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金峰山の奇跡; ;第二部:奇跡編(11ー最終)
その後の奥秩父・金峰山・・、
奥秩父の金峰山へは小生単独、友人、そして山仲間などと共に7~8回位は訪れているだろうか。
そして、あの時の事があって以来10数年後のこと、小生は無事所帯を持ち、子供も出来、その成長した子供たちを初めてこの金峰山へ連れてきた。
10歳の誕生日を迎えた娘と二つ下の息子を従えて。
特に、娘は体形小さく、ややひ弱な感じのする娘(こ)で心配な面があったが・・、
家族向きの、付近の低山ハイキング程度は過去何度か歩いているが、2000m以上の高度を持つ山岳は勿論初めてであった。
親父としては多少の懸念が無いわけではなかった。 其れに、本人自身は“山というものはただ疲れるところ“、だと認識している節もあったようだ。
そんな娘を何とか説得し、半ば強制して2595mの標高をもち、しかもアルペン的風貌をもつ岩山の奥秩父の盟主「金峰山」へ登行することにした。
時は、昭和の後年の11月頃であった。
始めの森林帯の登りでは順調であったが、かの稜線付近の岩場で吹雪模様の悪条件に襲われ難渋したのであった。
元気な息子はさほどでもなかったが、娘の方は疲れと寒さと恐怖とですっかり意気消沈し、体調不全になってしまい、歩くのもやっとという状態に陥ってしまった。
小生は何とか宥め(なだめ)、すかし、手を引いてやり、時には負ぶってどうにか、こうにか「金峰山小屋」へ飛び込んだ。
娘は、その夜は何とか乗り切ったが、次の朝は食欲も無く、若干の発熱もあったようだ。
小屋の人に事情を話すと、快く了解されて静かな二階の部屋に案内され、特別な布団を用意してもらい娘を休ませることが出来た。
この際、特に「林」さんという小屋の主人や小屋のお手伝いさんには大変お世話になった。
お手伝いの女性の方は相模原の佐藤さんという人で、父親が開業医をしているようで、娘の身体を診察よろしく診てくれて、非常に助かったのである。
「足や肩がチョッと凝っているわ、それに、疲れで胃が弱っているようだね」
などといって、特別に薬やお粥などを振舞って戴いた。
叉、林さんは川上村の住人で、元より、村所有の当山小屋を村より譲り受け、それ以来凡そ20年に亘りこの小屋の管理、運営をしているらしい。 そして、奥秩父の各山小屋の仲間でも主導的人物で、この奥秩父山系を「東アルプス」と呼称しようと音頭をとった人でもあった。
このこと以来、すっかり知り合いになり、お付き合い戴いて、特に山では何かとお世話になったが、近後年、突然、交通事故により他界したことを新聞報道で知った。
非常に残念であり、遠方よりお悔やみを申し上げた次第である。
娘は小屋関係者に何かと世話を戴き、短時間の休息ですっかり良くなった様だ。
そして・・、
「実はね、父さんはね・・、この二階のここんとこで、今から十数年前、或る女の人ととても良い仲になって、結婚しようとさえ考えた時があったんだよ」
「へーーっ、 それが今のお母さんと言うわけで、それで私たちをここへ連れてきたという事か・・!」
「否、あの時の女性は今の母さんではないんだよ。 あれから直ぐ母さんと知り合って一緒になったんだけどネ・・、」
「なーんだ、つまんないの・・!、もう山下りようよ、私、もう大丈夫みたいだから」
【追記】
小生が未だ若年の頃、山歩きの楽しみを覚えてから丹沢、八ヶ岳、穂高などを経験した後、初めて奥秩父の「金峰山」へ登山を試みた。
金峰山の頂上へ達するまでは普通の登山と同様で、岩だらけの稜線や頂上の独特の風貌を持つ五丈岩など、山歩きの醍醐味、楽しみを相応に満喫したが、既に、八ヶ岳、穂高を経験した後だっただけに、満足は果たしたが特別な感情を抱いてはいなかった。
山行は1泊2日の行程だったので、当然、金峰山の山小屋でお世話になることにした。
普通、山歩きに出かける場合には、日帰り以外はどうしても山小屋のお世話になってしまう。 これはテントなど山での宿泊用具を持ち込んでの登山ならいざしらず、小生は山登りを始めて日も浅く、正直なところそこまでは熟達はしていなかったのである。
そして一応、泊り慣れている山小屋ではあるが、この金峰山の山小屋でとんでもないことを体験してしまったのである。
未だ、異性との体験や親密な接触の無かった小生が、超混雑するこの山小屋で、隣り合わせた、うら若き女性と、内密の合意があったとは思われるが接触、体験をしてしまい、夢のような、奇跡のような一夜を過ごしてしまったのである。
通常、登山後の山の記録は、わりかし簡単にメモ程度にしか記残してはいなかった。
だが、この時ばかりの貴重な経験は記憶に留めるのみでなく、青春の1ページとして登行メモは勿論、あの時の体験を再度脳裏に浮かべ、気が高ぶるのを抑えるのももどかしく、詳細に再現しながら記録としてまとめ、留めて置き、残しておいた。
そしてこの度、これらを元に「書下ろし」風にまとめあげ、脚色、加筆しながら出投稿したものが本文であります。
『恋愛とは、その二人が一体となることであり、ひとりの男とひとりの女とがひとりの天使となって融けあうことである。それは天国で』――ユーゴー(フランスの大作家)
『恋愛はただ性欲の詩的表現を受けたものである。少なくとも詩的表現を受けない性欲は恋愛と呼ぶに値しない』――芥川龍之介(近代日本の代表的作家)
『男女の愛情、性の欲求は、人間自然の要求です。これは、どのようにゆがめられた条件のもとでも、男女ともにはげしい欲求となって現われるものです』――平井 潔(青春作家)
『終』
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