釜石の日々

岩手県釜石市に移り住んで16年8ヶ月が過ぎ、三陸沿岸部の自然の豊かさに感動する毎日。

復興イベントの1日

2012-01-21 19:19:01 | 文化
今日は釜石は朝から雪だ。ただ量は多くなく、積もりそうにはない。時々みぞれ様に変わる。釜石駅の西側に「シープラザ遊」というイベント用の大テントがある。今日と明日の二日間そこで「復興イベント 希望の光ムーブメント」がある。毎年「産業祭り」とか「味覚祭り」のような名前で行っていた行事を今回は復興イベントとして行ったのだ。トラックで雪が大量に運び込まれて、「かまくら」と滑り台が作られ、大テントでは隣接の各県から来てくれた人たちが店を出している。食事も出来るため娘の取材ついでに食事をしようということになり、昼頃から出かけた。午前中にすでに「わんこそば全日本大会 釜石場所」が行われたようだ。今でも公共機関では他府県からの応援が続けられており、最近は警視庁のパトカーも釜石市内を巡回している。他の道府県と異なり、警視庁のパトカーは外国人が多いせいなのか、黒塗りで警視庁と書いただけでなく、ゴールドのマークと白字で「POLICE」とはでに書かれている。その警視庁のパトカーが1台「シープラザ遊」の入口に止まって警備に当たっていた。その近くに釣り鐘のような「かまくら」が作られている。そばには雪の滑り台もあり、小さな子供たちがたくさん順番に滑っていた。テキ屋さんたちの出店も並んでいたが、あまり客は多くないようだった。大テント内には何軒も特産品の店が出ていて、一通り見て歩いた。娘の知っている人たちも何人かいて、その人たちの話では、やはり今回は津波の被害にあった人たちが多く、残念ながら釜石からはわずか4店しか出店出来ていないという。被害の大きかった釜石の隣りの大槌町からは1店だけ出店してもらえたらしい。大半が従って秋田や山形、新潟あたりからの出店だ。最初に毎年来ている山形県の米沢からの米沢牛の串焼きを買った。いつもその度に話をしている店の方と今回も少しお話をさせていただいたが、米沢はもう雪がたくさん積もっているという。雪はたくさんあるが、寒さは釜石の方がずっと寒い、と聞かされて驚いた。この方はいつも釜石へやって来る時はゆっくりするため、前日に着いて、釜石で1泊して、帰りも1泊してから米沢へ帰るそうだ。今、米沢には6,000人もの人が福島から避難していて、山形県全体では3万人が避難しているそうだ。店の方は、米沢に来ている福島の人たちはみんな高級車に乗っていると、微妙な言い方をされた。そして福島からの人たちは、何で米沢牛を自分たちに食べさせないのだ、と不満を言うらしい。米沢の地元の人たちでさえ、米沢牛など口にできないのに、と言われた。米沢牛は高級過ぎて、とても地元の人も買えないのだそうだ。今回のような出店で売っている1本500円の串焼きは地元だと倍の値段になるものだと聞かされた。秋田県の「横手やきそば」、同じく秋田県の「大曲ラーメン」、「こまち美人うどん」、釜石のソーセージ「やじろべい」、「川喜の麺」ラーメンを二人分の昼食として食べた。昼食後はテント内の舞台で小川(こがわ)地区の市立小川幼稚園の園児たちの鹿踊があった。この幼稚園はこの3月で閉園される。釜石の小川地区には釜石でおそらく唯一の鹿踊が伝承されている。この鹿踊も遠野から伝えられたものだ。鹿踊は基本的に農民の文化で、釜石のような沿岸部には農地が少なく、むしろ漁業が盛んなため、沿岸部は虎舞が中心になる。幼児たちが演じやすいようにアレンジされた鹿踊が可愛い。終了後の司会の女性からの質問にも園児たちはみんな最初に答えた園児と同じ答えを繰り返していた。「面白かった」と。しばらくして、「復興の狼煙(のろし)ポスタープロジェクト」のポスター用の写真撮影があり、娘の誘いで一緒に大勢の中に混じって撮影して頂いた。写真家の馬場龍一郎氏がクレーンで高く持ち上げられた台の上からみぞれに打たれながら懸命にシャッターを押された。何社かの新聞社も撮影に来ていた。このプロジェクトのポスターは駅や空港などの公共施設に張られている。3月以降にいずれ今回の写真もポスターとして張られることになるそうだ。撮影後、大テント入口にある花巻の志戸平温泉から1,600トン持ち込まれた温泉湯の足湯を見に行くと、子供が気持ち良さそうに足湯に浸っていた。入口の反対側にはやはり花巻の白金豚の串焼きが売っていたので最後にこれも買って帰路についた。「白金豚」の名は宮沢賢治に由来するらしい。賢治が豚は触媒の白金のように自然と人間を媒介すると言ったそうだ。
会場入り口の釣り鐘状の「かまくら」

雪の滑り台と向こうにはテキ屋さんたちの出店が並ぶ

大テント内の他県からたくさんやって来てくれた出店

美味しい米沢牛の串焼き

幼稚園児たちの鹿踊

「復興の狼煙(のろし)ポスタープロジェクト」のクレーン台の写真家馬場龍一郎氏 下には新聞社のカメラマンがいた

足湯で気持ち良さそうに寛ぐ子供たち

歴史は繰り返されるのか?

2012-01-20 19:11:33 | 文化
今日は東京でも初雪が降ったようだ。『なごり雪』という歌が確か「東京の雪」を歌っていたように思う。学生時代に雪が首都圏に積もるのが珍しく、友人とはしゃいで雪合戦をやった記憶がある。その頃は雪が降るとタイヤにチェーンを巻くしかなかった時代だ。今と違って学生で車を持つ者などほとんどいなかった時代だが、友人の一人に裕福な家庭に育った人がいた。親に若者が憧れるタイプの新車を買ってもらって、1度乗せてもらったことがある。腫れ物に触る思いで運転したので笑われたように思う。とても高価で傷付けたりしないように気を付けたのだ。道路も今程十分舗装されていなかった。その友人とは共通のスポーツで知り合ったが、卒業後商社に入った彼とは1度も会っていない。雪合戦をやった友人も卒業後銀行へ入ったが、バブル崩壊後にその銀行は他の銀行と合併した。二人とも今日の初雪を見ているのだろうと思って、つい昔が懐かしくなった。今他の本と平行して2002年に徳間書店から出版されたハーバード大学名誉教授であったジョン・ケネス・ガルブレイスの『日本経済への最後の警告』を読み直している。ちょうど小泉内閣成立直後に書かれた。日本経済への警告とあるが、むしろ、軽い現代経済史的な内容でもある。カナダの農家の息子であったガルブレイスの自分史も交えて、英国人経済学者ジョン・メイナード・ケインズやルーズベルト大統領、ケネディ大統領などとの出会いにも触れている。現代経済史的に見ると、ほんとうに歴史は繰り返す、と言う言葉が頷けてしまう。1920年代の産業界優先の自由放任経済が一時的な繁栄をもたらしたが、それはやがて市民を巻き込んだバブルを招き、世界大恐慌へと至る。ケインズの反対は無視されて第一次世界大戦の敗戦国ドイツに法外な賠償請求をしたためにヒットラーの台頭を招いてしまった。ルーズベルトの経済への国家の介入により、経済の立て直しが速やかに行われ、それを米国へ足を運んだケインズが支援し、第二次大戦が始まると、ガルブレイスもハーバード大学の教職から、米政府の物価統制局長に就任し、国内の戦時物価の安定に奔走する。戦後はルーズベルトの依頼でドイツと日本の経済復興の任にあたり、ケインズ経済学の実践を図り、ドイツと日本の経済復興に成功した。米国で第二次大戦のために中断されたケインズ流の経済学の実践がむしろ敗戦国のドイツと日本で行われた。しかし、米国でレーガン大統領が登場すると、それまでのケインズ流の経済運営が廃され、再び企業優位の自由放任主義が台頭し、グローバル化の名の下に、世界中に新自由主義経済として広まって行く。そららはやがて日本のバブル、米国の金融バブルをもたらし、米国は軍事費の膨大な支出のために巨額の財政赤字を、日本は戦後からの官僚主導の財政運営がそのまま無評価のまま拡大し続けて、同じく巨額の財政赤字を生み出した。欧州は経済格差のある国々の統合により、経済先進国にも大きな負担がかかって来ている。その欧州経済の悪化で新興国中国やインド、ブラジルなども輸出の減退で、経済的な失速状態が見られて来ている。日米欧のいずれの国々も財政に大きな問題を抱えている。いずれかが転べば、それは他へも確実に大きな影響を与えるだろう。一つ間違えば戦後初めての世界大恐慌すらあり得るだろう。ここ数年の日米欧のあり方が世界を決すると言っても過言ではないと思う。その上で、今、米国が仕掛けているイラン問題の行方が心配である。米国内には二つの流れがあり、ユダヤロビーとそれに賛同しない流れだ。経済面では圧倒的にユダヤロビーが優位にあり、表面上はその流れに沿って動いている。ただその流れがそのまま行けば間違いなく、米国はイランを攻撃するだろう。そうなると米国の財政赤字はさらに上昇し続け、危険水位を突破する可能性も出てて来る。世界経済のためにも米国にはイランを攻撃してもらいたくはない。まして、イランの原子力関係の学者が何人か暗殺されて、その影にイスラエルの諜報機関モサドがいると言われており、イランの核爆弾の開発根拠も何も示されていない現状を考えると、一人、イスラエルの思惑のみが見えてくる。イスラエルこそむしろ核保有が公然の秘密になっている。米国は再び「イラク」を繰り返すのかどうか。
親たちが命をかけて遡上する傍らで群れをなす15cmほどの稚魚たち

踏みにじられる国民

2012-01-19 19:19:39 | 文化
朝起きると回りは薄らと雪化粧をしていた。周囲の山々の木々も白いシルエットを映し出していた。路面はブレーキをかけると少しだけ滑るようでABSが一度だけ働いた。震災後しばらくしてNPOで働くようになった娘は時々昼食を一緒に摂るために職場にやって来ることがある。職場の9階に一般食堂がある。好きな麺類が薄口醤油なので気に入っている。安くて味もまずまずなのだ。今日も他の用事で職場の建物に寄ったついでに昼食を誘って来た。午前中に娘の所属するNPOに厚生労働大臣がやって来たそうだ。政治家らしく職員一人一人に名刺を渡して、握手をしていったようだ。個人的に娘はいくつか言いたいことがあったようだが、NPOの代表の方がいくつか言ってくれたので、それで良しとしたらしい。震災後このNPOも雇用対策に関わったので、その雇用問題を大臣としては聞きたかったようだ。娘はあっさりと、まあ、この大臣もいつ変わるかも知れないからね、と言っていた。日本の場合は特に大臣もほとんどが言ってみればずぶの素人に近く、結局は官僚からの助言や情報に頼るしかない。日本の政治は大部分が官僚主導で行われているようなものだ。その官僚は例の「東大話法」で責任をとらず、自分の都合のいいように解釈し、事を進めて行く。今回の原発事故は東京大学原子力工学がいかに電力会社と経済産業省と一体となっているかを如実に示してくれた。安全論を振りまいたそれらの研究者は実際には原子力技術の安全性の研究など全くやっていない。原発企業である東芝から転職して東京大学原子力工学の教授になり、各地の原発立地の公聴会で安全論を傲慢な態度で述べ立てて来た者までいる。格納容器が壊れるということを「起きもしない確率」と表現し、「専門家になればなるほど隔壁が壊れるなんて思えないんですね」と堂々と述べ、「プルトニウムを飲んでも一人も死なない」と言い切ったことで、逆に信用を失ってしまった自称「専門家」だ。別の東京大学原子力工学の教授は10年間で5億円の「研究費」を東京電力から受け取っている。15日のNHKスペシャル「知られざる放射能汚染~海からの緊急報告」や17日のTBSでも報じられたように陸上だけではなく、海洋汚染が凄まじい。大阪湾の海底土壌からもグラブ採泥器による調査でセシウム134が最高で9,686Bq/kgが検出され、ストロンチウム90までも検出されている。朝日新聞が報じているようにチェルノブイリ原発事故後の2001~2010年の間のオオカミの調査から年を経るに連れて逆にオオカミの体内の放射線量は増加している。国は綿密な放射線量の測定に積極的ではなく、東京電力に融資する主要銀行が前提とする原発の再稼働をむしろ後押ししようとしている。融資を受け、債務破綻を免れようとしているその東京電力は先日記した社会保険料の会社負担の問題だけでなく、社内の財形貯蓄もこの時代に年8.5%もの利息を付けていると言う。国費を投じ、民間融資を受け、電力料金を上げても、自らは経費削減には全く取り組もうとしない。総括原価方式という極めて電力企業に都合の良い電力料金の算定方法により、経費がかかればかかるほど利益が増えると言う摩訶不思議な算定方法が認められているからだ。原発推進が国策であるため、国もこうしたいい加減な算定方法を許さざるを得ない。それを許す官僚や政治家はすべて国民に負担させればいいわけだから、痛くも痒くもないのだろう。政治献金が許されている政治家も国費から300億円もの政党助成金まで受けており、それをここまで財政難で増税が必須としながら、返上する姿勢は全くない。厚生労働省は昨年10月時点で生活保護を受給している世帯が150万2320世帯となり、過去最多を更新したことを発表した。4ヶ月連続増え続けている。
大鷺の飛翔

密かに進む原発推進

2012-01-18 19:08:56 | 文化
晴れた日が続くのはいいが、それだけ放射冷却で朝は気温がぐっと下がる。今朝は-5度だ。愛知県の岡崎市に住んでいた頃も一冬で一番気温が下がった時には-5度くらいにはなっていた。例年だと釜石もせいぜい-5度くらいまでなのだが、この冬は異常に気温が低い。赤道付近のエルニーニョ現象が異常寒波をもたらすという予想がその通りになっている。それでも日中は5度くらいまで上がってくれて、昨日の昼休みは風もあまりなく、コートを着て外に出ると気持ちがいいくらいだった。甲子川沿いの河川敷を川の流れを見ながらしばらく時間を忘れて歩いた。日射しが気持ちいい。海岸から1Kmは離れていると思うのだが川面からは潮の臭いが漂って来る。津波はこのあたりも襲って来て、当時は何台もトラックや乗用車が流されて来ていた。今はそれもすっかり片付けられていて、たくさんの水鳥やウミネコが引き潮で浅くなった川に群れていた。未だに鮭が何匹も遡上していて、疲れ切って力尽きた鮭をウミネコたちが狙っている。そうしてウミネコたちに啄まれた鮭たちが何匹も川の流れの淀みに沈んでいる。そのそばをよく見ると15cmほどの稚魚が黒い群れをなして泳いでいた。2~300m歩いたところに鮭を囲い込む網が2カ所に分けて設置されており、囲い込みの中には鮭が何匹か入っていた。この2段構えの囲い込みの網をもクリアーしてさらに上流に遡ってくる鮭がいるのだから、その逞しさには感心させられる。この河川敷を時々散歩する老人やジョギングする若者とすれ違う。海岸から8Kmほど上流の我が家のあたりの甲子川で以前娘と息子が釣りをして何匹もヤマメを獲ったことがある。こんな家から近いところで釣りができること自体に驚いていた。札幌の都心部で育ったので身近なところで釣りができることが不思議だったようだ。その息子は来週から再び宮城県でキリスト教系のドイツの組織とともにボランティア活動を1週間やるそうだ。宮城県も放射性物質による汚染があるだろうが、それを承知での活動なので、本人の判断に任せている。放射性物質は決して消えることはない。少なくとも今いる人たちが生きている間は。マスコミも福島県以外の被曝についてはほとんど報じることはないし、他県の自治体も測定に積極的ではないため、結果的にはまるで汚染がないかのように過ごされている。震災だけでなく原発事故も時が経つにつれて人々の記憶から徐々に薄れて行き、そこを利用して原発の都合の良い推進が密かに進められている。14日には横浜で30カ国が参加した「脱原発世界会議」が開かれ3000人は参加しているが、これも報道するマスコミはわずかだった。東京電力柏崎刈羽原子力発電所1、7号機の「ストレステスト(耐性検査)」の1次評価結果で他社の原発12基に比べて著しく小さいことが明らかになっても東京電力は「柏崎刈羽原発は想定の揺れを厳しく見直した。他原発と単純には比較できない」として改善しようとはしない。昨年12月政府の第一原発事故調査・検証委員会の中間報告書で指摘された放射性物質拡散予測システム「SPEEDI」の有効な活用についても、それを無視して、原子力防災指針の見直しを検討している内閣府原子力安全委員会の作業部会は原発事故時の住民避難判断には実測した毎時の放射線量などをもとにするという改定案を出している。原子力発電所の運転を原則40年以上は認めないとする原子炉等規制法まで改「正」されて、最長で20年の延長を認める規定を盛り込むことになった。福島県大熊町の渡辺利綱町長らは除染工程も示さず、本格除染も実施されていない現状で現在の警戒区域と計画的避難区域見直し方針が公表されたことに抗議をしており、除染効果の明示も求めている。国は毎年4,500億円もの予算を原発関連に使っており、そこには出来上がった利権構造が厳然と存在する。一度組まれたこの予算枠は維持しなければならないのだ。たとえ、危険で無駄であったとしても。
動かなくなった鮭を狙ってウミネコが近付くと逃げ出した鮭

指導的立場のものには許されないものがある

2012-01-17 19:18:54 | 文化
今朝もよく晴れたが放射冷却で-7度まで下がってしまった。庭の水道も犬たちの水入れも凍った。外に出ると手足まで痛くなって来た。風のないのがせめてもの救いだ。風がないため頬は痛くなくて済んだ。出勤時に昨日の白鳥を探したが視野に入らず、もう飛び立ってしまったのかと思っていると、ずっと上流にいる1羽の姿が目に入った。もう1羽はおそらく中州の影に入って見えないのだろう。職場の3階の高さにある駐車場から見える裏山にも最近ずっとアオサギらしき姿が同じところに毎日見られるようになり、時には白鷺も一緒にいることがある。朝から昼頃までずっと同じ場所にいる。南面の日当りのいい場所なので体を暖めているのだろう。北海道の道東の女満別空港は高台の上にあり、その高台の中腹の木々にアオサギがたくさん営巣しているのを見たことがある。それを思い出して職場の裏山のアオサギらしき鳥もそこに営巣するのかと思っていたが、別に巣を作る様子もない。それに遠目ではあるがアオサギにするとやや体が丸味を帯びているようにも見えていた。今日はそれを望遠レンズで見てみた。やはりもしかしたらと思っていたゴイサギだった。ゴイサギはスマートなアオサギに比べて足も短く、体も少しずんぐりしており、嘴も短い。目は赤い。冬毛なので特徴的な1本の白く長い冠羽はない。背中の色もアオサギより少し明るい青だ。お腹はアオサギよりずっと白い。鳥たちは津波があっても羽根があるので簡単に逃れられただろう。一昨日の毎日新聞の「時代の風」に日本近代史の東京大学加藤陽子教授が『原発事故の原因』と題する記事を寄せている。昨年9月29日付「朝日新聞」朝刊に載った中東政治が専門の東京外国語大学大学院酒井啓子教授の『専門知を結ぶシステムを』の「これまで社会科学は、個々の専門家の知識を俯瞰(ふかん)して総合的判断を示すシステムや場を用意してこなかった。だが「研究者が個々の専門知の多様性を活(い)かしながら、同じ問題意識を共有して、戦争や災害など生活を根幹から壊す事件」に対処しうる「知」を、システムとして持っておく必要があるのではないか、」という論を引き合いに出して、「重要なポイントは、俯瞰と総合という点にある。」と述べておられる。そして昨年12月26日に発表された東京電力福島原子力発電所における事故調査・検証委員会の中間報告の末尾に「これまでの原子力災害対策において、全体像を俯瞰する視点が希薄」であったと書かれていることを指摘されている。報告書の要点も次のようにまとめておられる。「いわく、(1)情報収集と意思決定の両面で四分五裂していた政府中枢(2)原子力災害対策マニュアルで、情報入手の中枢とされていた経済産業省緊急時対応センターが全く機能しなかったこと(3)甚大な事故を想定したマニュアルに、地震・津波など外的事象による問題発生について一切載せていなかった東電の教育体制(4)対策を電力事業者の自主保安にまかせず、法令要求事項とすべきであったのにしなかった政府。責任の所在は明らかだ。」と。さらに「報告書を読んでいて最も衝撃的な部分は、緊急時に、巨大な機器としての炉がいかなる「癖」を持って稼働するのかにつき、運転員の理解が甚だしく不十分であった事実を明らかにした部分である。旅客機の操縦士であれば、心身の健康チェックから始まり、機器としての飛行機につき、実地と仮想両面から訓練を受け、操縦マニュアルも血肉化しているはずだろう。多数の生命を預かる仕事だからだ。運転員は原子炉の向こう側に、被ばくしつつ避難を余儀なくされる人々の姿を想像しつつ運転したことがあったか。」として、「委員会が重くみたのは、1号機を冷却する非常用復水器(IC)につき、全電源が喪失した場合、自動的に隔離弁が閉じるよう設計されていた簡単な事実に、当直と呼ばれる11人からなる運転員の誰一人として気づかなかった点だ。」と言われる。最後に「あれほど、法的規制好きな霞が関が何故、自習と講義程度の研修でパスさせたのか。本紙の昨年9月25日付朝刊が明らかにした、東電への天下り50人以上、との事実がその背景だとすれば、あまりの分かりやすさに慄然(りつぜん)となる。」と結ばれている。「俯瞰と総合」は「優秀」なはずの経済産業省の官僚たちにも欠けている。昨年5月にすでに福島県が政府に「建材の放射線基準を示してほしい」と申し入れていたにもかかわらず、それを無視していたために今回の福島県浪江町の砕石を使った福島県二本松市の高線量マンションの建設に繋がったのだ。
職場の裏山で日を浴びて暖まるゴイサギ(目の中心が赤い)

機会を奪われる子供たち

2012-01-16 19:18:23 | 文化
今朝も-5度まで下がって、外の水道が凍結した。ほんとうに今冬は異常に気温が低い。犬たちの水入れも毎日のように凍っている。釜石へ来てこんなことは初めてだ。雪だけは変わらず積もることがないが、気温は明らかに例年とは違っている。いつもは沿岸部を流れる暖流のおかげで、三陸沿岸部は内陸よりずっと暖かい冬になる。今冬は内陸部も例年よりさらに気温が下がっているようだ。今朝出勤時に甲子川沿いを走っていると白鳥二羽が川面に休んでいた。この冬初めての甲子川で見る白鳥たちだ。甲子川で見る白鳥もこの冬は少し遅い気がする。遠野や釜石でも鵜住居川あたりはたくさん白鳥がやって来るが、釜石の市街地だと数が毎年少ない。それだけに甲子川では白鳥が目立つ。北海道の道東にいた頃は白鳥は富士の姿に似た斜里岳を背景にした濤沸湖(とうふつこ)でたくさん見ることが出来た。屈斜路湖にも必ず白鳥がやって来ていた。今思うと当たり前のように見ていた流氷に乗るオジロワシももっとよく見ておけばよかったと、残念に思う。釜石でも猛禽類は見られるらしいが岬の先端部や五葉山の山の中だったり、冬場に近づくのが大変な場所が多い。普段見かけるのはせいぜい甲子川上空を飛ぶミサゴくらいだ。釜石の自然が好きになって来た娘も風邪がまだ完全によくならないまま勤務に出ているが、その娘からの話だと、まだまだ釜石の知らなかった部分があることに驚いた。今回の震災で多くのボランティアやNPOが支援にやって来てくれたが、その中に、東京が本拠地の子供の学習を支援するNPOがある。このNPOは当初ある母親が子供のために何か自分たちで出来ないか、模索しているうちに、東京には塾に行けるか、どうかで学力に明らかな格差のあることに気付き、塾に行けない子供たちの学習支援のNPOを立ち上げることになった。東京での活動が軌道に乗り、震災後釜石でも支援をしてくれることになった。ボランティアの講師はみんな著名な大学の学生たちで、それぞれ、勉強に打ち込んで来た人たちだ。その講師陣がいざ釜石の子供たちを相手にしてみると、講師たちにとって驚きの連続だった。先ず、鉛筆の持ち方を全く知らない子供がいるのだ。宿題を家でやるものだという認識のない子供もたくさんいた。家に帰れば全く勉強とは無縁なのだ。通知表の5段階評価で1という子供がたくさんいる。しかし、この子供たちもNPOの継続的な活動で次第に勉強に興味を持つようになって来たという。かって釜石が新日鉄の城下町だった頃は釜石からもたくさん有名大学に入って行った。環境が子供を育てる。遺児に奨学資金を出すあしなが育英会というのがあるが、奨学金を受ける以前の問題があるようだ。無料で塾へ行けない子供たちの学習支援をやれる組織がもっと必要なのだ。現在の学校はこうした子供たちが取り残されてしまうような体制になってしまっている。親の経済力がないために学習の機会が奪われてしまっている。子供はきっかけさえ与えられれば様々な能力を発揮する。先日娘が取材した仮設住宅での段ボール箱を利用した棚作りでは小さな子供が時間の過ぎるのも忘れて無心に段ボールに見事な絵を描き続けているのを見て感心したそうだ。指導されていた方もこの子はきっと将来この絵のすばらしい才能を発揮するだろうと言われていたという。冗談に、今のうちにサインをもらっておいた方がいいかも知れませんよ、と言われたと言っていた。震災後何か月も経ってようやく復興財源が決められたかと思えば、3兆円の函館ー札幌間の新幹線はあっさりと決められてしまった。既成の枠組みは崩さず、新たな枠組みだけは新たな税で対応する頭しかない。とても子供たちのこうした状況の改善を国に期待出来そうにない。政府は出来るだけ手を出さず、民間に任せるのが「小さな政府」と言われるが、日本は「大きな政府」であるにもかかわらず、民間に任せる部分があまりにも多いのだ。いったい政府予算はどこに消えているのだろう。
この冬初めて甲子川で見る白鳥

日本にも影響があるイラン

2012-01-15 19:20:53 | 文化
相変わらず寒い日が続く。今日も最低気温が-4度で、最高は1度しかない。久しぶりに寝坊をして起きてみると、もう、娘は出かけていた。今日は平田地区でイベントがあり、NPOも手助けするのだと言っていた。外に出てみるとまたセグロセキレイがやって来た。人なつっこく、ほんとうに近くまでやって来る。野生の小鳥たちの中では一番人に近づく鳥なのではないだろうか。アマテラスよりも古いイザナギ、イザナミの神話に登場する鳥だから、人との付き合いも長いのだ。尾を振りながら餌をついばんで歩く姿も可愛い。たぶんいつも見かける同じ鳥だと思うが、どこか近くに巣があるのだろう。最近のニュースを見ているとまた米国が性懲りも無く中東を射程に入れ始めている。もともと米国という国自体は決して嫌いではないが、米国の政治と経済は好きにはなれない。米国は開拓者の国でプラグマティズムの国であるため、そこには思想や哲学が生まれる余地があまりない。思想や哲学はこれまで大部分が欧州で生まれている。ただ米国は他国からの移民を多く受け入れるため、欧州やアジア、隣国カナダで生まれ育った人など多くの知識人も受け入れて来た。そこが米国の懐の深さではある。しかし、政治と経済は「金」が物を言う世界なので、米国も例外ではなく、その部分だけは腐敗臭に満ちている。ネット上に流布する「ユダヤ陰謀論」には組しないが、確かに俳優であったロナルド・レーガンが大統領になった頃から米国政治へのイスラエルの影響が強くなった。米国内にいるユダヤロビーは今やどの政治家も無視出来ない。白人以外で初めて大統領となったバラク・オバマも「CHANGE」を掲げて国民の期待を集めたが、結局は歴代の大統領と同じ道を歩んでいる。オバマもまたユダヤロビーを無視できないのだ。アラブの支配する中東はイスラエルと米国の両者にとって共通に関心のある地域だ。イスラエルにとっては自分たちを脅かすアラブが真近かにあり、その脅威は取り除かれなければならない。米国には巨大な石油メジャーがあり、中東の産油国の存在は原油価格に大きく影響する。中東で異変があれば、石油の産出・輸出が制限され、原油価格は高騰する。石油メジャーは莫大な利益を得る。アフガン、イラク、そして今イラン。以前にも書いたが中東の「民主化」など米国の表向きの大義名分でしかない。あくまでもそこに米国の実利があるから戦争をしかけているのだ。米国内の巨大な軍需産業も潤う。戦費は米国債の発行で賄い、それをこれまでは中国と日本が買って来た。今米国はイランに核開発の疑いをかけている。イランが核開発をやっているとして、攻撃を画策している。イラクの時も直接的には捏造された核開発が発端だった。イランが攻撃されれば、確実に原油価格は高騰する。日本のイランからの原油輸入は約10%ある。米国は経済制裁として、イランと取引をする国の米国内の銀行は凍結させようとしている。イランからの原油輸入に頼っている中国はこれに強く反発している。それでも米国がこれを強行すれば、中国も対抗措置をとるかも知れない。保有量世界一の米国債を売却すれば、中国も損失を被るだろうが、米国への打撃は相当のものになるだろう。ここまでに至ると泥沼になりかねない。日本もイラン以外の産油国に今根回しをして代替輸入を考えつつ、米国へも米国内の日本の銀行だけは例外扱いするよう米国に働きかけているようだ。原油価格が高騰するようなことがあれば日本では間違いなく原発再稼働の動きが強まるだろう。国や財界はそれを望んでいるのかも知れない。国民の暮らしより、企業の利益を優先する考えは日本も米国に倣って同じなのだ。原油高騰が長引けば、企業は海外へ工場を移転することで弊害を軽減出来る。巨大になってしまった日本の企業はもはやかっての企業とは異なり、日本という国籍はあまり意味を持たなくなっている。企業はそれ自体の利益だけが問題なのだ。米国の巨大企業と同じだ。多国籍化した企業はいざとなれば本社自体を他国に移すことすら可能だ。 
数は少ないが遠野でよく見かける城郭風の民家が狭い釜石にもある

消えて行く「日本」

2012-01-14 19:25:52 | 文化
今朝はまた外の水道が水落していたのに凍ってしまった。釜石の仮設住宅でもあちこちでやはり水落していたにもかかわらず水道が凍ってしまったようだ。例年だとこうして寒い冬でも沿岸部では漁師の方たちは冷たい海に出て働いていたのだ。ワカメやウニの養殖をやっていたのだ。カキの筏もたくさんあった。凍てついた海での作業が身体に言いわけがない。痩せて皺が深くなっている年取った漁師の方を見るとあらためて畏敬の念に打たれてしまう。娘の所属するNPOにも震災前に漁師をされておられた方がいるそうで、前々から漁師を止めたがっていたという。漁師を長くやって来た親になかなかそれを言い出せなかったようだ。震災がその意味では漁師を止めるきっかけを作ってくれたとも言えるのだろう。自然を相手にする仕事は肉体的にも精神的にも並の厳しさではない。普通の会社勤めとはまた違った厳しさがある。便利さになれた若者があえてそうした仕事を選ぼうとしないのは当然なのかも知れない。今回TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)の問題が出て来て、その推進に賛成する人たちからは日本の農業の非効率性が問題にされている。確かに日本の農業や漁業は恒常的な補助金により支えられており、米国の大規模農業に比べると生産性もかなり低い。現場で働く人たちを見ないで、データに現れた数字だけを見ればその通りなのだろう。しかし、現実に土や海を相手に働く人々は決して豊かではない。むしろ貧しくさえある。では一体国から恒常的に出ている補助金はどこに消えているのだろう。問題の一つは現場で働く人たちにあるのではなく、そこに作られた組織、農業協同組合や漁業共同組合にあるのではないだろうか。それらの組織が本来の目的である農民や漁師自体に恩恵をもたらしていないように見える。特に農協は巨大な組織になって自己目的化してしまっている。そこで得られた収益が農民一人一人に還元されていない。ことあるごとに大きな政治的圧力団体として働き、補助金を引き出して来ては、それがいっこうに現場の人に還元されない状態が続いて来た。狭い国土で海に囲まれた日本は豊かな自然のおかげでそこで収穫させれるものの種類も豊富で、その意味で言えば決して単一のものを大規模に収穫する米国流のやり方はそもそも日本の国土にはそぐわない。多品種少量収穫が基本で、一般的な生産性の定義を当てはめること自体が誤りなのではないかと思う。釜石へ住むようになり、近辺の寺社を訪れるたびにそのすばらしい伽藍に感心させられた。ほとんどが気仙大工の手で造られたものだった。繊細で大胆、具象と抽象の混在という日本の芸術の特徴が見事に現れている。写真を撮るのが趣味だが、最近はオークションで戦後間もなくの日本製のカメラに触れるようになり、芸術的とまで思えるその製品のできに感心させられている。ドイツの完璧な域に達していたライカの模倣を手探りで初めて、ついにはライカを超えたのではないかと思われるまでに至った。気仙大工の手仕事も戦後の日本のカメラの製造者も生産性が重視されるようになって消えて行った。大量生産が物の一つ一つの個性を奪って行った。無論それで済むものもたくさんある。しかし、人が人として生活するということはただ便利に生活することではないだろう。そこに意味があり、味がなければ「人」の生活とは言えないだろう。その生活を現出させるものは生活に入り込む「物」の有り様にかかっているとさえ言える。 1月11日に放送されたNHKのクローズアップ現代によればTVでの時代劇が姿を消して行くに従って、これまで100年かけて練り上げられて来た「時代」を再現する技を持つ衣裳や結髪、美術、殺陣などの職人技が消えようとしていると言う。大げさに言えば、今、日本は日本人として何を捨てるかという選択の岐路に立たされているとも言える。これまで電気についても何も考えずに受け入れて来たが、今回の原発事故をきっかけに電気ですら選択が必要であることを知ったのだ。米国にひたすら追従する政界や財界はまさに日本を主張しつつ無思考に日本を捨てている。日本の地方やそこで行われている「生産」の現場を見ようともしていない。
遠野郷の白鳥たち

少しは「報道」が残されていたことを知った

2012-01-13 19:13:02 | 文化
昨日はやはり県内でも今冬一番の冷え込みだったようで、岩手県で最も気温が低くなるうちの一つ盛岡市の薮川では-21度まで下がったそうだ。今朝も釜石は-4度まで下がり、家の外にいると手足が痛くなって来た。夜半に少し雪が降って、気温が低いために出勤時にはまだ融けておらず、路面が今冬初めて凍った状態になっていた。いつも途中から裏道を通っているが、その裏道が今日のような日にはかえって走りづらい。後から家を出る娘の運転が心配で、何度か携帯に電話をかけてみたが、いっこうに出ない。遅刻をしてもゆっくり走るしかない。群馬の友人の一人が以前、全国紙の記者に知人がいて、震災後よく釜石へも来ているようなので、一度会ってみてはと、連絡先を教えていてくれた。その時の話ではその方は現在気仙沼に住んでいて、取材のために三陸近辺を訪れているということだった。昨日、職場に突然その方から電話があり、急遽、職場でお会いすることになった。会ってお話をお聞きすると、ご家族は東京におられるが、震災後、取材のために単身で、釜石の平田地区の友人宅に同居させてもらっている、とのことで、10代後半まで釜石に住んでいたので、釜石には友人も多いのだそうだ。いただいた名刺を見ると、全国紙の編集委員の肩書きになっており、他社の沿岸部常駐記者などと違って本来は本社で編集に携わる地位の高い方だった。昔からこれはと思う取材は直接現地に赴いて自分の思う取材をやって来たそうで、1985年の日航機墜落事故の際も、事故現場の群馬県多野郡上野村の高天原山の尾根、通称御巣鷹山の山中で何日か寝泊まりして取材をされたそうだ。震災後は釜石に常駐して沿岸部を取材して回り、記事を本社に送って、連載記事を書き続けておられると言う。一定の量の記事になったので、一冊の本にまとめられたそうで、わざわざ、その1冊をお持ちいただき、それを手渡された。最近の全国紙はかってのような特色が失われ、どの社の記事も変わらず、あまり読む気がしないので、釜石へ来てからは新聞を取るのを止めてしまった、というお話をさせていただいた。しかし、この方の取材と記事を書く姿勢はちょっと違っていて、主観的な書き方をあえて採っておられると言う。一般に報道は客観的な姿勢を重視するが、そもそも客観的立場などと言うものはあり得ない。主張のない報道はデータだけの報道であり、それは結局何も報道していないのと同じである。まして、現在のようにインターネットを検索すれば、データなど簡単に入手出来てしまう。報道が報道足り得るためにはそこに何らかの主張がなければ、報道の意味はないだろう。そして、主張があればそれはもう客観的などとは言えず、主観的なものにならざるを得ない。客観的な報道が増えれば増えるほど、それは現状の追認に結果的にはなってしまう。不偏不党の客観的報道などというのは幻想に過ぎないだろう、と言うことを言わせて頂いた。それに対して、この方は、できるだけ客観的に書こうとする姿勢は、しかし、大事だと思う、と言われた。それはおそらく、できるだけ、あるがままの現状を先ず知らせる、と言う意味合いではないかと思う。この方は群馬の友人とはよく飲みながら話をしていたようで、最初に電話をかけて来られた時に、会う場所として、飲める場所を考えておられたようだった。残念ながら、こちらが下戸であるため、やむなく、職場で会うことになった。酒を飲みながら、ゆっくりと様々な話をしようと考えておられたのだろう。こちらが協力出来ることは今後できるだけ協力する旨お伝えし、被災者により近い位置で活動している娘もご紹介することになった。帰宅後娘にもその旨伝えたが、娘は震災後父親がマスコミに散々な目に会わされたことを知っているので、最初は、全国紙の人間と言うことだけで、少し、警戒したようだった。しかし、この方は一般的な現在の新聞記者とは違っておられることを話すと、むしろ、積極的な好奇心を持ったようだった。現在のような報道各社の中にあって、こうした方の存在を許すだけの大きさはまだ残っていたようだ。かっては、報道と言えばこうした方が当たり前のような時代だった。自ら現場に入り込んで、現場に留まり、現場を自分の目で確かめる。今はほとんどが突然やって来て、一方的に話を聞き出して、終わると、二度とやって来ない。そこには検証などと言うものは全く存在しない。本来の「現況」そのものが把握されない。結果的に「事実」の報道になっていない。事実が報道されていないものを読む気は決して起きない。
落ちないでまだ残っている柿

東京電力存続=原発再稼働の図式

2012-01-12 19:22:30 | 文化
今日の釜石は今冬で一番冷え込んだ日ではないかと思う。朝方は-8度まで下がり、外の水道も水落をしていたにもかかわらず、凍ってしまった。お湯をかけて融かさなければならなかった。日中の最高気温も-1度までしか上がらなかった。当然犬たちの水飲みにも厚い氷が張っていた。体感地震も今日は二度あった。ここのところ太平洋側を震源とするM4以上の地震が増えて来ている。岩手県では140億円の基金を設けて沿岸被災地を含め1千カ所を超す施設に、中小規模の太陽光発電や木質バイオマスボイラー機器などを配備する。エネルギー自給型の災害に強いエコタウンを創ろうと言うのだ。今回の震災で大規模停電や深刻な燃料不足が発生したが、今後に備えて、発電設備と蓄電池、ボイラーなどを、役所や病院、消防署、避難所になる体育館や公民館、学校や公園など防災拠点に配備するだけでなく、駅やコンビニなど一部の民間施設も対象としている。一方で岩手県や宮城県は福島県の影で、瓦礫の処分があまり報じられていないが、国が瓦礫の放射線量基準を1Kgあたり8,000ベクレルとしていることに受け入れる他の都道府県の住民に不安があり、瓦礫処分が進んでいない。個人が沿岸北部の洋野町の瓦礫置き場を測定すると0.6mSv/hrあるところもある。山形県は受け入れ基準を独自に1Kgあたり4,000ベクレルとして、国の基準の半分に設定し、住民の不安を取り除こうとしている。昨日パリのロイターが報じたところでは、フランスの国立保健医学研究所(INSERM)が、2002~2007年に国内の原発19カ所の5キロ圏内に住む15歳未満の子どもを調査したところ、14人が白血病と診断された。これは他の地域と比べて2倍の発病率だったとして、近く癌専門誌「International Journal of Cancer」に発表される。震災後の瓦礫や平常時での原発周辺では放射線の低線量被曝の可能性が強く、これまで、国を挙げての大規模な調査は一切されて来なかった。最初から低線量被曝の存在を認めていないのだ。だから調査の必要性はない、という考えだ。今月10日日本経済新聞は『値上げ・原発再開が条件 東電追加融資、4月にも実施』と題する記事を載せた。三井住友銀行など主要金融機関は、東京電力に対して昨年春の2兆円規模の緊急融資に続いて、1兆円規模の追加融資を4月にも実施する方向で調整しているようだが、主要金融機関が追加融資の前提条件として注視しているのは電力の値上げと原発の2年後の再稼働だと言う。東京電力と賠償機構の資金計画案では電力料金を最大で10%値上げする方針であり、4月からは企業向けに20%前後の値上げをすでに東京電力は表明している。健康保険料は普通の企業の場合会社負担が5割であるが、東京電力では8割を負担し、その分電気料金にも上乗せしている。こうした、東京電力内部の見直しもなく、値上げが打ち出されている。昨年3月から止っている原発の再稼働も追加融資には不可欠な条件になっており、東京電力と賠償機構 は2年後をメドに停止中の柏崎刈羽原発を再稼働させる方針を主要金融機関に示した、と言う。主要金融機関の追加融資には融資が「正常債権」である必要があるため、不良債権ではないことが大前提でなければならないのだ。東京電力を何としても存続させようとするために形式的にともかく「正常債権」である、としたいのだ。昨日の共同通信では中塚一宏内閣府副大臣(原子力政策担当)が「現行制度に基づく保安院などの審査を経て関係閣僚が判断すれば、政府による原発の再稼働判断はあり得ると明言した」と報じている。同じく11日の京都新聞は原発運転再開の条件の一つとなっている「ストレステスト」(原発施設の安全性総合的評価)の下敷きとなったEU(欧州連合)のストレステストの評価を担当したブルガリアのゲオルギ・カスチエフ博士が、大阪市で開かれた集会で「ストレステストには評価基準がなく、原発が安全になるわけではない」と大飯原発(福井県)などの運転再開に懸念を示した、ことが報じられている。同じく同日の毎日新聞は、原発関連施設の唯一の法定検査機関で独立行政法人の「原子力安全基盤機構」が、検査対象の事業者の作成した原案を丸写しした検査手順書(要領書)を基に検査していたことが、同機構発足以来常態化していたことを報じている。年末にデータベースソフトのメモリリークで丸一日全国の原発の状況を監視する「緊急時対策支援システム」(ERSS)が停止したが、この管理も同機構が管理していた。年2 回再起動して回避するなどという信じられない「対策」がとられていた。最も厳重な検査が必要な分野が最もずさんな検査体制になっている。4月には原子力安全・保安院が解体されて、原子力安全庁が新設されるため、「検査体制の抜本的な改善も4月以降になる」と言う。震災時の事故原因がまだ明らかになっていない上、ずさんな検査体制も放置されたままの状態で、すでに原発の再稼働計画が水面下で進められているのだ。そして、「改変」が行われるたびに官僚たちの支配する組織が増大されて行っている。中身は緊張感のない、形式だけの組織である。すべて国費が投入されている。
まだ遡上し続けている鮭たち