釜石の日々

岩手県釜石市に移り住んで16年8ヶ月が過ぎ、三陸沿岸部の自然の豊かさに感動する毎日。

人が自然や社会を変化させている

2012-01-05 19:22:32 | 文化
今朝はまた寒さが元に戻ってしまったようで庭の土も凍ってしまっている。風もあり、冷たい。放射冷却で余計に気温が下がったようだ。内陸では吹雪だと言うのに沿岸部の釜石は真っ青な青空だ。時々突風のような強い風が襲う。昼休みに買い物に出たが、甲子川を見るとオオバンや渡りのカモたちが引き潮で水深の浅くなった川面に群れていた。まだ白鳥の姿が今冬は見えない。鮭は相変わらず必死で上流を目指して川の流れに逆らっている。じっとその姿を見ていると少し哀れにも思えて来る。力尽きるまで頑張ったその先には死が待っているのだ。本能のままにこうして何千年も前から各世代が同じことを繰り返して来たのだ。動物や植物は自分自体は変わること無く同じことを繰り返して来ているが、人がそれらの環境を大きく変えてしまった。北海道にいた時にもヒグマが年々人里に出て来るようになり、結局、原因はヒグマたちの餌になるはずの鮭などの川を遡って来ていた魚を下流で捕獲するために、餌が不足してやむなく人里に餌を求めざるを得なくなった、ということだった。その後、遡上する魚を捕獲する川を絞って、他の川は魚が遡上出来るように改められた。動植物が人に被害を与える時は、意外と原因がこうして人にある場合が多い。杉花粉のアレルギーも、そもそも杉の植林をやったのが人であり、植林を次々に広げて来た結果発生したものだ。自然界の杉はもともとこんなに多くはなかった。たくさん植林された杉の林はまた鹿たちの休息所ともなり、狼などの天敵がいなくなったために繁殖し過ぎて、人里の畑にまで姿を現すようになってしまった。これも人間の側から見ればある種の「合成の誤謬」と言えるのかも知れない。抗生剤や抗ウィルス剤は病気を治癒させたり、防いでくれたりするが、同時に細菌やウィルスの側にも変異を起こさせて、抵抗力を付けさせるきっかけにもなる。新種のウィルスが発生する。バイオ技術の「進歩」は遺伝子操作を容易にしたが、その結果も果たして人間にとってほんとうに安全だと言い切れるのか、未だ定かではない。大きなしっぺ返しが来なければいいと思うが。原子や遺伝子と言ったミクロの世界を操作した場合は、人が容易に観察できないだけに不安が残る。こうした自然界だけでなく、人の社会でも「進歩」や「幸福」と言えるだけのものが果たして人類は達成出来て来ているのか大いに疑問がある。先進国と言われる国々がよってたかって発展途上国に自分たちのルールを押し付ける。その結果、ほんとうに発展できた国は未だこの世界には見られない。むしろ。押しつけを退け、独自に運営して来たところが成長している。今世界で先進国とされて来た国々でさえ、国内的には格差が生まれ、人々に鬱積したものが溜まって来ている。未来への不安だけでなく、今日を生きるためでさえ不安が付きまとう人々が増えて来ている。世界の歴史を振り返るとこうした状況は強権的なリーダーを排出し易くする。今後世界的にも不安定要素がますます大きくなって来るだけに、この点がもっとも気になる。日本ではすでにその兆候が現れ始めているように思う。歴史は繰り返す、とよく言われるが、要は人が過去を忘れて同じ失敗を繰り返すと言うことだ。地震の活動期に入った日本はもうそんな繰り返しをやれる状況ではないのだが。どういう形で現れるか定かではないが世界が今大きく変貌する時期に来ていることだけは間違いないだろう。
寒さの中で山裾のコブシの木にたくさんの蕾が付いていた