釜石の日々

岩手県釜石市に移り住んで16年8ヶ月が過ぎ、三陸沿岸部の自然の豊かさに感動する毎日。

年の初めの神社めぐり

2012-01-02 19:01:27 | 文化
元旦は薄日の刺す穏やかな天気で明けた。午後にはM7の地震があり、年明け早々何かまた天変地異の前触れのような気がしないでもない。若い頃は風習や慣習に目もくれなかったが、年とともにそうしたものへも次第に寛容になってくる。年賀状もその一つで、最近は楽しみにもなって来た。今年の年賀状では震災時に私のTVでの姿や新聞記事を見たという人が多いのに驚かされた。特にTVではよほどひどい恰好をしていたのか、身体を心配してくれる内容が意外に多かった。自分ではそのTVを見ていないのでよく分からない。一通り年賀状に目を通した後、神社の初詣風景を見に出かけた。さほど寒さが厳しくないので有り難い。最初に定内地区にある釜石の荒神社へ行った。着いた時には誰も人がいなかったが、そのうち次々に入れ替わり近所の人らしき人たちが家族連れでやって来た。提灯が下げられていたが、そこには「荒神神社」と書かれてある。鳥居には「荒神社」と書かれている。やはり「荒神社」も「荒神神社」も同じものを指しているのだろう。ここは左手にある社殿より、鳥居からまっすぐ上に登った右手にある巨石が本来の御神体であったと思われる。実際その手前にも古い鳥居がある。この地域の鎮守の神でもあったのだろうと思う。階段を下って最初の鳥居まで戻って来ると、お年寄りが鳥居のそばの老木を指して家族に何か説明をしていた。そばに寄って一緒に聞かせてもらった。そこには小さな穴が空いていて、穴からミツバチが出て来ていた。その穴の周辺の樹皮が派手に剥がれてしまっている。お年寄りの説明によると、熊が蜂蜜を採ろうとして剥がしたのだという。この近辺の家にも以前熊が来たことがあるそうだ。車で大天場公園のそばにある八雲神社に向かった。ここの人出ははるかに多い。階段下の鳥居には茅の輪が大きく取り付けられている。そこを潜って、しばらく階段を登ると社殿が見えてくる。この階段も結構きつい。社殿の前には臨時のテントが張られ、巫女さんの手で神籤や破魔矢、お守りなどが売られている。岩の手水(ちょうず)台のそばの木は神籤がたくさん結びつけられている。大吉だった男の子がはしゃいでいた。社殿の右手奥にはたくさんの石碑が並び、天照大御神の名もある。三社宮と書かれた社殿もあり、駒形社、山神社、稲荷社がまとめて祀られている。馬と牛の古い木像が祀られ、手前には獅子頭が奉納されていた。階段を下って戻って行く途中で仮設の釜石警察署が見えて来た。震災ですっかり被災してしまった警察署がこんなところに移っていたのだ。狭い道でUターンして尾崎神社に向かった。被災した海沿いの旧商店街を走って、様子が変わって見分けにくくなった道を何とか辿って尾崎神社の方向が示された標識を見つけた。矢印の方向へ上って行くと道が狭くなり、車も付近に何台も止められているので、そこに空きを見つけて車を止めた。登りの坂をゆっくり進んで行くと、「旧浜街道入口」と書かれているのが目に入った。国道45号線が出来るまではこの浜街道を通って人や牛馬が行き来していたのだ。そう思ってみて見るとほんとうに狭い道だ。三陸は海岸が崖になっているところが大部分だ。こうしたところを浜街道が通っていたのだ。坂道を登って行くと、大きな鳥居が見えて来た。そこから何段かの階段を登って行くと、お年寄りが巨石にくい込んだ大木に手を当てて何か祈っている。この巨石もやはり縄文から神として祀られたものなのだろう。今はほとんどの人が気付く様子も無く通り過ぎて行く。尾崎神社はかっては由緒のある神社であったのだろう。「正一位」とある。日本武尊(やまとたけるのみこと)、綿津見神、閉伊三郎源頼基を祭神とする。源頼基は弓の名手で鎮西八郎と称した源為朝の伊豆配流中の子で頼朝や義経とは従兄弟になる。宮古市に流れる閉伊川流域を中心に支配していたが、南朝方についた閉伊氏はその後南部氏に滅ぼされてしまう。尾崎神社は本来は尾崎半島の奥院が本社であったのだろう。大船渡市の尾崎神社とともに「御崎神社」に由来するものと思われる。やはり縄文起源だと考えられる。最後は唐丹地区の「天照御祖神社」へ行った。被災した唐丹小学校のそばの高台にある。ここは社殿の前に何か祭事に使われる輪が描かれていて、興味が惹かれる神社なのだ。地元の人がぽつぽつと訪れている。東北ではやたらと天照の石碑や祠が多い。都への服従を表す意図でもあったのだろうか。7世紀の終わりまで存在した九州王朝が天照の直系であり、傍系である神武を祖とすると言われる現天皇家は北朝方でもあり、決して万世一系とは言えず、まして天照に服従の意味を持たせるとしたら、ちょっと疑問があるのだが。
荒神社

熊の爪跡が残る

八雲神社

尾崎神社の巨石にくい込む大木に手を当てて祈る女性

尾崎神社拝殿前の鈴に付けられた鈴緒の願い「平等利益(びょうどうりやく)」
本来仏教用語で宗派により多少は引用が異なるが、万民に神仏の恵みが行き渡りますようにと言う願いだ

天照御祖神社 若い母親は何を祈っているのだろう

天照御祖神社の破魔矢の付いた神籤

釜石の街は遠野のような雪はない 正面に愛染山が見える