土佐のくじらです。
今日も、つじつま合わせの歴史館にようこそ。(笑)
今日も引き続き、縄文時代の検証をして参ります。
後々記事にして参りますが、この仮説が正しいのならば、今私は、日本の神話時代以前の話をブログ記事で書いていることになります。
お読みの方の心境的には、自虐史観を払拭する記事を、お読みになりたい方も多いかとも推測いたしますが、ブログオーナーである私は、毎日わくわくした気持ちで、これらの記事を書いております。(笑)
さて縄文文明は、一般的なイメージ、(古代人=原始人)とは違い、(笑)
その分明度は、かなりの高水準なレベルに達していたと、私は推測しております。
文明のテクノロジーが違うだけで、実は一昔前の日本と変わらないんじゃないのか?
極端に言えば、私はそう考えているのです。
文明には建築物が付き物ですが、縄文式建築物は、例の 『竪穴式住居跡(たてあなしきじゅうきょあと)』 しか、発見されておりません。
しかし、土器を文明の証とするならば、これは立派な文明の域に達していると思います。
縄文人が、石で巨大建築物を造らなかった・・・というだけです。
(詳しくは、前回記事を読んで下さいね。^^)
そしてとにかく、その文明圏が広い!
北海道~九州まで、同様の縄文式土器が発見されます。
いや実は、沖縄や朝鮮半島でも縄文式時は発見されます。
これは文明圏で言えば、当時恐らく世界最大です。
世界の4大文明と言われる、メソポタミア文明・エジプト文明・インダス文明・黄河文明などは、大きな河川の流域のみの、”限局文明”です。
しかし縄文は、文明圏で言えば、大体今の日本の国土と変わらないか、それ以上の広さを持ちます。
これだけ広い文明圏を形成するには、移動手段が不可欠ですよね。
メールやテレビなどの情報伝達機関がなければ、人が移動しない限りは、広い文明圏を形成することは、到底不可能だからです。
では、どのような移動手段を使って、縄文人は全国を移動していたのか・・・???
それはどうやら、『舟』 らしいのです。
舟を使って移動する海洋型文明が、実は縄文文明の正体なのですね。
舟と言っても、もちろん人力で動くものです。
そしてその構造は、丸太を切り、くりぬいた 『丸太舟(まるたぶね)』 であったことはわかっております。
そして最近、その丸太舟がどうやら、転覆しない機能を持っていたらしい・・・という、驚くべき仮説が、考古学で発表になっております。
実は歴史と言うのは、史実の研究ですのでね、
縄文時代に、史実は存在しませんから、考古学の分野になってしまいます。
「まぁ、くじらさん。そんなウンチクはええがな。」
「一体どうすれば、転覆しない舟になるの?」
当然、そういう疑問の声が湧き起こって来ているのを感じます。(笑)
答えは・・・
カヌーのような丸太舟を、横に2艘連結するんですよ。
そうすれば、理論上、絶対に転覆しないのですね。
大波で、大きく揺れることはあっても、絶対にひっくり返らないのです。
この2艘立てのカヌーで、どうやら縄文人は、古代日本を北から南まで駆け巡っていたらしいのです。
縄文遺跡からは、カツオやマグロなど、外洋を泳ぐ魚のゴミが見つかりますから、
いずれにしても、恐るべき航海術を有していたことには、間違いありません。
そして、驚くべき事実はまだあります。
日本の風土病で、ATL(成人T細胞白血病)という病気があります。
HTL-Vというウイルス感染による白血病です。
この日本の風土病ATLが、実は、南米ペルーでも見つかるのですね。
ATLの感染経路は 【 母乳 】 です。
つまり、授乳行為以外では感染しません。
親子関係、またはそれに近い関係がなければ、まず感染しないのがATLという感染症です。
日系移民が感染源・・・と考えることもできるのですが、日系人が移入したことのない、奥地の村落からもATLが見つかります。
そしてどうやら、かなり昔から、この病はペルーにあるらしいのです。
免疫学観点から調査したところ、ペルーのATLは、日本人のHTL-Vと全く同じタイプのウイルスで、
しかも、1万年前の日本人と同じ株のウイルスということでした。
この調査結果を、マジメに解釈するならば、
古代日本の縄文人は、はるか太平洋を越えて、沈まぬ舟に乗り、
日本のみならず、全世界を駆け巡っていたことになるのです。
あらら、
凄~~いことに、なってきましたぞねェ。(^@^)
(続く)
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