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釜石の日々

岩手県釜石市に移り住んで17年6ヶ月が過ぎ、三陸沿岸部の自然の豊かさに感動する毎日。

家にいた犬たち

2017-03-15 19:19:28 | 文化
子供の頃、父親が犬が好きで、日本犬を何頭か飼っていた。犬の檻も父親が日曜大工で自分で作っていた。一時期は迷い込んだ猫も一緒に飼っていて、凛々しい雄猫は犬より強く、犬の方が遠慮していた。いつも犬や猫がいることに感覚的に慣れていたせいか、兄や妹もやはり家庭を持ってから、犬や猫を飼っていた。小学生の頃、父親がある日、成犬のジャーマン・シェパードを連れ帰って来た。大きい犬に恐れをなしたが、その雄姿には感動した。結局は家では面倒を見きれないと、手放された。しかし、この時の記憶がずっと残り、その後、自分でも家庭を持ってから、ジャーマン・シェパードを都合3頭飼った。1頭は北海道の訓練チャンピオンになった。警察犬としても登録したので、事件で犬を連れて、何度か出動したこともある。この犬は親の血統は決して優秀ではなかったが、シャパードに詳しい方が子犬の様子を見て、勧めて下さった犬だった。訓練では防護具を付けた人の腕に噛み付いて、噛んだままムチで叩かれても、指示を出すまでは絶対に放さなかった。犬の訓練にも人間並みの小学から大学、大学院に相当するような訓練の段階があることを知った。飼主であってもこの犬にはどこか恐れを感じることがあるほどだった。とても迫力を感じさせられた。子犬の時にはまるで熊の子供のようで、周りからもよく可愛がられていたが。残念ながらこの犬は8歳を前にして、病気で亡くなった。次に飼ったシェパードは警察犬として登録しなければならないことを考えて、途中で訓練を止めてしまった。この犬も2年前に老衰で亡くなり、現在はベルジアン・タービュレン、通常、ベルギー・シェパードと言われる犬がいる。しかし、今年に入り、いよいよ老境のために、かなり弱って来ている。今年の9月で15歳になるので、何とか誕生日を迎えさせてやりたいが、大型犬なので、なかなか厳しいのかも知れない。犬が好きであっても、やはり動物なので、手を抜くことは出来ない。自分の年齢を考えると今の犬が最後の犬になるのだろう。特に、大型犬はそれなりの運動量が必要だ。旅行の時には大船渡にあった訓練所に預かってもらっていたが、その訓練所も震災後に閉じてしまった。
12歳の頃のベルジアン・タービュレン

潜む危険

2017-03-02 19:15:23 | 文化
先月27日、奥州市でワカサギ釣りをしていた4人の高齢者が亡くなった。北上山地の標高150mの丘にある100m四方の溜め池に張った氷上で釣っていたようで、5cmほどの氷が割れて、落下したようだ。漁業権も設定されていない池であったので、十分な氷の管理もなされていない状態だったのだろう。北海道に住んでいた頃、何度かワカサギ釣りに行ったが、漁業権が設定されているため、入場料を払った。北海道でもあり、氷は厚いが、それでも安全性がしっかり管理されていた。氷が薄くなっているところにはマークが入り、時には入場が出来なかったりした。今回の件では周囲からも氷の厚さに注意がされていたようだ。日本の国土は8割が山や森林が占めており、列島を海が囲む、とても自然の豊かな国土だ。釜石のように山が迫った市街地だと、山に生息している動物たちを身近に見ることが出来る。春の山桜や秋の紅葉など、植物までも目を楽しませてもくれる。火山地帯である奥羽山脈沿いではたくさんの温泉が湧き、山の湧き水はどこにでも見られる。豊かな自然は多くの場合、人を楽しませてくれるが、自然には常に危険が潜んでいる。子供の頃に川や海で泳いだり遊んでいて、怖い思いをしたことが何度かあった。普段の自然はとても穏やかで、その存在すら忘れてしまうことがある。しかし、その自然も常に変わっている。自然が生きているとも言える。目には見えないスピードで動いている。氷の厚さ一つを考えても毎日変化している。ここのところ釜石の天気は素晴らしい青空の見られる日が続き、夜空の星もとても綺麗に見える。毎晩のように北斗七星とカシオペアが北極星を中心に大きく動く様子を見ている。この変わらないように見える夜空も宇宙空間ではやはり見えない動きがある。生活の人工化が進むほど自然を忘れ、自然に潜む危険をも忘れてしまう。そして、危険は自然の中に潜むだけではなく、人工化そのものにも潜んでいる。人は自ら作り出したものを制御出来なることがある。今の世界の大国の経済や福島の原発の処理などはその代表だろう。あまりにも複雑で巨大なために誰も制御が出来ない。東日本大震災は文明の脆さを教えてくれたはずだが、人は容易にそれを忘れる。米国の危機を警告する投資家や研究者は、人は歴史を学ばない、と言う。自然にも人工にも常に危険や危機は存在しているのだが。
ホシハジロ(雌)

教育の国際化

2017-02-11 19:13:40 | 文化
英国の教育専門誌「タイムズ・ハイヤー・エデュケーションThe Times Higher Education(THE)」は今月1日、「最も国際性のある大学」ランキングを発表しら。4項目に対する評価でランキングが決まる。その4項目は、学生に占める留学生の割合、職員に占める外国人の割合、学術誌に発表した論文に外国人の共著者がいること、そして国際的な評判である。1位と2位をスイス連邦工科大学のチューリッヒ校、ローザンヌ校が占め、3位に香港大学、4位にシンガポール国立大学が入り、5位から10位までで、4校が英国の大学が占めた。米国は150校中最多の64校を占めた。日本は136位に東京大学、141位に筑波大学、143位に東京工業大学、149位に東北大学が入っている。世界3位の経済大国で、自由主義陣営にありながら、国際化がいかになされていないか。学問の世界も競争があって初めて水準を上げることが出来る。しかし、日本は国内ではその競争が限られている。誰よりも国際的な競争を嫌うのは官僚だろう。官僚は世界を見ないで、国内しか見ず、国際化とは無縁な位置を保てる。その官僚の指揮下にある文部科学省は積極的に国際化などしようとはしない。話せない英語を教えることが主眼で、形ばかりの英会話教育を取り入れただけである。外国人教師の採用などはもってのほかである。日本人とは異なり、自己のしっかりした意見を持つ外国人を採用すれば、学習指導要領などと言う法律でもない「規則に」抵抗が出る可能性もある。官僚のお得意は国会で審議されることのない「指導」である。国際化はそんな「指導」を崩壊させる危険性がある。指導に従う教育機関では十分な個人の能力を発揮出来ないと判断した人たちが海外へ流出しているのが日本である。終身雇用が崩壊した現在の日本で、それが残されているのも役人の世界だけである。競争を失ったところでは、効率は悪く、時とともに機能は低下して行く。日本が精彩を失っているのはまさに競争が排除された大国であるが故である。旧態依然の大国は傾くしかない。特に教育は未来の国の基盤である。いずれ他のアジア諸国の後塵を拝することになるのだろう。
冬毛のカンムリカイツブリたち

埋もれた天才

2017-01-19 19:15:17 | 文化
江戸幕府は儒教を導入し、特に朱子学を精神的支柱とした。しかし、同じ儒教に属する、身分の平等を唱える中江藤樹の陽明学も初期に現れる。大阪では江戸後期の蘭学塾である緒方洪庵の適塾が知られるが、すでに中期に陽明学の三宅石庵の懐徳堂も存在していた。懐徳堂は大阪商人たちによって設立された。その商人の一人である富永芳春の三男が富永仲基で、彼は懐徳堂で学んだ合理主義を身につけ、儒教や仏教、神道を批判し、歴史や言語、民俗を注視して、思想や学説は新しいものほどより古いものに依拠しているとする「加上」と言う概念を展開した。鎖国の中で、外国文化や日本の文化を相対化して捉えた。彼の「加上」の概念は国学の本居宣長に評価されたようだが、宣長には相対化の視点は見られない。富永仲基は残念ながら32歳と言う若さで世を去った。そのためもあって、彼の思想や学問の方法を受け継ぐ弟子を得られていない。町人の生まれであったためか、歴史や彼の時代を相対化することによって、かえって、自由な視点から思想や民俗を捉えている。まさに現代にも通用する学問の方法と言えるだろう。江戸中期にこれほどの人物が日本にもいた。しかし、江戸時代も現代も学問の世界の大きな流れはあまり変化が見られない。現代の日本の学問の世界も江戸時代とさほど変わらない閉鎖性を持っている。米国のような世界中から有能な人たちが集まってくる環境にはなっていない。理系の米国留学経験者で多くのノーベル賞受賞者はいるが、文系ではほとんど皆無である。能力の差ではなく、環境による。孤立した島国であるほど、開放的である必要があるだろう。
一休みするキンクロハジロの群れ

キンクロハジロ

沿岸の釜石

2017-01-06 19:20:12 | 文化
今朝は−4度まで下がり、氷が張っていた。しかし、今日もよく晴れて、上空は青空が広がった。日中の気温は昨日より少し低く、風も多少あったため、やや寒く感じた。釜石の冬は暖流のおかげで、内陸とは違って、東北にしては雪もなく比較的暖かい。ただ職場のある海岸付近と家のある海岸から6Kmほど内陸よりの地点では気温も1〜2度違ってくる。カラスは少しでも暖かい海岸付近の山で夜を過ごすようで、朝の6時半頃に家の外へ出ると、空を群れでカラスたちが海岸方向から内陸方向の山に向かって飛んでいる。逆に、夕方には内陸方向からやはり群れをなして海岸方向へ飛んで帰っている。鳥は日射しで時を知るのだろう。職場の裏山で先月まで見かけたリスもさすがに今は見かけなくなった。ギリギリまで餌を集めて、今では冬眠に入っているのだろう。同じ沿岸部でも釜石は特に市街地が内陸方向から流れて来る甲子川の両岸に細長く展開され、南北に山が迫るため、野鳥や動物たちが市街地にいて、身近で見られる。山が豊かなために、動植物の種類も多い。ただ、どうしても平地が少なく、そのためもあって、宅地が同じ岩手県でも割高で、家賃も高いようだ。さらには、製鉄所の全盛期の殿様商売の名残で、物価も隣の遠野と比べてもかなり高い。衣食住には不利な土地だろう。利点はやはり自然環境なのかも知れない。江戸時代は小さな漁村でしかなかったようだが、いつの時代か分からないが、西洋人の住む洋館があったとも聞いた。昔は内陸との交通も難所の仙人峠を越えねばならず、まさに陸の孤島であったろう。かっては甲子川も何度も流れを変えて、現在の甲子川沿いの市街地はどこを掘っても川底の小石が出ると言われる。市街地こそ変わっても周囲の山や自然は古代も中世もあまり現在と変わらないのではないかと思う。そんな思いで周囲の山を見ていると、古代の人も同じ山を見ていたのかと、感動すらして来る。東北にはアイヌ地名とされる地名が多いが、釜石も釜石の地名を含めて、いくつかアイヌ地名とされる地名がある。東北に残る「アイヌ地名」はおそらくかっての阿蘇部族や津保化族が名付けた地名だろうと思う。東北には『遠野物語』の著者にも見逃されたいくつもの伝承がある。とても日本語では理解出来ない神々もたくさんある。そんな時代には釜石ではどんな風景が見られたのだろうか。
夕暮れの裏山 木立の中に何羽かのカラスがいる

巖谷小波

2016-12-12 19:15:34 | 文化
釜石の職場に隣接する薬師公園には何人かの俳人の句が石碑に刻まれている。その一人に作家で俳人の巖谷小波(いわやさざなみ)がいる。維新の2年後に東京で生まれ、尾崎紅葉らとも交流し、民話から『桃太郎』や『花咲爺』などのおとぎ話を著した。また『ふじの山』や『一寸法師』の歌の作詞も行なっている。彼は北は北海道から南はまさに沖縄まで、日本各地を訪れ、各地で俳句を詠っている。釜石へも1909年に訪れ、薬師公園にある観音寺に足を運び、そこで「そのむかし海嘯(津波のこと)の襲ひしところかや」、「涼しさや松にのみきく涛(なみ)の音」の二句を残した。1896年6月15日、当時の岩手県上閉伊郡釜石町の沖合200Kmを震源とするM8.2- 8.5の巨大地震が発生し、2011年の東北地方太平洋沖地震の際の津波に次ぐ、海抜38.2mの津波が襲った。まだ茅葺き屋根の家が多かった三陸沿岸での被害は甚大であった。彼はこの震災から13年後に釜石を訪れているが、釜石では8.2mであった津波の足跡はまだ残されていただろう。土地の人たちからも津波の被害の様子を聞いたに違いない。この時の津波は遠くハワイで9m、米国本土のカリフォルニアでも3m近くの高さに達している。江戸時代に描かれた絵を見ると、現在の薬師公園のある山の位置まで海が迫っている。おそらく、現在の海側にある市街地のあたりは製鉄所の繁栄と共に埋め立てられたのだろう。それだけに、その地域の津波被害も大きかったと思われる。また、今ではとても薬師公園では波の音は聞くことが出来ないが、当時はまだ波の音を聞け、海も見えていたのだろう。明治の時代も1872年以後、全国で地震や噴火が多発している。出雲の大地震、草津白根山の噴火、鹿児島県の諏訪之瀬島の大噴火、小磐梯山が崩壊した磐梯山の大噴火、死者20人を出した熊本大地震、死者7273人を出した濃尾大地震、山形県と福島県の県境にそった吾妻山の噴火、三陸の大地震の2年前の1894年には東京、神奈川で死者31人を出した地震と死者726人を出した山形県の庄内大地震が起き、翌年には蔵王山が噴火している。1870年生まれの巖谷小波もこれらの多くを見聞きしただろう。
小波の句碑

南米大陸の先住民

2016-11-30 19:15:50 | 文化
6億年前の地球で、ロディニア大陸と呼ばれる超大陸が分裂し、大きなゴンドワナ大陸と、シベリア大陸、ローレンシア大陸、小さなバルティカ大陸が生まれた。ゴンドワナ大陸は2億年前にさらに分裂を始め、現在のアフリカ大陸、南アメリカ大陸、インド亜大陸、南極大陸、オーストラリア大陸や、アラビア半島、マダガスカル島へと分かれて行った。3000万年前に南極大陸と分かれて南アメリカ大陸が生まれる。北アメリカ大陸はゴンドワナ大陸と並存していたローラシア大陸が分裂して、ユーラシア大陸とともに形成された大陸で、200万年前にパナマ地峡が形成されて、南北アメリカ大陸が陸続きとなった。南アメリカ大陸は長く孤立した大陸であったために固有の動植物に溢れている。広大な陸地で、雨量も多く、大河やジャングルが広がる。そんな中に現在も240もの先住民が住んでいる。中には1万年以上生活様式を変えていない先住民もいる。しかし、近年金鉱が発見され、そのため危機に見舞われている先住民もいる。彼らは森に住み、文明と基本的に隔離されて来た。そのため、様々の病原菌に対する抵抗力を持たない。文明との接触はその病原菌との接触でもある。南アメリカ大陸の各国は彼ら先住民の保護に乗り出してはいるが、金鉱の採掘者や密猟者による被害も後を絶たない。何年か前にNHKでも報道された自らを「ヤノマミ」と呼ぶ先住民は外界との接触を極度に嫌い、なかなか居住地がつかめないでいた。今年9月、ブラジル国立先住民保護財団が空からの調査で、ようやくその一部が居住する位置を突き止めた。また同じくブラジルのカヤポ族と言われる先住民は自らを文明から守るために積極時にポルトガル語を代表者が学び、自分たちの居住地域の破壊を防ぐために行動している。南アメリカ大陸の先住民の多くは自然からの恵みだけを糧としており、必要な時に必要な量だけを取り、必要以上に取ることを避ける。しかし、自然は厳しいため、時にはテリトリー内では食料にありつけず、他の先住民と衝突をしたり、文明化した村のものを奪うなどの行動も見られる。日本の縄文時代もちょうど彼らのような生活様式であったのかも知れない。ユーラシア大陸でもまだまだ知られていない先住民がいるだろう。
葉が落ちてしまったプラタナス

秋田の方言

2016-10-28 19:17:00 | 文化
先日秋田市へ行った。秋田県は岩手県に比べると方言を耳にすることが多い。岩手県は高齢者で方言を話す人に出会うが、比較的方言を耳にすることが少ない。しかし、秋田県に行くと、年齢や場所に関係なく方言が耳に飛び込んで来る。ある産直に寄った時に、店の入り口には「おざってたんせ」と書かれていた。秋田大学のよろず相談室によれば「どうぞおいでください」と言う意味だと言う。岩手では耳にしたことがない。東北は他の地域から見ると同じように見てしまうが、実際に住んで見ると、やはり同じ東北でも地域により違いがあるのが分かるようになった。無論、岩手と秋田で共通の方言もある。牛のことを「べこ」と呼ぶのは共通だ。日本の方言は地域によって区画分けされており、主に国語学者の東条操の区画に従っているようだ。それによると、東日本方言の中の東北方言に分類され、さらに南北の奥羽方言に分けられている。秋田方言は青森県、岩手県中北部、山形県沿岸部、新潟県阿賀北地域の方言とともに北奥羽方言に含められる。岩手の大部分は南奥羽方言に含まれる。同じく国語学者の金田一春彦は近畿地方を中心として同心円状に内輪方言、中輪方言、外輪方言、南島方言と区画し、近畿から離れるほど新しい変化だとしている。近畿が日本語の原型だと考えたようだ。歴史における近畿一元主義と同じく、国語学の近畿一元主義とも言える。しかし、東北の方言はとても近畿の言語が派生したものとは考え難い。「おざってたんせ」や「べこ」などは元になる近畿の言語とはかけ離れている。言語は歴史とも関連していることから、むしろ東北の方言は和田家文書にあるように縄文時代に北方からやって来た阿曽辺(阿蘇部)族や津保化族の使った言葉が遺残したものではないだろうか。東北の方言や地名にはアイヌ語があるとも言われるが、そのアイヌ語自体もまた縄文の二つの部族の影響を残しているように思われる。言語や民俗は歴史と密接であり、近畿一元主義ではかえって本来の姿が見えなくなってしまうだろう。江戸時代に東北に残された伝承や古文書を収集した和田家文書を無視することは出来ない。勝者の記録でしかない古事記や日本書紀には隠された史実がある。その隠された史実の片鱗はその土地の伝承や古文書から丹念に紐解いて行けば明らかになって行くだろう。岩手の古老の言葉は「通訳」が必要だが、秋田ではどの世代の言葉も「通訳」を要する。それだけ秋田では岩手よりも方言が顕著に生活に残されている。
秋田市久保田城趾のある千秋公園の秋

ボブ・ディランBob Dylan

2016-10-14 19:18:15 | 文化
ボブ・ディランBob Dylanがノーベル賞を受けた。1960年代に登場した彼は決して美しいとは言えない独特な声で、自分の思いを歌に託した。初期の代表曲である「風に吹かれてBlowin' in the Wind」は、ピーター・ポール&マリーPeter, Paul and Maryのカバーでむしろ世に知られるようになった。単純な反戦歌ではなく、人の生き方まで問うている。20代初めの彼にとっては自らの生き方を問いかけてもいたのかも知れない。時代はキューバ危機やキング牧師の公民権運動の最中であった。1970年代の日本のガロの歌にも彼の名が歌われている。同じ時期に登場したビートルズThe Beatlesとともに日本の若い歌手たちに多大の影響を与えた。1970年代後半に世界が保守化して行く中で、彼は洗礼を受け、クリスチャンとなる。その精神世界は歌にも影響したが、残念ながら彼のゴスペル調の歌はあまり歓迎されてはいない。75才になる現在もコンサート活動を続けており、心の若さは永遠のようだ。歌は本来詩であり、詩に音程やリズムが加えられたものだ。彼は弾き語りで、その詩を歌った。世界が保守化するとともに、若い世代も大きく変化した。特に日本は時とともに若者が孤立化して行っているように思える。他者との共有よりも一人での孤立化が進んで行ったように思う。現代の若者の歌には日常語が溢れ、中には若者にしか理解できない言葉もある。すっかり詩から脱落してしまっているように感じられる。それでもそんな歌が若い世代に受け入れられていることを考えれば、ある種の共有があるとも言えるのかも知れないが。和歌から始まる日本の詩の歴史は形式の中で歌い上げられて来た。ある枠組みの中でいかに自分を表現するかが、多くの秀作を生み出して来た。若者はいつの時代もそれまでの枠組みを壊して、自分たちを主張して来た。世の中が保守化すると、自ずから若者も保守化し、自分の中に閉じこもってしまう。枠を壊すと言うより、枠を意識しない、日常のまま、声にしているようだ。ボブ・ディランは当時のたくさんの若者に共感を与え、熱狂的に迎え入れられた。ビートルズにしても同様だ。彼らは形式も自分たちのものを築き上げた。したがって他の歌手への影響もそれだけ大であった。ボブ・ディランの受けた文学賞はメッセージ性や社会批判を重視すると言う。その意味では彼の存在自体がすでにメーセージであり、受賞がふさわしいものと言えるのではないだろうか。
八重咲き秋明菊