大倉草紙

旅の記録 食の記録 日々の記録

【滋賀】 国友鉄砲の里史料館

2009年02月26日 20時00分00秒 | 美術館・博物館・記念館・資料館
8月28日(木)
当日の行程:(車および徒歩) → 【関ヶ原の戦いゆかりの地①東軍②西軍③傍観軍・反応軍④陣跡以外の史跡】 → 【美濃不破関跡・壬申の乱史跡】【寝物語の里】 → 【おくのほそ道芭蕉道・野ざらし芭蕉道】【伊吹山ドライブウェイ】【国友鉄砲の里史料館】【姉川古戦場跡】【小谷城跡】


国友鉄砲の里資料館に到着したときには、大雨が降っていた。
車の中で小雨になるのを待ち、資料館へ駆け込んだ。

鉄砲が種子島に伝来したのは、天文12年(1543)のこと。
早くも、その翌年には、この辺りで鉄砲作りが始められていたそうだ。
鉄砲の最盛期には、70軒の鍛冶屋と500人余の職人がいたという。
資料館の前の通りには、鍛冶屋屋敷跡を示す小さな標柱があちらこちらに立っている。

博物館に入り、まず初めに、国友鉄砲鍛冶を解説した映像を見せていただく。
その後、2階の展示室に上がって様ざまな資料を目にする。
鉄砲に触れ、その重さを実感することもできる。
持ち上げるだけでも大変な重さであるのに、これを持って戦うとは、相当な気力と体力が要ることだろう。
鉄砲作りには、ネジの開発が鍵となっていたと知る。
それまで日本にはネジというものがなく、その仕組みを解明するのに苦心したらしい。
また、弾丸を込める棒である「さくじょう」の穴を開けるのにも、大変な苦労があったようだ。


国友町では、排水溝の蓋にも鉄砲の意匠が施されている。

最新の画像もっと見る