釜石の日々

岩手県釜石市に移り住んで16年8ヶ月が過ぎ、三陸沿岸部の自然の豊かさに感動する毎日。

内陸の自然と歴史

2012-06-04 19:16:46 | 文化
昼前から雨が降り、昼には雷も鳴り、夕方になって雨も上がるという不安定な天気であった。昨日は二度、今朝は一度と、続いて岩手県沖を震源とするM4クラスの地震が起きた。久しぶりに昨日は内陸へ行ったが、あらためて内陸と沿岸部の自然環境の違いのようなものに気付いた。沿岸部は釜石のように河川に沿って山に囲まれた狭い市街地の展開するところと、陸前高田市のように海岸に向けて平地が広がった地形の二通りが見られる。しかし、内陸部は北上川という大河を中心に平地が広がってはいるが、よく見るとその平地にも起伏があり、丘のようになっているところがたくさんある。小山があったり、小さく隆起したところには林が残されており、そうした林を見ていると、かってはこのような林が一面に展開していたのだろうと想像出来る。丘や小山の林の中には山野草も見かける。内陸は内陸なりに沿岸部とは違った地形の中で、自然に溢れていることを知った。夕暮れに見かけた棚田に映る夕日は東北以外でも見ることが出来るが、東北と違って、遠く奥山に入り込まなければ見られない。しかし、東北では普通に国道に沿って、少しだけ市街地を離れれば普通に見られる。そのことに昨日は甚く感動した。一緒にいた娘や息子もつい見とれてしまうほどだった。花巻市で二つ目のホームセンターへ向かう途中の小さな神社の鳥居のそばに藤の巨木があるのを見つけた。これほど大きな藤の木は見たことがない。気になったので帰宅後調べてみたが、小さな神社のためかほとんど情報は得られなかった。しかし、知っている人はこの神社の藤の花の写真なども撮っているようだ。「鳥海神社」であることは分かった。秋田県の鳥海山は有名だが、恐らくその鳥海山と関連があるのだろうと思う。ただ、この鳥海神社という神社はどうも奥州安倍氏に関係しているのではとも思われる。現在の岩手県胆沢郡金ケ崎町には鳥海柵(とのみのさく)が置かれていた。安倍頼時の三男である安倍宗任がここを治めており、鳥海三郎とも呼ばれていた。前九年の役で安倍氏が敗北した際、捕われの身となり、都へ連行されることになったが、この時家来たちも同行していた。しかし、現在の群馬県のみどり市東町からは同行が許されず、やむなく一部の人たちはこの地に残り、宗任を祀るために鳥海神社を建てたという。同じく同行が許されなかった一族郎党が東北へ帰り、住みついた地で宗任のために鳥海神社をやはり建てたのではないだろうか。敗軍の将を祀る神社であったために目立たない小さな神社として祀られたのではないか。藤の木のあまりの大きさとも重なってそんなことを考えたりした。花巻では市役所近くの大正期か昭和初期に建てられたのではないかと思われる個人の家でも桜の巨木を見つけた。染井吉野は100年ほどの寿命しかないが、おそらく100年は経っていると思われる巨木だった。明らかに枝垂れではないので、染井吉野かもしれないが、だとすると老木のわりには枝や葉がしっかりしていた。内陸は沿岸部と違い歴史を物語る遺跡が多い。そして東北の内陸は自然の中にその歴史が残されている。
雨の降る職場の裏山でニセアカシアの白い花が目に入って来た
内陸の国道沿いでもたくさんのニセアカシアが咲いていた

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