土佐のくじら

土佐の高知から、日本と世界の歴史と未来を語ろう。

野中兼山の再来 橋詰毅(つよし) エネルギー大国高知の未来

2013-07-17 21:39:32 | 天才橋詰つよしの挑戦

土佐のくじらです。

友人で、参議院高知選挙区出馬の橋詰毅(つよし)氏が、地元メディアから冷遇されているので、
私は一人のブロガーとして、氏の創造性と構想力をお伝えすることに、改めて強い使命感を持つにいたりました。

橋詰氏のエネルギー大国の基盤資源は、土佐沖を流れる黒潮の中にあるウランです。
このウラン抽出と、産業化を研究する施設を、黒潮に最も近い西部の幡多地域、東部の室戸地域に造り、
ウラン産業化の基盤を作るのが橋詰氏の考える、近未来のエネルギー大国高知のスタートです。

ウランが産出されるとなればそれと同時に、当然幡多室戸地域は、日本の中でトップクラスの超重要地域となります。
どうしても国家が守り、ことあれば駆けつけなければならない地域と、その瞬間に変貌するのです。

さすれば高速道路はもちろん、飛行場やヘリポート、軍港、ありとあらゆる高度なインフラは、この地域に造らざるを得なくなります。
当然、津波対策も万全でなければなりません。

それでこの地域が、直接的な投資を得るだけでなく、その後の交通インフラの向上に伴い、他の地域との時間的距離を大幅に縮め、後々までこの地域発展の基本的な大動脈となるでしょう。

話はそれだけではありません。
ウラン産業化の研究施設ならば、当然算出されるウランの販売先を考えなければなりません。

今原発の燃料になっているウランは、地中から露天掘りで採られているものです。
一般的な地中のウランの埋蔵量は、世界で80年と言われますが、黒潮ウランの推定埋蔵量は、最低で200年と言われています。
この最低200年という数値は、黒潮が太平洋をぐるりと回るのが200年ということから算出されています。
つまり、一箇所で全て抽出し切ったとして、200年間はウランが取り続けられると言う計算です。

取りきることはまず不可能ですから、埋蔵量の本当の数値は全くわかりません。
つまり、とてつもない量のウランが、黒潮にはあるということです。

地中から採られる天然ウランは、燃料になるウラン含有量がとても少ないので、濃縮して利用していますが、黒潮ウランは純度が高いので、燃料棒にしている現在の方法とは別の仕組みができるのですね。
ウラン自信は熱にとても強いのですが、燃料棒にするための外材が熱に弱いので、原発の冷却に気を使うのです。

黒潮ウランの燃料なら、安全性が高い原発が可能です。

また橋詰氏曰く。

「この研究施設では、この安全な燃料を使った独自の原発を作れば良い。」
「それは大規模なものである必要はない。」
「原子力潜水艦や、原子力空母に搭載されている、小型の原子炉で十分だ。あれでも火力発電所くらいの発電量はある。」
「原子力エンジンで使われているサイズなら、冷却がラクだからだ。」

「冷却が楽な原発ならば、地下水で冷却できる。そしたらトンネルを掘って、原発を山の中に造れる。」
「大規模原発だから、冷却を優先して海の近くに造らなければならないんだ。」
「海の近くは、テロに弱い。」
「また事故の時、地域住民を何十万人も、短時間で非難させるなんて不可能だ。」

「山の中なら、絶対に放射能漏れは起きない。放射能は光だから、山の土の厚さで完全に遮断される。」
「もし、原発で事故が起きれば、施設ごと捨ててしまえば良い。」
「原発のコストのほとんどは、地域への保障費だから、山の中の原発ならばとても安い発電ができるよ。」
「こういう原発を、トンネルを掘って山の中にいくつも造ればいいんだ。」

「当然、研究施設の近くから、実験的に始めることになるだろうね。」
「そしたら幡多、室戸地域の電力は、ただ同然になるだろう。」


私は橋詰氏の語る、高知エネルギー大国論を聞いて、本当の意味で、今の自民党的な原発施策が怖くなりました。
「施設むき出しの、原子力発電所は危険だ。」「原子炉を小型化し、放射能漏れのない、山の中に造るべし。」

幸福実現党の電気エネルギー政策は、「安全性を高めて、原発推進」でした。

「こ・・・こういうことなのか・・・。」 

現代の野中兼山=橋詰毅(つよし)氏には、高知100年の繁栄の未来が、はっきりと見えているのです。

                                               (続く)              







高知に、公平と自由と民主主義はあるのか!(高知新聞の偏向報道を問う)

2013-07-17 21:17:00 | 自由の神の信奉者

土佐のくじらです。

昨日の高知新聞朝刊には、幸福実現党橋詰つよし候補だけを外した企画が掲載されていました。
私は慣れ親しんだ地元紙高知新聞に、強い憤りを感じていおります。

「自由は土佐の山間より」
という言葉が、私は大好きです。

幕末明治の頃、英語のFreeという言葉を現す言葉が日本にはありませんでした。
それを翻訳し、自由という言葉を創造した人は私は存じませんが、それを日本に定着させたのは、
自由民権運動で知られる土佐の政治家、板垣退助であることは誰も疑いのない事実です。

自由という言葉は土佐人が日本に広め、定着させました。
その影には、坂本龍馬の暗殺があり、板垣退助も襲撃されました。
土佐の先人たちの、命を張った人生こそが、日本人の自由の概念と、自由な社会の基盤となっていると、土佐人である私は誇りに思っております。

自由な社会とは何か。
何事にもとらわれず、自身の心の欲するがままに生きて良い社会です。

それを、他の言葉に言い換えるならば、
「成した努力が報われる社会」と私は言えると思います。

さあ、民主主義社会と言われている日本ですが、本当に、
「成した努力が報われる社会」となっているでしょうか?

今行われている国政選挙、
橋詰氏以外の候補者は、高知新聞の企画に載りました。
これを恐らく高知新聞社は、「政党要件」に求めるでしょう。

しかし裏を返せば、
政党要件を満たしていると言われている、名の知れた既存の政治組織は、税金を使って選挙をしているのです。
彼らは税金を使って選挙をしているにもかかわらず、その上、8割のシェアを誇る地元紙が内容の宣伝をしてくれます。

しかし一方、政党要件を満たしていないと言われる、橋詰氏が所属する幸福実現党は、
自分たちだけで資金を集め、自分たちだけで広報し、自分たちだけで選挙活動から何から何までやってています。

このような不公平が、果たして許されて良いのでしょうか!
橋詰氏が所属する幸福実現党は、選挙公報の分野で、完全なハンディ戦を立党以来続けているのです。

昨年、橋詰氏が所属する幸福実現党の支持母体の幸福の科学は、映画を2本上映しています。
「ファイナルジャッジメント」という実写映画と、「神秘の法」というアニメ映画です。
私はその2本とも、橋詰氏と共に鑑賞いたしました。

共にテーマは国防です。
現代日本を取り巻く様相が、まことしやかに描かれて、実写も映画も作品としてとても完成度の高いものでした。

聖書に馴染みのある私は、「ファイナルジャッジメント」の訴えたいメッセージが気に入りました。
聖書を読んだことのない橋詰氏は、国防の強化の必要性を認識なさったようですが、
私は橋詰氏とは全く違う見解を、この映画作品から読み取っています。

恐らく、聖書に馴染みの深い世界は、私と同じ見解を持つでしょう。
それは世界の人々から見れば、彼らの作品「ファイナルジャッジメント」は、子供にもわかるメッセージなのです。

何が言いたいかと申しますと、この幸福実現党の人たちのメッセージには、国際性があるということです。
つまり、世界の人々が理解できる内容だ・・・ということです。

彼らは、映画だけではありません。
学校も独自で造っています。

そして、海外にも公演して回っています。
私はフィリピン、インドの仏教の聖地ブッダガヤ、そしてアフリカのウガンダ公演を、橋詰氏と共にお聞きしました。

どれも数万人単位の大会場です。
特にブッダガヤとウガンダは、野外特設会場でした。

自民党が、国防に関する映画を作りましたか!
民主党が、学校を設立しましたか!
公明党が、彼らが行ずる法華経の聖地、霊鷲山(りょうじゅせん)で、4万人集めて公演できますか!
日本維新の会がアフリカの地で、アフリカの民に誇りと希望を与えられますか!
共産党や社民党党首が、フィリピンの大会場で、スタンディングオベーションで迎えられることがありますか!


彼ら(幸福実現党)は、独自で資金を集め、これらの活動を続けているのです。
既存の、税金を使ってのうのうと選挙をしている政治組織が、一体社会に何をしたというのですか?
国民不在の政争に、明け暮れていただけではないですか!

宗教法人が非課税だということで不公平を言う人がいます。
しかしそれは当たり前です。
宗教に本来、利益など無いからです。

本気で布教し活動している宗教は、入ってきたお金は、全て活動費だからです。

宗教と金銭トラブルの話は、巷(ちまた)から消えたことはありません。
しかし、宗教と詐欺くらいは、見分けがつかないとダメです。

その違いを教えることこそ教育であり、その違いを伝えることが、マスメディアの仕事ではないですか!

高知新聞の今回の橋詰氏の扱いは、自由の国のオピニオンリーダーとしては甚だ失格であると、今の私は言わざるを得ません。