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   桑原靖夫のブログ

怪獣ビヒモスを追って(2):「工場制」システムの展開

2018年05月05日 | 怪獣ヒモスを追って

 

産業革命が生んだ煙突の山 

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「工場制」という怪獣ビヒモスが世界を蹂躙、支配し始めてから、ほとんど200年が経過した。Information Technology(IT)やAIの発展で、近未来の工場制がどのような姿になるか、現時点ではほとんど明らかではない。これからの「工場制」がいかなる様相を呈するかは、日本の「働き方改革」にも関わることだ。来るべき仕事の世界の本質について、輪郭やイメージが納得できるほどには明確に提示されていない。多くの人々が共有できるような「仕事の世界」の全体的イメージが構想されてはじめて、真の「働き方改革」の方向も見えてくるはずだ。「働き方改革」は、さしずめ第4次産業革命の下での「工場法」にも相当する役割を負うはずだが、関係者の間にそうした認識は薄いようだ。

過去200年近く「工場制」の主流を占めてきた重厚長大型の生産様式も、かなり比重を落としたが、世界的視野でみると簡単には変われない。サービス化の進展に伴い、在宅勤務など、労働の形態が大きく変化するとされながらも、「工場制」がそのまま衰亡して行くとはにわかに考え難い。現に、現代中国などでは、見渡すかぎり労働者で埋め尽くされたような「人海戦術」的大工場も乱立している。18世紀産業革命期の新たな再現かと錯覚しかねない光景もある。

「工場制」が生まれ辿った歴史には、多くの興味ふかい点がある。その歴史のいくつかを見なおしてみて、今後の「仕事の世界」を展望する一助としたい。サービス化、IT化が進んだことで、労働市場の実態は大きく変化したが、これまでの主流であった「工場制」が消滅したわけではない。今日も産業革命の主流を占めてきた綿工業の変革にその一端を見てみよう。

 

操業中のミュール紡織機

産業革命と綿工業の重要性
前回、記したように世界最初の「産業革命」はイギリスに生まれ、世界へ拡大した。1721年に設立されたダービー・シルク・ミルは社名通り、絹を原材料として製品を製造することを目的としていた。しかし、イギリスで絹工業を大規模展開することは、原材料の質、入手難、消費者の好みなどで、競争力がなく、結局毛織物、木綿工業にシフトする。とりわけ、木綿工業は産業革命史において中心となる重要性を持つ。この意味で、筆者も綿工業の歴史には格別関心を寄せてきた。18世紀末のイギリスは綿花をエジプトや新大陸の奴隷により採取された綿花を含めて、世界中から輸入するほどになる。カール・マルクスが誇張はあるが「奴隷制なくして綿なし:綿なくしで近代産業はない」という言葉を残している。

紡錘から織布へ
イギリスの産業革命については膨大な資料が残るが、とりわけその中心となった木綿工業は驚くべき数に上る。その展開は、紡錘から織布へと次第に下流へ重点を移してゆく。1764年のハーグリーヴスのジェニー紡織機、18世紀後半のアークライトの水力紡織機、1779年のクロンプトンのミュール紡績機、1785年のカートライトの力織機など、画期的な発明が相次いだ。アークライトは大きな富をパテント収入から得ていた。

リチャード・アークライト()1732-1792)の肖像、背景に自ら開発した紡織機
Public domain 

動力も馬力から水力、そして1769年のワットの蒸気機関改良へと移行していった。綿工業はイギリスの産業革命を特徴づけたが、エイブラハム・ダービー2世のコークスを燃料とする製鉄法(1709)、ヘンリー・コートのパドル式錬鉄法(1784)の開発などもあって、幅広い分野での発展があった。


アークライトのノッティンガム工場は、300人近くを雇用しており、多くの子供が働いていた。のちにロバート・オウエンなどが取得したニュー・ラナークの工場は、1816年には1700人近くを雇用していた。その時までに、マンチェスターの蒸気機関による木綿工場には1000人以上雇用していた。当時としてはまさに巨大工場の誕生だった。工業機械の拡散という点でも、イギリスで作られた工業機械は1774 年に海外への輸出が禁じられたものの、1825 年には禁止が解除され、海外へ広く輸出されるようになる。大陸ヨーロッパ、アメリカへとビヒモスの足が伸びてゆく。


いうまでもないが、工場制は単に大きな建屋に機械設備を設置し、労働者をかき集めるだけでは、能率も上がらなければ、円滑な運営もできない。工場制は並行して開発・導入される経営管理のシステムと相まって、あるべき制度として機能し始める。そのためには、長い歴史の経過に伴う熟成が必要である。


煙突が林立するアルザスの産業革命  

 2014年には世界の綿工業をテーマとしたスヴェン・ベッカート『綿の帝国:グローバルな歴史』という大著が刊行され、高い評価を得た。今日では地味な印象を与える木綿工業がいかに長い歴史を持ち、複雑に入り組み、世界に巨大な足跡を残してきたかを再認識させられる。

Reference
* Sven Beckert, Empire of Cotton: A Global History: New York : Alfred A.Knopf, 2014

 追記(2018年5月6日) NHKBS 『三和人材市場:中国、使い捨てられる若者たち』
TV番組で、日給1500円で働く若者たちのドキュメンタリーを観た。1日働き、そこで得た賃金で3日遊ぶという繰り返しの日々を過ごしている。ネットとカフェ と安宿が彼らの世界だ。工場は11時間拘束され、簡単にはやめられないから、8時間のカフェで働らく方がよいという。彼らの多くは両親が都会に出稼ぎに行った後の「留守児童」が、家庭が壊れて農村にもいられなくなり、深圳などの都会へ出てきた若者だ。これも資本主義と「工場制」が結びついた「ビヒモス」の足跡と言えるだろう。

 
 続く

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