大倉草紙

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【神奈川】 箱根旧街道(東坂) ③(鎮雲寺~大沢坂)

2010年05月14日 21時00分00秒 | 旅 - 神奈川県
5月2日(日)
当日の行程:【箱根湯本駅】 → 【あじさい橋】 → 【箱根旧街道案内図】 → 【小田原馬車鉄道・電気鉄道落合橋跡】 → 【早雲公園(早雲寺林)】 → 【早雲寺】 → 【正眼寺】 → 【仲睦まじい道祖神】 → 【旧箱根街道一里塚跡の碑】 → 【箱根ベーカリー】 → 【馬の飲み水桶】 → 【箱根旧街道入口】 → 【葛原坂】 → 【天聖院】 → 【鎮雲寺】 → 【須雲川自然探勝歩道】 → 【割石坂】 → 【大沢坂】 → 【畑宿本陣茗荷屋跡】 → 【畑宿の庚申塔】 → 【守源寺】 → 【箱根旧街道・畑宿一里塚】 → 【七曲り】 → 【橿木坂】 → 【猿滑坂】 → 【追込坂】 → 【親鸞上人御舊蹟の碑】 → 【旧街道休憩所】 → 【甘酒茶屋】 → 【二子山】 → 【権現坂】 → 【バーニーとケンペルの碑】 → 【天下の険の碑】 → 【興福院】 → 【箱根神社大鳥居】 → 【身替わり地蔵】 → 【葭原久保の一里塚】 → 【杉並木】 → 【箱根関所】 → 【芦ノ湖遊覧船】

【鎮雲寺】
(10:40)

「鎮雲寺は、江戸初め、当時早雲寺の山内にあった一庵を引いて建立された禅寺です。この寺には、『箱根霊験記』で有名な勝五郎と初花の墓があります。」(案内板より)


霊泉の滝


初花堂


飯沼勝五郎・初花の墓


【須雲川自然探勝歩道】
(10:44)

畑宿まで1,000メートル
奥湯本まで4,000メートル


(10:48)
「須雲川自然探勝歩道について
 この歩道は、須雲川のせせらぎを聞き、野鳥の声を聞きながら歴史を研究する芦ノ湖の南岸元箱根~奥湯本を結ぶ自然探勝歩道です。
 この付近の石畳は、江戸時代のものを明治、大正時代に元の須雲川小学校の通学路として一部補修したものです。
 前後の新しい石畳は、今回県が整備した歩道です。
   神奈川県自然環境保全センター」(案内板より)


(10:54)
この辺りは、東京電力の所有地らしい。
近くには、東京電力畑宿発電所がある。


(10:54)
須雲川に架かる木の橋を渡る。


橋はこんな感じ。


(10:55)
素晴らしい風景。


【割石坂】

(11:01)
「曽我五郎が、冨士の裾野に仇討ちに向かう時、腰の刀の切れ味を試そうと、路傍の巨石を真二つに切り割ったところと伝えられています。」(案内板より)


(11:01)
江戸時代の石畳


【大沢坂】

(11:15)
大沢川


(11:17)
大沢坂
「大沢川を渡ったところです。幕末の下田奉行小笠原長保の『甲申旅日記』に、『大沢坂又は坐頭転ばしともいうとぞ、このあたり、つつじ盛んにて、趣殊によし』と書かれています。当時の石畳の道が、一番よく残っている坂で、苔むした石畳は、往時をしのばせてくれます。」(案内板より)


(11:17)
苔むした石