土佐のくじら

土佐の高知から、日本と世界の歴史と未来を語ろう。

野中兼山の再来 橋詰毅(つよし) 脅威の構想力

2013-07-09 20:45:35 | 天才橋詰つよしの挑戦

土佐のくじらです。

私は今、友人で、今回の参議院選挙高知選挙区で出馬している、幸福実現党公認候補、橋詰毅(つよし)氏を応援しております。

歴史記事ファンの皆様、誠に申し訳ありません。
背に腹は代えられないのです。(笑)

この橋詰つよしのビジョンが実施されれば、私の暮らす高知は、
東南海地震の津波を克服し、そして、永続的な繁栄を享受できる地域へと変貌するからです。


万年貧乏県の烙印を押され続けてきた高知県。
かつての土佐藩家老、野中兼山の施策は、外様大名で唯一、幕府との対等関係を築けるほどの強烈な施策でありました。

今出馬している橋詰つよしには、知名度もなければ、政治的社会的な後ろ立てもありません。
しかし野中以降、誰も成し得ていない、土佐の抜本的構造改革を成しえる具体的なビジョンと方法論が、橋詰つよしにはあるのです。

それが彼の地方政策、高知100年繁栄の計です。

高知100年繁栄の計とは、
1.東南海大規模震災時に伴う巨大津波から、高知県民の生命と財産を守る方法
2.高知を、中四国の流通の拠点とする方法
3.高知県をエネルギー大国に導く方法 
です。

今日はその1.東南海大規模震災時に伴う巨大津波から、高知県民の生命と財産を守る方法です。
要するに、高知県沿岸部に堤防を築き、知覚到来が予想される東南海地震の津波から、国民の命を守る事業です。

東日本大震災時の津波の衝撃的映像は、度々テレビ放映されましたので、皆様ご存知だろうと思います。
沿岸部の全てを押し流し、呑みこんで行く津波の恐ろしさは、日本人なら知らぬ者はいなくなりました。

東日本大震災において、巨大津波に対しての文明の無力さを、まざまざと現代日本人は知ることとなりました。
そして今高知県では、地方自治体レベル、また各種組織レベルで、地震や津波の勉強会が行われ、県民の情報収集は盛んです。
なぜなら、全国で最も津波被害を受けると予想されているのが、他ならぬ高知県だからです。

しかしその解決策のほとんどは、「避難」です。
そして今せっせと、海岸部に避難塔を設置しています。

しかし津波は、陸上で時速40kmにも達します。
しかも津波はただの水、つまり液体ではなく、泥や建物を含んだ、事実上の個体です。

この春に国土交通省から出た試算では、ある海岸線の市町村で、最大40m弱の津波があり、
そこのある集落の人々の避難成功確率は、現時点で50%ありませんでした。

そしてその試算が出て以降、高知県の地価は大幅に下がり始めました。
津波に対するネガティブな一般的な見解が、高知県民の資産を下落させ、ひいては県の価値そのものを下落させ始めたのです。

この試算を見て橋詰氏は、私にこう言い切りました。

「津波から人的被害を防ぐ方法論として、避難中心の考えはナンセンスだ。」
「この試算には、今後の高齢化は計算に入っていない。」
「現実ならば、ほとんどの方は生きていられないだろう。」
「津波は、入り口(海岸線)で防ぐしかない。」
と。

確かにそうなのです。
○○mの津波・・・と言われますが、それは河川を昇り、陸地を駆け上がっての最終的な高さであって、
実は、○○mの津波自体が海岸線に到達するわけではありません。

また、たとえば30年後に大津波が来れば、私は70代後半になります。
恐らく避難塔に昇ることも、たどり着くこともできないでしょう。
今後、このまま何も手を打たなければ、高齢化はさらに進みます。
一つの津波で亡くなる方の比率は、政府の試算以上に、年々高まるのです。

橋詰氏は続けて、私にこう言いました。
「高知県の港湾入り口、河川河口、そして全ての砂浜海岸を、浮上式防波堤で塞ぐ必要がある。」
「もしも野中兼山公が、今生まれていらっしゃったら、それを必ずやるだろう。」


これだけなら、大金をつぎ込んで、日本の一地域の海岸線を封じ、津波対策で人気取り・・・と言えなくもありません。

しかしこの高知100年繁栄の計その1は、

一つの堤防で、高知県民80万人の命と財産を守るだけでなく、日本そのものを守り、同時に国家を富ませ、
最終的には、日本の世界で発言権の大幅向上という、とてつもない一大構想の始まりに過ぎなかったのです。


高知県民は今、東南海大震災の津波に関しては、半分諦めムードです。

「まさか、たった80万人足らずの地方のために、国が巨額な資金を投入するはずがない。」
「なぜなら、日本にはもう余計な金がないから。」という思いが根底にはあります。

しかしそんな、一見正論に思える思いは、幻想に過ぎません。

かつての野中兼山が、山田堰(せき)と大規模用水路型水田で、幕府と対等外交したように、
ビジョンと政治的な工夫一つで、高知は繁栄への舵取りを切れるのです。

高知県民よ諦めるな!
これからの高知県の100年の繁栄は、現代の野中兼山、橋詰つよし を選択することから始まるのです。

                                                 (続く)