2009年6月27日(土)
JR亀岡駅にある石田梅岩像
「石田梅岩(ISHIDA BAIGAN)(1685-1744)は江戸中期に、現在の亀岡市東別院町に生まれました。本名を興長、呼び名は勘平(KANPEI)といい、律義な父の影響を受けたと伝えられており、京都の商家で、仕事に励むとともに、『人の人たる道』を求めて勉学にも努力を重ね、やがて『石門心学の祖』(SEKIMONSHINGAKU)となりました。
享保14年(1729)梅岩45歳の時、京都 車屋町御池上ルで『聴講無料・出入り自由・女性もどうぞ』という、江戸時代としては型破りな講座で、日常生活における正直・勤勉・倹約・孝行などをわかりやすく講義し、『商人道徳』の確立に大きく貢献しました。
延享元年(1744)60歳の生涯をとじましたが、梅岩の教えは全国に普及するとともに、時代を超えた現在でも高く評価されています。生涯学習都市を宣言している亀岡市では、梅岩は『市民の学ぶ心』のシンボルでもあります。
平成20年4月・亀岡駅舎改築記念」(案内板より)
JR亀岡駅にある石田梅岩像
「石田梅岩(ISHIDA BAIGAN)(1685-1744)は江戸中期に、現在の亀岡市東別院町に生まれました。本名を興長、呼び名は勘平(KANPEI)といい、律義な父の影響を受けたと伝えられており、京都の商家で、仕事に励むとともに、『人の人たる道』を求めて勉学にも努力を重ね、やがて『石門心学の祖』(SEKIMONSHINGAKU)となりました。
享保14年(1729)梅岩45歳の時、京都 車屋町御池上ルで『聴講無料・出入り自由・女性もどうぞ』という、江戸時代としては型破りな講座で、日常生活における正直・勤勉・倹約・孝行などをわかりやすく講義し、『商人道徳』の確立に大きく貢献しました。
延享元年(1744)60歳の生涯をとじましたが、梅岩の教えは全国に普及するとともに、時代を超えた現在でも高く評価されています。生涯学習都市を宣言している亀岡市では、梅岩は『市民の学ぶ心』のシンボルでもあります。
平成20年4月・亀岡駅舎改築記念」(案内板より)