釜石の日々

岩手県釜石市に移り住んで16年8ヶ月が過ぎ、三陸沿岸部の自然の豊かさに感動する毎日。

遺跡発掘が制限されることに納得がいかない

2009-03-28 08:35:25 | 歴史
全国の遺跡の発掘により次々に縄文や弥生、古墳時代の新しい姿が描き出されて来ている。縄文時代は狩猟生活と移動生活が基本だと考えられていたがむしろ定着した集落で生活が営まれ、集団をまとめるリーダーの存在も明らかになり、奴隷と考えられる身分もあったと考えられるようになっている。集落も考えられていた以上の規模であったことが分かって来た。弥生時代も文字が使われていた可能性が出て来ており、権力基盤もかなりの規模で確率されていたようだ。ただ権力者とともに巫女の存在もあって宗教の利用がはじまっていた。しかし、考古学が発掘された事実を事実としてすでに歴史的に確立されたものと照らし合わせて新たな歴史的解釈に至ることを拒否しているように思える。邪馬台国など遺跡の状態を考えれば近畿説などとても考えられないにもかかわらず未だに学会では定まっていない。北部九州から出土される遺物を正視しようとしないからだ。中国の歴史書に書かれていることを素直に認めない。そして何より納得できないのは天皇陵の発掘が認められないことだ。考古学者による科学的な検証もなく日本の歴史にとってもっとも重要な古墳の解明が拒まれていることだ。神武天皇陵と称されている古墳などその歴史的経緯をみれば科学的根拠等全く無視して時代を追うごとにどんどん肥大化して来ている。江戸期に出された三案の一つがただ一人歩きしただけである。人文・社会科学である歴史学や考古学が科学である限りはその検証を持たなければ科学ではなく単なる歴史思想にすぎない。全国で遺跡発掘が科学の名で行われるのであれば日本の歴史の重要な事実を知るためにも是非天皇陵も発掘が許可されるべきだろう。


春黄金花(はるこがねばな)とも呼ばれる山茱萸 (さんしゅゆ)の花