土佐のくじら

土佐の高知から、日本と世界の歴史と未来を語ろう。

縄文文明の、意外な終わりの始まり。 

2013-07-29 11:38:53 | 古代日本のミステリー

土佐のくじらです。

これまで綴ってきたように、平和で高度な文明を、1万年以上という、かなりの長期間続けた縄文時代ですが、
ついにその、誇るべき時代も終わる時がやって参ります。

この終わり方も、通常の歴史のパターンとは、何か違っているように思います。
何とも静かに、ロウソクが消えるがごとく、次の時代に移っていくのですね。

古代ローマ文明は、それが始まる時も、またそれが終わる時も、激しい戦いが起こりました。
古代ローマに限らず、だいたい文明や時代が変わる時というのは、激しい変動や戦争などによってそれがもたらされて、それが”国創り伝説”となるのが通常なのですね。

日本でも聖徳太子の国創りや、平安から鎌倉、室町から江戸、江戸から明治など、時代の端境期というのは、強烈な混乱が伴うものです。

しかし、こと日本の古代史というのは、どうもその、激変の跡形すらない、いたって平和な終わり方なのです。
とてもとても、不思議です。

文明の耐用年数が過ぎていたのは分かります。
それはそうでしょう。
何せ、1万年以上続いていたのですから。

では、このとても静かな縄文時代の終わり方を、一体どのように説明すれば、つじつまが合うのでしょうか?
私は、日本列島が寒冷化したから だと考えているのです。

「えっ、うそでしょ!」
「地球温暖化って、みんな言ってるじゃん!!」

って、皆様おっしゃるでしょうね。

しかし、よくよく踏みとどまって考えてくださいね。

縄文時代の主食は何でしたか?

そうですね。正解は、【栗】です。

そして縄文文明は、どこからどこまでの範囲があったでしょうか?

そうです。北海道から九州までの、全日本を領域とする文明でした。

さて問題です。

今現在、北海道で栗は採れるのでしょうか?

そうですね。今北海道では、針葉樹林ばかりが覆っているはずですね。

寒くて、栗は育たないのです。

そうすると、
縄文時代の北海道は、今よりもずっと暖かかったはずなんですね。

1万年前に、地球の氷河期が終わり、云々・・・

というような定説がありますが、縄文遺跡等を見る限り、
日本では1万年前くらいから、むしろ寒冷化が始まっていると思われるのですね。

この日本全体の寒冷化によって、縄文人の主食である、栗が採れなくなったり、採取量が減ってきたことによって、
縄文文明は、少しずつゆっくりと、衰退していったんじゃないかと、私は考えています。

ではなぜ、日本は寒冷化したのか?

これは、地球規模での大地殻変動が、この時期に起こったとしか考えられないのです。
次回はその、地球規模での一大スペクタルを、縄文文明に絡めてご紹介いたします。

                                    (続く)


偉大な文明の継承者  古代日本

2013-07-28 19:34:01 | 古代日本のミステリー

土佐のくじらです。
今日も不思議な視点から、古代日本の歴史を切り込んで参ります。

前回記事では、
縄文文明は、ムー文明の継承文明ではないか・・・と述べました。

だとすれば、縄文と同じ、継承文明の特徴を持つ、エジプト文明は、アトランティス文明の継承文明ではないか・・・
と言うこともできますね。

これまで述べてきたように、高度な技術や価値観を有する縄文文明ですが、エジプト文明と比較すると、かなり変わったところがございます。

それは、武具の発達した形跡が、全く見られないということです。
1万年を超えると言われる長い期間の間に、
全く武器が進歩しないということは、一体どういうことなのでしょうか?

日本の縄文文明は武具に限らず、他の分野においても全く歴史的に発展した形跡はございませんが、
同じ継承文明であるエジプト文明では、石から青銅へ、そして最終的には、鉄製にまで武具は発展します。
また移動機関も、馬や馬車による戦車など、時代を追うごとに、かなり進化・高度化した形跡が見られます。

建築物や生活物品などのレベルは、年々落ちていくのですが、軍事関係だけは、逆に進歩し発展して行くのがエジプト文明です。
それは、エジプト文明が周囲国との争いを経験した、明らかな証拠ですね。

一方縄文文明では、黒曜石の鏃(やじり)などがみつかりますが、これなどは、猟で使っていただろうと思います。

黒曜石の切れ味は、ナカナカのものではありますが、すぐに割れますので、戦闘には不向きです。
何せ、手で簡単に割れます。(笑)
これでは武器としては使えません。(爆笑)

戦闘があれば、双方が武具の性能を競い合うはずですから、
縄文文明のように、どこの地域でもいつの時代でも、基本的に同じ、黒曜石製の鏃しか出てこない・・・な~んていうのは、どう考えてもおかしいのです。

つまり、縄文文明下の日本というのは、極めて平和な時代が、何千年も続く時代であったはずです。
ここに日本人の、平和に対する原風景があるのではないでしょうか?

よく教科書では、
「縄文人には、国家という概念はなく、平和に暮らしていた。」
「人々は皆平等で、階級などはなかった。」
「その後の日本人が、争いという概念を持ち込んだ。」

みたいな表現をしておりますけど、半分は当たっていると私も思います。
国家という概念は、縄文人には恐らくなかったでしょうね。

私の予想では、縄文文明は”海洋型文明”です。
恐らく、小さな集落が海岸線の周囲に、北海道から九州まで(一説によると沖縄・朝鮮半島まで)点在しているような分布で、縄文の人々は、暮らしていたのではないでしょうか。

その点在する集落を、舟を使って移動する、”行商人”のような人がいて、彼らが当時の日本全国を、縄文ネットワークでつないでいたのではないか・・・と、私は想像いたします。

一つ一つの集落は、主食である栗やドングリを栽培するための林で区切られているので、近くの集落とは、実はあまり接点がなかったのではないか・・・とも、思っております。

接点がないので、お互いの利害が衝突せず、争うことも余りなかったのではないでしょうか?

栗やドングリを計画的に栽培し、それをクッキーなどにして食べる縄文人ですから、それなりの組織は、集落内であったはずです。
縄文集落には、曲がりなりにも、”高度な仕事”がありますからね。

ただ、何度も言いますが、決して、”はじめ人間ぎゃあとるず”のような、生活ではなかったはずですね。(笑)

しかし、他の集落とも、あまり接点を持たずとも、争いは少なく、それなりに楽しく暮らせたのが、縄文文明ではなかったかと、私は思います。

さて、この高度な縄文文明も終わりの時がやって参ります。
ここからが、妄想歴史マニア=土佐のくじらの本領発揮でございます。(笑)

次回から、読者の皆様の度肝を突ら抜く、日本の神話の新たな仮説をご披露いたします。(^^)

                                        (続く)


最古のブランド そしてその先に見えるもの 

2013-07-27 08:49:50 | 古代日本のミステリー

土佐のくじらです。

暑い日が続きますね。
私は、日本が古来から持つ素晴らしさを、爽やかにお届けして、夏の暑さを吹き飛ばしたいなぁ・・・と、考えています。
できれば、日本の自虐史観もついでに・・・・(笑)

縄文時代には、舟を使った高度な流通システムがあったはずだ・・・と、前回記事で書きましたが、実は、この証拠はまだあります。
それは、全国各地から、同じところから出土した石が見つかるのです。

伊豆諸島の神津島(かみづしま)で採取される黒曜石(こくようせき)ですが、この神津島産黒曜石がなんと、全国各地で発見されるのですね。

黒曜石は火山性の石で、パリっと割れるのが特徴です。
切れ目はとても鋭利になるので、黒曜石はよく切れます。
古代の包丁が、この黒曜石なのですね。

この黒曜石ですけど、全国各地で結構採れるのです。
もちろん神津島以外の伊豆半島でも採れるますし、関東地方でも採れます。

しかし、他の地方の黒曜石は、縄文遺物からはそれほど出てこないのに、なぜだか、神津島の黒曜石だけは、全国で見つかるのです。

これは、なんらかの方法で、神津島産黒曜石として、”価値ある商品として普及していた証拠”ですよね。
この神津島の黒曜石は、当時のブランドとして確立していたとしか考えられないのです。

「包丁はやっぱり、神津島産の黒曜石よね。」
「きゃぁ、神津島の黒曜石よ。あなた、買ってェ~。(ハートマーク)」

なぁ~んていう会話が、全国の集落のあちこちで、交わされていた可能性が高いのです。(笑)

となると、流通システムの他に、
何らかの経済活動が、縄文時代には存在していた可能性がありますね。

貝殻や、勾玉(まがたま)、何らかの宝石の類・・・などを使った、当時なりの経済があったかも知れませんね。

まぁ、こういった、フィールドワーク的手法から導き出される推測される事実は、
一般的な常識からは想像もできないような、縄文時代の高度な生活様式ではあります。

そしてこの文明には、極めて不思議な”流れ”がございます。

1万年前には既に存在していたと言われ、(一説には13000年以前には存在していたとも言われます)、今から3000年前くらいまで続いた、日本の縄文時代ですが、実は、途中で文明が進歩した形跡がないのです。

過去~最終段階まで、ほとんど変化と言う変化が見られないのが、縄文時代の不思議なところです。
普通、何らかの変化があるはずなのですけど、どこを切っても同じ、金太郎飴型文明が縄文時代なのですね。

現代的な普通の一般的な思考、進化論的な文明の発展説というのは、単なる思い込みに過ぎないと私は思います。

さて、縄文文明は、いつ始まったのかも、よくわかりません。
縄文土器のような高度なテクノロジーも、流通システムも、ブランド喜べる商品があったというような、高度な価値観の形成も、いつどこで、誰が生み出しかが、全くわからない文明なのですね。

では、これをどう説明すればよいのでしょうか?
私はこれを、思い切った仮説で説明したいと思います。

それは・・・、

             【 縄文文明は、完全な継承文明 である。 】

という仮説です。
こういうと、説明がつくのですね。

他に有名な継承文明としては、エジプト文明があります。
この文明は実は、過去に行けば行くほど、レベルの高くなる文明なのですね。

古代エジプトの最終は、クレオパトラの時代です。
この時代には、もうピラミッドを作る技術など、既に過去の失われたテクノロジーだったのですね。

有名な、クフ王のピラミッドがありますね。
クフ王のピラミッドが、一番大きく立派で完成度が高いです。
他のピラミッドは、クフ王のより小さく、陳腐に見えるものもたくさんあります。

しかし驚くべきことに、
この、大きく立派で完成度の高い、クフ王のピラミッドは、一番古いピラミッドなのです。
古代エジプト人は、だんだんピラミッド造りが、下手になってくるんですね。

最初が凄くて、進化論的に文明が発展せず、だんだん衰退する・・・これが、継承文明の大きな特徴です。

エジプトの古代世界を描いた古代壁画には、空を飛ぶ機械の絵や、電球としか見えない絵など、失われたテクノロジーと思われる絵がたくさんあります。

そしてエジプト同様、日本の縄文文明も、【 継承文明 】だとすれば、数々の謎が解けます。

つまり、
縄文文明の元となる、源文明が存在するとすれば、説明につじつまが合う・・・ということです。

では、どこの文明を、縄文人たちは継承したのでしょうか?

私はそれを、こう説明したいと思います。

縄文は、ムー文明の継承文明である・・・・
事実をつぶさに見ていくと、どうしてもそうなってしまう・・・と。

どうです、皆様。
こうでないと、しっくりこないでしょう?

では、またのお越しをお待ちしておりまーす。 (^^)/

                                       (続く)


沈まぬ舟のロマン 

2013-07-26 18:49:48 | 古代日本のミステリー

土佐のくじらです。
今日も、つじつま合わせの歴史館にようこそ。(笑)

今日も引き続き、縄文時代の検証をして参ります。
後々記事にして参りますが、この仮説が正しいのならば、今私は、日本の神話時代以前の話をブログ記事で書いていることになります。

お読みの方の心境的には、自虐史観を払拭する記事を、お読みになりたい方も多いかとも推測いたしますが、ブログオーナーである私は、毎日わくわくした気持ちで、これらの記事を書いております。(笑)

さて縄文文明は、一般的なイメージ、(古代人=原始人)とは違い、(笑)
その分明度は、かなりの高水準なレベルに達していたと、私は推測しております。

文明のテクノロジーが違うだけで、実は一昔前の日本と変わらないんじゃないのか?
極端に言えば、私はそう考えているのです。

文明には建築物が付き物ですが、縄文式建築物は、例の 『竪穴式住居跡(たてあなしきじゅうきょあと)』 しか、発見されておりません。
しかし、土器を文明の証とするならば、これは立派な文明の域に達していると思います。

縄文人が、石で巨大建築物を造らなかった・・・というだけです。
(詳しくは、前回記事を読んで下さいね。^^)

そしてとにかく、その文明圏が広い!

北海道~九州まで、同様の縄文式土器が発見されます。
いや実は、沖縄や朝鮮半島でも縄文式時は発見されます。
これは文明圏で言えば、当時恐らく世界最大です。

世界の4大文明と言われる、メソポタミア文明・エジプト文明・インダス文明・黄河文明などは、大きな河川の流域のみの、”限局文明”です。
しかし縄文は、文明圏で言えば、大体今の日本の国土と変わらないか、それ以上の広さを持ちます。

これだけ広い文明圏を形成するには、移動手段が不可欠ですよね。
メールやテレビなどの情報伝達機関がなければ、人が移動しない限りは、広い文明圏を形成することは、到底不可能だからです。

では、どのような移動手段を使って、縄文人は全国を移動していたのか・・・???

それはどうやら、『舟』 らしいのです。
舟を使って移動する海洋型文明が、実は縄文文明の正体なのですね。
舟と言っても、もちろん人力で動くものです。

そしてその構造は、丸太を切り、くりぬいた 『丸太舟(まるたぶね)』 であったことはわかっております。
そして最近、その丸太舟がどうやら、転覆しない機能を持っていたらしい・・・という、驚くべき仮説が、考古学で発表になっております。

実は歴史と言うのは、史実の研究ですのでね、
縄文時代に、史実は存在しませんから、考古学の分野になってしまいます。

「まぁ、くじらさん。そんなウンチクはええがな。」
「一体どうすれば、転覆しない舟になるの?」

当然、そういう疑問の声が湧き起こって来ているのを感じます。(笑)
答えは・・・

カヌーのような丸太舟を、横に2艘連結するんですよ。
そうすれば、理論上、絶対に転覆しないのですね。
大波で、大きく揺れることはあっても、絶対にひっくり返らないのです。

この2艘立てのカヌーで、どうやら縄文人は、古代日本を北から南まで駆け巡っていたらしいのです。

縄文遺跡からは、カツオやマグロなど、外洋を泳ぐ魚のゴミが見つかりますから、
いずれにしても、恐るべき航海術を有していたことには、間違いありません。

そして、驚くべき事実はまだあります。

日本の風土病で、ATL(成人T細胞白血病)という病気があります。
HTL-Vというウイルス感染による白血病です。

この日本の風土病ATLが、実は、南米ペルーでも見つかるのですね。

ATLの感染経路は 【 母乳 】 です。
つまり、授乳行為以外では感染しません。
親子関係、またはそれに近い関係がなければ、まず感染しないのがATLという感染症です。

日系移民が感染源・・・と考えることもできるのですが、日系人が移入したことのない、奥地の村落からもATLが見つかります。

そしてどうやら、かなり昔から、この病はペルーにあるらしいのです。
免疫学観点から調査したところ、ペルーのATLは、日本人のHTL-Vと全く同じタイプのウイルスで、
しかも、1万年前の日本人と同じ株のウイルスということでした。

この調査結果を、マジメに解釈するならば、
古代日本の縄文人は、はるか太平洋を越えて、沈まぬ舟に乗り、
日本のみならず、全世界を駆け巡っていたことになるのです。

あらら、
凄~~いことに、なってきましたぞねェ。(^@^)

                                       (続く)


古代文明の残し方

2013-07-25 19:52:16 | 古代日本のミステリー

土佐のくじらです。

それにしても、暑いですねェ~。
私の暮らす高知でも最高気温は恐らく、35℃以上だったのではないでしょうか。

意外かも知れませんが、高知県民は暑さに弱いです。
なぜかと申しますと、最高気温が33℃を超えることが余りないからです。

実は高知県沖には、全国一近いところに黒潮が流れておりまして、
その黒潮によって空気が冷やされる関係で、高知県は余り気温が上がらないのです。

それでも今日は、35℃を越えているはずです。
皆さんこんな猛暑の中、脱原発なんぞ、無理ですよ! (笑)
いつ来るかわからない原発事故とか気にして、節電なんぞしていたら、たった今熱中症で死にますぜよ。

いや、マジでそうなのです。
今年から電気代が上がったせいで、夜間に冷房を止める方が増えているそうです。

しかしそれは危険です。
なぜなら現代建築は、エアコンを使う前提で構築されているので、昔の家より遥かに機密性が高いのです。
ですから、暑い時期にエアコンを止めると、家の中が魔法瓶のような状態になります。

現代日本は電気文明ですから、冷蔵庫や待機電力のある電気器具が家内に相当あります。
また、人がいれば必ず放熱しております。

機密性の高い現代建築は、エアコンを使う前提の建築物です。
エアコンを止めてはいけません。

止めなければいけないのであれば、現代日本人に無理難題を押し付けている現状こそが問題です。

電気代が高いために節電する必要があって熱中症になる国民がいるならば、政治の仕事は電気代を安くすることです。
この酷暑の日本で必要なことは、脱原発でも卒原発でもありません。

                  即原発です。

ということで、今日は暑かったので、縄文時代の建築の話をしてみます。

さて、教科書で出てくる古代文明といえば、メソポタミア・エジプト・インダス・黄河の4大文明ですね。

私は日本の縄文時代を、5大文明として入れるべきだと考えていますが、そういう話は余り聞いたことがないでしょうね。
私以外で、そう言っている人を、私も知りませんので、世の中で私だけが言っているかも知れません。(笑)

さて、先の4大文明には共通点があります。

それは・・・全て、石の文明だ・・・ということです。

文明には建築物が付き物です。
建築物などのハードな遺物がなければ、通常は文明とは呼べません。
建築物がなければ、文化・・・として認識されるのが普通です。

そして他に、4大文明に共通することは、文字の記録が残っていることです。
メソポタミアの楔形文字、黄河の象形文字などですね。
インダスにはインダス文字が、エジプト文明にも文字の遺物があります。

この建築物、そして文字が記録されているモノ、この両者が共に、”石”であるのが、4大文明の特徴なのです。

実は、石の文明しか、長期間記録として残すことができないのです。

恐らく縄文時代の日本の人々は、家屋などの建築物は、木造だったはずです。
通常木造建築物の寿命は、100年が限界です。
それ以上だと、建て直しが必要なように、最初から作ってあるのが木造建築です。

木が豊富で、年間の気候変動の激しい日本の自然環境化では、今のようにエアコンが普及しない限り、木造建築の方が絶対に有利です。

木造建築が主流であったであろう縄文時代の文明は・・・。
そうです、証拠が残っていなくて当然なのですね。

縄文時代にも、文字はあったかも知れません。
後日また記事にしますが、国内外で物流が、相当盛んに行われていた形跡がありますので、文字のようなものがあったかも知れません。

しかしこれも、石に刻まない限りは、数千年残すことは不可能です。

近年、奈良時代の長屋王住居跡地から、木管に墨で書かれた遺物が発見されたことがあります。
当時は木に情報を書いて、いらなくなったら、家の前の川に投げ捨てていたのですね。

それで、それが土砂に埋まって、奇跡的に保存されたものが残っております。
通常ですと、木管も墨も消えてなくなりますので、このような発見のされ方は奇跡です。

という風に、文明の保存はとても難しいです。
特に、高度なものほど残らない傾向があります。

たとえば、紙の保存期間は、せいぜい100年です。
レコード盤で数10年、ビデオテープもそれくらいですね。
CDや、DVDだと5年くらいです。

CDやDVDなどはデジタル情報ですので、永遠に残り保存が可能とお思いの方も多いのですが、
それは、中のデジタル情報が永遠なだけで、その情報を入れている、CDやDVD自体は、数年で痛んでくるのです。

また、その情報を再生するシステムも、文明が進めばそれに付随してどんどん高度化します。

高度化することは良いことですが、文明の保存と言う観点では、より条件を厳しくするものなのですね。

たとえば、フロッピーディスクが使えたのは、実質数年でしたね。
今では、USB全盛となっています。

フロッピーに入れていた情報は、確かに存在しますが、もうほとんど再生できません。
再生機の方が、もう生産されていないからです。

レコード盤もプレーヤーが製造中止となって久しく、再生できなくなっていますね。
テープレコーダーしかり、ビデオテープしかりです。

このように、たとえ優れた文明があったとしても、石の文明や文化以外は、その存在を後の世で証明することは、極めて難しいという現実があるのです。

今は鉄筋コンクリートの文明ですので、数千年後に建築物だけは残っているかも知れませんね。

ただ、その中で生きている我々が、どのような文献を読み、何に感動し、何に尊さを感じていたかなどが、記録として残るかどうかはわかりません。

そういった意味を含めて、後世に残したい大切な記録や、未来の人々に伝えたい偉人の言葉などがあれば、
極めてローテクですけど、それは石に刻んでおく必要があると、私は考えております。

                                       (続く)