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釜石の日々

岩手県釜石市に移り住んで17年6ヶ月が過ぎ、三陸沿岸部の自然の豊かさに感動する毎日。

社会的動物

2018-05-17 19:16:05 | 文化
岩手に来て日々自然と接するようになり、その自然と触れ合っていると、つくづく人間は動物であると感じるようになった。そして、現代人はそのことを忘れ、そのためのしっぺ返しを多く受けているように思えるようになった。生物学者の早稲田大学池田清彦教授は、「人間の寿命は野生動物の基準からすると40年そこそこ。40歳過ぎた人は、本来ならいつ死んでもおかしくないような年齢を生きている」のだと言われる。「哺乳類の寿命は、体の大きさと比例していて、例えば陸上にいる哺乳類で一番長生きするゾウは、人間と同じくらい生きる。海の生物で言えば、シロナガスクジラは120年くらい生きる。人間はサイズから考えると、40年が限度だろうから、今みたいに100歳近くまで生きるなんて、生物としてタガが外れている」そうだ。社会の変化についても「昔の人は働くって自分で食べ物を獲ることだったけど、今はお金を得ることと同義でしょ。それに日本では農家や漁師が少なくなって、ほとんどが製造業とサービス業になった。そういう意味では、職種のバラエティが少なくなったと言える。仕事の選択肢は増えても、コミュニケーション能力を求められるような職業ばかりで、そうじゃない職業は本当に少なくなった。昔は、職人の仕事がたくさんあって、あまり人と話すのが得意じゃない人でも、生きる道が結構あった。」と言われている。また「直感は、意外と外遊びと関係があるんだよ。子どものころに外遊びした人と、家のなかだけで遊んでいた人とでは、能力が違う。人間、外で遊ばないとダメだよ。なぜかというと、外では予測不能なことが起こるから。その場で考えて、解決策を自分で捻り出さないといけないし、答えが最初からあるわけでもない。」とも言われる。これらは基本的に、人間の動物としての存在の希薄化に関連しているだろう。人の寿命は確かに伸びたが、その一方であまりにも多くの病が増えており、「健康長寿」の増加とは言えない。人間は動物ではあるが、ただ他の動物とは異なり、社会的な存在でもある。孤立して生きるよりも集団で生きることが効率がいいことを知って、その道を選んで来た歴史がある。その集団の作り方も動物と同じく強いリーダーの下で集団を作ることから始まった。そして、そこに人間固有の知恵が働き、「自由・平等」概念が生まれて来た。池田教授も自ら「自由人」だと言われている。そして、その「自由」は「他人の恣意性の権利を侵食しない限り、人は何をするのも自由である。」と言うものである。人が動物であることを認識した上で、自由人である池田教授は、現在の日本の状態へも目を向け、「国家予算を湯水のように使い」日本は「東京オリンピックで潰れる」と唱え、「アメリカに追従するだけ」の政権を批判される。日本の悲惨さは、しかし、政権の在り方だけではないだろう。それを許す野党、さらには国民の在り方、あまりにも政官財の凋落ぶりが酷い。戦後の経済成長で、経済大国になった驕りがそのまま維持され続けて、その底にある米国依存がアジアの一員であることをも忘れさせている。しかも、19世紀は英国、20世紀は米国の時代であったが、21世紀はアジア(中国・インド)の時代になるのだ。
朴の木の花

スピルバーグの近作

2018-03-28 19:19:27 | 文化
これまで数々の話題作・名作を出して来た映画監督のスティーヴン・スピルバーグSteven Allan Spielbergの作品「ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書(原題The Post)」が日本でも今月末から放映開始となる。残念ながら岩手県では今月末はまだ放映する映画館がない。1954年にフランス軍がディエンビエンフーの戦いでベトミンに敗れた後、米国は1955年に軍事援助顧問団を強化して、南ベトナム政府軍の軍事教練を開始し、1964年のトンキン湾事件をきっかけにベトナム戦争に本格的に軍事介入して行った。1975年4月のサイゴン陥落まで続いた。この間、米国政府は国民へは正確な戦況を知らせず、巨額の軍事費を投入し、多くの兵士の犠牲をもたらした。このベトナム戦争における米国政府の対応を記録した秘密文書がペンタゴン・ペーパーズPentagon Papersと呼ばれるもので、1971年にニューヨーク・タイムズThe New York Timesがこの文書をスクープし、報じた。スピルバーグの映画は同じくこの文書を入手したワシントン・ポストThe Washington Postの、真実を報じるか、政権との関係を重視するかの葛藤を描いている。ニクソン大統領は国家の機密だとして、ニューヨーク・タイムズを司法に訴えた。ベトナム戦争は南ベトナム政府軍の内部での権力闘争が続き、政府軍の兵士の士気も低下して、巨費を投じた米国の介入も効果がなく、泥沼化した。米国はベトナム戦争での失敗にもかかわらず、以後も世界の各地での紛争に介入し、同じく泥沼化し、最後には投げ出している。米国も今では様々な法により、国家機密として、国民に知らせない事実が拡大されている。過剰な規制すら行われてもいる。そんな状況を批判する意味でも、スピルバーグはこの映画を投じたかったようだ。国家は本来国民のためのものであるが、権力を一度保持した者は、不都合な部分は極力隠そうとする。これは洋の東西を問わずである。司法すら権力の内部に取り込まれてしまう。ペンタゴン・ペーパーズも、当時であったからこそ、報じられたが、現代では米国でも多くのメディアが「事実を伝える」ことから後退している。多くのメディアが政権寄りの大資本により運営されるようになったためだ。インターネットの普及が、メディアの売り上げを減少させ、メディアを守りに入らせたことも一因かも知れない。いずれにしろ、スピルバーグの映画は、かっての「良き時代」のメディアのあり方を描いている。
毎年釜石で最初に咲く早咲きの桜

「末法の世」の過ごし方

2018-03-16 19:19:50 | 文化
85歳になる作家の五木寛之氏がHuffington紙日本版のインタビューを受けている。「少し昔の大人たちは」「定年退職後も、年金など社会保障が充実していました。」しかし、「時代は変わった。80歳でも90歳でも、生涯現役として生きなければいけない時代になってしまった。国家や社会、大きな体制に依存して自分を守っていく道が閉ざされてきた。そうなると「自分はどう生きるか」を考えなくてはいけません。」「一人ひとりが、自由な「デラシネ」として、自分の健康もひっくるめて、自分で生き方をケアする道を探してはどうかと考えています。」と語る。「「デラシネ」とはフランス語で「漂流者、根無し草」という意味ですが、「体制の保護をあてにできない人間」とも言えます。」。五木氏は12歳の時に、朝鮮半島で敗戦を迎え、2年後にようやく福岡県に引き上げて来た。この時、「「棄民(政府に切り捨てられた民)」となり、それが思想の根っこになりました。」。氏は「ソ連が崩壊し、ロシアに移り変わる頃」にモスクワにいて、「高齢者がなす術もない有様で放り出され、国営市場の冷蔵庫は空っぽで何もない。年金は止まっている。そんな中でも機能していたのは、ブラックマーケット(闇市)でした。人々は物々交換で、その日の糧を支えていた。」状況を目の当たりにして、「そういう現実を見ると、なにも混乱は戦後だけではない。「こういうことは、いつだってあり得る」と思いました。戦後に少年期を経た人間にとってはトラウマです。」と。「孤独」と「孤立」は違うとされた上で、「人は孤独であれ」と言われる。「「孤独」は「自主独立」すること。つまり「集団内孤独」です。昔の言葉で言うなら「和して同ぜず」ですね。」。五木氏は仏教史などにも造詣があり、平安末期の戦乱と天変地異の「末法の世」に仏法を説いた法然や親鸞に惹かれたようだ。精神の柔軟性が「末法の世」にこそ問われるのだ。高齢化の中で、孤独死を迎える人も多くなっているが、氏はその孤独死も恥ずべきことではないとして、「孤独死をひとつのスタイルに磨き上げたい」と言われる。かって日本にも孤独死はあったと言われ、サンカや遍路の例を上げられている。明治時代までいたと言われる日本の移動民サンカは、集団で移動するが、それについて行けなくなったら、置いていってもらって、その地で一人死んで行った。また四国八十八ヶ所の遍路は白装束に菅笠と杖で行われたが、白装束は仏教の死装束であり、菅笠には棺桶の文字が書かれていた。杖は卒塔婆の代わりとなる金剛杖なのだと言う。人はやはり一定年齢になれば、自分の死をいかに迎えるか、どうしても考えるようになるのだろう。
早池峰山

自然から得られる健康

2017-12-27 19:17:01 | 文化
今年もまた一つ歳をとってしまったが、歳とともに、いかに健康を維持して行くかを考えるようになった。認知症や卒中で他人の世話にならないように、また癌のような重い病気にならないようにするには、何に気を付ければいいのか。世の中が便利で豊かになって来ても、一向に病は減らない。長寿の国にはなったが、その長寿には病を抱えた多くの人たちも含まれている。何故病は減らないどころか増え続けるのか。基本的には栄養が確保しやすい環境があるために、長寿になったのだろうが、その確保しやすい栄養に偏りがあるために病が増えるのだろう。都会と地方を比べてみると、長寿の差はさほどないように思われる。運動の基本である歩くことを考えると、かえって都会の方が地方よりよく歩く。地方は車社会でもある。健康と長寿を考える時、いつも思うのは、自然との関わりだ。人は何十万年もの歳月をかけて、類人猿から進化した。従って、人の体は自然からの食物と、自然との接触の中で、抵抗力を得て来た。今、食物はあまりにも加工され過ぎてしまい、自然との触れ合いをなくしてしまっている。近年の生物学や医学は生体の分子、遺伝子レベルの解明が進んでおり、体内での活性酸素や長寿に関係した遺伝子のテロメアの役割などが明らかになって来ている。食物成分とそれらの関係、また、生鮮食物と加工食品の違いなども分子、遺伝子的な影響の違いなどが明らかになって来ている。そんな中で、エネルギー医学を提唱する生物物理学のジェームズ L.オシュマンJames L. Oshmanは、オランダのコペンハーゲン大学や英国のケンブリッジ大学、米国のノースウェスタン大学などで、研究を進めて、心臓専門医であるスティーブン・T・シナトラStephen T. SinatraらとともにアーシングEarthingと言う概念を提唱している。人体は帯電しているにもかかわらず、大地とは絶縁した生活をしている。大地との接触により、放電することが人体には必要なのだと言う。確かに人類はその歴史の大半を素足で歩いており、常に大地と接触していた。現代の家庭内には電気・電子機器が溢れている。電磁波はもう飛び交うのが当たり前になっている。大型家電には必ずアースが付いている。人体の帯電が如何に人体に有害かはよく分からないが、大地との接触、自然との直接の触れ合いは少なくとも心の癒しにはなるだろうし、冬場にいつも悩まされる静電気のことを思えば、放電が大事なことでもあるだろうと想像出来る。文明が進めば進むほど人は自然から離れて来た。その自然への回帰が人の心身を本来の健康状態に導いてくれるのかも知れない。
山茶花

小雨の甲子川

2017-12-19 19:10:27 | 文化
今朝は昨夜降った雨が凍り付いていた。ウォーキング時の路面が滑りやすくなっていた。気温は−2度。北海道にいた時には−10度以下でも犬と散歩をしていた。それに比べるとずっと暖かい。日中は小雨も降ったせいで6度くらいに上がった。ウォーキングの途中には2箇所に仮設住宅がある。震災から6年以上過ぎてもまだ住んでいる人たちがいる。被災者のために復興住宅がいくつか建てられたが、被災者にとって、無料の仮設住宅に比べ、月に6万以上の家賃が必要となる復興住宅は、生活が厳しくなる。結局、復興高住宅は被災者だけでは埋まらず、一般の人にも開放せざるを得なくなっている。被災した人の多くは海沿いの高齢の漁業を引退した年金生活者だ。医療費も延長されて無料とせざるを得なくなっている。仮設住宅を出た人たちは何らかの資産がある人か、年金以外の収入が得られる人に限られる。今も仮設住宅に住まざるを得ない人たちには、未だに将来が見えて来ない。高齢のため、働き口もなく、年金もわずかだ。津波で自宅を流され、その自宅が職場でもあった人もいる。高齢のためどこからも貸付を受けられない。落ち込んだ気力のまま過ごしている。メディアも震災から5年までで、こうした人たちの現状を今更伝えようとはしない。例年より早くやって来た寒気に、ますます心が冷えているのだろうと思う。小雨の降る中、昼休みにいつもの甲子川へ向かった。鮭の遡上防止柵の下流にはさらに多くの鮭が来ていた。目の前を大きな鮭が悠然と泳ぐ。水鳥さえ側を鮭が勢いよく通り抜けると驚いている。残念ながら、今年は今のところ川のこの辺りには白鳥の姿がない。シベリアや中国の東北部からやって来たカモ類や通年を過ごしているオオバンやカイツブリたちがいる。水中に潜って、せっせと餌を摂るものもいれば、くちばしや足を使って毛づくろいをしたり、頭を後ろに向けて、背中に顔を埋めて休むものもいる。鳥にも気性の荒いものがいるようで、しつこく仲間を追い回したりする。2019年の完成を目指して、自動車道工事が行われているため、一般道にはたくさんのダンプが行きかい、資材を積んだ大型トラックや業者の乗用車が、様々の他府県ナンバーを付けて走っている。こうした人たちで今は賑わいもあるが、2019年を過ぎれば、釜石の街は一気に活気を失うのではないか。鵜住居地区に2019年に行われるラグビーのW杯に合わせてラグビー場が建設されているが、これも終われば、尚更だろう。W杯が終われば、ラグビー場の維持管理費と言う負の遺産も残る。小雨の小さな輪が水の流れとともに下流に去って行く。釜石は何だか日本の縮図のように思えて来た。
スズガモの雌

自己価値を脅かす漠然とした予感

2017-11-27 19:15:29 | 文化
釜石の朝6時はまだ多少薄暗さが残る。飼っていた犬が死んでからは、甲子川沿いの朝のウォーキングが習慣になった。気温は0度近いので、首にマフラーを巻き、手袋をしていないと、途中で辛くなる。いつも決まった川の位置に白鷺やカモたちがいる。せせらぎの音を聴いていると、癒される。遠くに見える愛染山も山頂付近はすっかり雪を被った。毎日ウォーキングをやっていると、必ずと言っていいほど決まった人とすれ違う。互いに軽く挨拶を交わす。歩きながら周辺の山々を見ていると、山の木々の葉の色の移り変わりや落葉の様子が分かる。 人は様々な理由で不安にとらわれることがある。不安にとらわれると、睡眠さえ妨げられることがある。心理学では不安は「自己価値を脅かすような破局や危険の漠然とした予感」と言うそうだ。まさに「漠然」としているが故に、解決のしようがないのが不安である。それがために、眠れぬ夜を過ごさざるを得なくなることさえある。「自己価値を脅かす」と言う時の「自己価値」とはすなおに考えれば、そのまま「自己」の価値と言うことになる。単純に自分自身とも言えるのかも知れない。人はたった一人で孤島に生きているわけではないから、あくまで一般的には社会的存在である。つまり、他人との関係の中で、自分と言うものが明確になる。高齢者の病への不安も、病を通していつ訪れるかも知れない死への不安、あるいは、あくまで病を負った状態での社会的生活に対する不安と言うことになる。自分以外の他者との関係が絶たれたり、関係そのものに不安を抱く。他者は家族の一員であったり、全くの他人であることもある。先でどうなるのかはっきりしないことが不安を駆り立てる。不安自体は現在のものだが、それを引き起こしているものは未来に属することになる。将来がどうなるのか分からないことが不安の正体なのだろう。あるいはそれを今の自分ではどうにも解決のしようがないことが不安と言う感情を惹き起こさせると言えるのかも知れない。自分が無力であることを認識させられることが不安を引き起こすと言うことだろう。自分が決め、自分で実行可能な場合には、決して不安は生じない。不安は漠然としているため、強烈なストレスではないが、あくまでマイナスの感情であり、むしろ長く心のストレスとして持続する。それは先で明確な形が現れて初めて何らかの解消に繋がるのかも知れない。


自然との出会い

2017-11-08 19:20:53 | 文化
以前、家族の中では写真を撮るのが一番下手であった。あまり考えもしないで、ただ撮っていた。北海道に住んでいた頃も、ただあまり意識しないで、記念撮影的に撮っていた。ある時、ふと撮った一面の芝桜の写真を人から褒められた。それがきっかけで、風景写真を撮ることに意欲を持つようになった。ちょうどデジタルカメラへの移行時期でもあり、趣味のパソコンにも都合が良かったこともある。未だに人物写真だけは苦手意識があるが、風景はとても心を躍らせられる。愛知県に住んでいた時は、毎年のように春と秋は京都へ出かけた。観光シーズンでもあるため、いい写真を撮るには宿を朝早く出て、目的地に行かねばならなかった。やはり古都の桜と紅葉は、それだけで絵になる。場所を選べば、誰もが一流のカメラマンになれる。自然の風景だと、富士山のような圧倒的な自然もやはり同じことが言える。京都の桜と紅葉には、人の長い歴史が刻まれている。それが、桜と紅葉をさらに引き立てるのだと思う。来月で、釜石へ来て10年になるが、東北の桜と紅葉は当然京都とは全く異なる。もちろん、平泉の中尊寺や毛越寺などは京都に近いが。京都は作られた自然美であるのに対して、東北はあるがままの自然美を見せてくれる。今ではそのあるがままの自然美も杉などの植林によって、損なわれているところがあるが。植林がなければ、春は山桜が、秋はまさに素晴らしい紅葉を見せてくれていただろう。北海道でも自然の広大な景観が見られるが、北海道は山桜は限られた地域でしか見られず、秋の紅葉も黄色が主で、紅い紅葉はほとんどない。桜も紅葉も、風景写真の基本として、やはり光がとても大切だ。青空が広がった日が最も撮影日和になる。紅葉は特に光に透けた色合いが素晴らしい。家の窓からは休日の夕方、隣家のモミジに秋の夕日があたり、紅い透明な星のきらめきを見せてくれる。桜も紅葉も毎年変わらないように見えても、毎年、見頃が微妙に変わり、そのせいで、前年と同じ写真を撮ることは不可能だ。チャンスは一度しかない。釜石へ来て間も無く、職場の方から、山に咲く朴(ほう)の木の花のことを教えていただいた。何度か山に足を運んで、何とか気に入った写真を撮ることが出来た。しかし、それ以後、毎年、その時期に山に何度行っても、二度と同じような写真を撮ることは出来なかった。自然との出会いもやはり一期一会なのだ。

自然が人を助ける

2017-09-14 19:13:56 | 文化
加齢は体内では免疫力の低下を、体外ではシワやシミを増やす。免疫力は27~28歳をピークに以後低下し、20年後には4分の1まで下がってしまう。毎日体内では癌細胞が5000個も発生していると言われる。それを排除してくれる免疫力が低下していることで、加齢とともに癌の発生が増加する。従って、癌の成長を防ぐには、意識して毎日の生活で免疫力を高める必要がある。ストレスを避け、適度な運動を心がける。また、老化は活性酸素により加速されることを考えれば、抗酸化作用のある食べ物を摂ることが大事となる。それが免疫力を維持することへも繋がる。ハーバード大学やパリ大学の根来秀行客員教授は自己の研究から、毛細血管の重要性を示されている。加齢とともに毛細血管が傷付き、失われて行く。内臓や皮膚の全ての細胞で、最終的には毛細血管が栄養や免疫力の橋渡しをする。まさに人の寿命はその毛細血管に関わる。加齢とともに失われて行く毛細血管は修復し、増加させることが出来る。毎日わずかな量のシナモンや沖縄で昔から口にされている胡椒などが毛細血管を修復し、増加させてくれる。週2回の41度15分の入浴も、やはり毛細血管を増強させる。人の筋肉の7割は下半身にあると言われ、その筋肉を適度に鍛えることも免疫力を強めることにもなる。慶応義塾大学井上浩義教授は、13年前、米国のアーモンド農家を訪ねた際に、農家の人たちが実年齢よりもあまりにも若く見えることに驚かれた。毎日アーモンドを25粒食べることで、皮膚年齢が20歳も若くなることを自分で確認された。愛媛大学老年神経総合診療内科の伊賀瀬道也特任教授は抗加齢予防医療センターのセンター長でもあるが、同教授によれば、クルミはオメガ3脂肪酸や抗酸化物質をはじめ豊富な栄養素を含み、やはり血管の若返りを促進すると言われる。血管が若返ることで、皮膚も若返るのだそうだ。ほとんどの成人で見られる病気は、結局は毎日の積み重ねによるもので、その毎日のあり方を改善することが、健康な長寿に繋がる。単に長寿であることではなく、健康な長寿であることに意味がある。人の体を健康に保つものは、昔からその土地にある自然の中に用意されている。長い年月のうちに、人は何が有用であるかを生活の知恵として身につけて来たのだ。現代の合成された化学物質ではなく、自然の中で育ったものこそが、最も人の体に合うのかも知れない。
垂れて来た稲穂

世界の大学ランキング

2017-08-30 19:12:41 | 文化
世界の大学の評価は英国の高等教育専門週刊誌『タイムズ・ハイアー・エデュケーションThe Times Higher Education』と同じく英国のクアクアレリ・シモンズ社Quacquarelli Symonds (QS)のものが著名だが、今年6月に後者が『世界大学ランキング2017-2018』を発表している。ノーベル賞受賞者なども評価基準に含まれている。全世界965校が対象となっている。上位10校には米国が5校、英国が4校、スイスが1校で、上位4校は全て米国である。アジアではシンガポールの南洋理工大学(NTU)が11位で最上位である。アジアで2位もやはりシンガポールでシンガポール国立大学(NUS)の15位だ。アジアでは3位が中国の清華大学で25位で、香港の香港大学が26位と続き、日本の東京大学は28位となっている。ドイツやフランスの大学は43位のフランスのENS(高等師範学校)、ドイツのミュンヘン工科大学が63位がそれぞれの国の最上位となっている。フランスも日本と同じく官僚統制の強い国だ。大学にも影響が強く出ている。最も欧州は優秀な人は簡単に米国へ移ることも大いに影響しているのだろう。こうした大学の評価を見る限り、経済や社会が陰りを見せているとは言え、まだまだ米国の米国の教育・研究の強さは失われていない。かっては世界に君臨した英国も同じだ。教育や研究は一朝一夕に実るものではない。長い年月を要する。その意味では英米には長い教育と研究の歴史がある上、米国はまさに世界中から優秀な人材が集まって来る。集まって来た人材をまた大切に受け入れる環境も提供出来るシステムが整っている。現在の英国のように米国もいずれ国としては斜陽化して行くだろう。しかし、大学としての評価はこれからもまだ長く高い状態を維持して行くのだろう。多くの国際機関も予想しているように、これからは中国やインドが経済大国として頭角を表すだろうが、その時にも英米の大学の高い評価は変わらないのかも知れない。今、中国は世界で最も多く米国に留学生を送り込んでいる。世界第2位の経済大国として、教育や研究の重要性を十分理解しているのだろう。明治の文明開化期の日本がそうであったように。
大きい百日紅の木