釜石の日々

岩手県釜石市に移り住んで16年8ヶ月が過ぎ、三陸沿岸部の自然の豊かさに感動する毎日。

アイヌ語由来と言われる地名

2009-10-16 07:05:12 | 歴史
昨日はすばらしい秋晴れで釜石らしい透明な深みのある青空が広がった。上着を着て歩くと少し汗ばんで来た。職場の方が雫石町の御所湖に30羽のコハクチョウの飛来を報じた記事を見せてくれた。そんな季節になったのだ。いつも思うのだが岩手には童話や童謡の世界がそのまま見られる。山には童話に出て来る動物たちがいて、夕方日が傾きかけるとカラスが群れをなして山へ帰って行く。先日群馬県前橋を訪れた際、友人の教授が伊香保温泉の伊香保もアイヌ語みたいだよ、と言っていた。家人の郷里に近い伊豆には伊豆三古湯があり、伊豆山の走り湯、修善寺、古奈の三つの湯をいうが、この古奈もアイヌ語の熱い水の意味だそうだ。今話題の群馬県の八ッ場(やんば)ダムの八ッ場(やんば)もアイヌ語由来だと言う。群馬県と栃木県には両県を結ぶ両毛線があるが、この両毛とは上つ毛の国(上野国)と、下つ毛の国(下野国)をいい、両地域はもと毛の国と言われた。5世紀の中国の歴史書『宋書』倭国伝にある、 西暦478年倭王武が宋 (南朝)に届けた有名な上表文に、「東は毛人を征すること、五十五国。」として毛人の記載があり、その毛人の住むところの五十五国が本来の毛の国であったと思われる。『日本書紀』巻7 景行天皇27年(西暦97年)の条にこれも著名な「武内宿禰東國より還りまゐきて奏言(まう)さく、東夷中、日高見國有り。其の國人男女並に椎結(かみをあげ)、身を文(もとろ)げて、人と為り勇桿(いさみたけ)し。是を総べて蝦夷(えみし)と曰ふ。亦土地(くに)沃壌(こ)えて曠し。撃ちて取るべし。」とある。ところが「大祓詞」の中では「大倭日高見国」が日本の別名として登場する。大祓詞が天孫降臨の直後に成立した可能性が強いことを考えると非常に興味をそそられる名称だ。ちなみに日高見は北海道の日高を見る、の意味で、後に、日高見が北上に変じた。ともあれ、関東から甲信越までがかっては毛人の住む国としてとらえられ、そのさらに東が蝦夷国とされ、7世紀になって毛人から蝦夷の字に変わっている。毛人国が朝廷に帰順したものと思われる。歴史とアイヌ語の研究者である清水清次郎という人によればアイヌ語とは縄文時代中期の東日本縄文語を祖語とする言語だという。つまり関東以北のアイヌ語地名と言われる地名はむしろ縄文語地名と見る方が適切なのかも知れない。そう考えると関東以北に縄文時代に遡るのではないかと思われる習俗や信仰が多く残されていることや、関東や東北にはアイヌ人はいなかったのではないかと思われることが納得できる気がする。

真っ青な空を背景に色付き始めた山桜

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