大倉草紙

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【京都】 本能寺と本能寺跡

2010年01月13日 21時00分00秒 | 旅 - 京都府
12月26日(土)
当日の行程:(羽田空港→伊丹空港…大阪空港交通リムジンバス・大阪空港南ターミナル~京都駅八条口…京都市バス・京都駅前~京都市役所前) → 【本能寺】 → 【本能寺跡】【南蛮寺跡】【受け継いでいく祇園祭(京都府京都文化博物館)】

【本能寺】

かの有名な本能寺。
しかし、現在地に移ったのは天正15年(1587)というから、本能寺の変の舞台はここではない。
本能寺の「能」の字のつくりは、「ヒヒ」だと「火」を連想することから、「去」を用いるのだそうだ。
でも、文字を出せないので、ここでは「能」で記す。


本能寺を訪れるのは3度目なのだが、ちゃんと写真を撮ったことがなかったので、今回は……と思って境内に足を踏み入れたところ、目に飛びこんできたのは修復・耐震工事中の本堂。
平成24年3月31日まで続くらしい。
あぁ、写真はいずれまた。

宝物館は閉まっていた。
こちらの展示は以前に観たことがあるが、↓こんな蛙がいて、なかなかおもしろかった。

三足の蛙の香炉
顔がナマズに似ているけれど、蛙。
三足の蛙は、本能寺の変の前、突然鳴き出して異変を知らせた、と伝えられる。


魅力的なポスターを発見。
「ホテル本能寺の変」というコピーはいかがなものか。
ゆっくり眠っていられないような気がするけれど。
昔、どこかのミステリーツアーでバスが横転したという事故を思い出す。
乗客の中には、事故ではなくて、ツアーのアトラクションのひとつだと思った人もいたそうだが、ホテル本能寺で万が一何か起こっても、何かオプションサービスを頼んじゃったかな? と思う宿泊客もいるかも。


本能寺の御朱印


【本能寺跡】
本能寺跡は、本能寺から歩いて10分くらいかかるだろうか、京都市立堀川高校の近くにある。

本能寺跡の碑
2008年の発掘調査では、ここから本能寺の変で焼けたとみられる瓦などが見つかっている。


「本能寺址
 応永二十二年(一四一五)、日隆上人が油小路高辻の地に本応(ほんのう)寺を創立したが、後に破壊されたので、永享五年(一四三三)に六角大宮に寺地を移して本能寺と改称された。
 天文法華の乱で焼失したが、天文十六、七年(一五四七、八)頃、第八世日承によって、西洞院と小川との間の四条坊門(今の蛸薬師)の北の地に再興された。当時は広大な寺域を占め、織田信長の仮宿所となったが、天正十年(一五八二)六月二日に信長を攻めた明智光秀の兵火にあい、一山の堂塔を失った。
 後に信孝が父信長の廟を建てたために本能寺は再びこの地に復興を見ることになったが、豊臣秀吉の区画整理により、天正年間に東京極(今の寺町)の三条坊門(今の御池)南の地に移された。   京都市」(案内板より)


此附近本能寺址の碑
ペットボトルが置かれているけど、猫除けかな?

思い出した!

こちらは、大徳寺の塔頭・総見院の信長の墓の周りに置かれている猫除けのネコ。
猫は信長好きなのだろうか?