土佐のくじら

土佐の高知から、日本と世界の歴史と未来を語ろう。

偉大な縄文文明 

2013-07-24 20:53:58 | 古代日本のミステリー

土佐のくじらです。

夏休み企画的な、ミステリーチックな歴史ブログ記事を始めました。
ブログオーナーは、少々頭が煮え気味なので、お読みの方も少し気楽に立ち寄っていただけたらなぁと思っております。

さて私はブログ開所から、近代の歴史を書いていましたが、実は私、古代の方が好きなのです。

私は歴史好きですが、史実を重視しません。(笑)
つじつまが合うかだけに着目しております。(爆笑)

史実には、どうしても書き手の主観が入りますし、その時期の権力者たちの意向が入っております。
ですので史実中心ですと、その書き手の主観を取り除くことから始めなければならないので、めんどくさいのですね。(^^;

私は真実が知りたいだけですので、そういう主観や時の強者の思惑が邪魔で、フィールドワーク的な観察と、原因結果を重視します。
ですから、史実の残っていない古代の方が、自由に楽しめるのです。(笑)

ところで私は、日本の縄文時代というのは、世界の5大文明に入れるべきだと考えております。

前回の記事にも書きましたが、有名な縄文土器は、”ただの壷”のような印象で、教科書では紹介されていますが、ところがどっこい、その正体は、”万能調理器具”でございます。

煮るのはもちろん、焼く、揚げる、炒める、一台で何でもできる機能を持っております。

縄文人の主食を皆様御存知でしょうか?
答えは、”栗のクッキー”なのですね。

驚くべきことは、この栗は自然採取されたものではなくて、人工的に栽培されていたのです。
縄文人たちは農村の周囲を栗林で囲み、収穫し備蓄しておりました。
これだけでも凄いことでしょう?(笑)

そして栽培した栗を粉にして、クッキーを焼いて食べていたのですね。
となると、つまりは・・・
縄文土器は土器のくせに、クッキーを焼く温度に耐える性能を持っていたことになりますよね。

クッキーを焼く温度というのは、大体摂氏1000度Cくらいです。
それくらいの高温に耐える性能を持った調理器具を、土から作る技術は、現代どこにも存在いたしません。
全て、鉄製のはずです。

もちろん、縄文より新しいはずの”弥生式土器”は、煮る以外の調理方法はできません。
実は縄文土器のテクノロジーは、”人類史から失われた技術”なのですね。

縄文人=原始人のイメージしか、多くの日本人は有してはいませんが、狩猟はあくまでオカズです。
決して彼ら縄文人は、”はじめ人間ぎゃーとるず”のような人たちではなかったのです。(笑)

日本では鹿やイノシシなどは、どこにいてもそしていつでも取れますし、川や海からは、幾種類もの魚介類が年中取れ放題です。

また縄文の地層からは、ゴミが出土するのですが、実はその縄文地層のゴミは、2週間で成分が変わるのですね。

2週間・・・というのは、”旬”と思っていただければ良いです。
2週間で何が変わるかと言うと、その時々の”旬の食べ物”のゴミに変わるのです。

その時々の旬の食べ物が、ある一定以上出土するのが、古代日本の集落遺跡の特徴です。
栗を主食に、野生動物や旬の山菜、豊富な魚介類などを、縄文土器で調理して食べていたのが縄文人です。

これらから推測すると、当時の世界で、最も食べ物の豊かな文明が、日本の縄文時代であった可能性が高いのですね。

でも、当時・・・と一概に、ひとくくりにできないところがあります。

なぜなら、縄文時代というのは、少なくとも1万年前から始まっております。

教科書的な歴史では、メソポタミア文明で7000年。
エジプトや、黄河、インダス文明あたりで5000年前くらいです。

そしてこれらの文明圏は、1つないし2つの川の流域のみの、”限局文明”です。

しかし、縄文文明の証拠である縄文土器は、北海道から九州までの全国各地で、当たり前のように出土いたします。
ということは縄文文明は、文明圏としては世界最大ですし、教科書的には、世界最古の文明に相当します。

しかも、驚くべきことは、その失われた技術、脅威のテクノロジーでできた縄文土器はごく極限られた所から出土するのではなくて、全日本列島の一家に一台が当たり前・・・のように出てくるのですね。

当時の王侯貴族的、限られた富裕層だけが使用していたのではなく、全国各地の一般庶民が、ごく当たり前に使っていたのが縄文土器です。

この事実から推測できることは、古代日本の縄文時代というのは、
現代文明でも作れない高度なテクノロジー作品である縄文土器を、誰もが同じように作れる文明であったか、
もしくは、とある場所で大量生産し、全国に流通させるシステムがあったとしか、説明できない文明なのですよ。

ねえ、凄いでしょう?(笑)

しばらく、こういう感じで続けて行こうかと思います。
では、またのお越しを。     (^^)/

                                       (続く)


古代日本のミステリー

2013-07-23 20:40:08 | 古代日本のミステリー

土佐のくじらです。

今日から、新シリーズを開始します。

新シリーズと言っても、やっぱり”歴史”なんですけどね。(^^;

本当は、中国ものや国防関係にしようかとも考えたのですが、
今までは戦争モノばっかりでしたし、その直後は参院選応援ブログと、結構重いテーマばかり続きましたので、少し頭が煮え気味です。(笑)

気分転換も兼ねて、時節は夏休み期間ですし、お若い方も、気軽に楽しんでいただける内容にしたいと考えました。
ですからしばらくの期間、歴史ミステリーで行こうかなと思います。

そしてよく巷で言われる、戦後日本は急速に発展し、云々・・・という議論がありますけど、私はこれを払拭したいですね。
ブログ記事で自虐史観を払拭したように、そういう一般的な常識を吹き飛ばしてみたいです。

この概念の中には、「日本は、遅れていた国だった。」っぽいニュアンスが含まれています。

そうではなく、日本は、最近の戦後だけでなくて、ず~~っと昔から、レベルの高い国であったということを、
数々の謎解きをしながら、私の歴史解明の真骨頂、【必殺、つじつまあわせの術】で、証明してみたいと思うのですね。(笑)

よく誤解されるのですけど、昨日より今日、去年より今年、という風に、歴史というものは、年代が新しくなればなるほど進んでおるものだ・・・という思い込みが、一般的にはあるように思えるのです。

しかし、実際はどうかというと、必ずしもそうはなっていない・・・というのが現実なのですね。

一般的な思い込みで語られる、この上記のフレーズというのは、恐らく、進化論的な感覚から来ているものだと推測します。

私も以前は、そう考えていました。

しかしたとえば、
縄文時代と弥生時代、どちらが文明・文化として高度であったか・・・

と聞かれれば、恐らく全員が、「弥生時代」とお答えになるでしょうね。

しかし、年代の新しい弥生時代が、更に古い縄文時代より進んでいたのは、
実は ”摂取カロリー” だけなのですね。

日常的に使っている道具などのテクノロジー、交通手段、流通システムなどは、もうほぼ全てにおいて、縄文時代の方が圧倒的に進んでいるのです。

以外でしょう?(^^)

弥生より古い縄文時代の方が、文明としてのレベルで言えば、実際ははるかに高いのですよ。

はっきり言って、縄文時代などは、世界5大文明として、教科書で教えなければならないレベルだと思います。
いや、世界最高の古代文明であると、私は考えています。

(伝説のムー文明やアトランティスなどの、超古代文明になると私もお手上げですが。笑)

予定では縄文から、平安時代初期までを予定しています。
神武東征や邪馬台国に関する私見は、「誇るべき日本の歴史シリーズ」以上の、インパクトがあると自負しております。
v(^^)

こういう意外な時間の流れ、ミステリーや驚きが、歴史を探っていくと随所に散りばめられているのですね。
それを発見することは、とても楽しいことです。

そしてそれは、日本という国家、そして日本人の奥底にある、本来の煌めきを発見することに通じると私は信じます。

ということで、次回はまず、偉大なる縄文時代について、私なりに語って参りたいと思います。

                                       (続く) .


現代の野中兼山 天才橋詰毅(つよし)の挑戦は続く

2013-07-22 20:20:50 | 天才橋詰つよしの挑戦

土佐のくじらです。

昨日開票が行われた、参議院選挙の結果が出ました。
与党自民党と公明党、野党では共産党の躍進となりました。

私が応援していた、高知選挙区では橋詰毅(つよし)の果敢なる挑戦は叶いませんでした。
しかし、全くの無名での初陣、そして今年2月からの選挙準備となる今回の戦い。

橋詰氏はこの短期間に、見事な地方政策をまとめつつ、広く交通の不便な高知県を2度も回るという、情熱ある戦いを演じました。
橋詰氏は、負けは致しました。

しかしそれは、彼の戦術面での反省はあれど、志においては見事であったと、友人である私は思います。
その証拠に、彼の所属する幸福実現党の高知県内の得票数得票率とも、過去最高であったとお聞きしました。

彼のブログでは、再起の誓いの記事を載せておりました。
当然です。
橋詰さん、あなたは諦めてはいけません。

それは橋詰氏のビジョンは、高知県民が将来、必ず受け容れなければならないものだからです。
でなければ、この地に未来が訪れないからです。

今回幸福実現党は、高知においてはほぼ他党と平等な扱いの報道が、選挙区においてはなされました。
しかしそれが意味するものは、つまり、

初めて幸福実現党のことを知った有権者が多い・・・ということです。
人間心理的に、こういう時にどういう判断をするかと申しますと、私のような偏屈者では無い限り、(笑)

「まっ、一回は様子見ようか。」となるのが常でありましょう。
そういう意味で、過去最高の得票数と得票率ならば、善戦と言えるのではないでしょうか。

そして今回の一般的な有権者の心理を読み取る限り、政権に復活した与党自民党への信任、
そしてその、好調自民党へのバランサー機能としての政治勢力をどこにするか・・・

で、得票が動いたように思います。
反自民、反与党心理というのは、何時の世にも存在します。

これまでバランサーとして票の受け皿となっていた民主党が、そのまずい政権運営を国民に知られ、得票の受け皿になることができませでした。

今回はそのバランサー機能的受け皿として、共産党が選択されたと私は見ております。

橋詰氏の所属する幸福実現党は、バランサー機能政党ではありません。

そういう単純な、古い価値観には、属さない性格を持っております。
政治選択をする側の、国民の総意がまだ、そういう単純な、

強い権力を持つ与党VSバランサー機能政党

という、構図を望む限り、橋詰氏の所属する幸福実現党の、苦悩は続くかも知れません。

アメリカの偉大な大統領リンカンは、大統領選挙に4回落選しております。
アメリカの歴史上最も偉大な大統領を、4回も落選させるのですから、民主主義というのも完全なものではなく、
選挙での判断というのも、価値の点では余り当てにならないものだと言えます。

ともあれ、幸福実現党の性格は、私が見る限り、新しい政治を発信している政党組織なのです。
宗教政党なので復古主義かと思えば、それは単なる思い込みであって、内容は新しい政治なのです。
これは高知の橋詰氏の構想を見れば、よくお分かりかと思います。

橋詰氏を始め、幸福実現党は集票力がまだ未熟なだけで、発信力は強く、ソフトが充実しておりますので、
それらは長く活動して行けば行くほど、それは効いてくると思います。

ですから世の中が、今ある既成政治組織的な、古い政治と、時代の問題解決に基準をおいた、新しい政治を望むようになれば、
橋詰氏の所属する幸福実現党は、かなりの得票数と議席を得るのではないかと推測します。

世の流れは早いです。
日本の現状は、多くの国民が、選挙をお祭りの一つと見て遊んでいる感覚では抗いがたい、難しい局面が多数あるからです。

歴史家としての私が見る現代の日本は、日清・日露・大東亜戦争を併せたくらいの、外交面、国防面での危機的な状況下にあるように見えます。

古い政治(既存政党)VS新しい政治(幸福実現党)の対決を国民の総意として望む時代。
その時は、案外近いのではないかと私は思っております。

兎にも角にも、橋詰毅さん、そして彼を支えたスタッフの皆様方、選挙戦本当にご苦労様でした。
初陣の経験と、そして出会いをバネにして、これから大きく飛躍してください。

さて、友人橋詰毅(つよし)の参議院選挙も終わりましたので、次回からは新たなテーマで記事を綴って参りたいと思います。

時節は夏休みですので、何か若い方も、楽しんでいただけるものになればと構想中です。(^^)


幸福実現党 橋詰毅(つよし)は野中兼山の再来 

2013-07-20 12:04:00 | 天才橋詰つよしの挑戦

土佐のくじらです。

今高知は、存亡の危機にあると言えます。
日本の少子高齢化最先進国であり、人口の自然減と、県内産業の長期にわたる衰退。
また、東南海大震災とそれに伴う巨大津波の恐怖。

これら、現代の文明では、何の模範解答もなく、具体的な解決策もなく、今の県民はただそれらを受け入れ、諦める以外の術を持っていないのが現実ではないでしょうか?

私は、一人の歴史を愛する者です。
その一人の歴史家として今の高知を見るならば、江戸時代初期の野中兼山以前の土佐の国、
長年の戦国の世に内乱に明け暮れ、そして京の都や日本の中心からも離れ、辺境の地としてあり続けた、長曽我部(ちょうそかべ)以前の土佐と重なるのです。

四国の雄となった長曽我部家は、確かに戦は強かった。
しかし、四国の戦国の覇者長曽我部家の戦の強さは、地元土佐を潤しはしませんでした。

大河はあれど、その水資源は使えず、平野はあれど、ただの広大な荒地でした。
関が原の勝者、後の土佐藩主山内家も、公には土佐20余万石を発表しておりましたが、
実質的には10万石強というのが、江戸時代当初の土佐のコメの取れ高でした。

そのような土佐藩が、幕末期には薩摩・長州と並ぶ・・・否、凌駕するほどの実力を持つ大藩となりました。
だからこそ、土佐の殿様(山内容堂)が、大政奉還の建白書を江戸幕府に提出したことで、江戸時代は終わったのです。

徳川幕府は対等外交相手、今で言うなら連立相手の土佐藩が、倒幕側に回ることで政権維持を断念せざるを得なかったのです。

幕末期に残る外様大名は、薩摩の島津家、長州の毛利家、加賀の前田家、米沢の上杉家など極わずかです。
これらは元来が、豊臣五大老格の大大名であり、元々の軍事力も大きく、江戸幕府としても手が出しにくかったのですね。

幕府開闢当初は、50万石以上の外様大名が、全国各地にたくさんありましたが、それらは押しなべて元来は小藩でした。
それがのきなみ10倍以上の領地を得たことで、藩の運営に無理がかかったのですね。
そこを幕府につけ込まれ、そのほとんどは改易となりました。

土佐藩も、元来5万石程度の小藩ですので、幕府にいつ取り潰されても仕方ない状況でしたが、
江戸時代を通じて土佐山内家は、幕府と実質的な対等外交ができております。

これは今の高知県民の持つ、「自由を愛する心」にも通じております。
幕府に対して強かったから、幕府が決して倒せない藩だったからこそ、土佐人は自由に生きることが許されたのです。

土佐の国を変えたのは、たった一人の天才政治家でした。
それが野中兼山です。

野中は大きな川の上流に堰(せき=ダム)を造り、そこから引いた用水路網で、
広大な荒地だった高知平野を、人工的な近代農地へと変貌させました。
その広大な平野を縦横無尽に走る、規模の大きな用水路網は、防衛用の堀を兼ねています。

また、外洋港をたくさん造り、漁業の基地を設けるだけでなく、実質的な海軍機能を持たせておりました。
野中は、対幕府防衛力強化と藩内経済向上を、同じインフラで行ったのです。

野中兼山は、「国防につよし」また、「経済につよし」の天才政治家だったのです。

高知の歴史を振り返れば、野中兼山という一人の傑出した政治家なくば、高知はとっくに太平洋の荒波が押し寄せるだけの、四国の防波堤となっていたはずです。

今の高知は、野中が家老に就任する前の、長曽我部以前の時代と同じなのです。
野中や彼に協力した人たちが、智慧と工夫と汗と努力で土佐の国造りをし、江戸時代最強藩土佐をつくりました。

長曽我部以前の土佐の領主たちは、土佐の少ない田園を奪い合うだけの小さな抗争を、延々と続けただけでした。
ですから家老に就任した野中には、やるべきことが山積みでした。
野中は、土佐の奪い合う歴史を、土佐が富を生む地に激変させることで終わらせたのです。

今また時代は繰り返し、その選択の時期に来ています。
高知には、やるべきことがたくさんあります。
否、やらなくてはいけないことが山積みです。

高知県民は、野中兼山の再来を選択するべきです。
それは、彼がやろうとしていることを見ればわかります。

野中兼山の再来こそ、幸福実現党公認候補、橋詰毅(つよし)です。
橋詰毅(つよし)は野中兼山同様、「国防につよし」「経済につよし」の人物です。

                                               (完)

                                       




野中兼山の再来 橋詰毅(つよし) 高知県全体を繁栄させる男

2013-07-19 21:55:26 | 天才橋詰つよしの挑戦

土佐のくじらです。

私が高知選挙区出馬の橋詰毅(つよし)氏からお聞きした地方政策を、最近の拙ブログでは書き続けております。
書き続けられるのは、何回も申しますが、書く内容があるからです。

橋詰氏の友人である私が思うに、この人の地方政策には大きな特徴があって、
どれも一地方にとっては規模が大きく、そして長年使うことを前提に考えられていること、
多機能でお買い得なこと、そして次の手立てが決まっていることです。

橋詰氏の地方政策の名は、「高知100年繁栄の計」ですが、橋詰氏によると、これにも意味があって、

船以外の、海上大量輸送技術が開発され、文明として定着するまで。
陸路の移動手段が、自動車や鉄道などで行う以外の文明ができるまで。
そして、原子力発電以上の、大規模エネルギー創造が、文明として定着するまで。

が、大体100年くらいだろう・・


ということらしいのです。

これらによって現代文明は、人・モノの移動が行われていますが、現代の方法を越える文明技術ができるまでは、
高知100年の計を施した高知は、他の地域に負けないだけの優位を長く保てる・・・という橋詰氏の試算があるのですね。

ということは、人類の文明の技術革新がなければ、それだけ高知の繁栄は続く・・・という橋詰氏の読みもあるわけです。

土佐湾の入り口は広いです。
外洋港という発想ならば、いくらでも大規模な港を造れます。
海流は年中一定ですし、海上の風が強いので霧は出ません。

瀬戸内は狭く、海流も複雑です。霧も出ます。
高知の港を利用した方が、大きな輸送が頻繁に行えるのですね。
当然その方が、コストも安くなります。

これは、地域的、地理的優位です。
ですからこの、高知県が持つ地域的・地理的優位な条件というのは、未来永劫変わりません。

しかしそのためには、陸路を大改革しなければなりません。
具体的には、四国山脈を克服すると同時に、県内アクセスを良くしなければならないのです。

また、黒潮に大量のウランがあるが、コストの問題で産業化できないならば、
最も近いところで産業化するのが、コスト的に絶対に有利です。
もし他の地域がこのビジネスに参入してきても、地域的優位さというのは絶対に変わりませから、これまた原子力発電の優位が続くまで、高知の優位なわけです。

橋詰氏はよく「四国中にリニアモーターカー網を造りたい。」と言っています。
「新幹線もなく、JRもディーゼル単線で高架にもなっていないのに、リニアなんて現実的でない。」とおっしゃる方も多いようです。(笑)

しかしリニアモーターカーの方が、新幹線より運用コストは低いのですね。
高速で車輪を回す新幹線は、線路や車体のメンテナンスコストが、ものすごく高いのです。
これは、新幹線が抱える宿命と言えます。

一方、リニアモーターカーは、浮いて進みますから、線路や車体のメンテナンスは新幹線ほどシビアではありません。
しかし、電気をべらぼうに消費いたします。

東京-大阪間をリニアモーターカーを建設すれば、その区間に、リニア専用原発施設を造る必要があるらしいです。
リニアモーターカーは、それくらい電気を消費いたします。

高知の山々に、小型原発を大量に造って、電気代を限りなく安くする構想を橋詰氏は語っていましたが、
その安い電気料金ならば、リニアも格段に安く利用できるという構想なのかも知れません。
それならば、新幹線よりお得です。

また高知は雨が多く、水がどの地域よりも豊富です。
水が豊富で、地震による津波災害の恐怖なく、流通に優れ、エネルギーが潤沢にあるならば、高知の産業化は容易ですよね。

産業化に最も適した環境を、これからの高知に創り出すのが、橋詰流高知興国論なのです。

全ては、流れやすい方に流れて行きます。
水も風も電気も、そして、人の心も。(笑)

であるならば、繁栄しやすい環境を創り出すのが、最も繁栄に近い道のりのはずです。
それこそが、政治の仕事なのではないでしょうか?
いや、これは政治の力なくしては、絶対に出来ないのではないでしょうか?

日本は、大人の国です。
もうそろそろ日本国民は、本物を見る眼を持たなければならないと思います。

イメージやビジュアルだけの政治家選びの時代は、自由と革命の国高知から終わりにしましょう。

それはいつやるのですか?
今でしょう!  (笑)

                                             (続く)