8月28日(木)
当日の行程:(車および徒歩) → 【関ヶ原の戦いゆかりの地①東軍、②西軍、③傍観軍・反応軍、④陣跡以外の史跡】 → 【美濃不破関跡・壬申の乱史跡】 → 【寝物語の里】 → 【おくのほそ道芭蕉道・野ざらし芭蕉道】 → 【伊吹山ドライブウェイ】 → 【国友鉄砲の里史料館】 → 【姉川古戦場跡】 → 【小谷城跡】
「寝物語の由来
近江と美濃の国境は、この碑の東十メートル余にある細い溝でした。この溝を挟んで両国の番所や旅篭があり、壁越しに『寝ながら他国の人と話し合えた』ので寝物語の名が生まれたと言われています。また、平治の乱(一一五九)後 源義朝を追って来た常盤御前が『夜ふけに隣り宿の話声から家来の江田行義と気付き奇遇を喜んだ』所とも『源義経を追って来た静御前が江田源蔵と巡り会った』所とも伝えられています。
寝物語は中山道の古跡として名高く 古歌等にもこの名が出ていますし、広重の浮世絵にもここが描かれています。
ひとり行く 旅ならなくに 秋の夜の
寝物語も しのぶばかりに 太田道灌
平成四年一月 滋賀県米原市」
歌川広重・木曽街道六十九宿「今須宿」
溝を挟んで右手が近江国(滋賀県)、左手が美濃国(岐阜県)。
「寝物語の里」の碑と道路を挟んで向かい側に、「おくのほそ道芭蕉道」の碑と「野ざらし芭蕉道」の碑がある。
「おくのほそ道芭蕉道」の碑には、「奥の細道」の冒頭部分(『行春や鳥啼魚の目は泪』)と、旅の終わりの部分(『蛤のふたみにわかれ行秋ぞ』)が刻まれている。
「野ざらし芭蕉道」の碑には、『正月も美濃と近江や閏月』の句がある。
これは、貞享元年十二月、野ざらし紀行の道中、芭蕉が郷里越年のために、この寝物語の里である今須を通った際に詠んだ句だという。
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「寝物語の由来
近江と美濃の国境は、この碑の東十メートル余にある細い溝でした。この溝を挟んで両国の番所や旅篭があり、壁越しに『寝ながら他国の人と話し合えた』ので寝物語の名が生まれたと言われています。また、平治の乱(一一五九)後 源義朝を追って来た常盤御前が『夜ふけに隣り宿の話声から家来の江田行義と気付き奇遇を喜んだ』所とも『源義経を追って来た静御前が江田源蔵と巡り会った』所とも伝えられています。
寝物語は中山道の古跡として名高く 古歌等にもこの名が出ていますし、広重の浮世絵にもここが描かれています。
ひとり行く 旅ならなくに 秋の夜の
寝物語も しのぶばかりに 太田道灌
平成四年一月 滋賀県米原市」
歌川広重・木曽街道六十九宿「今須宿」
溝を挟んで右手が近江国(滋賀県)、左手が美濃国(岐阜県)。
「寝物語の里」の碑と道路を挟んで向かい側に、「おくのほそ道芭蕉道」の碑と「野ざらし芭蕉道」の碑がある。
「おくのほそ道芭蕉道」の碑には、「奥の細道」の冒頭部分(『行春や鳥啼魚の目は泪』)と、旅の終わりの部分(『蛤のふたみにわかれ行秋ぞ』)が刻まれている。
「野ざらし芭蕉道」の碑には、『正月も美濃と近江や閏月』の句がある。
これは、貞享元年十二月、野ざらし紀行の道中、芭蕉が郷里越年のために、この寝物語の里である今須を通った際に詠んだ句だという。