が施設の処理能力を超え、自然へのインパクトが大きくなることも指摘されている。
この集中が、登山道外の踏み込みを助長し、し尿やゴミ処理の問題も引きをこしているといってもいい。

更に、人々が大勢で集中すると、施設の面でも特別に策を講じなければならない。 

実際に尾瀬では、登山道をはみ出さないようにロープを張ったり、柵を作ったり、木製の階段を設置したり、湿原やぬかるんだ場所では木道の整備をしたりといった対策を行なわれている。

又、土壌の著しい浸食に対しては、土木工事も含む土留め柵の設置や、高山植物の播種による植生回復が行なわれているのが現状である。
このように尾瀬ガ原では施設を整えることによって、湿原に入り込むような人は減ったとされる。


しかし、まだまだこの「マナーの向上」が必要とされる。

厳守すべきは、登山道をはずれないこと。 
これは歩行者との安全性(歩きにくくて極端に時間がかかってしまうことも含めて)との兼ね合いにもなるが、つづらおりの道で近道造作をしないことや、迂回しないこと、つまり道が悪くても迂回して歩かないこと。

又、高山植物の写真を撮るからといって登山道をはずれるのも厳禁で、足もとの植物を踏むことが、お目当ての花が消えていく第一歩となるのだ。


このように入山客がどうしても集中する場合、入山規制というのが必要になってくる。 
しかし、観光客や登山者の数を実際に制限することは、周辺事情もあって難しいとされる。 

一つの方策として「マイカー規制」があるが、これは若干ではあるが利用者を減らすねらいもあるが、しかし、それ自体が目的ではなく、利用者集中の軽減や自動車の排気ガスによる環境破壊を防止するためが多いようだ。

それでも尾瀬では特に週末にきびしい規制を行ない、平日の利用を促進させるようなシステムを取り入れているともいう。


何れにしても山(尾瀬)をどう守り、いかに楽しむのかは、今、我々はこうしたことを真剣に向き合って、考えなければならない時代に生きているともいえる。

(「尾瀬保護財団」 http://www.oze-fnd.or.jp/  他 資料参照)


【終】




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尾瀬紀行(53)尾瀬の自然 「尾瀬の価値」

2011年08月11日 | 尾瀬
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尾瀬紀行(53)尾瀬の自然 「尾瀬の価値」 ,




初夏の尾瀬ヶ原の木道と至仏山



因みに、この尾瀬最大の特徴である木道は、山地、峡谷以外の所謂、湿原、平地部分にはほぼ全域にわたって整備され敷かれていて、木道以外の場所を歩けないようにしてある。

当初の木道の目的は登山者の為のもので、湿原の泥濘(ぬかるみ)から身を守るためのものであったらしい。 
だが、当初は単線の木道しか設置されていなかったために行き違いが出来ず、湿原に降りた多くの登山者により踏み荒らされることが多かった。 
これを契機に、尾瀬のほぼ全領域に亘って計画的に複線の木道が整備されるようになった。

現在では木道の目的は湿原を登山者の踏みつけから守るものへと変化している。 
なお、
複線部分の木道は基本的には右側通行となっている。


木道の材料は尾瀬周辺の林で伐採した木材が利用されていたが、尾瀬地域が特別天然記念物に指定されたことによって、その後は地域外の木材をヘリコプターなどで搬入して利用しているらしい。
最近の木道はカラマツ材が使われることが多く、この木材は樹脂分が多く、湿原の水分にも簡単には浸されず比較的長持ちするといわれる。 
それでも10年前後で腐食がすすみ更新が必要であるため、計画的に改新工事が尾瀬の各所で行われているのが通常である。



古代の尾瀬は、現在の尾瀬ヶ原をすっぽりと埋まるような「古尾瀬ヶ原湖」という水深200メートル以上もある巨大な湖が形成されていたという説もある。 
尤も、その後の調査からは直接そのような証拠は発見されていないともいわれるが・・?。
今のところ確かなのは、尾瀬ヶ原の東半分程度が水没していた浅い湖が1万6千年年前頃まであったということで、現在の尾瀬沼の約4倍程の面積であるとされている。
いずれにしても尾瀬ヶ原も尾瀬沼同様の一湖水であったらしい。 

其の後、周囲の山々からの土砂、火山灰が流入し、そこへミヅゴゲ、其の他湿原植物群の堆積が進んで底部に次第に泥炭層を作りながら、現在の大湿原と化したものという。

尾瀬ヶ原の泥炭層の厚さは、ボーリング調査などから見て4.5メートル以上あるらしいが、おそらく5メートルを超えるところもあるという。

尾瀬の泥炭の堆積速度は、堆積した時代の気候、泥炭をつくる植物、分解度などによって異なるが、およそ1年間に0.7~0.8ミリメートルと考えられている。 
従って、湿原への「踏み込み」などにより1センチ陥没した場合、その回復には単純計算でも10年以上の歳月が必要になるとされる。




尾瀬は「国立公園」になっている。
本州最大の湿原を持つ尾瀬は、その他にもオオシラビソ林や山地湿原など優れた自然環境を有する会津駒ヶ岳と田代山・帝釈山の周辺地域を新たな国立公園区域として編入し、平成19年(2007年)8月30日、日光国立公園から独立して新たな一つの国立公園、「尾瀬国立公園」として指定された。

更に、尾瀬は学術的価値も高く、その保存が厳しく義務づけられているため「特別天然記念物」に指定されている。

又、尾瀬は湿原生態系としての価値が評価され、2005年11月に「ラムサール条約湿地」として登録されている。
ラムサール条約は正式な名称が「 特に水鳥の生息地として国際的に重要な湿地に関する条約 」とあるように、複数の湿地を移動する渡り鳥などの生き物や、その生態系を国際的に守るために作られたものである。


自然の造詣は永い間の時間の蓄積によってつくられたもので、わずかな変化でも、その影響は全体に及んでしまう。 
 
尾瀬」の現状を少しでも変化してしまっては、元へ戻すには更なる時間を要するか回復、復元が不能になってしまうのであり、そればかりか一つの変化は広範囲に波及して広がり、再び元へは戻らない。
環境を保護するとは、ただ一つ、”現状をこのままの状態で維持する”ことが絶対必要条件なのである。

次回、尾瀬の「オーバーユース




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尾瀬紀行(52)尾瀬の自然 「自然遺産」

2011年08月06日 | 尾瀬


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 尾瀬紀行(52)尾瀬の自然 「自然遺産」  .




初夏の尾瀬;尾瀬沼と燧ケ岳




尾瀬は自然保護の聖地である・・!

この聖地に初夏から晩秋にかけて年間数10万人の人々が訪れる。
初夏の白いミズバショウや夏の黄色のニッコウキスゲの花、秋の草もみじや紅葉の美しさに酔うのが尾瀬ヶ原の散策である。

燧ケ岳や至仏山に登って周囲を眺めると谷川岳・日光白根山・男体山などの山々や、関東平野から秩父連山、遠く富士山の眺望を楽しむこともできる。

このような秀麗な尾瀬は地元・群馬、福島、新潟県民にとっては「おらがの地の財産」と言って鼻が高いには違いないけど、これらの地は「日本の宝」でもある。


群馬・福島・新潟の3県知事が集まって「尾瀬サミット」という尾瀬の環境保護などをテーマにした会議が有るらしいが、これはあくまでも地方版ニュースのレベルで、なかなか全国的に広く情報発信ができていないのが現状らしい。

屋久島や白神山地みたいに、世界自然遺産にでもなれば、また違ったイメージになるのでは・・?。



 では、尾瀬の世界遺産の可能性は・・??  、 

尾瀬は今のところ世界遺産には指定されていない。
2,005年に知床が自然遺産として登録が決定しましたとき、候補地を選定する国内委員会(平成15年5月)では、検討地域として尾瀬を含む奥日光や奥只見が一覧にあがったようだが、会議の結果、登録可能性のある地域にも残らなかったらしい。

今後、国内の推薦候補地として選定の可能性があるとすれば、尾瀬単独ではなく周辺地域の貴重な自然である奥日光や奥只見地域であるともされている。
いずれにしても、「尾瀬」は世界遺産の候補地として、今後も検討されていくのは確かであろう。



自然に関心のある多くの人で、「尾瀬」を知らない人は少ないと思う。 

「 夏がくれば思い出す はるかな尾瀬 野の小道 」とか「 ミズバショウの花が咲いている 」という歌詞は、尾瀬そのものを唄った歌で「夏の思い出」というメロディーであり、時期になると自然と耳に入るので記憶にも残っているのは周知である。


だが、GW(ゴールデンウイーク)の頃の尾瀬は、未だ一面雪、雪、雪、残り雪の世界であり、木々は灰色を帯びていて所謂、冬眠、無季節、モノトーンの世界である。  
一面雪の尾瀬は、木道や地面は1~2メートルも足下に積もった雪の中である。
従って、湿原や尾瀬ヶ原を実際に歩く場合、この時ばかりは何処をどう歩いたって問題なし。 
又、尾瀬沼はGWの頃は氷も緩んで湖面を歩くことは出来ないが、厳冬期の頃は結氷した湖面を遊覧又は縦断することが出来る。
尤も、こんな雪の時期に尾瀬にくる人は、余程の山好きか経験者に限られているかもしれない。  
ただ、GWの頃の水温み雪が溶け出す頃は天候も比較的安定し、素人でも安全に雪山気分を堪能できるのである。


一方、半年以上を3~5メートルもの積雪に閉ざされる尾瀬の自然の中で、植物の多くは5月中旬から10月中旬ごろまでの約5ヶ月間に凝縮された短い春・夏・秋の間に、芽を吹き、花を咲かせ、実をつける。

入山者の目を楽しませてくれる色とりどりの花々は、厳しくも豊かな尾瀬の自然が見せる最大の特徴で、高山植物の宝庫として現在、生育が確認されている高等植物だけでも900種類を超えるという。

植物の種類や希少種の多さだけでなく、動植物やそれらをとりまく地形的、気候的環境も含む生態系そのものが、学術的にも、自然の素晴らしさを伝えてくれる場所としても貴重である。

ただ、ミズバショウや紅葉の季節の観光シーズンの尾瀬は、植物保護のため整備された狭い木道を歩かねばならず、幅は其々30センチ片側通行でピーク時には、これが大渋滞になる。 
しかし、どんなに渋滞しても、狭い木道以外を歩くことなどできないのが「尾瀬」である。


次回、 「尾瀬の価値




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尾瀬紀行(51)尾瀬ヶ原 「白砂峠」

2011年08月05日 | 尾瀬
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 尾瀬紀行(51)尾瀬ヶ原 「白砂峠」  .



白砂峠への道



未だ雪をかぶった「白砂湿原」



ヨウヨウにして「白砂峠」に到着したようだ。 
それにしても、峠は鬱蒼と生い茂る樹林帯に囲まれて展望は利かず、予想したより殺風景なところで、峠という一種華やかさは無い。

当然ながら白砂峠の標識板があるはずなのだが、まだ雪の下なのであろうか・・?。
この辺り未だかなりの残雪があるらしく、近くの木の幹を見ても、周りの雪の量が1m以上あるようだ。


白砂乗越(白砂峠)は通称・尾瀬沼林道ともいって、尾瀬ヶ原と尾瀬沼を結ぶ連絡路で、大した峠ではなさそうであるが、以外と高低差が激しく、峠の周囲は荒れていて、ハイカーが単純な気持ちで入り込むと予想外の難渋を強いられるところでもある。 
それに、現在の小生のように、疲れた足には相当に堪えるところでもある。


辺鄙な峠を過ぎると、一旦、急な下りとなる。
先方、木々の間から真っ白な平原・白砂湿原(田代)らしいのが見えていて、そこを目標に下っていくと、間もなくダラダラの下りとなる。

15分ほど峠を下っていくと、突然視界が開け、広い湿原らしいのが現れる。 
そして、その中を雪道がほぼ一直線に遠くの林の中に消えていっている。


白砂湿原」にたどりつくと一面の残雪なのだが、なぜか峠から湿原に降りたところの右手の部分だけ雪が解けている。 
深さは1m以上ありそうで、湧き水でもあるのだろうか。

湿原の中央付近には例によって標識があり「左 尾瀬ヶ原(見晴)3.7km、右 尾瀬沼(沼尻)0.9km」とあった。  
尾瀬沼900mというのは、気持ちの上でもホッとさせられる。
二カ所に休憩場所のベンチもあり、その湿原の名前は「白砂田代」としてあった。


右手のベンチ&テラスを見送ると、木道の左右に雪をかぶった池塘も見られ、白砂田代は360度森に囲まれた美しい湿原である。
左手にある二つ目のベンチ&テラス付近には、尾瀬の湿原では珍しい剥き出しの岩が見えている。

先に進むとオオシラビソとシャクナゲなどが多い疎林となり、その先が白砂川でアヤメ橋(白砂橋)が架かっている。
その後は緩い坂を上って行き、深い森の中を通って行くが、現在のように深雪期にはコースを誤り易い箇所で注意が必要であろう。

無論、無雪期には木道が敷かれていることだろうが、融雪が進み、雪が薄くなって木道周辺が見え出すと、残った雪を踏み抜いて転倒したり、靴底に雪がついた状態で木道上を歩いて滑ってしまう事故がかなりでるらしい。 
雪の残る場所では、木道のルートを注意、確認しつつ、頻繁に靴底の雪を落しながら、ゆっくり歩くことが肝心であろう。


林を抜けると再び湿原がでてきて、こちらは既に尾瀬沼から広がる沼尻平である。
分かれ道があり、尾瀬沼の北岸と南岸を行く分岐点でもある。

小生、このまま大清水への帰路をとるならば、南岸は距離的には近いのであるが、体力面、時間面を考えて長蔵小屋へ宿をとるため、北路を行くことにする。

昨日通り過ぎた沼尻休憩所も目の前である。
懐かしいナデックボの燧ヶ岳登山口との分岐点もあり、ビジターセンター(長蔵小屋)まで2.7kmとあった。
これより更に1時間の距離であった。

足跡を残した「尾瀬紀行」についてはここで筆を置くが、更に「尾瀬の自然」について追筆しました。


次回、「尾瀬の自然




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尾瀬紀行(50)尾瀬ヶ原 「段小屋坂」

2011年08月04日 | 尾瀬
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 尾瀬紀行(50)尾瀬ヶ原 「段小屋坂」    ,






「見晴十字路」から段小屋坂へ向かうと直ぐに、燧ケ岳への分岐標識が雪に埋まっていた。




尾瀬沼方面は、尾瀬ヶ原を背にして見晴銀座を通り抜けるようになる。 

左に第二長蔵小屋、右に原の小屋を見て進むと、そこから尾瀬沼・燧ヶ岳に続く尾瀬ヶ原林道が延びている。
弥四郎小屋は既に開業しているらしいが、周囲の山小屋はいまだ閑散としていて雪に閉ざされているようである。 
銀座と名前が付いているように、シーズンともなるとハイカーの人々で大賑わいのところであろうが、今は開山前の五月の初旬、登山客も疎らで無料休憩所にも人気は無かった。


峠へ向かって歩き始めるとすぐにブナの巨木やシラビソやトウヒが囲む樹林帯に入り、眺望のない単調な山歩きになる。
やがて、前方左手に燧ヶ岳:柴安グラに続く見晴新道への分岐現れた。 

雪に埋もれた標識には、「 見晴・0.6、燧ケ岳・3.5、そして尾瀬沼・6.5km 」と記されている。 

待てよ・・? 、

尾瀬沼のどの辺りが6.5kmかは疑問であるが、地図を眺めても沼尻までは概ね3kmあたりなので、きっと長蔵小屋付近を指しているのであろう。 

チョット紛らわしい・・!。



燧ケ岳へのこのルートは、小生が昨日登った「ナデッ窪」ルートの西側に当たり、距離的には此方のほうがやや長く、登行時間も3時間はかかるであろう。
小生は当然ながら、右方向である尾瀬沼への進路を取る。

そばに立つ看板には、「燧ヶ岳への登山は午前8時までに」と書いてある。 
登山は早立早着が原則であるが、特に、この燧ケ岳山中には山小屋はおろか、避難所すらないので納得である。


暫くは、ゆるい登り坂であるが、次第に山様が変化してきたところで、そしてイヨドマリ沢を渡る。 

沢の水流のすぐ上を木道が架けられていて、大雨の時には濁流で木道が水の中に沈む時もあるらしい。
それでもイヨドマリ沢は、普段は穏やかな流れの清流であろうが、今は五月の融雪期とあって轟々と流れ落ちている。 

そして、すぐ右を流れる本流・「沼尻川」へと合流する。 
何でもこの沢は、急流で魚が登って来られなくなるので、魚止まり沢との呼び名であったらしいが、それが訛って付けられたそうだ。

左側の斜面の何箇所から湧き水・沢水が流れていて、休憩や給水するには都合の良いところでもあろう。 
この付近からの至仏山の展望には感激ものである。


イヨドマリ沢を過ぎると、コースは南向きの片斜面となる。
雪のないときは別に問題はないようだが、雪の急斜面を横切っていかなければならず、枝につかまりながらの一歩一歩足元を確かめて進む。 

以外と急斜面のところもあり、慎重に歩いていくため夏場よりもかなり時間がかかりそうである。
このルートは尾瀬ヶ原林道とも言うらしいが、通称、段小屋坂ルートと言われるところで、最高点の白砂峠を目指すのである。 
尾瀬沼までは概ね、1時間半の道中のようである。


昨日、今日と体力を使い果たしている身体には、この峠までの上りは最後の試練であり、相当に応えるところでもある。 
おまけに、奥へ入るに従って倒木や大石、大岩がゴロゴロ露出した悪路で、歩きにくいところでもある。


小さなアップダウンを繰り返しながら高度を上げて行き、やがて急な斜面を登るようになる。更に一旦、コースは下り気味になるが、再び、雪をかぶった岩だらけの急坂になる。

それにしても、尾瀬ヶ原と尾瀬沼の標高差(1660-1400=260m)には恨みを感じるほどである。


じっくり、じっくり、一歩一歩登って行くと、どうやら左手に白砂峠の看板が見えてきた。 最後の急な登りが終わると、このコースの最高点:白砂峠もすぐそこである。
白砂峠の標高は1,680mあり、出発点の見晴(標高:1,400m)からは280mを登ってきたことになる。


次回、 「白砂峠




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