釜石の日々

岩手県釜石市に移り住んで16年8ヶ月が過ぎ、三陸沿岸部の自然の豊かさに感動する毎日。

「末法の世」の過ごし方

2018-03-16 19:19:50 | 文化
85歳になる作家の五木寛之氏がHuffington紙日本版のインタビューを受けている。「少し昔の大人たちは」「定年退職後も、年金など社会保障が充実していました。」しかし、「時代は変わった。80歳でも90歳でも、生涯現役として生きなければいけない時代になってしまった。国家や社会、大きな体制に依存して自分を守っていく道が閉ざされてきた。そうなると「自分はどう生きるか」を考えなくてはいけません。」「一人ひとりが、自由な「デラシネ」として、自分の健康もひっくるめて、自分で生き方をケアする道を探してはどうかと考えています。」と語る。「「デラシネ」とはフランス語で「漂流者、根無し草」という意味ですが、「体制の保護をあてにできない人間」とも言えます。」。五木氏は12歳の時に、朝鮮半島で敗戦を迎え、2年後にようやく福岡県に引き上げて来た。この時、「「棄民(政府に切り捨てられた民)」となり、それが思想の根っこになりました。」。氏は「ソ連が崩壊し、ロシアに移り変わる頃」にモスクワにいて、「高齢者がなす術もない有様で放り出され、国営市場の冷蔵庫は空っぽで何もない。年金は止まっている。そんな中でも機能していたのは、ブラックマーケット(闇市)でした。人々は物々交換で、その日の糧を支えていた。」状況を目の当たりにして、「そういう現実を見ると、なにも混乱は戦後だけではない。「こういうことは、いつだってあり得る」と思いました。戦後に少年期を経た人間にとってはトラウマです。」と。「孤独」と「孤立」は違うとされた上で、「人は孤独であれ」と言われる。「「孤独」は「自主独立」すること。つまり「集団内孤独」です。昔の言葉で言うなら「和して同ぜず」ですね。」。五木氏は仏教史などにも造詣があり、平安末期の戦乱と天変地異の「末法の世」に仏法を説いた法然や親鸞に惹かれたようだ。精神の柔軟性が「末法の世」にこそ問われるのだ。高齢化の中で、孤独死を迎える人も多くなっているが、氏はその孤独死も恥ずべきことではないとして、「孤独死をひとつのスタイルに磨き上げたい」と言われる。かって日本にも孤独死はあったと言われ、サンカや遍路の例を上げられている。明治時代までいたと言われる日本の移動民サンカは、集団で移動するが、それについて行けなくなったら、置いていってもらって、その地で一人死んで行った。また四国八十八ヶ所の遍路は白装束に菅笠と杖で行われたが、白装束は仏教の死装束であり、菅笠には棺桶の文字が書かれていた。杖は卒塔婆の代わりとなる金剛杖なのだと言う。人はやはり一定年齢になれば、自分の死をいかに迎えるか、どうしても考えるようになるのだろう。
早池峰山