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釜石の日々

岩手県釜石市に移り住んで17年6ヶ月が過ぎ、三陸沿岸部の自然の豊かさに感動する毎日。

山川「異域」  風月「同天」

2020-02-05 19:10:13 | 文化
先週、大連市に送ったマスクが昨日、無事届けられたと連絡があった。中国でも、日本でも、米国でもマスクが不足している。実際には、ウイルス感染には効果がなくとも、それを知らなかったり、藁をも掴む思いで、マスクに頼っているのだろう。今日も釜石の家の近所の方がマスクをして、「本当に今のウイルスは怖いですよね」と声をかけられた。敢えて、「そうですね」と簡単に答えて、通り過ぎた。メディアが毎日、新型コロナウイルスの広がりを伝えていれば、釜石のような、地元の人自体が「陸の孤島」と呼ぶような地域ですら、今にも感染するかも知れない、と言う気持ちにさせてしまうのだろう。1月20日〜26日の1週間でさえ、岩手県では1218人のインフルエンザ感染者が報告されている。無論、新型コロナウイルス感染はゼロだ。交通機関が制限され、食料も思うように手に入らない、今の中国の様子を見ていると、つい、震災当時を思い出す。暖房が途絶えると、建物の中でさえ、とても寒く、十分な食糧がないために、なお、寒さが厳しく感じられた。そんな時に、高速道が不通のために、一般道を何時間もかけて東京から食料を運んでくれた人たちがいた。個人で出来る支援を申し出てくれる人たちがいた。日本のメディアではあまり報じられていない時、世界で最も古く、フランスでは最大の通信社AFPは2日に、「日本からの支援物資に書かれた8字、中国で感動呼ぶ」と題する記事を載せている。中国語の検定試験などを行っている日本のHSKの日本事務局が、湖北省武漢市に支援物資として、マスク2万枚と赤外線体温計などを贈った。しかも、段ボール箱に貼られた送り状の最下段に「山川異域 風月同天(別の場所に暮らしていても、自然の風物は変わらない)」なる漢詩が添えられていた。これが、日本のTwitterとFacebookを合わせたような、中国では著名な、新浪微博(ウェイボー、Weibo)で多くの人たちから「絶賛を浴びた」と言う。奈良の唐招提寺は、唐のの高僧鑑真が建立したとされ、鑑真像が祀られてもいる。その鑑真について書かれた伝記「唐大和上東征伝」に、日本の長屋王が、中国に1000枚の僧侶の衣服である袈裟(けさ)を贈ったことが書かれており、その袈裟には「「山川異域 風月同天 寄諸仏子 共結来縁(国は異なるが天は同じ。袈裟を僧侶に寄進し縁を結ぼう)」と言う文字が刺繍されていた。鑑真はこの漢詩に心を打たれて、日本へ行くことを決心した。AFPには、「2月1日午前11時現在、新浪微博には31万5000の「いいね」と7000件を超えるコメントが付けられている。」とある。「新型コロナウイルスの感染による肺炎の影響で、現在中国の多くの地域でマスクや体温計、防護服など医療物資が不足している。日本の各界から支援物資が贈られていることに、中国のネットユーザーからは「雪中に炭を送ってくれた」と称賛のコメントが寄せられており、日本の温かい支援に感動するユーザーが多く、日本への友好の気持ちを伝えるものも多い。」。子供の頃の唯一の贅沢は、映画を見ることであった。父親にねだっては、休日に映画館へ連れて行ってもらった。以来、映画が好きで、中学、高校では、定期試験が終わった日は、必ず映画館へ駆け込んだ。レンタルビデオの時代には、そのレンタルで。現在は、ネットを通じてパソコンで映画を見る。欧米の映画もたくさん見て来たが、釜石へ来てからは、アジアの映画を見ることも多くなった。これまで、本当にたくさんの映画を見たが、映画を見る限り、人間は人種や国を超えて、変わらない。何人であろうと、喜び、悲しみは同じであり、情愛も変わらない。まして、困窮時に差し出された手には、誰もが心打たれる。
今日は少しだけ雪が積もった

自分にもあった中国への偏見

2020-01-22 19:10:06 | 文化
一昨々日は結局、長興島の長い砂浜で寒さに無防備だったことが原因で風邪を引いたようだ。大連の人たちはみんなダッフルコートを着ていて、こちらが持参していた釜石でのコートでは寒いからと、わざわざ貸してくれたダッフルコートを着ないで、釜石のコートだけで歩いた。最初はともかくお腹の調子が悪く、食欲が全くない。せっかくの昼の中国料理も、夜の海鮮の会食もほとんど口に出来なかった。しかし、みんな中国の人たちは親切で、ともかく陽気で、夕食の会食ではとても楽しませてもらって、すっかり気分の悪いのが吹き飛んでしまった。一人の女性などは、日本の踊りを真似て踊り、それがとても受けた。久しぶりに笑い転げた。案内してくれた若い警察官の友人で、やはり警察官をしている人など、とても警察官とは思えないキャラクターで、テレビのお笑い番組を見ている気持ちにさえさせてくれた。その夜は長興島のホテルに泊まり、一昨日は再び大連市の市街地へ戻った。昼には中国のラーメンを食べたが、まるでラーメンのイメージとは味も見かけも違っていた。ただ手打ちで名のある店だと言う。昼食後、ショッピングに出かけた。日本で言うイオンモールのような形式だが、イオンモールよりもデパートに近い感じで、ともかくここも大きく、しかも高級店が並び、普通にたくさんの人がショッピングしている。車やこうしたショッピングを見ていると、日本と変わらないか、日本以上にさえ感じてしまう。自分の中にあった、中国への偏見を改めて考えさせられた。総務省のデータでは世界の500万都市35のうち中国は10あり、100万都市は65もある。その500万都市には2017年のデータのためか、現在600万人いる大連市さえ入っていない。スケールの大きさに驚くばかりだ。若者など、日本と服装ややっていることが何も変わらない。共産主義国を感じさせるのは、ごくまれに見る政府の広告表示と長興島の高齢者のマンションの室内に飾られていた毛沢東の大きな写真だけである。ショッピングモールでのショッピングを終えた後、いよいよカラオケに行った。ここでも中国の若者の歌の上手さに驚かされた。まるで歌手の歌を聴いているようだ。日本の若者の歌はとてもついて行けないが、中国の若者の歌は年齢を超えて聴かせる歌になっている。夜10時に大連市街のホテルに帰った。昨日は、朝から鼻風邪となりゆっくり起きた。10時頃に迎えに来てくれて、空港へ向かった。出国も簡単で、13:00の飛行機で15分遅れて成田に向かった。釜石の家に着いたのは夜の11時過ぎになった。大連とは1時間の時差なので、1時間だけ失った感じだ。昨年、娘が自分の友人のいる香港へ行き、香港の人たちから本土の中国は地方など酷いと聞かされ、香港のホテルの状態から、いくつか予め注意を受けていた。しかし、中国本土のホテルは決して酷くはなかった。むしろ大連市街地のホテルなど余程日本のビジネスホテルよりも綺麗で、広い。ただ長興島のホテルは綺麗だが、水回りに詰まりがあった。今回の中国への初旅行で感じたのは、やはりとても中国には敵わないと言うことだ。何事も巨大すぎる。土地が国有であるため、都市づくりが政府の計画で、整備されて行われる。日本のように次々に追加や修正が行われ、まとまりのない都市景観とは異なっている。都市部と地方の格差が大きいため、今、中国政府はその地方の拠点都市を整備しようとしているようだ。いずれ中国も民間が抱える超巨大な不動産開発債務が弾け、大きな打撃を受けるだろうが、やはり間違いなく、そこから立ち直り米国を抜く存在になるだろう。人口問題も障壁となるが、それでもともかく人の絶対数が日本や米国と異なる。にわか仕込みの中国語では間に合わず、急遽、日本で評判のある通訳機を買って、持参したが、3割くらいの誤訳があり、かえって中国の若い警察官が自分のスマホにダウンロードした無料の通訳アプリの方が正確であった。こんなところにも驚かされた。
全てが鬼城(建設されたが利用されない廃墟)

長興島の会食で日本の踊りを披露してくれた中国の女性(隣の男性は警察官)

大連市街地で宿泊したホテルのフロント

大連市内を走るバス

中国手打ちラーメン(むしろうどんに近い)

ショッピングモール。通路にも出店がある(ロシアの店も)

ショッピングモール。一つの店内

ショッピングモール。食べ物の店が並ぶ

ショッピングモール。中国の正月用の特設

カラオケ。一部は箱型ロボットが運ぶ。壁に取り付けた小さなTVのような液晶画面で曲の選択。日本の曲もたくさんある

帰国時のJAL機。「小さい」空港と言われたが、花巻空港の5〜6倍はある(現在、新空港が建設されている)

長興島

2020-01-19 19:12:43 | 文化
昨夜は結局、カラオケには行かなかった。若い警察官が朝早く呼び出しがあり、疲れていたようなので、夜景を見るだけにした。場所がよく分からないが、正月を迎えるための特別な光の祭典である。寒いがせっかく案内してくれたので、一通り見て回った。そこへ行くまでも、道路の両側やビルには綺麗なイルミネーションを見ることが出来る。前夜同様に10時頃にホテルに戻った。中国3日目は大連市の北方にある長興島(长兴岛)に向かった。今朝いた大連のホテルのあるところから、130Km離れている。中心街の道路も広いが郊外へ通じる自動車道はさらに広く、高速に入ると片側に五車線あり、その後は四車線に変わった。ともかく中国は大地が広いせいかスケールが違う。高速道のスピードは120Kmまでで、所々にカメラが設置されているが、今日の運転を引き受けてくれた先日の若い警官の上司の話では、スピードチェックのカメラの他に喫煙チェックのカメラもあると言う。運転中の喫煙はダメなのだ。日本の高速道路と違って、高速隊のパトカーの姿はない。聞いてみると、高速の入り口でETCの番号がチェックされ、出口で走行時間が計算され、スピードが違反速度であれば、後で、違反の罰金が課されると言う。なるほど、走行距離と走行時間が分かるから、スピード違反しているかどうかが分かる。とても合理的だ。不必要に警察の高速隊を置かなくていい。誰がどこをどう走ったか、監視されていることは確かだが、同じETCを使うなら、管理する側としては、合理的だ。長興島は人口6万人の街だが、ここもともかく広く、ある地域に高層の建物が集中し、市街地が形成されているが、そこから少し離れた海岸に近いところには30棟余りの高層の、いわゆる鬼城が不気味に並んでいた。国家方針で不動産開発が促進されたが、利用者、購入者がおらず、そのまま放置されたものだ。その鬼城の規模にもまた驚かされる。鬼城の近くの海岸へ出ると、何キロも延々続く渤海に臨む砂浜が展開する。砂浜には凍った雪の帯が伸びている。砂浜ですら、中国となると、その規模がまるで違う。高速道路の途中で、古い人の住まない戸別住宅が並んでいた。かっての貧しい中国のイメージそのものだ。改革・開放がこうした住居から脱出させたのかも知れない。普段は食事は2食のところ、今日はおつき合いで、食堂の中国料理を昼に食べた。そのせいか、お腹がすっきりせず、夕方4時頃に、一旦長興島のホテルで休むことにした。夕食は長興島の人たちと共に、海岸へ行った帰りに寄った市場で買った魚介類を持ち込んだ焼肉が予定されている。その後に、カラオケとなる予定だ。
昨夜




長興島と言う「小さな」街の片側3車線道路

片側だけでも延々続く砂浜

長興島の市場

在、大連

2020-01-18 19:14:31 | 文化
昨日、成田空港からわずか3時間ほどの、中国大連市にやって来た。人口は600万人で、横浜市の375万人より多く、東京23区964万人より少ない都市だ。空港に着陸する時に見えた景色で感じたのは、ともかく日本と違い戸別住宅がなく、集合住宅ばかりだ。そのため、雑然としたところがなく、いかにも作られた都市と言う印象を強く感じた。空港に出迎えてくれた、25歳の身長184cm、体重90Kgの警察官の若者が運転する中国産の車も快適で、ともかく道路が広いのには驚かされた。どこを走っても道幅は広く、違和感は右側走行と、車も歩行者も突然割り込んでくることがあることだった。信号機の設置間隔も日本のように短くなく、長いためか歩行者が堂々とゆっくり信号機のないところを横断する。何度もそうした歩行者や突然割り込んで来る車に驚かされた。自分では、慣れないととても運転出来ないと思った。しかし、市街地の歩道を歩いていると、文字と建築物のデザインの違いを除けば、まるで日本の都会を歩いているような錯覚を感じることさえ多々ある。歩行者や時間合わせのために入ったマクドナルドでの中国の人たちの服装やしていることは、もうほとんど日本で普通に見かけるものだ。誰もがスマフォを操作し、特に若い世代はもう日本の若者と何も変わらない。共産主義の国にいるなどとは思えない。少なくとも人々の日常生活には共産主義は直接には介入していないように見える。ネットの接続も自由に出来、仮に政府が何らかの形で監視していても、自由にパソコンを操作出来る若者であれば、その監視すら掻い潜り、世界の情報を得ることが出来るように思う。大連は海に接する半島にあるため、海産物が豊富で、夜は、その海産物を食べに連れてってくれた。日本のイオンモールのようなところの地下街に、たくさんのイケスに入った生きた魚介類が並べられ、自分の好きなものを好きなだけ取り、お店の人に渡す。テーブルで待っていると、番号が呼ばれ、料理された魚介類を取りに行き、新鮮な味を堪能出来る。天気はとてもいいが、気温は低く、マイナスの世界で、その寒さが魚介類を美味しくさせていると言う。確かに牡蠣は釜石の牡蠣より美味しく感じた。中国では全てがキャッシュレスで、スマフォを使った支払い以外はなく、それが出来なければ、逆に不便な国だ。予め、お金を渡して、若者にお任せした。その店を出る時に、ふと、駐車場の車のタイヤが夏タイヤであることに気付き、若者に尋ねると、運転が上手いから、雪が降っても平気ですよ、と答えた。仮に事故が起きても、保険会社が支払ってくれるし、と言う。これを大陸的大らかさと考えていいのかどうか。夕食後、世界第2の広さだと言う夜の公園に連れて行ってくれた。公園と言うので歩くのかと思ったが、歩くよりも見る公園であった。ともかくスケールがまるで違う光のイルミネーションで、素晴らしいとしか言いようがなかった。電気料金を心配して聞いてみたが、LED光を使っているので、心配ないとの返事。公園と反対側には海があり、その海の上にかけられた自動車道の橋もイルミネーションで暗い海上に浮かび上がっている。夜10時、少し疲れて取ってくれたホテルに帰った。道を走る車は日本以上に外車が多く、タクシーでさえフォルクスワーゲンである。イギリス、フランス、ドイツ、韓国の車に日本の車が走り、それらの「外車」の総数と同じくらいの中国国産の車が走る。まるで世界中の車が集まった感がある。東京などで見かけるよりずっと多くのドイツ車が走る。「外車」は高くないのか、と尋ねると、国産の2.5倍位だと言う。日本は地方だと家族一人一人が車を持つ。中国では一家に1台なので、それで高くても外車を買う人が多いのだそうだ。しかし、「外車」は見栄だけだろう。若者が運転する国産車は、乗っていて、十分と感じた。レザーシートで、電子系操作も何ら現代の日本車と変わらない。下手な日本車より、ずっと高級に見える。2日目の今日は、若者の叔父が運転するトヨタに乗せてもらった。昨夜の公園は星海公園だと分かった。日中はまるで景色が違って見えた。寒い中を今日は散策した。日本とは違う小鳥たちが群れていた。海辺の砂地を、この寒いのに散策する人たちがいる。遊戯施設もたくさんあるが、やはりこの時期は休むところが多い。公園の後は、市場に向かった。中国の正月用の食べ物と花を買うためだ。市場も桁違いである。先ずは花の市場に出かけたが、何軒もの花屋が並び、まるで迷路である。この時期は赤い色の花が多く置かれている。かなりその市場を回った後、次は食べ物や衣類を置く市場へ向かった。こちらは1Km近くのビルやその付近にたくさんの市が並び、ビルの中も3列の通路の両側に店が並ぶ。それが1階と2階に展開されている。とても見切れない。イモムシのようなものや豚足、何かの心臓なども売られていた。その近くの公園には、寒い中、リサイクル市が、これも大勢の人が集まって開かれていた。夕食は焼肉の予定で、その後はカラオケにお付き合いとなる。ともかく始めての大連市は、さすがに中国の大きさを感じさせる都市だ。
大連の象徴、サッカーボール

マーケット

イケス

頼んだ魚介類


2日目にトヨタ車で案内してくれた若者の叔父

星海公園の端から見える海辺

延々と続く市

ホテル近くの夜景




日本の凋落

2019-05-15 19:12:32 | 文化
科学技術振興機構が151分野で科学論文の引用回数を調べたところ、日本が1位となった分野が全くなかった。1995年〜1997年の3年間の平均では2位の分野が31あったが、2015年〜2017年の3年間ではそれもなくなった。2015年〜2017年では、1位は米国の80に対して、中国は70の分野に迫って来た。米国は1995年〜1997年には1位の分野が150あった。日本は2位の分野すら失った。いかに日本の研究が貧弱になったかの表れだろう。以前に書いた米国への留学生の数の減少にも、中国との差が顕著に出ている。近い将来、中国も民間企業が抱える巨大な債務で、いずれ大規模な金融危機に見舞われることになるが、それでも製造基盤と科学力は保持しており、高齢化と少子化の影響があるとは言え、まだまだ生産労働人口は多い。次の金融危機では、米国も中国も大きな打撃を受けるが、立ち直りは中国に有利になるだろう。世界をつぶさに見て来たジム・ロジャース氏は21世紀は中国を中心としたアジアの時代だと見ている。そのロジャース氏は世界にはいずれ「人生最悪」の危機が訪れると見ている。経済は産業で成り立っている。その産業はマネーではなく、人材が基本だ。今の日本は優秀な人材を育てることを放棄している。一部に大学教育の無償化を取り入れても、その大学の研究費を削っては意味をなさない。今世紀に入り、日本では新自由主義の名の下に、一貫して教育・研究費を削り、軍事費を増やして来た。軍事費は国を守るためのものだが、その守るべき国の弱体化を一方で行なっている。明らかな本末転倒である。かっての高度経済成長は、教育と研究に国が力を入れ、豊富な人材で達成された。米国の核の傘の下とは言え、軍事費は抑えられていた。英米の全ての軍事シュミレーションでは、ロシアと中国が同盟した場合、米国は勝てないと言う結果が出ている。もはや軍事力では対応しきれない。そうした現実を今の日本は直視していない。まるで攻撃して下さいと言わんばかりに配置された原発は、通常爆弾にさえ耐えられない。政府が決定した陸上配備型迎撃ミサイルシステム「イージス・アショア」など、迎撃が出来ないことはすでに米国の実験で明らかになっている。設計ミスのある米国の戦闘機まで押し付けられた。国力とは決して軍事力ではない。文化や経済の基盤が最も重要だ。そして、それを支えるのが人である。人を育てることなくして、国力の増大はあり得ない。日本やドイツ、イタリアはそのことを十分知ったはずだ。国民を犠牲にして栄えた国は歴史上にはない。現在の日本は、教育・研究だけでなく、経済的にも国民を犠牲にしている。超低金利も円安も政府と輸出巨大企業のための政策でしかない。国民の実質所得は低下を続け、年金制度も近い将来に崩壊する。バブル崩壊後の日本は凋落の一途をたどっており、行く末は目に見えている。日本を立て直す方策は何ら打ち出されていない。やはり、一度どこかで清算するしか無いだろう。
一人静

実家への旅

2019-05-07 19:17:43 | 文化
10連休の後半は、四国の実家の法事、実家は神道なので神事のために帰省した。同じ県内で転居したため、今は実家は松山にある。釜石から花巻空港まで車で行き、花巻空港から伊丹空港へ飛び、乗り換えて松山空港へ行く。今は釜石自動車道が完成しているので、空港まで1時間ほどで行ける。花巻空港から松山空港までは、乗り換えを入れても3時間半である。どの空港も思ったほどには混み合っていなかった。ただ、他の便の関係か出発時刻の遅れは多少あった。さすがに四国は岩手よりも気温が高く、日中の日射しを受けると暑く感じる。ただ、風は五月の清々しさがある。実家は中心街に近いが、小高い丘陵地にあり、背後の森からはキジの鳴き声が聴こえて来て、驚かされた。近くからはウグイスの声も聴こえて来た。岩手と違って、早くもアヤメが咲いていた。久しぶりに会った兄や妹、甥や姪、その小さな子供達とともに、船で瀬戸内海に浮かぶ小さな島に渡り、鯛飯をご馳走になった。四国では讃岐のうどんが美味しいが、別に讃岐でなくとも、四国であれば、ちょっとしたスーパーなどに併設された食堂などのうどんでも、他よりもはるかに美味しいうどんが食べられる。実家へ行く時は、いつもこのうどんを食べることを楽しみにしている。残念ながら、今回はそうしたうどんが食べられなかったが、姪が作ってくれたうどんが食べられた。そのうどんも十分「四国のうどん」で、とても美味しく食べさせてもらった。瀬戸内海は子供の頃からの遊び場の一つで、海岸沿いからは魚の姿も見られ、子供の頃の釣りで、いつも嫌がっていたフグも健在であった。夕日に照らされた美しい瀬戸内海もまた見ることが出来た。岩手とは違った自然の美しさが瀬戸内海沿岸にはある。ただ、もう随分と四国を離れ、北海道やこの東北に住んで来たためか、夏の四国の暑さには耐えられなくなった。北海道や東北の夏さえ、当初は涼しく感じていても、しばらく経つと贅沢にも暑く感じるようになる。人が住む街並みは時間とともに変わって行くが、四国でも岩手でも自然はほとんど変わらないように見える。空の上からはるか下に見える瀬戸内海には川下に展開する市街地に連なって、海に埋立地がたくさん展開されていた。そんなあちこちに見られる埋立地を見ていると、南海トラフ地震など何も考慮していないのが分かる。空の旅をする人々も、街並みを行き交う人々も、日本や世界の来るべき大きな変化にはやはり何も気付いてはいない。1週間足らずではあったが、岩手に戻ってみると、周りには五月の緑が溢れるようになっていた。庭にも緑が出ていた。東北や北海道は、この4月、5月の植物の生育が目に見えて早く感じる。
夕暮れの瀬戸内海