大倉草紙

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【神奈川】 箱根旧街道(東坂) ⑦(杉並木~芦ノ湖遊覧船)

2010年05月18日 21時00分00秒 | 旅 - 神奈川県
5月2日(日)
当日の行程:【箱根湯本駅】 → 【あじさい橋】 → 【箱根旧街道案内図】 → 【小田原馬車鉄道・電気鉄道落合橋跡】 → 【早雲公園(早雲寺林)】 → 【早雲寺】 → 【正眼寺】 → 【仲睦まじい道祖神】 → 【旧箱根街道一里塚跡の碑】 → 【箱根ベーカリー】 → 【馬の飲み水桶】 → 【箱根旧街道入口】 → 【葛原坂】 → 【天聖院】 → 【鎮雲寺】 → 【須雲川自然探勝歩道】 → 【割石坂】 → 【大沢坂】 → 【畑宿本陣茗荷屋跡】 → 【畑宿の庚申塔】 → 【守源寺】 → 【箱根旧街道・畑宿一里塚】 → 【七曲り】 → 【橿木坂】 → 【猿滑坂】 → 【追込坂】 → 【親鸞上人御舊蹟の碑】 → 【旧街道休憩所】 → 【甘酒茶屋】 → 【二子山】 → 【権現坂】 → 【バーニーとケンペルの碑】 → 【天下の険の碑】 → 【興福院】 → 【箱根神社大鳥居】 → 【身替わり地蔵】 → 【葭原久保の一里塚】 → 【杉並木】 → 【箱根関所】 → 【芦ノ湖遊覧船】

【杉並木】

(13:47)
「江戸と京都を結ぶ『東海道五十三次』は、江戸時代の元和四年(一六一九)頃に、それまでの湯坂道を廃し、湯本、畑宿、箱根を廻る街道に改められました。この杉並木は、徳川幕府が、旅人に木陰を与えようと道の両側に植えたもので、東海道では唯一のものです。
 第二次世界大戦中、伐採されそうになったこともありましたが、現在では、国指定史跡として保護され、芦ノ湖畔周辺の四地区に、約四二〇本の杉が残されています。
 残された杉には、人々の愛護の心が込められています。
 杉並木を大切にしてください。
  文化庁 
  神奈川県教育委員会
  箱根町教育委員会」(案内板より)


(13:48)
杉並木にある戦没者慰霊碑。


【箱根関所】

(13:59)
「箱根関所(国指定史跡 箱根関跡)
 箱根関所が、江戸幕府によって、山と湖に挟まれた交通の要衝であるこの地に設置されたのは、元和5年(1619)のことと伝えられています。箱根関所は、江戸幕府が江戸防衛のために。全国に設置した53ヶ所の関所のうち、東海道の新居(静岡県)、中山道の碓氷(群馬県)、木曽福島(長野県)と並んで規模も大きく、特に重要な関所と考えられていたようです。
 この関所の配置は、箱根山中の東海道の中で、屏風山と芦ノ湖に挟まれた要害の地形を利用して、山の中腹から湖の中まで柵で厳重に区画し、江戸口・京口両御門を構え、大番所と足軽番所が向き合うものとなっています。
 一般的に関所では、『入り鉄砲に出女』を取り調べたと言われていますが、この箱根関所では、江戸方面からの『出女』に対する厳しい取調べを行っていました。
 江戸時代を通じて機能を果たしてきた関所ですが、設置から250年後の明治2年(1869)、新政府により関所制度が廃止され、その役割を終えました。
 箱根関所の跡地は、大正11年(1922)、『箱根関跡』として国の史跡に指定されました。昭和40年(1965)には番所の建物が建設され、その後、昭和58年(1983)、江戸文庫(静岡県伊豆の国市)から慶応元年(1865)に完成した箱根関所の大規模修理についての克明な資料『相州箱根御関所御修復出来形帳(そうしゅうはこねおせきしょごしゅうふくできがたrちょう)』が発見され、資料の解析や跡地の発掘調査を経て、平成19年(2007)貼る、国土交通省、文化庁、神奈川県の補助を受けた復元整備を終え、箱根の関所は往時の姿によみがえりました。 平成19年(2007)箱根町教育委員会」(案内板より)


(14:07)
遠見番所付近からの眺めは素晴らしい。


【芦ノ湖遊覧船】

芦ノ湖遊覧船を楽しむ。


「箱根関所跡港」を出て、約30分で同じ港に戻ってくるコース。


箱根神社の鳥居も見える。