釜石の日々

岩手県釜石市に移り住んで16年8ヶ月が過ぎ、三陸沿岸部の自然の豊かさに感動する毎日。

津波に弱い河口部や埋め立て地に展開する大都市

2012-07-26 19:32:15 | 文化
今朝の釜石ではとても面白い現象が起きていた。住んでいる家のあたりは海岸から8Kmほど内陸よりにあたるが、日射しが強く、青空も見えていた。出勤時、職場のある海岸方向へ進んでいると、ちょうど中程にあたる小川あたりから空は雲が覆い、周辺の山には霧雲がかかって来た。海岸にほど近い職場の近辺になると霧模様はさらに強まって、薬師公園にも霧が流れていた。同じ釜石でありながら、空模様がこれほど違っているのは釜石へ来て初めてのことだ。山田町から来られている方の話では海岸伝いの45号線は霧で進むのが大変だったそうだ。山背は海から霧を運んで来る。同じ釜石であっても海岸付近と内陸寄りで違いが顕著だが、さらに内陸である遠野と比べても予想最高気温は釜石が24度であるのに対して、遠野は28度で、4度もの差がある。娘たちがいる大阪は34度だ。親に似て暑がりの娘は大変だろう。昼前から職場のあたりも夏の痛い日射しが射して来て、青空も広がって来た。それでも風は気持ちよく、クーラーなど入れなくとも窓を開ければいい風が入って来る。いつも職場への往復は車の窓を開けて、クーラーを使わないでいる。どうも今年は気温の上がりが悪いらしく、野菜のできも悪いと聞いた。山の実りも良くないのか、熊も例年より多く出没しているようだ。先日も職場に近い所で熊が出たと聞いた。庭の杏の実も確実に去年より少ない。今年気温が上がりにくいのはエルニーニュ現象の影響によるものなのだろうか。日本列島の市街地は航空写真を見るまでもなく、河川が創り出して来たことは明らかだ。大部分の市街地は河口付近の扇型に形成された砂州をもとにしている。北上川のような内陸を長く走る川も、流れを変えることで広がった砂州に市街地が形成されている。釜石の場合は甲子川が南北ですぐに山に挟まれているため、広い砂州は形成されず、河口付近も他所に比べてずっと狭い。そのおかげで昨年の震災では同じ三陸でも砂州の広がった山田町や大槌町、大船渡市、陸前高田市などより被害の受け方は少なくて済んだ。現在釜石市内には54カ所に仮設住宅が建てられており、規模は大小様々だ。16000人ほどがそこへ入居している。うち700世帯は他市町村の方を受け入れている。人口が4万人ほどの市なのでその4割が仮設住宅の住人だ。先日娘に教えられて行った尾崎半島の佐須地区にも小さな仮設住宅が建っていた。もともと佐須地区自体が小さな海辺の集落であった。そこへ津波が押し寄せ、家を流された人たちが狭い地形の中で何とか見出した場所に仮設住宅を建て、できるだけ元の生活が維持しやすいようにしたのだろう。市街地に建てられた仮設住宅はいいが、山間部や海岸の半島部の佐須地区のような市街地から距離のあるところに建てられた仮設住宅が多い。陸前高田市は河口部に広い砂州が形成された街で、傾斜もあまりないため広範に被害を受け、仮設住宅を建てる場所もあまり残されていなかった。大槌町なども同じような状況だ。そうした街に比較して被害範囲が少なかった釜石はそれらの市町からも仮設住宅の入居者を受け入れている。仮設住宅は原則2年間のみ認められているので、その後がまた問題になって来るだろう。四国へ帰省する際は、関西の伊丹空港で乗り換えるが、空港に着陸する前に大阪湾から神戸にかけてがよく見える。現在も瀬戸内海の埋め立てが大規模に行われているのが見える。大都市では河口部だけではなく、こうした埋め立て地も大きく広がっている。陸前高田市や大槌町を見ていると、あらためて東京や大阪と言った広大な河口部に展開された大都市の津波に対する脆弱性に不安になる。河川も津波の遡上を簡単に許す。地震よりも津波の方が直接の被害はずっと大きくなる。
桔梗(ききょう) 平安時代には阿利乃比布岐(ありのひふき=「蟻の火吹き」)と言われた
蟻酸で花が赤く変わり、蟻が火を吹いたように見えるという観察から付けられたそうだ