岩手に来て日々自然と接するようになり、その自然と触れ合っていると、つくづく人間は動物であると感じるようになった。そして、現代人はそのことを忘れ、そのためのしっぺ返しを多く受けているように思えるようになった。生物学者の早稲田大学池田清彦教授は、「人間の寿命は野生動物の基準からすると40年そこそこ。40歳過ぎた人は、本来ならいつ死んでもおかしくないような年齢を生きている」のだと言われる。「哺乳類の寿命は、体の大きさと比例していて、例えば陸上にいる哺乳類で一番長生きするゾウは、人間と同じくらい生きる。海の生物で言えば、シロナガスクジラは120年くらい生きる。人間はサイズから考えると、40年が限度だろうから、今みたいに100歳近くまで生きるなんて、生物としてタガが外れている」そうだ。社会の変化についても「昔の人は働くって自分で食べ物を獲ることだったけど、今はお金を得ることと同義でしょ。それに日本では農家や漁師が少なくなって、ほとんどが製造業とサービス業になった。そういう意味では、職種のバラエティが少なくなったと言える。仕事の選択肢は増えても、コミュニケーション能力を求められるような職業ばかりで、そうじゃない職業は本当に少なくなった。昔は、職人の仕事がたくさんあって、あまり人と話すのが得意じゃない人でも、生きる道が結構あった。」と言われている。また「直感は、意外と外遊びと関係があるんだよ。子どものころに外遊びした人と、家のなかだけで遊んでいた人とでは、能力が違う。人間、外で遊ばないとダメだよ。なぜかというと、外では予測不能なことが起こるから。その場で考えて、解決策を自分で捻り出さないといけないし、答えが最初からあるわけでもない。」とも言われる。これらは基本的に、人間の動物としての存在の希薄化に関連しているだろう。人の寿命は確かに伸びたが、その一方であまりにも多くの病が増えており、「健康長寿」の増加とは言えない。人間は動物ではあるが、ただ他の動物とは異なり、社会的な存在でもある。孤立して生きるよりも集団で生きることが効率がいいことを知って、その道を選んで来た歴史がある。その集団の作り方も動物と同じく強いリーダーの下で集団を作ることから始まった。そして、そこに人間固有の知恵が働き、「自由・平等」概念が生まれて来た。池田教授も自ら「自由人」だと言われている。そして、その「自由」は「他人の恣意性の権利を侵食しない限り、人は何をするのも自由である。」と言うものである。人が動物であることを認識した上で、自由人である池田教授は、現在の日本の状態へも目を向け、「国家予算を湯水のように使い」日本は「東京オリンピックで潰れる」と唱え、「アメリカに追従するだけ」の政権を批判される。日本の悲惨さは、しかし、政権の在り方だけではないだろう。それを許す野党、さらには国民の在り方、あまりにも政官財の凋落ぶりが酷い。戦後の経済成長で、経済大国になった驕りがそのまま維持され続けて、その底にある米国依存がアジアの一員であることをも忘れさせている。しかも、19世紀は英国、20世紀は米国の時代であったが、21世紀はアジア(中国・インド)の時代になるのだ。


朴の木の花