今朝起きると今冬はじめて雪が降っていた。周囲の低い山も雪化粧をしている。もっとも釜石の雪は積もることがないので、東京や名古屋の都会地に降る雪とあまり変わらないと言える。司馬遼太郎の『坂の上の雲』がNHKスペシャルドラマとして昨年に引き続き、第二部がこの12月5日から始まった。正岡子規の幼なじみである秋山真之(さねゆき)、兄の秋山好古(よしふる)の活躍が描かれている。秋山兄弟は日露戦争で兄は陸軍、弟は海軍にそれぞれ勤務し、特に弟は連合艦隊参謀としてロシアのバルチック艦隊との日本海海戦を勝利に導いたと言われる。秋山兄弟の秋山家の先祖は村上水軍に属しており、秋山真之自身も参謀として村上水軍の戦法を研究していた。瀬戸内海芸予海峡付近にはたくさんの島々が点在する。村上水軍は拠点とする島により、能島村上、来島村上、因島村上の三つに別れていた。1600年の関ヶ原の戦いで西軍の総大将となった毛利輝元の傘下にいた村上水軍は徳川の時代には水軍を維持できなくなり、それぞれ島を去る者が続出する。因島村上のものたちは現在の今治市菊間町佐方に定住した。私の祖先も秋山家の祖先もそこの定住者にいた。刀を鋤や網に置き換える生活は並の苦労ではなかったようだ。秋山家の祖先は1635年伊予松山藩に伊勢国桑名藩より松平定行が入封した際、家臣を募ったことに応じ、伊予松山藩士となった。四国は弘法大師の事蹟が多く、そのためか真言宗徒も多い。村上水軍も多くは真言宗で、菊間町佐方には長本寺という真言宗の寺があり、その周辺に秋山家や私の祖先の墓もあるが、墓参りをするものもいなくなり、荒れた墓が多くなっている。私の祖先は明治を迎えて秋山兄弟もそうだったように先ずは松山堀江湊から神戸へ出ている。神戸で外洋船の船乗りとなり、一定の成功を収めて、神戸を拠点に佐方から人を呼び、面倒を見ていたと言う。本四架橋の一つ西瀬戸道、通称「しまなみ海道」は愛媛県の今治市から大島ー伯方島ー大三島ー生口島ー因島ー向島ー広島県の尾道市と続いている。従って現在は因島村上水軍の城跡がある因島へは車で行くことが出来る。大三島はもともと「大御島」であり、大山祇神社がある。ここにはかっての菊間町佐方が属した郡名、越智の由来となる小千命(おちのみこと)が植えたと言われる樹齢2600年の楠が現存する。越智郡の古代もなかなか面白そうなのだが。

晴れた夕方、しまなみ海道を走るとすばらしい瀬戸内海を見ることが出来る

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