ぽぉぽぉたんのお部屋

季節の移ろい、道ばたの草花、美味しい食べ物、映画や友人のこと、想いがいっぱいの毎日をお話します

南三陸町・気仙沼市・大島 被災地訪問

2023-07-26 | きょうのできごと
南三陸町防災対策庁舎




かさ上げ中の砂山に埋もれるように観たのはいつのころだったろうか・・・
震災の翌年、気仙沼に行く途中だったかもしれない
さんさん商店街のフードコートでみんなで特製キラキラ丼を食べたのも
たぶん震災前だろう

あたりは震災復興記念公園となり
今は一面の緑の中に少し埋もれるように鉄塔は見える。
手入れがされていてさびることなく、折れ曲がった鉄骨と
屋上のアンテナが見える。
ここに50人もの人が集まり、鉄塔によじ登ったり、柵の角部分で
何んとか流されずにすんだ方もいたのだという。

最期まで放送していた遠藤さんという若い女性があまりにも有名だが
交代してそのあとも男性課長が放送を続けていたらしい

いまもまだ、見つかっていない人がたくさんいるのだから

今も猛暑の中、コンクリートの階段に囲まれたここは
逃げ場もなくて、川風も通らず、辛く苦しく感じた。

メモリアル館がお休みに当たり、
この猛暑の中、案内と説明をして下さっている男性のお話を聴いている。

聴くわたしたちは
日傘をさしたり、保冷剤をまいたり
水分補給したりしていたのだが それでも
熱中症で倒れそうな思いだ。

彼は帽子ひとつで淡々と話して下さる。
もう少しこっちの方にと言われて移動すると
こころもち風が通る気がした。

震災は3月で
こんな猛暑だっらと思った。
電気もガスも水も食料もなく
流されずに助かったとしても、もっとたくさんの方が亡くなっていたかもしれない。

この辺りにはもう家々はなくなり、高台にそびえるように向こうの山のほうに学校が見える。

さんさん商店街そばには隈研吾さんデザインの南三陸杉を豊富に使った
斬新な建物がそびえ、お休みなので閑散としていた。

防災対策庁舎は残してほしくないという声もあり、
今は町にそんな余裕はないので県が管理をしている

でもそのあとはどうなるのだろう・・・


隈研吾さん設計 南三陸町の震災伝承施設「南三陸311メモリアル」







気仙沼市 東日本大震災遺構(向洋高校旧校舎)・震災伝承館



校舎の間に押し寄せられ折り重なった車たち 


パンフレットから
『2011年3月11日発生の東日本大震災による大津波とその後の大規模な火災は
死者1143人(震災関連死を含む)行方不明者212人に上る最大級の悲劇を
気仙沼市にもたらしました。
気仙沼市東日本大震災遺構・伝承館は、将来にわたり震災の記憶と教訓を伝え、
警鐘を鳴らし続ける「目に見える証」として活用し、気仙沼市が目指す
「津波死ゼロのまちづくり」に寄与することを目的としています』


今 校舎の前はグリーンが拡がっていて、その向こうに海がある。
気仙沼市のパークゴルフ場となったその広い敷地では
パークゴルフをしている人たちの姿が垣間見えた。
平和の景色なのだと思った。






コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 今日のづけ丼1800円 弁慶鮨 | トップ | 中杉山はんぞう »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

きょうのできごと」カテゴリの最新記事