織内将男の山旅の記録

若かりし頃よりの山旅の記録です・・!!

南ア・鳳凰三山紀行(17) 「鳳凰三山・入山」

2012年05月31日 | 南ア・鳳凰三山紀行





南ア・鳳凰三山紀行(17) 「鳳凰三山・入山」 .




地蔵岳とオベリスク(クリック大)



早速、彼とお膳を囲んだ。
酒好き、どちらかというと飲兵衛の両人である。
久しぶりに逢った彼であり、酒を酌み交わしながら話もはずむ。

『 山好きに 飲兵衛ありき また楽し 』 

酒を追加し、出来あえの料理を追加注文して、更に山の談議をしながら夜は更けてゆく。
それでも、まだまだやりたいところだが、明日のハードなスケデュールがあるので、仕方なくお開きにした。


翌朝、薄日が指すも朝もやの中で目が覚めた。
昨夜のアルコールが十分消化されないで、頭の隅にまだ残っている状態であり、そんな気だるい体調ではあるが、イソイソと準備を整えて何とか出発の運びとなった。

登山道は、御座石鉱泉の玄関に向かって建物の右側を通り抜けて行く、ちょっと通り難い登山道入り口となっている。
登山道はいきなり急登 で、しばらく眺望のない登山道を黙々と高度を上げて行く。

急な登りが乗っけから始まっていて、未だ体調が整わない中苦しい上りがいきなり始まる。
程なく行くとやや平坦なところへ出た。
西の平と小さな案内板が立っていて、ここは右からのつまり石空川渓谷からの合流、分岐点でもある。
左下方には、昨日訪れた「白樺林」の鮮やかな様相が目に飛び込んでくる。


さて、これからが本格的な急登の連続であり、標高差にして約1000mはあるだろう。
大型キスリング両肩に食い込み、両腕がジーンと痺れてくる感覚である。
しかし、道は大勢の登山客が歩いているらしく、よく整備されていて比較的歩きやすい。
ステップを確実に一歩一歩進める。


続く・・、




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南ア・鳳凰三山紀行(16) 「御座石金山」

2012年05月30日 | 南ア・鳳凰三山紀行
.




南ア・鳳凰三山紀行(16) 「御座石金山」



ところで、山梨県には黒川金山(大菩薩の北部山域)など、山中所々に金山遺跡が見受けられる。

江戸時代に編纂された地誌や今に伝わる伝承を含め、武田信玄による隠し金山と呼ばれる金山が幾つもあったと伝えられている。
それらの中で、塩山市北方の「黒川金山」と身延町(旧下部町)の「湯之奥金山」などが有名であるが、それらの一つに、余り知られていないが「御座石金山」があったという。


ただ、御座石金山に関しては余り文書などの資料は残されてなく、その存在はベールに包まれているともいう。
鳳凰三山の玄関口にあたる御座石鉱泉近くには、古い坑道やその周辺からは含金(?)黒鉱鉱石を採集できるという。

「御座石鉱泉」の人の話では、近くに製煉所跡も残っているようですので改めて、探索する価値もあると言われる。



「御座石鉱泉」前を流れる小武川(こむかわ)を上流に向かうと、堀跡とみられるガレ場があり、その近くに古い坑道が残っている。

「山梨県地質誌」によれば、御座石鉱山は、御坂層群の黒鉱式鉱床および鉱脈とされ、黄鉄鉱、黄銅鉱、閃亜鉛鉱、方鉛鉱、重晶石を含むとされている。

黒鉱に伴う「金」は山梨県の金山では他に例を見ないユニークな存在で、坑道の入口付近やガレ場にには、鉄錆に覆われた部分や石英脈が走る部分がありその近傍に、真っ黒い黒鉱が眠っているという。

黒鉱とは、日本に特産する銅・亜鉛・鉛などの原料となる暗灰色の緻密な鉱石のことで、黄鉄鉱・黄銅鉱・四面銅鉱・重晶石・石膏などから成り、多少の金・銀を含む。



「御座石鉱泉」の玄関には、御座石鉱山の一部に緑青(ろくしょう;銅の表面に生ずる緑色の錆)を吹いた握りこぶし大のカラミ(鉱滓)が置いてある。

鉱泉の人の話では、昭和21年ごろまで鉱山は採掘しており、カラミ(すらぐ;鉱石を溶錬する際に生ずる、金属分をとった残り滓カス)があちこちの製煉所跡に落ちているとのこと。
古い時代のものは、製煉技術が発達していなかったので、金属分がカラミに含まれ、手に持つと重く感じるとのことであった。



尚、金山経営というのは、新田開発とともに戦国大名の軍事行動の基盤となる富国強兵政策であった。

甲斐の国においても最盛期を迎えていたと言われる大菩薩嶺の黒川金山(旧塩山市鶏冠山、現甲州市)や西八代郡の湯之奥金山や中山金山、南巨摩郡の保金山、それに北巨摩郡の御座石金山などに代表される。

これら本国(甲斐の国)の金山に加え、諏訪郡の金鶏金山や駿河の富士金山や安倍金山など直轄領の拡大で接収された他国の金山でも産出され、武田晴信(信玄)時代の対外的軍事行動を支えた。

しかし、甲斐の国の衰退、特に次代の勝頼時代の衰退とともに金鉱も衰えたといわれるが、それらの事実根拠を関係付ける論説も存在するとされる。






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南ア・鳳凰三山紀行(16) 「御座石金山」

2012年05月30日 | 南ア・鳳凰三山紀行
.




南ア・鳳凰三山紀行(16) 「御座石金山」



ところで、山梨県には黒川金山(大菩薩の北部山域)など、山中所々に金山遺跡が見受けられる。

江戸時代に編纂された地誌や今に伝わる伝承を含め、武田信玄による隠し金山と呼ばれる金山が幾つもあったと伝えられている。
それらの中で、塩山市北方の「黒川金山」と身延町(旧下部町)の「湯之奥金山」などが有名であるが、それらの一つに、余り知られていないが「御座石金山」があったという。


ただ、御座石金山に関しては余り文書などの資料は残されてなく、その存在はベールに包まれているともいう。
鳳凰三山の玄関口にあたる御座石鉱泉近くには、古い坑道やその周辺からは含金(?)黒鉱鉱石を採集できるという。

「御座石鉱泉」の人の話では、近くに製煉所跡も残っているようですので改めて、探索する価値もあると言われる。



「御座石鉱泉」前を流れる小武川(こむかわ)を上流に向かうと、堀跡とみられるガレ場があり、その近くに古い坑道が残っている。

「山梨県地質誌」によれば、御座石鉱山は、御坂層群の黒鉱式鉱床および鉱脈とされ、黄鉄鉱、黄銅鉱、閃亜鉛鉱、方鉛鉱、重晶石を含むとされている。

黒鉱に伴う「金」は山梨県の金山では他に例を見ないユニークな存在で、坑道の入口付近やガレ場にには、鉄錆に覆われた部分や石英脈が走る部分がありその近傍に、真っ黒い黒鉱が眠っているという。

黒鉱とは、日本に特産する銅・亜鉛・鉛などの原料となる暗灰色の緻密な鉱石のことで、黄鉄鉱・黄銅鉱・四面銅鉱・重晶石・石膏などから成り、多少の金・銀を含む。



「御座石鉱泉」の玄関には、御座石鉱山の一部に緑青(ろくしょう;銅の表面に生ずる緑色の錆)を吹いた握りこぶし大のカラミ(鉱滓)が置いてある。

鉱泉の人の話では、昭和21年ごろまで鉱山は採掘しており、カラミ(すらぐ;鉱石を溶錬する際に生ずる、金属分をとった残り滓カス)があちこちの製煉所跡に落ちているとのこと。
古い時代のものは、製煉技術が発達していなかったので、金属分がカラミに含まれ、手に持つと重く感じるとのことであった。



尚、金山経営というのは、新田開発とともに戦国大名の軍事行動の基盤となる富国強兵政策であった。

甲斐の国においても最盛期を迎えていたと言われる大菩薩嶺の黒川金山(旧塩山市鶏冠山、現甲州市)や西八代郡の湯之奥金山や中山金山、南巨摩郡の保金山、それに北巨摩郡の御座石金山などに代表される。

これら本国(甲斐の国)の金山に加え、諏訪郡の金鶏金山や駿河の富士金山や安倍金山など直轄領の拡大で接収された他国の金山でも産出され、武田晴信(信玄)時代の対外的軍事行動を支えた。

しかし、甲斐の国の衰退、特に次代の勝頼時代の衰退とともに金鉱も衰えたといわれるが、それらの事実根拠を関係付ける論説も存在するとされる。






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南ア・鳳凰三山紀行(15) 「御座石の由来」

2012年05月26日 | 南ア・鳳凰三山紀行
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南ア・鳳凰三山紀行(15) 「御座石の由来」 .




御座石鉱泉


鳳凰三山は、主峰三峰に地蔵・観音・薬師の名があるように古くから信仰の山で、弘法大師開山の伝説もあるという。

江戸時代には頂上に鳳凰山権現(鳳凰山大神とも)の石祠が祀られ、信仰登山としての道程は北麓の武川村から石空川沿いに登ったとされている。


旧暦の八・九月が登拝期間とされ、参詣目的は主に雨乞いのためといわれ、参詣者は途中石空川にかかる精進ヶ滝で沐浴潔斎したという。

また六・七月に登山する者がいると権現の怒りによって天候不順を招き、秋の実りに災いが生じるとされていたらしい。


かつて同地域は水利に乏しく畑作が主で、小さな池を掘ってわずかな水を確保していた。
しかし、水不足に常に悩まされていた茅ヶ岳西麓の人々が年々雨乞いのため鳳凰山に登山したともいう。



韮崎市の御座石温泉は北側から縦走する場合の登山口の一で、温泉名は周辺が古く御座石山と称されたことに由来する。

孝謙天皇が座った石を御座石と称したことから名付けられた山名という



ここは、鳳凰三山(地蔵岳、観音岳、薬師岳)の玄関口になっていて、「御座石鉱泉」のパンフレットには、鳳凰山と御座石鉱泉にまつわる伝承が次の様に記されている。

『奈良朝46代孝謙天皇は帝位退位後、奈良法皇と称せられ仏門に入られ、この近くの山に修行遊ばされた。ここから法皇(鳳凰)山と呼ぶようになった。 修行の折、御座した場所から霊験あらたかな鉱泉が湧き出で、ここを 御座石鉱泉と呼ぶようになった。』



次回、 「御座石金山・・?」





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南ア・鳳凰三山紀行(14) 「鳳凰山の名称」

2012年05月25日 | 南ア・鳳凰三山紀行
.




 南ア・鳳凰三山紀行(14) 「鳳凰山の名称」  .



鳳凰山には三つの考え方があるとされる。

(1) 地蔵仏ピークを鳳凰山とし、別に地蔵、観音、薬師があるとする鳳凰一山説
(2) 地蔵仏ピークが地蔵ケ岳で、南の2つのピークを鳳凰山とする鳳凰二山説
(3) 地蔵、観音、薬師を総称する鳳凰三山説である。

陸軍・陸地測量部が最高峰の2,840メートルに二等三角点を設置したのは1902(明治35)年で、ここを観音岳とした。
今西錦司(日本の生態学者、文化人類学者、登山家)は、こうした陸地測量部の混乱がそのまま受け継がれ、鳳凰三山説が定着していったと主張した。

近年では、新たな文献や絵図の発見などで一山説が優位になっているという。
しかし三山説があまりにも定着してしまい、山梨百名山を選んだ選定委員会達は、なじみのある鳳凰三山の呼称に準拠しつつも、「鳳凰山」をも大切にした、と曖昧な見解も出している。

「ほうおう」の呼び方は、奈良田に下ってきた孝謙天皇に因み「法王」「法皇」が語源とする説があるが、これは伝説。地蔵仏をくちばし、山稜を羽を広げた鳥に見立てたことや、仏教上の考えから「おおとり」、「鳳凰」になったとする説が有力だとする。


ところで鳳凰とは、古来中国で麒麟、亀、竜と共に四瑞(したん;孟子の教えによる仁・義・礼・智の意味)として尊ばれた想像上の鳥。声は五音にあたり、梧桐に宿り、竹実を食い、醴泉を飲むといい、聖徳の天子の兆として現れると伝え、雄を鳳、雌を凰という。鳳鳥、凰鳥。

長年この山名論争にかかわってきた地元・白鳳会顧問の山寺氏は「さまよえる鳳凰山」という論文を書いている。

『 鳳凰山はさまよっているなと思う。山名がさまよい歩く山。これこそ鳳凰山という名山が名山たる由縁であろう 』と


地蔵ヶ岳の山頂部は地蔵仏(地蔵岳オベリスク)と呼ばれる巨大な尖塔があり、大鳥の嘴(くちばし)に満たれられることから鳳凰の山名由来になっていると考えられている。

地蔵仏はこの山域の象徴的存在で甲府盆地からでもその姿を見ることができる地蔵岳山頂の2個の巨石が相抱くように付き上がっていることから、故人がこれを大日如来に擬して崇拝し鳳凰山の名が付いたことが山名の由来であるとする説もある。

又、757年(天平宝字元年)に、女帝・孝謙天皇(奈良法皇)が転地療養のために奈良田に来て法皇山に登り、その山名が転化して鳳凰山になったとする説もある。


山梨県の西部、甲府盆地の西縁をさえぎるようにそびえる鳳凰山は南アルプスを構成する山塊の一つで、どっしりとした山容は独立峰に近い様相を呈している。

山頂部は北西―南東方向に連なる地蔵ヶ岳(2764メートル)・観音ヶ岳(2841メートル)・薬師ヶ岳(2780メートル)の三峰に分かれていて、現在では鳳凰三山という呼称が広く用いられている。
江戸時代の中期からは地蔵仏の信仰が盛んになり、この巨石も地蔵仏となり麓の賽の河原には、信仰登山者が持ち込んだ地蔵仏像が多数供えてある。


山体は花崗岩質からなり、所々で巨岩が露出、とくに地蔵ヶ岳山頂の高さ60メートルほどの岩峰は、その特異な姿が山麓からも望見され、当山のトレードマークとなっている。

大日岩・地蔵仏、あるいは地蔵のオベリスクとよばれるこの岩に明治37年(1904年)日本アルプスの紹介者として知られる英国人ウォルター・ウェストンが初登攀し、日本における近代アルピニズムの幕が開けられたという。



次回、 「御座石の由来





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