今日は釜石は朝から雪だ。ただ量は多くなく、積もりそうにはない。時々みぞれ様に変わる。釜石駅の西側に「シープラザ遊」というイベント用の大テントがある。今日と明日の二日間そこで「復興イベント 希望の光ムーブメント」がある。毎年「産業祭り」とか「味覚祭り」のような名前で行っていた行事を今回は復興イベントとして行ったのだ。トラックで雪が大量に運び込まれて、「かまくら」と滑り台が作られ、大テントでは隣接の各県から来てくれた人たちが店を出している。食事も出来るため娘の取材ついでに食事をしようということになり、昼頃から出かけた。午前中にすでに「わんこそば全日本大会 釜石場所」が行われたようだ。今でも公共機関では他府県からの応援が続けられており、最近は警視庁のパトカーも釜石市内を巡回している。他の道府県と異なり、警視庁のパトカーは外国人が多いせいなのか、黒塗りで警視庁と書いただけでなく、ゴールドのマークと白字で「POLICE」とはでに書かれている。その警視庁のパトカーが1台「シープラザ遊」の入口に止まって警備に当たっていた。その近くに釣り鐘のような「かまくら」が作られている。そばには雪の滑り台もあり、小さな子供たちがたくさん順番に滑っていた。テキ屋さんたちの出店も並んでいたが、あまり客は多くないようだった。大テント内には何軒も特産品の店が出ていて、一通り見て歩いた。娘の知っている人たちも何人かいて、その人たちの話では、やはり今回は津波の被害にあった人たちが多く、残念ながら釜石からはわずか4店しか出店出来ていないという。被害の大きかった釜石の隣りの大槌町からは1店だけ出店してもらえたらしい。大半が従って秋田や山形、新潟あたりからの出店だ。最初に毎年来ている山形県の米沢からの米沢牛の串焼きを買った。いつもその度に話をしている店の方と今回も少しお話をさせていただいたが、米沢はもう雪がたくさん積もっているという。雪はたくさんあるが、寒さは釜石の方がずっと寒い、と聞かされて驚いた。この方はいつも釜石へやって来る時はゆっくりするため、前日に着いて、釜石で1泊して、帰りも1泊してから米沢へ帰るそうだ。今、米沢には6,000人もの人が福島から避難していて、山形県全体では3万人が避難しているそうだ。店の方は、米沢に来ている福島の人たちはみんな高級車に乗っていると、微妙な言い方をされた。そして福島からの人たちは、何で米沢牛を自分たちに食べさせないのだ、と不満を言うらしい。米沢の地元の人たちでさえ、米沢牛など口にできないのに、と言われた。米沢牛は高級過ぎて、とても地元の人も買えないのだそうだ。今回のような出店で売っている1本500円の串焼きは地元だと倍の値段になるものだと聞かされた。秋田県の「横手やきそば」、同じく秋田県の「大曲ラーメン」、「こまち美人うどん」、釜石のソーセージ「やじろべい」、「川喜の麺」ラーメンを二人分の昼食として食べた。昼食後はテント内の舞台で小川(こがわ)地区の市立小川幼稚園の園児たちの鹿踊があった。この幼稚園はこの3月で閉園される。釜石の小川地区には釜石でおそらく唯一の鹿踊が伝承されている。この鹿踊も遠野から伝えられたものだ。鹿踊は基本的に農民の文化で、釜石のような沿岸部には農地が少なく、むしろ漁業が盛んなため、沿岸部は虎舞が中心になる。幼児たちが演じやすいようにアレンジされた鹿踊が可愛い。終了後の司会の女性からの質問にも園児たちはみんな最初に答えた園児と同じ答えを繰り返していた。「面白かった」と。しばらくして、「復興の狼煙(のろし)ポスタープロジェクト」のポスター用の写真撮影があり、娘の誘いで一緒に大勢の中に混じって撮影して頂いた。写真家の馬場龍一郎氏がクレーンで高く持ち上げられた台の上からみぞれに打たれながら懸命にシャッターを押された。何社かの新聞社も撮影に来ていた。このプロジェクトのポスターは駅や空港などの公共施設に張られている。3月以降にいずれ今回の写真もポスターとして張られることになるそうだ。撮影後、大テント入口にある花巻の志戸平温泉から1,600トン持ち込まれた温泉湯の足湯を見に行くと、子供が気持ち良さそうに足湯に浸っていた。入口の反対側にはやはり花巻の白金豚の串焼きが売っていたので最後にこれも買って帰路についた。「白金豚」の名は宮沢賢治に由来するらしい。賢治が豚は触媒の白金のように自然と人間を媒介すると言ったそうだ。
会場入り口の釣り鐘状の「かまくら」
雪の滑り台と向こうにはテキ屋さんたちの出店が並ぶ
大テント内の他県からたくさんやって来てくれた出店
美味しい米沢牛の串焼き
幼稚園児たちの鹿踊
「復興の狼煙(のろし)ポスタープロジェクト」のクレーン台の写真家馬場龍一郎氏 下には新聞社のカメラマンがいた
足湯で気持ち良さそうに寛ぐ子供たち