織内将男の山旅の記録

若かりし頃よりの山旅の記録です・・!!

【閑話休題】

2009年06月22日 | あいさつ
【閑話休題】

「旅館、公共の宿・J-Yado」


小生などとっくに過ぎてしまったが・・、今、団塊の時代と言われて久しい。
60歳の定年期を迎えて第2の人生を歩もうとする時、これほど最大のキッカケはないのである。 例えば旅のことである。 
「旅はカンフル剤」」といったのは著名な作家・五木寛之であるが、旅というのは日常空間から、日常住み慣れた地域から先ず飛び出す事から始まる。或いはヒョットすると、旅の中で第二の人生を発見出来るかもしれないのである。
「たび(旅)」の語源は不定であるが、その意味上の共通性やアクセントの面から、「とぶ(飛)」との関係や、度数を表わす「たび(度)」が「たび(旅)」が転じたものともいう。 英語でいう「トラベル」とは旅行のことで、普通にはツアー会社の旅行を想像するが、トラベルという英語の語源は「トラベイユ」(労苦、苦労の意味)、フランス語の語源「トラベラー」(拷問の意味)に近い状態であるという。 ラテン語の語源では、なんと「拷問、拷問のための責め具、拷問台」という意味もあるという。 それを受けて「つらいこと」や「苦しみ」という意に派生し、現在では「旅」という意味を持つに至っているという。 尤もで、一昔は「旅」というのは自分の脚で歩いて移動したものであって、そこには多大な苦労や苦痛があった筈である。然るに、語源の「トラベイユ」というのは納得なのである。
又、「可愛い子には旅をさせよ」という諺を例にとってみても、旅というものに対する前途多難さや、若者もしくは学を志す者たちのとって「旅」とは何らかの苦行から切り離せない意味合いが含まれているということも感じ取れる。 旅が、我々に楽しみや喜びだけを付与する存在であるとは言い切ることはできないのである。

さて、元々、若い頃より旅が好きで、今まで日本中をランダムに駆けずり回っていたが、熟年になった今日、念願かなって2006年に「日本一周の旅」を終え、現在、盛んに「日本周遊紀行」と題して回想しながらの執筆し、そしてブログに投稿中であります。 
ところで、小生であるorimasa2005は、自称・旅行者と称してますが、あくまでも趣味の範囲ですが・・!。 
過去に、北海道ツアーや九州へ伺った時、札幌・ススキノや熊本城下のドーミーインの癒しの湯宿・ホテル に厄介になったけど、ナカナカ良かったですよ・・!。ここのホテルの特徴は、ビジネスホテルでありながら観光ホテル並みに、大浴場や天然温泉が在ることですね。 特に、地方から東京へ出られる人は、ど真中の 「ドーミーイン東京八丁堀」 はお勧めですね、天然温泉の亀島川温泉というのが付いているよ・・!!
それでも年に数回は、高級旅館でユッタリ、ノンビリの和風の宿も いいですよね、夫婦で憧れの旅館で 何てね・・。 それでも、毎度まいど各地を訪ねる時は、やはり庶民感覚の大衆旅館や公共の宿 が普通でしょう。 それにしても今、「かんぽの宿」の売却で問題になってますね・・、合理化云々で公共の宿がどんどん減らされてゆく現状・・!、我々にとっては残念でなりませんよね・・!!。 
それでも、普通の好みの旅行に出かけるには格安のツアー旅行 が一般的で多いですかね、こんな時は便利に利用しているのが近畿日本ツーリスト ですね・・、小生は、北海道、沖縄そしてスキーツアーや目的別のツアー等に多く利用してますよ・・!。 勿論、海外へチョット遠くへ出かけるには飛行機で一っ飛びは常道で、早目に予約すると相当割引になるのが嬉しいね、格安航空券のイーツアー は、つい最近ハワイへ行くのに利用しましたよ、勿論、通常のパックツアーやホテル込みの海外ツアーには時折利用してますkwどね・・。
それでも年がら年中、旅ってばかりではなく、家にいる時はノンビリ昔懐かしのTVで、フランスのワインボルドーなどを傾けながら、大迫力の広い画面で・・!ひかりTVでNHK番組 や NHKオンデマンド 、で楽しんでます。 特に、世界遺産や旅、温泉番組はいいよね・・!。
尤も、旅行以外は出不精の小生、若い頃より読書は趣味の一つで、特に好きなものは時代小説はいいですね・・!、今も、パソコンの合間に読んでます。ただ、付近に本屋が無いので、たまにはこちらビーケーワン  に注文してます。 そして、昼時など、時には宅配の「吉野家の味」 を家で味わってますよ、拙宅のお年寄りも「美味いもんだね」と喜こんでいます。


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上高地―槍―穂高縦走(11)

2009年06月16日 | 上高地


写真:在りし日の「岳沢ヒュッテ」と雪崩が襲ったヒュッテ跡
写真:上高地から岳沢、穂高への道標



上高地―槍―穂高縦走(11)

岳沢のキャンプ場から岳沢の対岸左を下るようになる。
岳沢はすぐ上部に雪渓が有るにもかかわらずゴロゴロの石ばかりで水は流れていない。 
河原の石の上を跳ねるように行く、かなり脚部に負担がかかりそうだ。
河原は、相変わらずの石礫の道が延々と続き、次第の森林帯になる。 今までドス黒い岩の稜ばかりだったので、やけに緑の森林が懐かしい、高度が下がっていることが判る。

この頃から次第に脚部の関節が熱を帯びてきた、特に効き足反対の左脚が怪しくなってきた。 急な降りは全身がバウンドしながら片足に負担が掛かるのだ・・!。

時おり倒木に邪魔されながらも樹林帯を行くようになる。 
沢水の音も賑やかになり、水量も次第に増えてくるのが判る。 しかし、天下の岳沢にしては、やはり水量は少ない、幅広いゴロ石だらけの沢なので、殆どが伏流水となって流れているのだろう・・?。
脇の小さな沢、湧き水で喉を潤す、ホッとする一時である。

道中、チットも軽くなっていないザックが肩に食い込む、下り特有のもので時々位置をずらしながらやわらげるが・・。
それにしても稜線上では感じなかった暑さが感じるようになった、やはり下界へ近づいているのが判る、背中は勿論全身に汗が滲んでいる。
それでも気にせず、前進又前進・・!!。

この頃からヤンヌルカナ左脚部間接が「笑い出した」(筋肉を使いすぎてガクガクしちゃってる状態)、その後、痛み出した・・ヤバイ・・!。
小生、左足が右足に比べて弱いのはある程度承知はしていたし、従って、出来るだけ庇うように歩を進めたのであるが、遂に予期せぬものがきてしまったようだ。 この後も、出来るだけ庇いながら歩かなくてはならない、当然その分遅れがちになるが・・ンン・・!。

巨大な原生林の鬱蒼とした茂みに、上空をすっかり閉ざしている。
林の中に巨石が所々に現れだした。 巨石の間を選びながら、この頃になってやっと道らしい道になり、斜度も少なくなってきて歩きやすい。
痛み足をかかえる者にとっては、実にホッとする。

さらに進むと良く整備された道に出る。道標があってこの道はどうやら自然探勝路の一辺らしい。 間もなく立派な道標があって左は明神、右手が河童橋とあった。
そして、われ等が今降りてきた方角へは「岳沢ヒュッテ、前穂高」とあった、妙に懐かしい。
無論、我らは河童橋方面である。
湿原の自然探勝路、池塘(高層湿原の池)には木道も施してあり、岳沢口に近い湿原の木道から仰ぐと、六百山(2450)の岩場がよく見える。

間もなくして「河童橋」へ到着した。
勿論。「お疲れさんでした・・!!」と二人でガッチリ握手、実感のこもった、真実の「お疲れさん」である。
それにしてもここ河童橋周辺は大都会なみの、ものすごい人混みである。
時折、観光客が我等の胡散臭い(本当に全身汗だくで臭いはずである)姿を、ジロリと見据える。 

思えば今日は土曜日であった、実は曜日などはすっかり忘れていた、数日間は、日常の習慣の離脱でもあったのだ。
今日一日上高地でゆっくり身体を休めて、明日東京へ戻ることにお互い合意した。
案内所らしいところで「西糸屋」という山荘を紹介してもたった。 西糸屋は山岳愛好家に人気のある山荘旅館らしい。 

数日間の過酷なアルバイトの汗と垢をすっかり洗い落とし、梓川の清流の見える和室のテーブルを囲んで、二人で冷たいビールを乾杯した。
ビールの味は、この世にこれほど旨みのある飲み物が有ったのか・・!!、と思うほどの喉越しで、五臓六腑にしみわたったのは言うまでもない。

『終』


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上高地―槍―穂高縦走(10)

2009年06月12日 | 上高地



写真:遥か岳沢を望む
写真:晴れた日の前穂、左は北尾根の岩峰
写真:重太郎新道(一服のテラス、左右の道程は、ほぼ絶壁)



上高地―槍―穂高縦走(10)

重太郎新道-岳沢-上高地へ・・、
さて、この地は前穂に直登する道と前穂を巻いて岳沢に到るルートの分岐でもある。
生憎だが、その前穂は完全にガス雲の中で、その姿はスッポリ隠してしまっている。 数人のパーテーが休息していて頂上までの所要時間を問うと、概ね1時間程度とのことであった。
小生はすっかり疲れきっていたが、相棒にそれとなく聞いてみたら、やはり「そうすっかりバテバテだし、あれじゃーな・・」と指を指して言う。

小服した後、「紀美子平」から前穂のピークを巻いてガレ場を進む。
眼下に箱庭のような上高地が展望され、蛇行する梓川沿いに赤い屋根の旅館が点々とある。やがて絶壁の急下降が始まる、岳沢への下り始めは長いクサリから梯子がある岩稜へと続くので緊張がぬけない。

これが重太郎新道と言われるコースでこれがまた実に凄まじい、下ると言うよりは転げ落ちると言った方が正解の急坂でである。
ここでは事故も例年発生しているらしい、特に、2キロちょっとの道程で一気に800mも降下すると聞く、「アルプス三大急登」の1つとも言われる。 因みに他のアルプス急坂は、中房温泉から燕岳の合戦尾根、信濃大町から烏帽子岳のぶな立尾根と言われるが、岩稜の急登、急降下はこちらがダントツではなかろうか・・?、 突かれきった身体の下りには要注意でクレグレも慎重を期す。

岳沢のパノラマ、西穂の険しい岩の峰々が圧巻であり、慰めでもある。
疲れきった身体に鞭打って、必死になって下降する。 雷鳥広場、カモシカの立場を過ぎてしばらく行くと、涸れた沢を横切るとヨウヨウにして「岳沢ヒュッテ」に着いた。
小屋は尾根の突端の大地の上、ダケカンバに囲まれて在り、谷側にはガッシリした石垣が施してある。
奥穂-前穂コースでの、唯一の小屋なので登山者の憩の場としてもありがたい位置にあり、登行者に言わせれば最後の水場でもあろう。
引き水で顔を洗わせてもらい、小屋のテラスで大休止をする。
穂高の岩場をやり過ごした安堵感はあるが、余りにも疲労困憊で実感としては今一湧いてこない。
しかし、まだ終わったわけではない、急坂の沢伝いを上高地に向かって、ここから更に2時間の長道中が控えているのである、気を抜けない。
上高地の曲がりくねった梓川、赤い屋根のホテルが遠望でき、すぐそこに間の沢や西穂の豪快な沢が良く見通せる・・。

【追記】 岳沢ヒュッテは標高2170メートルのところ、尾根筋の傾斜地にあり、石組みで台地を造って設えた山小屋である。(涸沢は標高2309m)
2005から06年の冬季、この年は雪が異常に多く、大規模な表層雪崩が発生、その影響で小屋が全損壊してしまい、今のところ復旧のめどは立っていないといわれる。
同ヒュッテは50年余の歴史があるものの、これほどひどい雪害を受けたのは初めてという。表層雪崩は大量の新雪が降った際に起こりやすく、橋を流すなどの破壊力があるという。従って2006年度は前面営業休止、 2007年度も営業も休止する旨の告知あったが、ただし7月20日頃〜10月上旬頃に簡易売店のみの営業はするとのこと。
2008年も同様にウェブサイト上にて営業休止の告知、さらに2007年に開設された簡易売店・水場の営業も、2008年度は行われなかった。 そして2008年12月には再建を断念し廃業する旨が報じられた。
だが、嬉しいことに2009年4月に槍ヶ岳山荘などを経営する会社、槍ヶ岳観光が小屋を再建することを発表。 2010年のシーズンから営業を再開する予定とのことである。

次回、最終回


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上高地―槍―穂高縦走(9)

2009年06月11日 | 上高地

写真:岩ゴツの奥穂高

上高地―槍―穂高縦走(9)

本邦3位の頂上の雰囲気を味わった後、この縦走最後の3000m峰・前穂高岳に向かって前進していこう、吊尾根である。 
奥穂から前穂へはゆるやかに下る岩稜の尾根道は、奥穂から延びる岳沢側(上高地側)につけられている。
上高地の遠方から、この吊尾根を眺めると横線一線の平坦な道の様に見えるが、そんな安直なものではない。 所々高巻いたり、鎖で一枚岩を急降下、急上昇する所もあり、思ったよりも歩き辛いハードな岩場の連続なのである。
 
また高巻き地点や鎖場の下降地点などは判り辛く、岩にかかれたペンキ印だけを頼りに下っていく。
この「吊尾根」は概ね岳沢側につけられている。
そして、南稜といって峻険な稜線の岩肌が岳沢側に張り出していて、これら尾根を乗越し(のっこし)て行かなければならない。
吊尾根自体、瘠せた岩の尾根の連続で時おり涸沢側の絶壁も覗かれ、緊張が強いられる所である。


写真:西穂の岩稜帯

振り返ると、ゴジラの背中のような冷厳な西穂の尾根が連なっている。
降りきったところは吊尾根の鞍部になり、この先は前穂に向かって登り返す様である。 
尾根の先には前穂の雄姿が雲間に見え隠れしている。 左に涸沢が右に岳沢見える岩稜の尾根を矢印と丸印を忠実に辿りながら進む。



写真:吊尾根2枚(恐怖の吊尾根、左上から右下へトレースが伺える・・!!)

1時間少々・・、吊尾根の岩場を上り下りを繰り返しながら、どうやら前穂高岳への分岐点に達した。
ガラ場の岩棚スペースで小休止には適地なところである。 
こちらは後年「紀美子平」という素敵な名前がつけられたらしい。 「平」とはいっても、10人程度がやっと立てる程度で、その1歩先は奈落のそこである。 ただ安心できる紀美子平とでも言いたいところで、一休するには敵地であろう。
思えば、昨日、槍-穂の縦走路に「長谷川ピーク」という男性的な峻峰のピークがあったが、何れも岩稜上の険しいところに変わりはない。
紀美子平のその名は、重太郎新道を開いた故・今田重太郎氏が、一緒にその手伝いをしていた娘の紀美子さんが亡くなられたのをきっかけに、その名づけられたそうである。 重太郎新道とはこの先、岳沢に到る道のことである
これから先、この岩場の重太郎新道の急下降ががはじまるが・・!。

それは次回へ・・、


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上高地―槍―穂高縦走(8)

2009年06月10日 | 上高地


写真:涸沢岳頂上から涸沢と穂高岳山荘の眺め(正面は奥穂、左は吊尾根を経て前穂)


【上高地―槍―穂高縦走】(8)

涸沢岳の頂上からは、今までの緊張を強いられるコースとは違って、ガラガラの道を気楽に下る。 降りきったところが今夜のお泊りの宿・・?「穂高岳山荘」であった。
今まで黙々と歩を進めた両人も、ここでニッコリ微笑んでガッチリ握手・・!。
小生もこれだけの悪路を1日がかりでやってのけ、内心、充実感と満足感で一杯であった。体調も疲れてはいるが、昨日のようなボロボロの状態とは全く異なり、若干の余裕も感じられるほどであった。

穂高岳山荘は日本第三位の高峰、奥穂高岳と涸沢岳との鞍部、白出(しらだし)のコルに立つ小屋である。
収容300人、「重太郎新道」(前穂下方)などにその名を残す今田重太郎(1898-1993)が初代であるらしい。  北アルプス探検時代(明治時代のこと)の名ガイド・上条嘉門次(上高地、穂高の主:ウェストンや秩父宮の他にも、多くの北アルプス登山者の手引きをた穂高のガイド)の弟子で「穂高の仙人」と呼ばれた内野常次郎の後を継いだのが重太郎氏である。
現在はその息子の英雄氏に引き継がれ、相変わらずの高い人気を保っている、大正13年の創立という。 
素晴らしい展望の石畳のテラスをもつ山小屋で、近くにはヘリポートもあり、穂高登山の拠点とも言える存在である。
上高地、穂高山地の黎明期の頃であり、山小屋のパイオニア的存在でもある。
今夜は、この山小屋で体を休めることにした。


出発して4日目の朝も3000mの稜線上の目覚めであった。
その穂高岳山荘周辺は、今朝も上空はほんのり青空も望めるが、周辺は白いガスの中だった。 大展望こそ望まれないが、流れ行く白雲の合間にどす黒い山塊が望まれることもある。 風もさほど無く、雨の心配は今のところ無さそうである。 今日1日天候、無論身体の方も無事安泰を祈りたい。
気が付くと、すでに涸沢から「ザイテングラード」を経て上がってきた登山者もいる、朝4時前後には出発したのだろ、早い出で立ちである。
ザイテングラードとは、ドイツ語のseitengrat:支稜線・支尾根からだそうで、一般的に山の各部の名称や山岳装備の名前にはドイツ語やフランス語が多く、英語は比較的希である。さすがに元祖であるヨーロッパアルプスを控えた土地柄、国柄である。

順番待ちの朝食を軽めにいただいて、バラバラになっている携帯品、装備品を今一度チェックし、順序良くキスリングに詰め込んで、身支度を整え出発である。
今日のルートは奥穂高から吊尾根、前穂高から岳沢を経て上高地へ下る予定である。
2日間酷使した身体もまだ余力はあるようで、地図を見ても昨日のような難コースだはなさそうである。
しかし、実際には3000mの領域は何があるか不明である、思わぬ難関がが待ち伏せて居るかもしれない。 心身とも緊張の糸を切らさないように配慮が必要であろう。

そんなこんなで山荘の玄関に無言の挨拶をしていよいよ出発である。
それにしても小屋の左手からいきなりの直登であり、早速、梯子や鎖のお出迎えである。岩塊に垂れ下がる鎖やハシゴが数ヶ所あり、朝の出掛けということもあり、慎重にゆっくり登っていく。
しかし、岩に取り付いた道具類はここだけで、岩場を上りきると尾根上の登りになる。
尾根筋は、踏み固められた砂岩礫が頂上まで続いている。 



写真:奥穂高岳頂上付近と頂上の祠

朝一番のキツイ登りであったが、約40分程で日本第三位の高峰・奥穂高岳=3190メートルの頂上に到達した。 因みに、第1位は勿論富士山、2位が南アルプスの主峰・「北岳」の3192mである。
中央付近にほぼ四角のケルンがあってその上に小さな祠があった。
麓の町、穂高神社の奥宮か・・?、それにしては小粒で地味であるが、3000mの頂の祠としてはこんなもんであろう・・?、穂高の守り神である。

山荘で聞いた話であるが・・、
奥穂(3190m)が南ア・北岳の3192mに次いで3番目の高さであることは述べたが、奥穂は山頂に3mのケルンがあるので、実際は3193mであり北岳を抜いて本邦2番目である・・と、本気とも冗談とも言える語気で話していた。
目の前のこのケルンが3m以上あるかどうかは定かでない。 

頂上の眺めは格別とは言い難い、昨日、歩いて来た北穂からの稜線を眺めると、北穂、涸沢岳は微かに見えているが、左手に見えるはずの槍ケ岳は穂先はガスに隠れていた。
頂上には方位盤があり、それが示す通り360°の大パノラマの展望が広がる筈であったが、些か残念である。


写真:西穂稜のジャンダルム

ただ、白雲をなびかせながら黒い怪獣の様なジャンダルムは目の前にあった。 
「ジャンダルム」とは、フランス語でgendarmeと書き、憲兵という意味で、主峰を守るかのように山稜上に立ちはだかる塔状の岩峰をいう。

更に、続く・・、


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