時空を超えて Beyond Time and Space

人生の断片から Fragmentary Notes in My Life 
   桑原靖夫のブログ

鎮魂の旅から(2)

2011年05月16日 | 特別記事

 

 2011年もほとんど半分が過ぎてしまった。今年ほど時の経過が早いと思った年も少ない。これから先半年の間に、何が起こるかそれこそ神のみぞ知ることだが、世界史において、稀に見る激動の年として記録されることはほぼ間違いない。そのひとつはいうまでもなく、3月11日、日本を襲った東日本大震災である。そして、もうひとつは5月2日のオサマ・ビン・ラディンの米軍による殺害である。

 後者については、日本では大震災の報道の中にやや埋もれた感があるが、世界ではすでに、多くのことが語られている。筆者の網膜に深く刻まれてしまったひとつの映像がある。当日、オバマ大統領、クリントン国務長官などホワイトハウスの高官たちが固唾をのんで殺害作戦の実行過程をディスプレイで注視している光景だ。ひとりの人間を殺害する一部始終を、それを指示した当事者が見ているというきわめて異様な映像である。舞台背景の相違などを考慮しなければ、まさに「暗殺者」assasin が、相手を殺害するにいたる過程なのだ。

 ちなみに、assasin とは、『オックスフォード英語辞典』OEDによると、通例、政治家や公職にある重要人物の殺害者に限って用いられる。さらに、語源を遡れば、十字軍時代のアサシン派Assassinを意味し、イスラム教イスマイル派の分派ニザール派の異称であり、北ペルシア(1094ー1256年)を支配し、秘密暗殺団を組織し、貴族、政治家、十字軍などを襲った。戦闘的な狂信的集団であり、要人の殺害に向かう折にはハッシシ(大麻)を飲用するのを習慣としたといわれる。

 オサマ・ビン・ラディンという人物について、ある「死亡記事」Obituaryを読みながら、さまざまなことを考えさせられた。ブログには到底書ききれない思いがある。記事は54歳ですでに現世を去った人物への儀礼もあって、淡々と記されている。その中に次のような一節があった。

 彼の5人の妻のひとりによると、あるところに、向日葵(ヒマワリ)を愛し、蜂蜜入りのヨーグルトを好んだ男がいた。彼は子供たちを浜辺に連れてゆき、星空の下で寝かせた。BBCのワールド・サービス番組を好み、金曜日になると友達と連れだって狩りに出かけた。時には預言者のように白馬に乗っての狩りだった。男はこの対照を好んだ。男が人生で最もよかったと述べたことは、伝えられるところでは、彼の起こしたジハード(聖戦)が、世界を征しているスーパーパワーは不滅だという神話を破壊したことだった。

 記事にはビン・ラディンが述べたこととして、さらに次のごときくだりもあった: 純粋のイスラム教徒とアメリカ人の違いは、アメリカ人は人生を愛するが、イスラムは死を愛する

 この時代を激動させた男の評価は、まだ定まっていない。しかし、一人の人間をめぐる時代の狂気のゆえに、数限りない命が失われ、多くの悲劇が生じた。悲劇は幕を下ろしていない。原子力と宗教という一見遠くかけ離れた存在をめぐって、あまりに多くの狂気が踊っている。そこに理性を取り戻すには、微かにしか聞こえない声に耳を澄ます必要がある。

 Obituary  Osama bin Ladin, The Economist May 7th 2011.

 


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 この旅で、予定外で大きな収穫となったのは、京都で開催されていたふたつの特別展であった。このテーマについては、とてもここには書ききれない。

法然上人八〇〇回忌特別展『法然 生涯と美術』(京都国立博物館)
親鸞聖人七五〇回忌『親鸞展 生涯とゆかりの名宝』(京都市立美術館)













 

 

 

 

 

 

 

 

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