戦後73年以上経ち、いよいよ今年で戦争を知る天皇がいなくなる。世の中はこの間、何とか生活をやり過ごして来た。しかし、今では自然も社会も大きな問題を抱え、「いつか」は分からないが、いつ起きてもおかしくない巨大な変化が起きる可能性がある時期に来ている。自然界では日本の巨大地震や巨大噴火、地球のポールシフトなど、人の力では如何しようもない事象が待ち構えている。社会では世界経済のリセットがいずれ行われるだろう。人類が経験したことのない返済不能な借金が積み上がってしまった。いずれもが起きてしまうと生活や生命さえ脅かされることになる。いつ起きるか時期を明確にできない事柄なので、なおさらメディアは報じることがなく、そのためにほとんどの人が知らないままに日々を送っている。もっとも、知ったところで個人的には準備出来ることは限られるが。10年前に愛知県から釜石へやって来て、東北の自然の豊かさに触れ、とても感動した。しかし、そんな自然の豊かさの中で、3年3ヶ月経った時に、巨大な地震と津波に襲われ、職場が多大な被害を受けた。わずかな食糧で日を過ごさねばなら時もあった。誰もがこれほどの地震や津波が来るとは考えもしなかった。四国で生まれ、地震の経験はあったが、地震に津波が伴うことなど考えも及ばなかった。地震のあった当日はちょうど、地震発生直後の15時に職場の他施設の応援に毎週行っていたため、地震が静まったと思って、車で出かけた。後から分かったことだが、その車の後から追いかけるように津波が来ていた。2〜3分遅れれば、津波に巻き込まれていただろう。自然の豊かさと、そんな自然に溢れる東北の歴史にばかり興味を持ち、社会や自然の脅威について、関心を持たなかった。震災は原発事故による放射性物質の拡散をもたらした。今住んでいる釜石も以前よりいまだに放射線量は高い。東京の一部はさらに危険な状態でもある。こうした体験が社会や自然の脅威への関心を嫌でも持たざるを得なくした。原発事故への政府の言い分はかえって不信感を募らせもした。国内で適切な情報が得られなければ、面倒でも国外の情報を得るしかない。政府はチェルノブイリ事故よりも福島の事故の方が軽いニュアンスで対応していたが、チェルノブイリでは溶けた核燃料棒はあくまで原子炉内に留まっていた。しかし、福島では原子炉さえ抜けて、溶けた核燃料棒がどこにあるかも分からない状態が続いている。深刻度はずっと高い。こうしたことは海外の情報でなければ分からない。経済となるとなおさら世界を見ざるを得ない。グローバル化が進み、マネーは世界中に動く。他の主要国で起きたことは日本にも無縁ではない時代になった。自分の体験だけでなく、年齢を重ねて来ると、なお、自分が生きている世界のことを知りたくもなった。


薬師公園の椿