土佐のくじらです。
これまで綴ってきたように、平和で高度な文明を、1万年以上という、かなりの長期間続けた縄文時代ですが、
ついにその、誇るべき時代も終わる時がやって参ります。
この終わり方も、通常の歴史のパターンとは、何か違っているように思います。
何とも静かに、ロウソクが消えるがごとく、次の時代に移っていくのですね。
古代ローマ文明は、それが始まる時も、またそれが終わる時も、激しい戦いが起こりました。
古代ローマに限らず、だいたい文明や時代が変わる時というのは、激しい変動や戦争などによってそれがもたらされて、それが”国創り伝説”となるのが通常なのですね。
日本でも聖徳太子の国創りや、平安から鎌倉、室町から江戸、江戸から明治など、時代の端境期というのは、強烈な混乱が伴うものです。
しかし、こと日本の古代史というのは、どうもその、激変の跡形すらない、いたって平和な終わり方なのです。
とてもとても、不思議です。
文明の耐用年数が過ぎていたのは分かります。
それはそうでしょう。
何せ、1万年以上続いていたのですから。
では、このとても静かな縄文時代の終わり方を、一体どのように説明すれば、つじつまが合うのでしょうか?
私は、日本列島が寒冷化したから だと考えているのです。
「えっ、うそでしょ!」
「地球温暖化って、みんな言ってるじゃん!!」
って、皆様おっしゃるでしょうね。
しかし、よくよく踏みとどまって考えてくださいね。
縄文時代の主食は何でしたか?
そうですね。正解は、【栗】です。
そして縄文文明は、どこからどこまでの範囲があったでしょうか?
そうです。北海道から九州までの、全日本を領域とする文明でした。
さて問題です。
今現在、北海道で栗は採れるのでしょうか?
そうですね。今北海道では、針葉樹林ばかりが覆っているはずですね。
寒くて、栗は育たないのです。
そうすると、
縄文時代の北海道は、今よりもずっと暖かかったはずなんですね。
1万年前に、地球の氷河期が終わり、云々・・・
というような定説がありますが、縄文遺跡等を見る限り、
日本では1万年前くらいから、むしろ寒冷化が始まっていると思われるのですね。
この日本全体の寒冷化によって、縄文人の主食である、栗が採れなくなったり、採取量が減ってきたことによって、
縄文文明は、少しずつゆっくりと、衰退していったんじゃないかと、私は考えています。
ではなぜ、日本は寒冷化したのか?
これは、地球規模での大地殻変動が、この時期に起こったとしか考えられないのです。
次回はその、地球規模での一大スペクタルを、縄文文明に絡めてご紹介いたします。
(続く)
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