時空を超えて Beyond Time and Space

人生の断片から Fragmentary Notes in My Life 
   桑原靖夫のブログ

画家も作品も辿る数奇な運命

2008年04月21日 | レンブラントの部屋

Portrait of Gerard de Lairesse, ca. 1665 Rembrandt (Rembrandt Harmensz. van Rijn) (Dutch, 1606–1669) Oil on canvas; 44 1/8 x 34 1/2 in. (112 x 87.6 cm) Robert Lehman Collection, 1975 (1975.1.140)

   
  この作品を最初に見た時、一寸異様な感じがした。描いた画家はレンブラントである。描かれている人物は青年らしいのだが、なんとなく健康さが感じられない。来歴などを改めて見て、なるほどと思った。

  描かれているのは、エラルート・デ・ライレッセ Gerard de Lairesse (1641–1711)というレンブラントと同時代のオランダで大変成功した画家、銅版画、そして美術理論家だった。レンブラントよりやや若い世代だが、画家として天賦の才に恵まれていた。 しかし、不幸なことに先天性梅毒に罹患しており、そのために1690年頃に失明してしまう。その影響は、若さが感じられない肌の色、歪んだような鼻や顔の輪郭など、描かれた容貌からもうかがわれる(ライレッセ25歳くらいの頃である)。この大変不幸な運命を負ったモデルに、レンブラントは正面から臆せず対しながらも、そこに人間としての尊厳さを留めて描いている。

  二人は友人の間柄だったが、ライレッセの絵画の理想として美術理論は、レンブラントのスタイルと反対の方向を志向していた。ライレッセはレンブラントを尊敬していたが、晩年のレンブラントの作品を「カンヴァスの上に流れる泥」と酷評していた。しかし、描かれたライレッセの肖像には、レンブラントのこの画家への思いやりが感じられる。


Gerard de Lairesse(Dutch, 1641-1711), Apollo and Aurora, 1671. Oil on canvas, 80 1/2 x 76 1/8(204.5 x 193.4 cm), gift of Manuel E. and Ellen G. rionda, 1943 (43.118). The Metropolitan Museum of Arts.


  ライレッセはベルギーのリージェに生まれたが、後にオランダへ移住し、アムステルダムに住むようになる。そこで著名な画商ヘンドリック・ファン・アイレンビュルフに才能を見出される。レンブラントと知り合ったのは、こうした関係からだろう。ライレッセの寓意を含んだフランス風の古典志向の作品は当時大変人気があり、「オランダのプッサン」といわれた。 ライレッセが失明する以前に描いた作品は、バロックの流れに位置づけられる華麗で古典的なものである。レンブラントの画風とはかなり異なっている。このことは、たとえば上掲のライレッセの作品「アポロとオーロラ」とレンブラントの作品を比較してみれば、一目瞭然である。

  ライレッセは役所や富裕な邸宅などの壁面を飾る作品をしばしば依頼されていた。ハーグの議事堂 Binnenhofの一室、アムステルダムの街路などに、画家の名前がつけられている。ライレッセは視力を失った後は、作品制作はできなくなり、代わって美術理論に専念するようになった。その美術理論*は、18世紀のオランダ絵画に大きな影響を与えたといわれている。

  レンブラントが描いたこのライレッセの肖像画にも、舞台裏ではさまざまなことがあった。作品は時を経てアメリカに渡り、1940年代中頃、ボストン美術館に50,000ドルというレンブラントの作品としては破格な廉価でオッファされた。ところが、そのオッファは断られてしまった。その理由として伝えられているのは、ボストンの名家であり、イタリア美術の愛好者であった館長の意を受けた美術館の理事たちが、この作品を「ある梅毒患者の肖像」と理事会で紹介したためと言われている。

  これについては、これより以前に自分の支援するベルリン美術館のために、レンブラントの作品を取得したいと考えていた画商ウイルヘルム・ボーデが、競争相手をあきらめさせるために同じ手法を使ったといわれていた。その手法は功を奏し、ボーデの仲間のコレクターで、当時ベルリンの銀行家レオポルド・コッペル Leopold Koppel (d.1933)が入手した。その後第二次世界大戦を逃れ、ベルリンを去ったコッペルの息子アルベルトが、作品を伴ってカナダへ渡った。

  それをアメリカのコレクター、ロバート・レーマンRobert L. Lehman(1891-1969)が1945年に画商を介して取得することになった。その結果、レーマンの死後、3000点に及ぶロバート・レーマン・コレクションの一部として、1975年にメトロポリタンへ遺贈された。今日、メトロポリタン美術館を訪れると、ロバート・レーマン・ウィングで、この絵に対面できる。作品の運命も画家に劣らず、数奇なものがある。



* たとえば、Gerard de Lairesse. Het Groot Schilderboek,

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« レンブラントに賭けた美術館 | トップ | お見落としなきよう:メトロ... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

レンブラントの部屋」カテゴリの最新記事