時空を超えて Beyond Time and Space

人生の断片から Fragmentary Notes in My Life 
   桑原靖夫のブログ

地域と人々を愛した画家:L.S.ラウリーの作品世界(6)

2014年08月09日 | L.S. ラウリーの作品とその時代


Self-Portrait. 1925
City of Salford Art Gallery

『自画像』
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 炎暑の日が続き、なんとなく気力が落ちている時など、L.S.ラウリーの作品集を引っ張り出し、見るともなしに見ていると、さまざまなことが頭をよぎり、いつの間にか暑さを忘れている。作品の一枚、一枚はどことなく子供が描いたような感じもする。現代のアニメと通じるような感じを受ける作品もある。コミカルあるいはシニカルな作品も多い。しかし、間もなく、これは子供のような純粋な心を持ち続けた立派な大人の画家の作品なのだと思い至る。

 ラウリーの人生の過ごし方も見事だった。子供の頃、両親、とりわけ母親の反対もあって最初から画家を職業として目指すことはできなかったが、趣味として絵を描くというなら仕方ないという一言を支えに、会社勤めをしながら美術学校にも通い、いつの間にか知らない人がいないほどの現代20世紀イギリスを代表する画家のひとりとなっていた。そして、途中で会社を解雇されたりしたこともあったが、本業?の会社勤めも定年まで立派に勤め上げた。画業の方は65歳で定年にするとしていたが、こちらは生涯の仕事となった。
 
 ラウリーの青年時代の自画像(上掲)も残っている。写真も残っているが、双方ともになかなかのハンサム(イケメン)な青年である。しかし、長い人生の間には鬱病に近く落ち込んだりした時期もあった。その頃の作品には自画像とは記されていないが、恐らく自分自身の事情を象徴するような暗い表情や色彩が多く使われている。この画家の作風もかなり変化している。


地域を愛した画家
 およそ煙突だらけの工場など、画題にはならないとロンドンの画壇の大御所たちが、相手にしなかった中で、イギリス北西部サルフォードおよびマンチェスター周辺の工場・都市風景、そこに住み、働く人々の日常をスナップショットのように描き続けた。当時はもちろん写真(多くはモノクロ)はあったが、被写体として写真家の興味を惹くようなものではなかった。工場や町の情景も部分的にしか残っていない。しかし、ラウリーは町中の小さな出来事でも、機会があればすぐに鉛筆やペンでその光景を描いた。この画家は制作しかけた作品を中途で放り出したりすることはなく、描き始めるとかならず自分が満足するまで描いた。小さな作品では近くにいる友人、知人に渡してくれたものもあったらしい。

 母親は息子の画家修業を嫌っていたが、唯一ヨットの情景は見ても良いといったらしい。画家はヨットの絵も数点、パステルカラーで描き残している。そして、地域の繊維工場、機械工場、町中の光景、とりわけヴィクトリア期の雰囲気を継承する作品を多数制作した。ラウリーの残した最重要な作品は、数多いがなんといっても「イギリス工業の風景詩」とでもいうべきシリーズだった。

 画家は背も高く、観察力のある鋭い目をしており、サルフォードなど労働者の町で、誰もスーツなど着ていない場所でも、ネクタイ、チョッキ着用の背広姿であった。しばしばレインコートを着用、帽子も被って歩いていた。画家が長らく住んでいたペンドルベリーの町中でも、彼を知ってはいても、親しい人は少数だった。 知人は少なかったが、話し好きで、自らの日常を「人生の戦い」"The Battle of Life" と称していた。しかし、多くの人の人生と比較して、彼の人生がとりたてて波瀾万丈なものではなかった。


画業に終始した人生
 晩年の生活は作品が売れてj収入面では豊かになったが、生涯イギリス以外の国へ行ったことはなかったし、飛行機に乗ったこともなかった。自動車も所有せず、運転もしなかった。飲酒も喫煙もせず、生涯結婚もしなかった。

 しかし、こうした生活が彼を偏屈な人間嫌いにしているところはいささかもなかった。機会があれば喜んで近隣の人たちと話しを交わし、しかも日常の取るに足らないような些細なことも、興味深い話に仕立て上げた。生まれつきの「話上手」 raconteur と評されたこともあった(Shelley Rhode)。  

 

 Photo Source: Cover of Lowry's City, 2000

 ちなみにこのイメージ画像は、画家の作品とサルフォードのそれぞれの場所に相当する写真を集めた素晴らしい記録、下掲のLowry's Cityからお借りした。拡大はクリック。
  この場所ストックポート Stockport はマンチェスターの東南に位置し、巨大な赤煉瓦造りの陸橋がある。産業革命の初期、1839年に建造された。石炭や工場資材を輸送する列車が走行する、この地域の見どころのひとつである。当時は石炭を動力とする機関車だったが、今は電気機関車が観光用に使われている。

  ラウリーは大のサッカー好きでもあり、マンチェスター・シティの大ファンであった。ラウリーを写したスナップを見ていると、管理人はなんとなく、ラウリーより少し若いが、マンチェスター・ユナイテッドの近年の全盛時代を率いたアレックス・ファーガソン監督を思い浮かべてしまう。特別に理由はないのだが、在英中にマンチェスターの両ライヴァルのマッチをよく見ていた。容貌はなんとなく似ているところがあるように感じた。



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Gentleman looking at something, 1960
Oil on hardboard, 24.5 x10 cm
Salford Lowry Collection, 1977
『なにかを見ている紳士』
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 シェリー・ロード はイギリスの新聞ジャーナリズムに長い経験を持つ作家、TV制作者。デイリー・メールに在籍していたときグラナダTVと協力して、L.S. Lowry: A Private View なる番組制作で受賞。ラウリーが1976年、88歳で死去するまで度々取材しているが、当時自分自身がラウリーについて、「人間および画家として、言葉にならないほどの賛美者」 'an intemperate admirer of both the man and the artist' であると最高の讃辞の言葉を残している。



References
Judith Sandling and Mike Leber. Lowry's City, 2000
Shelley Rohde. The Lowry Lexicon, 2001 

コメント
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