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南方単車亭日乗

奄美大島にIターンした中年単車乗りが、てげてげに綴ります。
はじめての方は、最初に《ごあいさつ》をお読みください。

初夏の加計呂麻を行く 四

2006年05月19日 00時27分14秒 | 南方単車旅案内
初夏の加計呂麻を行く 参よりつづく。

のんびり散策と洒落込んでいたら、急に天気が悪くなってきた。



10:35AM
大きな雨粒が地面に落ちてくる。
慌てて屋根のあるところに逃げ込み、空を見上げる。
南の方から雨雲が広がってくる。
しかし、まだ上空の一部には青空が残っている。



10:36AM
ほとんど間をおかずに土砂降りとなる。
風は弱いが、雨粒に叩かれた樹木が身をよじる。



10:56AM
雨が上がり、雲は去っていく。
もはや、加計呂麻は初夏だ。

つづく

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初夏の加計呂麻を行く 参

2006年05月18日 00時15分35秒 | 南方単車旅案内
初夏の加計呂麻を行く 弐よりつづく。

さらに散策は続く。



はじめて加計呂麻(かけろま)島の実久(さねく)集落を訪れてから、もう12年になる。
Iターンしてからは却って行く機会が減ってしまったのだが、こうしてカメラを片手に歩き回ると、今まで見過ごしてきたものがどれほど多かったか痛感する。
この建造物もそのひとつ。
なんなんでしょうか、いったい…。



ブロック塀に寄り添うように、ちいさなガジュマル。



ゲートボール場となった広場とデイゴの木。
もうじき、木陰が嬉しい季節だ。

つづく

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初夏の加計呂麻を行く 弐

2006年05月17日 00時10分08秒 | 南方単車旅案内
初夏の加計呂麻を行く 壱よりつづく。

加計呂麻(かけろま)では時間が止まっている」とはよく聞くフレーズである。
じっさい、旅人にはそういう印象を抱かせる何かが加計呂麻にはある。
全島くまなく回れば、どこかでかならず道路工事や家の新・改築が行われているのだが、
それでもやはり都市とは、いや対岸の古仁屋(こにや)とすら違う時間が流れているようだ。
そんな加計呂麻の最北端の集落である実久(さねく)を散策してみる。



浜の砂は淡いクリーム色。
すべて、サンゴのかけらと貝殻である。
この浜は、以前はサンゴ礁の浜として隠れた人気を誇ったが、オニヒトデの猛威の前に今は見る影もない。
八重山、小笠原、あるいは南太平洋の海で潜ってきたダイバーたちがかつてオレに言ったことがある。
「実久の海は世界一だ。浜からそのまま泳いでサンゴが見える。5歳の子供から80歳のお年寄りまでサンゴが見られる」
現在、サンゴの復活を目指し、官民それぞれが努力を続けている。



過疎化が進む集落の中を歩く。
ガジュマルの根元には小さなお地蔵さん。
粗放な素人細工がかえって郷愁を誘う。



デイゴの木は、例年ならば花を咲かせる時季だが、今年はその様子もない。
これは観光に来た人にとっては落胆だが、島の住民にとってはいい知らせとも言える。
デイゴがたくさん花をつける年は、かならず大型の台風が次々とやって来るのだ。
これは、もはや言い伝えやジンクスなどではない。
因果関係は不明ながら、経験によって裏打ちされた事実である。

つづく

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初夏の加計呂麻を行く 壱

2006年05月16日 01時29分49秒 | 南方単車旅案内
本日より《南方単車旅案内》は、だいたい30回前後の予定で、「初夏の加計呂麻を行く」と題してお送りします。
奄美大島は5月13日に、全国のトップを気って梅雨入りしました。
より南にある沖縄よりも早い入梅で、たいてい沖縄よりも遅く梅雨明けします。長いんです。
そんなわけで、梅雨の間にぼちぼちやろうか、と長期連載のつもりです。
梅雨の晴れ間に追加探訪して連載がさらに長引くことも考えられます。
どちらにしろ、気長にお付き合いください。
また、《旅案内》という性格上、過去に撮影した画像も混在しますので、ご了承ください。
なお、カテゴリー《お蔵出し》で、「奄美のフツーの生き物たち」シリーズの12~17は加計呂麻で撮影した昆虫や海浜の生き物たちを紹介しています。
併せてご覧いただければ幸いです。



オートバイをはじめとする車両は、大島郡瀬戸内町(おおしまぐんせとうちちょう)古仁屋(こにや)と加計呂麻(かけろま)島の瀬相(せそう)、生間(いけんま or いきんま)を結ぶ町営フェリー[かけろま]にて渡される。
フェリー[かけろま]は、一日7便が運行され、うち4往復を瀬相港に、3往復を生間港と結んでいる。→時刻・料金表
徒歩、あるいは自転車であれば、海上タクシー(行き先により異なるが、最低料金で2,500円程度)も利用可能で、古仁屋港には2つの海上タクシー組合の待合所が並んでいる。
レンタカーを利用してのグループ旅行の場合、フェリーで車ごと渡すよりも海上タクシーで目的地まで直行したり、海岸伝いに移動する方が安上がりでかつ趣のある旅になることもある。
加計呂麻島内には加計呂麻バスがフェリーの時刻に合わせて走っている。
バス運転手のひとり、徳島勝郎氏は奄美の民謡大会で上位に入賞する名人でもある。



古仁屋港からは、10:20発の第3便以降は港に隣接するAコープ横の券売所で乗船券を購入する。
第1便、第2便は乗船後に船内で購入する。
瀬相行き、生間行きで旅客の料金は異なるが、車両の料金は共通である。
往復券も販売され、割引はないが、期限もない。
通常、バイクは早めに載せられ、位置も出入り口脇の個所に誘導される。
下船の順番も早めなので、入港時にはいつでも発車可能な状態にしておくのが望ましい。
入港直後の港は車両(乗船車両以外に送迎車が多数ある)と歩行者で混雑するため、上陸後は早めに移動したほうがいい。



「加計呂麻って、半日あれば回れるでしょ?」とはよく聞く質問だが、南端の安脚場(あんきゃば)と北端の実久(さねく)に行くだけなら不可能ではないが、
すこし見て回ろうと思ったら、加計呂麻に宿泊することを勧める。
オレがはじめて加計呂麻に渡ったのは1995年のことで、その時は第2便のフェリーで渡り、持参した弁当を食う以外は走りに走ったのだが、
約200kmを費やしてなお、割愛せざるを得ない個所がいくつもあった。
これは、ひとつには複雑な海岸線に沿って造られた加計呂麻の道路によるところが大きい。
《直線》と呼べる個所がほとんどない島内の道路では、どんな高性能車でも性能の数分の一しか生かせない。
島内の、ある民宿の息子は数年前に東京で働きはじめたが、里帰りの際、CB400 SFに乗ってきた。
「やっぱクラブマンにすればよかった」
「アホよのう、観光客じゃあるまいし」
そんなことを思い出しながら、瀬相港から実久へ、16kmほどの道のりを20分ほど掛けて辿り着いた。

つづく

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大和村を往く 弐拾弐(完結編)

2006年04月23日 00時10分30秒 | 南方単車旅案内
大和村を往く 弐拾壱よりつづく。

宇検村宇検(うけん)集落に到着した。
県道79号線から分岐した狭い道路を奥へと進む。
小さな橋を渡ると、左に雑貨屋。
ここでは、酒類(焼酎、ビール)、主食類(米、パン類、麺類)、肉、魚、野菜など、基本的な食材がすべて揃う。煙草も売っている。
価格と品揃えに関しては、多くを求めるべきではない。
今日は日帰りであるから、外の自販機で飲み物だけを買い入れた。

さらに進むと、人家が途切れる。
海岸は赤土。波はほとんどない。
焼内(やけうち)湾と呼ばれる深く切れ込んだ湾の、それでも外海に近いところだが、
枝手久(えだてく)島が湾の入り口を塞ぐ格好になっていて、外海のうねりが入ってこないのだ。
また、焼内湾を囲む陸地が、衝立のように風を防いでいることもある。



枝手久(えだてく)島と、その手前に浮かぶ島。
干潮時には陸続きとなる。
枝手久(えだてく)島そのものも、年に数度の大干潮(潮位がマイナスになるとき)には、奄美大島と陸続き(長靴程度は必要)になるという。



細く曲がりくねった道を進むと、船越(ふのしorふぬぅし)海水浴場に至る。
今回の目的地は、じつはここであった。



オレの住む、奄美大島最大の人口密集地、奄美市名瀬地区からおよそ50km。
さすがにここまで来るのは地元の人が多く、ハイシーズンの日曜日でも、駐車場には家族連れの車が5台も停まっていれば多いほうだ。
平日の昼時などは、ほぼ独占状態である(奄美大島では、夏の日中の太陽光線の強さを嫌い、夕方から泳ぐ)。

奄美大島全域のどの海岸でも海はとても綺麗だが、ここは外洋に面しているため、さらに海水の透明度が高い。
そのこともあって、オレはこの浜を気に入っている。
「どこかいいビーチは?」と聞かれたら、「かなり距離があるけど」と前置きして薦めることもある。
「そんなに遠くまでは…」と誰も行こうとしないのだが、それもじつは気に入る要因の一つだ。

1999年の9月に、ここで2泊3日ほどキャンプをした。
トイレは水洗、シャワーもある(いずれも写真内の木造建築)。
シャワーは、水道をそのまま使うものであるが、ここは亜熱帯の島である。
キャンプ中は、「寝苦しい」と、夜中に起きて浴びたおぼえもある。
先ほどの雑貨屋で食材を調達し、あとはただ泳いだり寝そべったり持ってきた本を読んだりの生活であったが、
折悪しくやってきた超大型の台風18号に追い返されるようにして帰った。
もっともこの時は、いざという時まで帰る決断がつかず、ビーチのトイレ兼シャワー棟に篭って台風をやり過ごそうとしていたのだ。
今考えれば、馬鹿な話である。
当時住んでいた東京に戻って数日、台風による高潮で、熊本で多くの死傷者が出たことを知り、あらためて怯えた記憶がある。

以上で、大和村を中心とした、県道79号線とその旧道を走るレポートを終わる。
ここまでの走行距離、およそ70km弱。
県道を直進すれば50kmだが、寄り道、回り道、なにか見つけてUターンを繰り返しての結果である。
進めば進むほど、足りない部分が浮き出てくる。
いずれ、この続きは「大和村より還る」とでも題して、反対方向に向けてレポートしてみよう。

この項、おわり

コメント (1)
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大和村を往く 弐拾壱

2006年04月22日 00時23分57秒 | 南方単車旅案内
大和村を往く 弐拾よりつづく。

今里(いまざと)集落を後にした県道79号線は、人家のまったく絶えた山中を走り、途中で宇検村(うけんそん)に入る。



直進も左折も瀬戸内町だが、今回は県道79号線を直進する。
奥のほうに見える元・看板だった物体には、
いもーれ
 ようこそ
  宇検村
と記されている。
[いもーれ]とは、奄美の方言で「ようこそ」あるいは「いらっしゃい」の意味である。
ここを左折すると、宇検村の芦検集落に至る。
この道も、実はたいへん魅力的なルートなのだが、ここでは扱わない。

分岐を過ぎて少し行くと、大気中に異臭を感じる。
どうやら県道からすこし離れた辺りに肉牛の厩舎があるらしい。
草木の写真でも撮ろうかと思ったのだが、先を急ぐことにする。

いつしか、道は海側の斜面に出て、空が大きく広がっているのだが、丈高い雑草に遮られて眺望がきかない。
車高の高いオフロードバイクからでも、水平線が雑草の向こうにちらちらと見えるだけだ。
小型の脚立でも買おうか、キャリアに括り付けて走ろうか、と考える。



下り坂になったところで、宇検(うけん)集落が見えた。
3月、4月の奄美は、大陸からの黄砂のため、景色が霞んで見える。
西日本の各地域に較べればたいした影響はないし、今のところ農作物や健康面への影響はないようだが、やはり気持ちのいいものではない。



延々と木々に囲まれた坂を下り、宇検集落への入り口に着いた。
右へ曲がれば集落へ。県道をそのまま進めば、久志(くし)集落へと至る。
宇検は、山に囲まれ、静かな湾を懐に抱いた集落である。
今回の終点は宇検集落の奥だが、まっすぐそちらへは向かわず、20mほどだが寄り道をしよう。



県道をわずかに進むと、風雨に晒されて見事な寂びを醸し出す赤い鳥居を視界の端に捉える。
鳥居には、《厳島神社》とある。
驚くには当たらない。
ここは平家の落人伝説の島なのだ。

つづく

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大和村を往く 弐拾

2006年04月21日 08時32分19秒 | 南方単車旅案内
大和村を往く 拾九よりつづく。

今里(いまざと)は漁港の集落。
志戸勘(しどかんorしどぅくゎん)集落を出て、今里トンネル(172m、昭和40年完成)を通過して至る。
その昔は、近海カツオ漁船の基地として瀬戸内町の西古見(にしこみ)集落と覇を競ったという。
元来、県道79号線とは、この今里のカツオの水揚げを商業港である名瀬港に運ぶために造られた道ではなかったか。
殊に、今里トンネル、名音トンネルが開通した昭和40年代前半という時代を考えれば、このシロウトの思い付きにも頷ける部分はあるはずだ。
時代は、大都市へのヒト・モノの集中、大量&高速輸送時代が最初のピークを迎えたころだ。
昭和39年:東海道新幹線の開業、東京オリンピック開催
   40年:名神高速道路の全線開通、初の国産旅客機YS-11が就航
   41年:国鉄の全線でATS(自動列車停止装置)の設置が完了
   43年:東名高速道路の部分開通、都営地下鉄三田線の部分開業
   44年:営団地下鉄千代田線開業



かつてはカツオ漁船で賑わったという今里漁港も寂しい限り。
なお、2006年4月より、この集落内にあった《今里へき地保育所》が、五年間をめどに名音へき地保育所へ統合されることになった。
暫定措置とのことだが、今後、児童数の増加が望めないことから、実質廃止と見られている。



当地でどのように呼ばれているかは判らないが、今里の漁港は東西に隣接して2つある。
こちらは西側の漁港。
今里の守り神として崇敬を受ける立神岩が港のすぐ外にそびえる。



今里を後にすると、県道79号線は一気に登りとなる。
長さ、角度共に、ここまででもっともキツイ坂だ。
車種不明の原付バイクで走った方の記録(←一読をお薦めします)によれば、小排気量車には相当な難所のようだ。
途中の見晴らしのいいところで今里を振り返る。

つづく

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大和村を往く 拾九

2006年04月19日 00時10分08秒 | 南方単車旅案内
大和村を往く 拾八よりつづく。

志戸勘(しどかんorしどぅくゎん)集落は、白砂の浜に沿って伸びる集落である。
集落内を通る県道79号線は、ほぼ一直線。
脇道は、それぞれの民家にいたる通路程度でしかない。
その民家も県道の両脇くらいしか見当たらず、道を歩く人も心なしか少ない。
大和村でも、もっとも過疎化が進んだ集落といえるのではないか。
だからといって素通りするのは勿体ない。
目印は、県道の海側の志戸勘公民館。
ほぼ真正面に停めて、道の反対側に目をやる。



集落の共用スペースであろう空き地の中に見事なガジュマルがそびえている。



カメラを取り出し、空き地の中に入ると、さらにもう一本のガジュマル。
不思議に湾曲したその姿は、古代の生き物が蘇って立ち上がろうとしているかのようだ。



公民館横のバス停には、村営住宅の入居者募集の貼り紙があった。
なかなか魅力的な家賃ではある。

つづく

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大和村を往く 拾八

2006年04月18日 01時36分43秒 | 南方単車旅案内
大和村を往く 拾七よりつづく。

がくがくと震える足をなだめすかせつつ、名音(なおん)発電所を後にする。
道は一気に上り坂。
集落が見えなくなる頃、センターラインがなくなる。
これより先、次の志戸勘(しどかんorしどぅくゎん)集落に至るまで、道は細く、海岸の崖に沿って続く。



道の横に、ビニールパイプが山に埋め込まれ、清冽な水が流れ出している。
先ほど流した汗の分だけいただこう。
ふり返れば、港と名音トンネルは遥か眼下である。



右に左にスラロームを描き、控え目な速度ながら、かなりハイな気分になる。
ただし、この道はダンプなども通る。



名音から志戸勘への県道79号線は、本年度(平成18年)中の供用開始を目指し、長瀬トンネル(全長1,432m)が工事中である。
来年には、この道も旧道となるのだ。

つづく

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大和村を往く 拾七

2006年04月17日 00時07分37秒 | 南方単車旅案内
大和村を往く 拾六よりつづく。

県道79号線沿いの他の集落と同様、名音(なおん)集落も、入り江の漁港である。
人家はすべて県道の山側。名音郵便局があり、ATM設備も整っている。
集落の入り組んだ道を歩いていくと、雑貨屋があり、菓子パンとパックの牛乳を買った。
海側には小さな公園があり、集落に住む人々の憩いの場になっている。
公園でおやつを食べ、また走り出す。

集落を出てすぐに、[九州電力名音発電所]の小さな案内板を見つける。
農道を、500mも走っただろうか。短く緩い上り坂の上に小さな発電所の建物が見えて、そこが終点。



バイクを停めて見上げると、崖と呼んでもよさそうな急斜面に太いパイプラインが伸びている。
パイプラインに沿って、長いながい階段。
角度は50°くらいあるだろうか。高さは…、想像もつかない。
とにかく、登ってみることにした。



手すりを掴んで、一歩また一歩、身体を引きずり上げるようにして登る。
3分もしないうちに膝ががくがくしはじめる。
5分ほどで最初の休憩。
三度ほど休憩する頃には、登りはじめたことを後悔している。
「なんとかとカラスは高いところが好き」というが、自分は間違いなくカラスではない。
1分登っては1分以上休み、どれくらい登りつづけたか判らない頃になって、ようやく階段の最上部に辿り着いた。
見下ろすと、小さな建物がさらに小さく見える。
北風が強く吹く日であったが、全身汗まみれになった。
ライディングジャケットを脱ぎ、手に持つ気力もないので階段の上の通路に置き、老人のような足取りでさらに進むことにした。



よろよろと歩いて行くと、小道はパイプラインに水を送り込む設備へとつながっている。



余った水は、すぐ脇から放水されている。



昨秋、下の川(名音川)の対岸で目にした滝の一つが、この放水された水だったのか。

力を使い果たした両足の筋肉を労わりつつ、それでも登りよりも遥かに早く階段を下った。
「もう二度と登らんぞ」と固く心に誓いつつ。

つづく

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大和村を往く 拾六

2006年04月16日 01時21分00秒 | 南方単車旅案内
大和村を往く 拾伍よりつづく。

サーファーの皆さんを横目に見ながら、戸円(とえん)集落を通過し、名音(なおん)集落へと向かう。
ヒエン浜という美しい海岸を横目に見るが、どういうわけか、いつもここでは何か工事をしている。
仕方がないので、ヒエン浜はパス。
緩いブラインドカーブを抜けると、突然、目の前に断崖絶壁。



《徳浜(どぅっかまorどぅくばま)の断崖》と呼ばれる奇勝である。
下に小さく見えるトンネルは、これでも通常サイズの路線バス(全長7m?)が運行されている。
大和村役場が建てた説明看板によれば、崖の高さは「見えるところで172m」だという。
トンネルの開通は昭和43年、長さは386.2m。
トンネル内は一車線で、トンネルの手前には通過待ちのためのスペースがある。
なお、ここは磯釣りのポイントでもあるため、休日には釣り師が車を停めていることもある。
トンネル内には歩道がなく、ときおり、近所の主婦や老人などが歩いたり自転車で通行することもあるため、よく注意して通行したい。
幾度か改装されているはずだが、完成から時間が経つためか内部の照明は暗い。
天気のいい日には、一瞬、闇の中に飛び込むような錯覚に陥ることもある。



トンネルの手前で、しばし海を眺める。
鎌倉時代の大地震で土砂が崩れ、崖が顕になったという。
断崖に目を奪われがちだが、この海岸も雄大な眺めである。



断崖の横には《どぅくばまのがま》と呼ばれる洞窟が口をあけている。

つづく

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大和村を往く 拾伍

2006年04月15日 00時10分38秒 | 南方単車旅案内
大和村を往く 拾四よりつづく。

正確には、大和村を往く 拾参よりつづく、が正しいだろう。
嶺山公園を後にして、戸円(とえん)集落へと進む。
県道79号線は、だらだらと下り坂。
チャリンコならば漕がなくとも戸円に着ける。
視界の右半分は、ガードレールと空、そしてわずかに海。
交通量が少ないところだから右側を走ってやろうか、と考えるのを見計らったように向こうから車がやってくる。
人家は、ない。
大和村のごみ焼却場と、サトウキビと砂糖製造方法の伝来を記念して造られた磯平パークが、数少ない建造物。



断崖絶壁に無理やり取り付けられたような磯平パークの駐車場への道を下り、崖から身を乗り出すようにして海岸を眺める。



さらに進むと、《戸円ふれあいパーク》と名付けられた展望台。



展望台からは、大和村唯一のサーファーズ・パラダイス”戸円浜”が見下ろせる。
トイレ、シャワーも完備されている。



陸地に目を転じれば、山の斜面の段々畑と戸円集落。

つづく

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大和村を往く 拾四

2006年04月14日 00時25分20秒 | 南方単車旅案内
大和村を往く 拾参よりつづく。

正確には、大和村を往く 拾弐よりつづく、が正しいかもしれない。
《大和村 拾弐》にて、嶺山公園の手前にある〔←福元盆地〕の案内に従って、細い脇道を行ってみる。
途中からこの道はフォレストポリスへと向かう道だと判るのだが、両脇を樹木に覆われ、入り組んだ稜線をトレースするかのようにつづく道は、不思議に高揚した気分にさせられる。
できる限り高いギアで、排気音を抑えて走るのだが、やはり音に驚いて飛び立つ鳥。
暗灰色はカラスバトか?
鶯色はリュウキュウズアカアオバトだ。
黒いのは間違いなくカラスだが、茶色に黒い斑点の猛禽はサシバだろうか、それともツミ
折悪しく曇ってきたのと、あまり眺望のいいところが見つからないことで、まったく写真を撮らないまま、ずいぶん走ってしまった。
三叉路に出くわし、案内標識を見ると、[↑フォレストポリス][→戸円]とある。
フォレストポリスは、いずれ《湯湾岳》(ゆわんだけ)に関連して取り上げるつもりなので、戸円(とえん)へと向かうことにした。



戸円への道は、えんえんと曲がりくねった下り坂である。
途中、幾筋もの細い川がつくる滝を目にしたが、じっさいは一本の川筋に沿って行ったり来たりしていただけかもしれない。



嶺山公園から戸円にかけては、海沿いの県道79号線も雄大な景色を楽しめるルートである。
しかし、こちらの山中の道もまた別な趣きがある。
是非にとまでは薦めないが、時間に余裕があればいいかもしれない。



県道79号線には、戸円集落の手前で合流する(↑写真の右が県道)。
坂を下れば戸円集落、手前に坂を上れば展望台(《大和村を往く 拾伍》にて紹介する)。

つづく

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大和村を往く 拾参

2006年04月13日 00時12分29秒 | 南方単車旅案内
大和村を往く 拾弐よりつづく。

県道79号線は、大棚(おおだな)集落から大金久(おおがねく)集落を通過し、戸円(とえん)集落へと向かう。
大棚と大金久は、↓の写真の中央にある小さな岬で隔てられている近い集落だが、大金久から戸円へは、海まで張り出した尾根筋が峠となっている、険しい道を行くことになる。

大金久集落を出るところから上り坂ははじまる。



ヘアピンカーブをいくつか抜けたところで、左に大金久集落が見えたので路肩にバイクを停め、シャッターを押してみた。

坂を上りきる手前に、小さく《←福元盆地》と案内が出ている。
こちらの脇道にも行ってみたので、〔大和村を往く 拾四〕で紹介する。



坂道を登りきると嶺山公園がある。
展望台に登るのは、暑い季節にはいささか応えるが、登ったところの眺めは素晴らしい。
この展望台、西方への眺望がたいへん素晴らしいので、夕陽を眺めに行くにはいいだろう。



道はだらだらとつづく下り坂となって戸円集落へとつづく。
途中、サトウキビと砂糖製造方法の伝来を記念して造られた磯平パークがある。
なお、磯平パーク内にトイレはないので、そちらの用のある方は嶺山公園にて済ませたほうがよい。

つづく

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大和村を往く 拾弐

2006年04月12日 00時09分23秒 | 南方単車旅案内
大和村を往く 拾壱よりつづく。

県道79号線の、大和浜(やまとばま)と大棚(おおだな)を結ぶ、毛陣(けじん)トンネルの旧道の入り口は、毛陣トンネルのすこし手前にある。
とくに目印も標識もない脇道なので、簡単に見過ごしてしまう。
たんに旧道を通過するだけなら、ほとんど交通がないという一点を除いては、ここまでの道のりとさほど変わるところはない。
ここまでの道のりでも、じゅうぶん交通量は少ないのだが。
旧道の途中に、最近できたオープンスタジオ奄美ハナハナWESTという施設があるが、一般人がぶらっと遊びで入れるところでもなさそうなので、ここでは軽く触れるに留める。
むしろこの旧道では、さらに脇道にそれて、毛陣トンネルの真上を通過する無名の林道を紹介したい。
旧道に入って、300mほどだったと思うが、進んだところで↑フォレストポリスという案内標識が現れる。
標識のとおりに進んで行くと、いつしか道の両脇に、果樹園が並んでいる。
大和村は、南西諸島特産の柑橘類ポンカンタンカン、あるいはスモモの産地としてよく知られている。
ことに高収益果樹であるタンカンの収穫期(2月、3月)は、泥棒対策として夜間パトロールが栽培農家の共同作業として行われているので、あらぬ疑いを掛けられぬよう、くれぐれも注意されたい。
李下(りか)に冠(かんむり)を整(ただ)さず」という諺もある。

いつしか果樹園も途切れて、いつ舗装がなくなってしまうかと心配になりはじめた辺りで、急に視界が開ける。
尾根筋に出たのだ。



正面の山肌に見える道は、大名線(大和・名瀬線)と呼ばれる林道だろう。
大和村を往く 拾壱で紹介した、工事中の大和ダムは、近くに見える山の陰に隠れているようだ。

尾根筋を通過するのは僅かな距離で、ふたたび深い緑の中に入る。
途中、→大棚の案内標識を見つけ、山を下ることにする。



下る途中、大棚集落が見えたのでバイクを停めてシャッターを押す。
毛陣トンネルの大棚側の入り口が見える。



ふたたび県道79号線に戻る。
本来の毛陣トンネルの旧道は、トンネルのすぐ脇から海沿いを行く。

つづく

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